シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#222 雲ばっかり。雨も

 時々、ジブリの『おもひでぽろぽろ』が観たくなる。高畑勲の映画。山形が舞台だったと思う。東京でOLをしていた主人公が山形に帰る一夏。主人公の子供時代と現在が行ったり来たりするストーリーが好きだった。時々、現在パートに子供時代の主人公がチラリと登場したりして、そのシーンを発見するためだけに映画を見たりしていた。そういうメタ的な部分を発見すると作り手の遊び心が見えて楽しい。手塚漫画でベレー帽と眼鏡の作者自身が登場するのも好きだ。
 
 子供時代の主人公が、クラス対抗の野球を観た後の帰り道、試合で活躍した男の子に好きな天気を訊かれるシーンがある。男の子の名前は広田くん。ストーリーの上でほとんど意味を持たないシーンなのだけど、そのシーンが私は大好きだ。好きな天気が、くもりで一致することを知って、うっとりするシーン。

 一つひとつのエピソードが粒立っていて、小さな物語が集められていつの間にか大きくなる話が好き。天才兄弟が主人公のウェス・アンダーソンの映画『ロイヤル・テネンバウムズ』も好きだし、海沿いの小さな街に住む一人の男とその周囲の人々を舞台にした『マンチェスター・バイ・ザ・シー』も好き。20年前に対ヒットした映画『アメリ』が好きなのもそういうところがあるからだと思う。
 映画よりもたくさんの小説を読んできたけれど、好きな小説のいくつかも、小話が集まって大きな物語になるという構造で書かれてある。三浦しをんのいくつかの小説。アメリカ文学で一番好きな『ワインズバーグ、オハイオ』、子供の頃に何度も読んだ『ハリーポッター』シリーズ。全部挙げていきたいけれどキリがない。時間もない。

トマトを鉢に植えた
 昨日の朝はとっても暑くて、最高気温は25度以上あったと思う。私はようやく部屋の掃除をした。マットレスもあげて、ベッドの上にも掃除機をかけた。最近ずっと鼻炎の症状が出ているけれどこれで少しはよくなるといいな。鼻炎の症状があるのは副流煙のせいだと思う。毎日寝る前に鼻うがいをしている。家の人は台所のリノベーションを今日もしていた。少しだけ庭仕事を手伝ったりして、先月植物市場で買って、窓際で目一杯まで伸びていたトマトをようやく植木鉢に移した。自分のドイツ語と一緒にこのトマトがどれだけ伸びていくのか楽しみだ。たくさん実をつけて欲しいな。

Landungsbrücken 駅
 チョコレートを買うためにスーパーマーケットに寄ったら時間ギリギリになって学校に着いた。
先週から新しいクラスが始まっている。新しいレベル、新しい先生。先週から担当してくれる先生は、プリントの練習問題を配って授業内で解かしてくれる。前のクラスではそういった時間はなかったから新鮮だ。
新しい先生は妻が中国人らしい。結婚の時から身につけているというブレスレットには桃(すもも?)の種が使われていた。インドから来ているDr.Pとアヌがその話をしていて、装飾品にも文化が出ていて面白いと思う。アヌもお守りとして果物の種のネックレスをしている。この種はシヴァ神の涙なのだと教えてくれた。古代の日本人も埋葬の際に桃やすももの種を一緒にお墓に入れたというから、なんとなく通じるところがあるなあと思って話を聞いていた。

これはキールの砂浜で見つけた黒曜石
 日中はあんなに暑かったというのに、授業中から雨が降り始めた。学校から帰る頃には雨が土砂降りだった。借りている本が濡れないように、地下鉄の駅まで走る。油断して傘を持ってこなかったことを少しだけ後悔し、でも久しぶりに走って風を感じられたことに嬉しくなる。アヌが笑っている。彼と一緒に今日も帰る。彼の姿勢にいつも勇気をもらっている。ありがとう。

 新しい人と新しいカフェで待ち合わせ。1時間しかなかったけれど話していて楽しかった。で今はその人が帰った後に色々考えてこの文章を書いている。日本に留学経験があるというその人は今もハンブルクの大学にいて学内の新聞を書いているらしい。私がジャーナリストになりたくてロシア語を勉強していたことを言うと、少し嬉しそうな顔をしていた。政治とか社会の話をした。最近即位した英国王のこと、日本の天皇制のこと。大学近くのそのカフェは大学生に見える人が結構いて、私が文章を書いている向かい側のテーブルにはラップトップでレポートを書いている風の人がいた。ちなみに英国はドイツ語で「Großbritannien」というらしい。チャールズ3世は「Charles Ⅲ.」と書いて「Charles der Dritte 」と読むらしい。最近、リューベクに行った。リューベクが予想以上によかったので帰ってから街の歴史を調べていた。火災で荒廃したリューベクの街を再建したのはザクセン公ハインリヒ3世らしい。彼は勇敢だったのかあだ名をハインリヒ獅子王と言うらしいのだけど、それは「Heinrich der Löwe」と書くらしい。

Barmbek駅
 昨日が暑かったから今日は薄着で来たのだけど、カフェを出ると夕方の風は冷たかった。昨日の雨のせいでみんな体調が悪かったのかも知れない。何人か休んでいて、今日は教室にいる人の数が少なかった。ハンブルク、降水量はそれほど多くないらしいのだけど、雨が降る日は多いみたい。雨の日になると「der Wolkenkratzer」という単語について考える。摩天楼を意味するドイツ語だ。あるいは高層ビル。英語なら「skyscraper」で、「空を引っ掻くもの」といった意味だけど、一方のドイツ語は「雲を引っ掻くもの」になる。ちょっと調べたらskyscraperという言葉は19世紀後半のアメリカで生まれたみたいだ。アメリカの高層ビルは空を引っ掻くのに、ドイツでは雲を引っ掻く。それだけドイツは雲が多いのかも、とか思う。

 今朝は霧が少し出ていた。霧を見るとロンドンを思い出す。『ガス燈』とか『シャーロック・ホームズ』のシリーズとか。私の好きなサッカーチームはロンドンを本拠地に置くチームなのだけど、冬場の試合は空がどんよりして憂鬱になりそうだと時々思う。数年前南米からロンドンにやってきた選手が曇りがちの天気に順応できなくてイタリアリーグに移籍して行った。いい選手だったのに。
 箱根のことも思い出す。箱根で働き出したのは6月で、住んでいる部屋がカビだらけで困った。休みの日に外に出ても霧が出ていたり、宮ノ下から強羅まで歩いて戻ろうとしたら雨が降り出したり、そんな毎日だった。いつかまた帰る日が来るだろうか。その時の私は誰と行くのだろう。何を思うのだろう。時間ってどうして進んでいくんだろう。私はまだここに留まってゆっくり考えていたいんだけどな。今日のことも昨日のことも先週のことも、もっとじっくり向き合って書けることは書き残したいのに、気がついたらもう夏になっている。怖い。

 新しく行った場所の新しいカフェだったから、必然的に新しい路線に乗って帰る。初めて乗る駅。初めて降りる駅。予定があることをありがたいと思う。新しい人と新しい場所。それだけじゃダメで、同じことを継続していくことも大事なのだと知っているけれど、でも私は飽きもせずに新しいものを求めて前に進んでいく。資本主義とか消費社会が嫌だと思っているけれど、新しいものへの欲求が消えない自分の生き方は大量消費の時代に迎合した生き方なのかも知れないと思う。私は新しい人と新しい経験を消費し続けている。

Zitronnenmelisse
 家に帰るとキッチンが無くなっていた。DIYを今週はずっとやっていて、そのせいもあって鼻炎がひどいのかもしれない。コーヒーを作るのもこの数日間はできないし、料理のストックももうすぐ切れる。チョコレートばかり食べている1週間。パンとチョコレートは日本より安くてだからついつい買ってしまう。ジャガイモを茹でて今日もまた一日。

Jungfernstieg駅
 
 
【Aufsatz10】
„Das Picknick im Stadtpark“
Gestern habe ich das Picknick organiert. Michael, Dimmas, Dr.P, Anu, Ay, und ich sind im Stadtpark zusammengekommen. Michael und Dimmas kommen aus der Ukraine. Anu und Dr.P sind Inder. Ay kommt aus der Türkei. Und ich bin Japaner. Dr.P und Ay wohnen in einem Haus in Billstedt. Morgens haben sie zusammen Döner gekocht und mitgebracht. Ein Döner war vegetarisch, weil Dr.P Vegetarier ist. Aufgrund seiner Religion kann er kein Fleisch essen und keinen Alkohol trinken. Ich habe Guacamole mitgenommen. Für sie war das seltsam, weil Guacamole mexikanisches Gericht ist und ich kein japanisches Essen mitgenommen habe. In Hamburg koche ich kein japanisches Essen.
Am Dienstag habe ich mit einer japanischen Freundin in einen Asien-Laden gegangen. Dort habe ich „“Ssamjang„ gekauft.
Das ist eine dicke und würzige Paste und wichtig für die koreanische Küche.
Mit Ssamjang hebe ich eine koreanische Küche gekocht und mitgebracht. Das war sehr lecker.
An diesem Donnertag ist nichts Besonders passiert. Aber wir haben im Park entspannt. Das war ein guter Tag.
 
【今日の音楽】
 
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#221 レスターが降格した。それからドイツでフットボールの試合を観た。

 私が横浜スタジアム近くの路上で買ったレスターのユニフォームは プーマのロゴが入っていない。なぜならバッタモンだから。
 レスターが降格した次の日、友達とブレーメンに行った。グリム童話に出てくるあの音楽隊の彫刻と共に写真を撮り、ローランドの像の前でその大きさに驚いたりした。
 そうは言ってもこのところの私は疲れていて、正直行きたくなかった。アヌが遅れてくるのも、オープンマインドになれない自分も嫌だった。ビザのこととか色々考えていると焦ってしまって困る。ホストファミリーが送ってくれたリンクもまだ開いていない。私はドイツに来て大学院に入ろうと考えていたけれど、ドイツ語は難しくて、だから違う道を模索している。私はできるだけ長くこの国にいたいと思っているけれど、どうなるかわからない。なにしろビザのことがまだ進められていないのだから。

ハンブルク中央駅
 ブレーメンへ行く道でビザ関連のメールを送る。いつもは返信が来ないのに、今日はすぐ返信が来る。「このリンクからどうにかしなさい」と書かれている。アポイントメントを取り付ける段まで行くのだけれど、予約でいっぱいなのか予約が取れない。メールを送るけれど返事がない。来週までにメールが返って来なかったら電話をしてみよう。新しいSIMカードを買って電話をする。簡単なことだ。いつも後回しにしているけれどこれはもう後回しにできない。毎日毎日歳をとる。好きでも嫌いでも毎日毎日新しい日を積み上げる。できたら昨日よりも進んでいたい。

 ようやく遅れて来たアヌと合流する。彼は地下鉄の駅から鉄道の駅までの行き方がわからないと言ったので迎えに行った。歩いて1分もかからないけれど、そりゃ不安だよな。人も多いし。今日はキリスト教関係の休日。イースターから数えて50日目とかだと思う。違うかも。ドイツは政教分離の国だけど、キリスト教の祭日が休日としてカレンダーに組み込まれている。他の宗教の祭日、たとえばラマダンが終わる日などは祝日には含まれない。それってなんだか不公平だと思うけれど、ドイツはアメリカのような人工的にできた国家じゃないから、住んでいる人にとってはそれが当たり前なのかもしれない。キリスト教は私にとっては新しくて、だから時々奇妙に見える。薬物中毒者のように見える人が十字架を逆さにしたタトゥーをよく入れていたり、エホバの証人を信仰する人が通りに立っていくつもの言語で書かれたパンフレットを配っている。日本語はなかった。ロシア語のものが欲しかったのだけど、英語を渡されて、少しがっかりした。書いていることはちんぷんかんぷんだったけれどそれは自分の英語力のせいだけではなかった。プロテスタントの人が多いと思っていたけれど、ホストファミリーの通う教会コミュニティは人の交流を大切にしていていて宗派の違いなどはこだわっていないような気がした。Dr.P のホストファミリーはポーランドから来た人でカトリックらしく、ローマ教皇の写真が壁にかけられていた。その家にはヒンドゥー教徒でタミル人の彼の他にトルコ人とブラジル人が住んでいる。彼は明後日からニーダーザクセンのとある大学で働き始める。これからあまり会えなくなる。寂しいけれど、外国人として暮らしているのだから、そういうことはこれから多々あるだろう。時々連絡しよう。
 
 ブレーメンに行く電車の中で私はタッパーから水が漏れていることに気づく。この3日間で2回目である。土曜日は茹でた芋を入れていたタッパーがカバンの中で開いてしまった。今日はキュウリ。塩揉みした後の水切りが足りなかったのか、ナップザックがかなり濡れている。古いキュウリは硬くなってしまって、あまり美味しくなかった。持ってきたスサムジャンをつけた。この前アジア食品店で買った500グラムは3週間で無くなりそうだ。でもDr.P は美味しいと言ってくれる。彼はよく食べる。そうだ。彼と会うのは今日で最後になるかもしれない。だから今日は絶対に来ないといけなかったのだ。

観に行った試合のチケット
 ビザについて考えて、でも私の携帯は電車のWi-Fiをなかなか掴めない。仕方がないから私は一昨日のサッカーの試合について考えている。4部リーグに相当するレギオナルリーガの試合。ハンブルクレギオナルリーガノルド(北部)に含まれている。シュレスヴィヒ・ホルシュタインブレーメンハンブルクが合わさった地域にいる19チームが戦っていて、その日が最終節。優勝争いをしている地元のチームHSV ⅡとSC  Weiche 08というフレンブルクを本拠地を置くチームの試合。der Hamburger Sport-Vereinを略してHSV。強豪のチームだからセカンドチームもあるのだ。一応スカウト網とかもあるのだろう。10番をつけていた色白の選手はフィンランドの育成年代で有名な選手らしかった。ディフェンスラインに顔を出して中盤の底から試合を組み立てたり、機を見て上がってシュートを打ったりしていた。同じ中盤の6番の選手はドイツ代表の育成年代代表だったらしいのだけど、ルーツのあるジンバブエの代表を選択したらしくA代表で1試合経験しているらしかった。60分台に、時間稼ぎする相手選手に対しての抗議でしょうもないイエローをもらった彼は、80分過ぎにカウンターを仕掛けた相手フォアードを倒してしまい、退場になった。負けている状況でこれ以上時間を使いたくなかったのか、慣れているのか、すぐにピッチの外に出ていった。そして黄緑のビブスを着て試合を観ていた。

レンブルクの選手たち

こっちがハンブルガー
 その試合の前までハンブルガーはレギオナルリーガノルドの1位だったのだけど、ハーフタイムの時点で1点リードされていた。他会場で戦うリューベクのチームが試合をリードしていたために、優勝するためには勝たないといけなかった。
 終了間際、セットプレーのタイミングでゴールキーパーが前に出て行った後にカウンターを喰らって相手にゴールが決まり、2ー0で試合は終わった。全力を尽くしたという感じで、優勝を逃したハンブルガーの選手たちは地面に倒れ込んでいて、サッカー選手って大変だなと思った。きっと今日も観客席のどこかには他チームのスカウトがいるのだろうし、彼らはプロになるために毎試合ベストを尽くさないといけない。10番の選手は「Juho Kilo」という名前らしいのだけど、彼の成長は楽しみだと思ったので、これから追えるなら追ってみようと思う。プレースタイルがかっこよかった。

ハーフタイムになると一般の子供達もピッチに入ってボールを蹴ったりしていた
 対戦相手のフレンブルクはリーグ戦では5位のチームなのだけど、来週末にシュレスヴィヒ・ホルシュタインカップ戦決勝を戦うことになっていて、だから最終節でもちゃんと勝とうとしていた。コンディションも良さそうだった。ボールを支配するのはハンブルガーなのだけど、効果的なカウンターを繰り返スノがフレンブルク。ハンブルガーの左サイドがよく狙われていて、サイドバックと左ウイングの連携もイマイチだった。左サイドの攻撃が停滞したハンブルガーがボールを取られ、フレンブルクのカウンターというのが前半はよくあった。前半、目の前でウイングの23番とサイドバックの17番がポジションをかぶっていて、ヤキモキしながら見ていた。ハーフタイムで23番は交代させられてしまった。

キックオフ前の円陣にベンチの選手も一緒に入っていたのがいいなと思った
 ちなみに対戦相手フレンブルクのチーム名にある「SC」はSport-Club」の略。HSVのVも「Verein」という「チーム」を表すドイツ語なのだけど外国語由来の「Club」もOKらしい。Jリーグには名前に「クラブ」とか「チーム」とか入っているクラブはないと思う。でもドイツでは(ロシアのチームもそうなのだけど)同じチーム名の下にサッカーチームと共にハンドボールのチームや水球のチームがあったりするので、そういうのもあっての「スポーツチーム」なのだろうと思う。あと「Welche」は意味がよくわからない。柔和という意味もあるのだろうけど「ポイント」「転換点」という意味もあるらしい。今度誰かに聞こう。
 6月最初の週末、カップ戦決勝で、フレンスブルクはリューベックに勝ってタイトルを獲得した。
 きゅうりを分け合い、アヌのブドウとモモを分け合った後はやっぱりみんな疲れているのかイヤホンをして目を瞑っている。暑いし人が多い。それから花粉症もある。何より違う国に住んでいる。友達と一緒にいる時はイヤホンをしたくないというこだわりがあって、私は一人でいる問いにしかイヤホンをしたくないのだけど、でもインド人はそんなの関係ないのかもしれない。そんなことも考えていた。

ブレーメン路面電車があってよかった
 横のコンパートメントに座っている若者二人がさっきからずっとサッカーのチャントを歌っている。首に巻いているタオルのカラーを見るにマフラーボルシアMGのサポーターと思うけれど自信はなかった。チャントを聴きとるだけのリスニング能力はまだない。「まだない」とか言っているけれど本当にそんな日が来るのだろうか。


 ジェイミー・ヴァーディーのユニフォームを着ているからか、列車で席を探して移動する間「ヴァーディー!」と叫ばれる。その度にニコッとしたりヴァーディーのゴールパフォーマンスっぽい動きをしたりするのだけど同時に自分がアジア人ということも意識する。

試合後のピッチ
 レスターはタイ人オーナーの元であの偉業を成し遂げた。自分が知る限り、アジア人が所有するチームとして最初に成功を納めたチームだ。そしてレスターという街はイギリス国内でも多国籍な地域だ。そして一番大事なことは、ユニフォームのモデルにアジア系の人たちを起用していること。極東でヨーロッパのフットボールの世界を覗き込んでいる自分にとってそれは大きな意味があった。レスターが新シーズンのユニフォームを発表するSNSに私と似たような顔のモデルが写っているのを見て、フットボールと自分の距離が近くなるような気がして嬉しかった。
 今、ドイツにいて他人が自分の外見をジロジロ見るのに疲れている時に、レスターのユニフォームは少しだけ勇気をくれる。

 レスターが降格した。きっとすぐに1部に戻れるだろう。でも何が起こるのかがわからないのがスポーツ。
 
 
 
【Aufsatz009】
„Der Ausflug nach Lübeck 2“
Es ist einfach zu verstehen, wie eine Altstadt in Deutschland aufgebaut ist. Kirche, Rathaus, und Marktplatz sind im Stadtzentrum. Der Turm der Kirche ist der Höchste in der Stadt, denn man weiß so, wo die Kirche ist. Vor der Kirche gibt es einen Marktplatz. Touristen fotografieren dort. Du kannst Paare in Anzügen und Kleiden neben einem Gebäude sehen. Das Gebäude ist Rathaus.
Die Geschichte der Hansestadt Lübeck beginnt im zwölften Jahrhundert. Zeitgleich ist die Heian-Zeit in Japan. Heian-Zeit ist die Ära der Adligen. Berühmte Geschichten , wie „Genji-Monogatari“ und „Das Kopfkissenbuch“ wunden in dieser Zeit geschrieben. Im zwölften Jahrhundert endete in Japan die Ära der Adligen und die Ära der Krieger fing an.
In zwölften Jahrhundert begann in Deutschland die Wanderung nach Osten. Händler gründeten die „Hanse“. Lange Jahre galt Lübeck als „Königin der Hanse“
Dr.P und ich verließen und liefen in die Altstadt. Wie sind lange in einer Kirche geblieben. Wir sind keine Christen, aber die Dekorationen und die Ausstellung waren sehr schön und haben uns berührt.
Ich möchte mehr über die Stadt, zum Beispiel über die Haikatter oder die Ostsee schreiben, aber meine Sprache ist nicht gut genug.  Deswegen höre ich auf zu schreiben.
 
 
 
【今日の音楽】
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#220 レスターが降格するかも知れない

これは昨日観に行った4部リーグの試合

 レスターが降格するかも知れない。
 私が大学に入った時に奇跡的な優勝を成し遂げたあのチームが降格圏で最終節を迎えている。降格も昇格も引退もサッカーにも人生につきものだ。毎年好きな作家が死ぬし、誰かが死ぬたびにその人の文書をもっと読みたかったとか、その人にもっと映画を作って欲しかったとか、そんな風に勝手なことを思うけど、別に「全部」読んだわけではないし「全部」観たわけではない。もちろん「全部」聴いてないしSNSを全部見たわけではない。

「King Power」というのがタイ人オーナーの会社名
 大学に入ってからのこの7年、いろいろな事があった。人を好きになり嫌いになり、許せることと許せないことがあり、自分はいくらか成長したのだろうと思うけれど、でもはっきりとした指標はなくて、砂の上に絵を描いていただけなのような気分。文章のテーマも別に大きく変わってない。同じところを同じスピードでぐるぐるしている。人工衛星として生まれたならきっと優秀だっただろうと思う。「大人になったら大丈夫だよ」ってみんな言ってくれたけど、いつになったら大丈夫なんだろう。お金を払って救われるというのであれば、もう払ってもいいのではないかと思う。
 大学生になった5月。レスターの優勝が決まった。アーセナルファンとしてはアーセナルが優勝するべきだったと思うけれど、でもレスターのような弱小のエレベーターチームが優勝できることに夢と希望を感じた。フートとモーガンのベテランセンターバックゴールキーパーシュマイケルがチームを引き締め、右サイドバックは昔ニューカッスルでも活躍したダニー・シンプソン。左サイドバックは、シャルケで内田と同僚だったフクス。優勝したシーズン、彼のロングスローを何度も見た。ロングスローは実力差がある試合でも鍵になる戦術だ。ワールドカップに出たアイスランド代表がよく使ってたし、今のプレミアリーグでもブレントフォードがよくやっている(そして我がアーセナルはロングスローから失点をすることが多い)。
 中盤はカンテとドリンクウォーターがいて、右は今もマンチェスター・ソティで活躍しているマフレズが、左はオルブライトンがいた。前線には大ブレイクを果たしたヴァーディーと共に、黒子に徹してボールを追いかけ回る岡崎がいた。岡崎は途中でスタミナが切れるので途中からヘディングの強いアルゼンチン人ウジョアがよく入った。
 いい選手がたくさんいた。まだプレイスタイルを確立する前でスピードで勝負していたシュルップもいたし、後にチェルシーに移籍してイングランド代表となる20歳のチルウェルもいた。シーズン後半にはデマライ・グレイもデビューした。
 
 いくつもの物語を見つけられるのがスポーツのいいところ。オルブライトンとシンプソンは元々マンチェスターユナイテッドの下部組織出身だったもののそこで活躍できずに放出された過去があったり、10番を与えながら活躍できずに控えにいたアンディ・キングがチームを盛り上げていたり、同じく控えだったウジョアが強敵相手の試合で先発し大活躍したり、点を獲りまくったヴァーディーが数年前まで下部リーグにいて成り上がって行ったとかあったり。そんな色々の物語が集まってのレスターの優勝は、スポーツの素晴らしさを感じられるものだった。
 私はその後、東京オリンピックカタールW杯でスポーツが政治の道具となり、社会問題から国民の関心を逸らすための目眩しとして使われたことで、スポーツが嫌いになってしまうのだけど、でもあのレスターの優勝には元気をもらった。
 
 みんなが活躍できるわけではないのもスポーツ。ミラクルレスターの中でも活躍できなかった選手はいた。今もドイツリーグで活躍しているクロアチア人クラマリッチはシーズン途中でラニエリ監督の起用法に反発して移籍したし、ナポリで活躍した後に加入したスイス代表のインレルは前評判通りの活躍を全くできず、そのままキャリアは下降してしまった。

バッタモンにしてはよくできていると思う
 2016年の冬、クラブワールドカップが横浜で開催された。予備校時代の友達にチケットを手に入れるためのコネを持っている人がいて、連れ立って見に行った。夜行バスで横浜に着き、朝は江ノ島観光をして、夕方からサッカーの試合を2試合見た。中南米代表のクラブ・アメリカと南米代表のアトレチコ・ナシオナルの試合が3位決定戦だった。PK戦だったらしいけれど試合内容は全く覚えていない。メキシコ代表のペラルタが出ていたのは覚えている。会場にいる人はみんな3位決定戦の後の決勝戦のことを考えている気がした。クラブ・アメリカとナシオナルが試合をしているのに彼らのユニフォームを着ている人がいないのがなんだか悲しく思えた。マドリーか鹿島のユニフォームを着た人ばかりだった。
 決勝戦は鹿島が善戦して延長戦になった。鹿島が勝ちそうだったのに、セルヒオ・ラモスが退場にならない疑惑の判定で流れが変わって、最後はロナウドが決めてマドリーが優勝した。

昨日の試合はハンブルガーSVのセカンドチームの試合だった。
 試合前、横浜スタジアムの近くの路上でバッタモンのユニフォームが売られていた。友達がロベルトカルロスのブラジル代表の上下を買って、私はアーセナルポドルスキと、レスターのヴァーディーを買った。ポルディは当時はもうアーセナルを退団してガラタサライでプレーしていたのだけれど、そのユニフォームは2012/13シーズンのもので好きなデザインだったのだ。大抵の年は赤白2色だけの配色なのに、その年のユニフォームは袖に紺色が入っていて、好きなデザインだったのだ。その年のマンチェスターユナイテッドのユニフォームも素敵で、チェック柄になったユニフォームをKAMOで見て、友達とかっこいいねと言った記憶がある。
 12/13シーズンが始まる前の2012年の夏はウクライナポーランドの共催でEURO2012が開催された。私が初めてのめり込みながら観たユーロで、バロテッリカッサーノが活躍するイタリアを応援した。その後の2014年にはソチ五輪のすぐ後にロシアが戦争を始めてクリミアを併合するのだけど、その3ヶ月半後のブラジルワールドカップにはロシア代表は普通に出場していた。スポーツ大会の場でロシアの国旗を掲げられることがほとんど許されていない2022年以降の現在からすると少し奇妙に思える。

アウェイチームのバス。
 今日の夕方レスターの試合がある。17位エバートンと18位レスターの勝ち点差は2。レスターが望みをつなぐには対戦相手のウェストハムに必ず勝ち、その上でエバートンの結果を待たなくてはならない。優勝の立役者でもあった前オーナーがヘリコプター事故で死んでしまったり、レスター出身のバンドKASABIANのボーカルがお別れセレモニーで歌ったり、苦しい時期を経て2021年にFAカップ優勝を成し遂げて、4位争いに参加できるようなチームになったと思ったら今シーズンは降格争いをしている。もしレスターが降格してしまったら悲しいなあ。でもそういうことって往々にあるよなあ。いい選手がたくさんいるけれど降格したら移籍してしまうのかな。

昨シーズンのチャンピオンですよ、のワッペン。バッタモンだけどね
 
 
【Aufsatz008】
„Der Ausflug nach Lübeck 1“
Am Samstag habe ich einen Ausflug gemacht. Dr.P und ich sind nach Lübeck gefahren, aber wie hatten keine Informationen über die Stadt.
Wir gingen einfach und ich dachte, dass wir alles gut finden können. Der Hauptstadt Lübeck ist in der Nähe der Altstadt. Vor dem Tor machen viele Touristen Fotos. Das Tor heißt „Holstentor“. Auf dem Bank neben dem Tor haben wir unser Mittagessen gegessen. Zuhause habe ich etwas Döner gekocht, aber mit Veganer Fleisch und Knoblauch, denn Dr.P ist Vegetarier. Wir gingen über die Brücke und in die Altstadt.
Die Altstadt in Lübeck  liegt zwischen den Flüssen. Diese Insel ist als UNESCO-Welterbe registriert. Wir haben einen Spaziergang gemacht. Wir haben viele Dinge gesehen. Schiffe und Boote auf gem Fluss. Alte gemauerte Speicher. Vor dem kleinen Museum gab es einen kleinen Flohmarkt. Wir haben das Museum innen und außen genossen. Vor dem Museum zwei Männer Musik gemacht und gesungen. Dann sind wir zum Flussufer und der Eisdiele und haben uns verabschiedet und begonnen in die Altstadt zu laufen.
 
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#219 いつかどこかで。神様みたいな人と神様みたいになって

バス停に落ちていたイチゴ
 今、物事は全て鮮やかで情報量が多くて、だからちょっと辛い。いつも辛いわけじゃなくて、波があって時々辛い時期が来る。SNSを開く回数を減らしてるし、友達の書いている文章も読みたいのだけど心が崩れるのが怖くて見れてない。チャットも投げっぱなしで返せてない人もいる。ごめんなさい。全てにちゃんと取り組みたいけれど、なかなか難しい。自分の中にある心を落ちつかせないと。

先日行ったHamburger Pflenyenmarktでは全ての花の名前を知りたくなってよくなかった
 全てのものに手を伸ばさなくていいし、全てを自分の中に取り入れなくていいのだけれど、まだ私の心はわかっていない。理解したいと思うし理解されたいと思う。私が理解しようという態度を見せているのだから、あなたも私を理解してよ。そんな風に思ってしまう。
 
 段々、世の中には自分の手の届かない範囲にあるものが増えてきた。この世の中で自分がどれだけ生きられるのかわからないけれど、私はここで生きることを選択し続けるわけで、それを続ける限り、目の前のことを一つ一つ積み上げないといけない。でも目を背けたくなる。

初めて『スタンドバイミー』を観たのが図書館で、だから図書館で映画のジャケットを見ると時々リバー・フェニックスのことを考える
 映画『スタンドバイミー』でリバー・フェニックス演じるクリスが言うように「自分のことを誰も知らないどこか遠い場所に行きたい」って私はずっと言うし、そのままの姿勢でずっとやってきた。でも、映画の中でも映画の外でも、彼が生きられなかったことを私は知っている。

 今、ドイツにいて、地下鉄の中で文章を書いている。けれど、きっとこれも現実逃避なのだ。ドイツにいるならもっとドイツ語に染まって行きたいのに。
 私は遠い場所にいて、日本のことを思う。でもそれはドイツにいる自分にとって、日本が遠い場所になったからという話であって、きっと日本に戻ってもがっかりするのだろう。そして日本にいれば、またどこかの遠い場所を思うのだろう。戦争で行けなくなったモスクワの大学院について考え、箱根のホテルに思いを巡らし、そしてきっとドイツの今の生活について考えるのだろう。それって麻薬みたいもので、あるところまで行くと有害だ。でも心を保つために必要な行為だった。
 時間は有限で、人生は思っていたよりも随分短くて、なのに私は目の前の「今」に没入できない。それってすごい勿体無い気がする。でも、文章を書いていた昔の人も、きっと私のような人間だったのだと思う。

 この世界のどこかには、私のことを理解してくれる人がいるに違いないと、小さい頃から思っていた。それは結局幻想かも知れなかったのだけれど、私はその想いを大事に握りしめている。
 そんな風に思わないといけない子供時代は結構タフだったのだと思うけれど、それ自体を十分に理解してくれる人もそんなにたくさんいるわけではなくて、もしかしたら誰も理解してくれないとも思う。文章を書くという行為は、小さい頃からの幻想にしがみつくということでもある。でも目の前のリアルな人間に背負わせてしまうよりも、まだ良い。文章は一つの解決策だ。文章を挟むことで、そうした幻想とも人間とも折り合いをつけていけるなら、それは一つの道なのだ。そういった風に道を切り開けるはずだ。

教会の天井
 現実世界で新しい人に会うたび、この人なら自分のことがわかってくれるのではないかと期待してしまう。勝手に期待して、勝手に期待してチャットを送って、勝手に期待して電話する。それって結局私が満たされたいだけで、相手のことを考えられていない行為だ。その人に背負わせたのは自分なのに、勝手に裏切られた気になる。すごくわがままですごく未熟な行為だ。でも未だにやってしまう。この文章を書きながら、いろんな人の顔を思い浮かべてしまう。ごめんなさい、ごめんなさいとは思っているよ。

ハンブルクのメーンステーション
 大学の最終学年、ある先生が学生に対して、同じことをやっていることに気がついて愕然とした。その人は毎年入れ替わる学生を消費しているように見えた。それをできるだけのわがままさと、利己的な態度があるからこそ、アカデミアの世界でサバイブできるのかも知れないけれど、でも専攻内にそういう人がいるのは、決していいことではなかった。すでに退官したその人の先生もそういう人だったから、私の専攻はずっとそんな空気だったのかも知れない。
 勝手に相手を決めつける人、勝手に相手に期待する人、勝手に被害者になれる人、別に私だけじゃない。先生のことだけでもない。

 時々宗教があれば楽だったと思う。一神教はとても楽そうに見える。私のことを理解してくれる全知全能の神に対してのみ対話すれば良いだけなのだと思う。私の精神世界とは全く合わないけれど、でも楽だと思う。私はある時祖母にも母にも嫌気が差して、会ったことがない父親に対して期待していた。人間性を幾度も否定されて傷ついていた自分にとって、父親は会ったことも話したこともない分、想像できる余白があった。

リューベクの聖マリア教会(St. Marienkirche)
 家族は誰も私に対して理解を示してくれなかった。かなり早い段階で私は、家族に自分を理解してもらうことを諦めてしまった。自分のことばかり考えている祖父、気に入らないことがあると人間性を否定する祖母。主体性のない末っ子の母。母はともかくとして、祖母といる時間は辛かった。反抗するといつも人間性を否定されたから。私は父と離された後にトラウマを抱えたし、でもそのトラウマをどう表現すればいいのかわからなかった。

旧市街が世界遺産に登録されているリューベク
 保育所で泣き続けたのも、従弟をいじめていたのも、私にとってはある意味で一つの表現だったのだけど、でも大人たちは気にしていなかった。自分もわかっていなかった。母の姉の結婚相手である伯父は「シゲも同じ家族のようなものだから」と言ってくれるのだけど、私はそこに安らぎを見出せなくて困った。伯父の優しさに応えられなくて、申し訳なく思っていた。そして伯父と伯母、いとこ達との間にどうしようもない溝を感じるのだった。無邪気に振る舞える母が少し羨ましかったし、俯瞰的に場面を見ないといけない自分が子供らしくなくて、嫌だと思った。
 そう、子供らしくすることが難しかった。祖母は私によく「子供らしくしなさい」と言ったけれど無理だった。私は言われたことをよく根に持ったし、従弟の悪気ない言葉に簡単に傷ついた。それは確かに「子供らしくない」と言えたと思うけれど、祖母は「子供らしくない」私をも「私らしい」として愛するべきだったと思う。私は幾度となく祖母に否定され続け、周りの大人はそれに気がついていなかった。

走馬灯に出てきて欲しいランキング9位:菜の花畑
 ある時、彼は「俺にはおばあちゃんもおじいちゃんも2人づついるけど、シゲには1人ずつしかいないもんな」と言った。彼は1年生で私は4年生。もちろん彼をぶん殴った。その時の大人達の態度に私はがっかりしたのを覚えている。
 私に父親がいないこと、そしてそのことに引け目を感じていることに、大人は気にしていないようだった。誰も私が繊細な感情を持ち得ていることを知らなかったのだと思う。あるいはどうしたらいいのかわからなかったのかも。今思い出してもすごい悲しい。

公園で昼寝した後の帰り道
 私は小さい頃から記憶を忘れないように努力していて、だから人よりは記憶力がいいと思う。奈良の家に戻れなくなって、尼崎の保育所に通い始めたある日、父親の顔も奈良のこともほとんど思い出せなくなっていることに気づいて愕然した。あの朝から私は全てのことを取りこぼさないように覚えていようと思った。でも大人になるにつれてそれは難しくなって、たくさんの人と交わした会話ももう全部は思い出せない。その思い出せないという事実さえも、長く生きた証として愛せたらいいのだけど。

 父親のことを思い出せないのをいいことに、そして父親のことを家族の誰からも聞けないのをいいことに、私は父親を想像の中で膨らませていた。勝手に偶像の父親を作り、彼なら自分の苦しみも悩みも理解して受け入れてくれるのではないかと、そう思っていた。2023年になった今、その時代の自分がとても可哀想だと思う。結局父親は私に連絡を取ることもないままに死んでしまった。私のことをどう思っていたのか今となっては知ることもできない。一方的に父親について考え続けた時期があったというだけだ。2017年に私は彼に会おうと試み、病気を理由に父の姉から断られ、そして父は死んでしまった。

国語学部の旧キャンパス
 時々、私はもう誰にも理解されないのではと思う。でもこの道の向こうには私のことを理解してくれる誰かがいて、きっとその人に会うためには自分から動かないといけない。そう思わないと。
 諦めてはいけない。能動的にかつ建設的に日々を積み重ねていかないと。「ここじゃないどこか」に逃げ込むのではなく現実の中に道を作らないと。

 ハンブルクに来て、時々昔のように空想の中で父親と話す。姉に支配されて関西だけで終わった彼の人生は、私と一緒にドイツに来るようなことがあればきっと違うのだろうなと思う。一緒にドライブしたり旅行したり野球見に行ったりしたかったな。
 
 
 
【Aufsatz007】
Ich gehe zu Fuß zur Bushaltestelle. Der Bus Nm.27 kommt und die Türen stehen offnen. Ich steige in den Bus ein. Auf dem Weg zu einem Treffen, ich mache mir zu viele Sorgen um meine Fingernägel. Ich bin weit Weg von meinem Land und ängstlich. Die Sorge ist groß. Ich mache mir Sorgen um meinem Visum. Ich mache mir Sorgen um mein Deutsch. Ich mache mir Sorgen um vieles.
Jetzt bin ich im Bus und sitze zwischen dem Hund und der Frau. Plötzlich mache ich mir Sorgen um das Schloss des Haustür. Gleichzeitig  finde ich etwas rot auf der meiner Hand. Das ist ein Siebenpunkt-Marienkäfer. Vielleicht kommt Glück. Ich lächele und versuche zu denken, dass alles gut wird.
 
【今日の音楽】
 
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#218 ギャップ。外見と内面、それから言語

カフェ、レインハート
 ドイツにいるのに、今日はほとんど誰とも話していない。教えてもらったカフェにいて文章を書いている。「コーヒーキャンプ」とカタカナが書かれた帽子をかぶるのを、いい加減やめた方がいいのかもしれない。私がカタカナの帽子をかぶっている、相手はこの人が外国人だということがきっとわかる。だから「Noch ein mal bitte」と訊き返しても、二言目には英語を使ってくる。でもそれではドイツ語の上達にはならない。

カフェの外観
 ドイツにいて自分の外見について考える。箱根のホテルで働いていた時、mさんが「シゲちゃんは外見のおかげで頑張ってるように見えるから、ずるいよねー」ってタバコを吸いながら言ったけど、その言葉は結構当たっている。お客さんが無理な注文をつけても、困った顔を作って「申し訳ございません」って言えた。ドリンクのオーダーを通すのを忘れて、ビールを持って行くのが遅れても、頑張っている自分を演出して、うまく誤魔化していた。働き始めは、料理説明に入る前に「まだこのホテルで働き始めて日が浅いので、何かと至らない点があると思いますが、ご了承ください」と言っていた。それを言うだけで一定数の人は本当に優しくなるのだ。

テントウムシ「Marienkäfer」は男性名詞
 そうだ。私はずるいのだ。でも外見を選べないのも事実。それから、日本社会ではわからないふりをしている方が得だと言うのもまた事実。
 ピュアな自分を演出していた場合の方がうまくいくことは結構ある。いつの時代も天然キャラのアイドルがいるし、私がテレビを見始めた頃は「お馬鹿キャラ」が流行っていた。最近は欅坂のアイドルがクイズ番組で正解したり、芸人が政治の話をするだけのライブをしていたりする。いい傾向だと思う。いつも誰かしらが叩いてくるとはいえ。
 私の大好きなオードリー若林も、ラジオやエッセイで自分が「変」だと思うことを挙げている。売れっ子芸人になり、テレビで活動する時間が長くなっても、配慮しながらも完全に迎合することなく、生きずらさや違和感を話している。時々彼の感覚と自分の感覚が重なる時があって、そういう時とても嬉しい。救われた気がする。自分はまだ何者にもなれていないけれど、いつかオードリーの二人が自分のことをラジオで話してくれたら最高だなあ。そんなの夢のまた夢だけど、でも現実にならないなんて限らない。

フリーWi-Fiで友達と電話した電車の駅
 話がそれた。私の外見の話。外見で得することもあれば損することもある。中学生の頃も高校生の頃も私は同級生がする「大人」の会話に入れてもらえなかった。身長がクラスで一番低い男の子を好きになる女の子なんていなかっただろうし、恋愛の対象に見てもらえなくて辛かったことなんて何回もある。何度もびっくりされた。伝えるのが下手だということもあるけれど。それから祖母に会う度に身長の低さを指摘されて自尊心が削られた。

ファッションと自信は相関関係があるので服は大事
 この前、街を歩いていて差別的なジェスチャーをされた。きっと私が日本人だと気づいてのことだと思う。でもきっと筋骨隆々の人にはしないだろうと思って悲しくなった。でも自分の通って来た道は変えられない。自分の見た目も、もう大きくは変えられない。見える位置にタトゥーを彫っても目立つピアスをしても、もう寂しいだけだ。もちろん、顔がいいとかスタイルが良いとかお金があるとか、それってとても大事だし、すごいことだ。でも恵まれた環境で育った人は、時々話していてとてもつまらない。私にとって「それ」が当たり前ではないということに気づいてくれない人が。想像力に欠ける人。もちろん全員ではないよ。

世界には本当にたくさんの人がいる
 中学生の頃、辛かった。受験して合格したのはよかったけれど、そこには自分のような人間が一人だった。自分だけに父親がいないことや、お金がないこと、世間一般とは少し離れた価値観で育てられたこと。自分に「ない」ものばかり目に入った。同級生が羨ましくてしょうがなかった。生まれた時から私にはお下がりのものしかなくて、小さい時ならまだしも、母親に何かを買って欲しいと求めるようなことはなくなっていた。それに私の家では祖母が絶対的な権力を持っていて、反抗する時期もあったけれど、自分の意思を持って行動することがあまりなかった。母親も同じで、末っ子の彼女も祖母や伯母、伯父の言うことに従う時間が長かったのだと思う。母は祖母に強く言えないので、結局私も祖母の言いなりだった。幼少期のトラウマのせいでもあるけど、そういうこともあって、家族でさえも心の底からは信頼できなかった。それは今も同じで、でもずっと誰かに理解されたいと思っている。

近くの図書館。林の中にある
  受験して入った中学校なら、誰か私のことを理解してくれるのではないかと期待していた。でもそこにいたのはある意味で地元よりも精神年齢が低い子たちだった。身長の低い出っ歯の私は、当時どうやって振る舞っていたのだろう。ずっとムカついていたように思うけど、どれだけ正しいのだろう。楽しいこともあったのはあったけれど、なんだかずっと言い訳をしていた。勉強さえしていれば褒められたから勉強だけしていた。同級生が嫌いだったから見返したかった。当時の自分のことはあまり好きではない。
 ずっと誰かに理解されたかった。小さい頃から家族の誰にも、理解されたと思えなかった。理解されたいという欲求は今の今まで続いていて、それはいつまで経っても満たされない。初めて会う誰かにいつも期待してしまう。そうやって初めて会う人を私は明らかに「消費」している時がある。この前マッチングアプリで会った人と散歩してみたのだけど、家に帰ってからとても反省した。期待して相手に失望する。あるいは相手に背負わせすぎた自分にがっかりする。
 

観光地エリア
 外見のせいで、自分の身振り手振りのせいで、自分が間違って理解されていると感じることがある。それは拙い言語能力のためでもあるのだけれど、でも外見は大きい。自分の身体性が言葉を変えてしまう気がする。だから私は書き言葉の方が好きだ。私は大切な人に手紙を書くのが好きだけど、いつも書きすぎてしまう。書きすぎて、書かなくてもいいことを書いて、甘えている。時々申し訳なく思う。甘えてごめん。友情のつもりが、私はあなたに媚びているだけなのかも。上下関係を作ってごめん。でもこのやり方しか知らないから、これからもまた手紙を書いてしまうよ。恥ずかしいけど。

これはハンブルク港の誕生日ということで屋台が出ていた日
 人を好きになる時も同じ。その人にたくさん求めすぎてしまう。理解してほしいと思う。でも理解されない。私の病的な欲求はきっと海よりも深くて、だから絶対に理解されたとは確信できない。それってものすごく不幸だと思う。
 私がこんなにも書いているのは、このインターネットのどこかに私のことを「完全に」理解してくれる人がいるだろうと期待するからだ。もちろんそんな人は見つかりっこない。概念としては存在するけれど、実体としては存在しない。AIには理解できるのだろうか。

ぽっかり開いた心の穴が時々こっちを見つめ返す
 箱根で2ヶ月半一緒に仕事をしただけなのに、mさんとはまだ時々連絡している。私はまだ人生の同じところを周回遅れでぐるぐるしているのに、彼女は今度結婚するらしい。この前急に知らされてびっくりした。でもそうだよな。私の人生がゆっくりだとしても、みんなの人生が同じ速度で進むとは限らない。
「ピュアそうに見えるのに、悪態ついたり世の中斜に見てたりして、それが文章だと面白いんだよね」
LINEでmさんが送ってくれた言葉。なんて嬉しい言葉だろう。

Bern駅
 外見を見て私を好きになってくれた人がいて、その人が自分の文章を読んでどう思うかと考えると、いつも怖い。自分の文章を誰に見せていいのか、誰に見せてはダメなのか、時々考える。とは言ってもこのブログは公開ブログだし、SNSのプロフィールにブログのリンクを載せているから、見たい人は見れるようになっているのだけれど。

Wellingbüttel駅
 外見と内面のギャップに苦しみ続けている。母語が通じない世界にいると尚更である。私は日本人を演じ、若者を演じ、時々子供っぽい人間を演じる。ドイツ語と日本語だけじゃない。ロシア語と英語にも、言語ごとに別の「私」がいる。口語と文語にもそれぞれの「私」がいる。それらはもちろん一致なんてしないから、だから私は永遠にギャップに苦しむのだろう。
 全てを諦めることができた時、きっと私はギャップに苦しまなくなる。でもその時私は文章を書き続けているだろうか。そもそも生き続けているだろうか。

これからラプスカウスを食べますよ、という写真
 
【Aufsatz006】
„Mein Geburtstag“
Ich habe 29. 6. Geburtstag. Ende Juni endet in Japan die Regenzeit und der Sommer kommt. In der Schule beginnt der Schwimmkurs. Ich mag schwimmen nicht. In jedem Sportunterricht musste ich schwimmen, aber kann im Schwimmbad nicht entspannen und, weil ich sinke. Letztendlich habe ich schwimmen nicht gelernt. Aber ich mag es entlang des Flusses oder am Strand zu spazieren. In  meiner Kindheit habe ich mich über meinen Geburtstag gefreut, aber ich habe an den Schwimmkurs gedacht. Ich war glücklich und traurig gleichzeitig.
 
【今日の音楽】

 

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#217 Hamburger Pflanzenmarkt (植物市場)に行きました

 例えば、私は今目の前の山羊に手を出すか迷っていて、横にいる小学生低学年くらいの子も同じように山羊に手を出すか迷っている。今私を手を出してみて、そして手を噛まれたとして、それが彼のトラウマになってしまう可能性は否定できない。その昔、彼の隣でヘンテコな服を着た日本人が手を噛まれたせいで、この子は一生ヤギをさわれなくなるのだ。ギャップイヤーで彼はモンゴルの孤児院で社会奉仕活動を行うのだけれども、彼は山羊を触るときにいつもあの日本人を思い出す。羊の群れも羊肉の料理も彼は何も思わないけれど山羊を見ると即座にあの時の日本人の痛そうな顔が蘇るようになってしまって、だから彼はハネムーンで行く北欧で山羊のチーズをなかなか食べられない。
「ごめん、山羊のチーズはちょっと食べられないんだ」
「どうして? やっぱり臭いが強い?」
「いや、そうじゃなくてさ、思い出の問題。ハンブルクでは毎年春になると、Hamburger Pflanzenmarktっていうのがあって」
「うん、私の街でもそういうのある」
「家の近くでやってたからそれに行ったのね。植物とか花とかにはあまり興味を持てなかったんだけど、その会場になってるのがちょっとした自然体験施設でさ」
「そういう場所昔よく行った。初めて馬を見たのそこなの」
「山羊がいてさ、昔も今も僕は考えながら動くから、山羊に触ろうか触るまいか考えていたわけよ」
「うん」
「横で同じように触るか触るまいか悩んでいる日本人がいて、僕はその日本人に対しても興味津々だったわけ」
「その日本人は一人? それとも家族と来てた?」
「一人だったと思う。結局彼は山羊に噛まれて、結構な叫び声をあげるのだけど、誰も来なかったから」
「山羊が噛んだ?」
「そう、それが結構な噛み方でなかなか離さなかったのよ。10秒くらい日本人は唸ったり叫んだりしてて、それがちょっとトラウマになってて」
「だからこの山羊のチーズが食べられないってわけ?」
「そう。」

入場券はこんな感じ
 ちなみにここまで考える間に男の子は山羊をめちゃくちゃ撫でてどっかに行ったし、一緒に干し草を食べていた羊は飼育員のような人が見えると大きな声で鳴きながら一目散に駆けて行った。

小さな川沿いの公園
 ドイツにいて本当にいいなと思うのは、緑を感じる場所がたくさんあること。森も庭も植物が手入れされている。日本と比べてガーデニングしやすい気候なのだとは思うし、単に「手入れすること」が好きなだけで必ずしも植物が好きなわけではないのかもしれない。なんて意地悪な見方をしてしまうけれど、でも自然が大切にされているのは確かだ。

 日本と違って気候が穏やかで、山地が少ないドイツは、植物の管理は日本よりも簡単だと思う。斜面がないから森林も手入れしやすいし、夏もそんなに暑くないから草むしりもそんなにしなくてよさそう。洪水も日本ほど多くない。もちろん台風は来ない。
 私が一番いいなと思うのは都市計画の中に緑を取り込んでいること。フランクフルトの歴史博物館に行ったときも、19世紀に昔の城壁を壊した後に、その跡地にイギリス人の庭職人を読んで庭園を作ったことが書いてあった。

柳の下にお化けが出るのはドイツも同じらしい
 マグデブルクから来た友達は「ハンブルクだけだよ」って言っていた。もしかしたから他の街は違うのかもしれない。でも大阪にも東京にも、自然との距離がこれだけ近い環境はないと思う。大阪でいう、靱公園扇町公園のような場所がたくさんあって私はいつも歩きながらワクワクしている。

駅と逆方向に歩くとこの道に出る
 老若男女たくさんの人が来ていた。私はミニトマトレモンバームを買った。ドイツ語で言うと、Jungtomaten と Zitronenmelisseって言うみたい。野菜と果物、食べ物に関する言葉は複数形で使うことが一般的になっている言葉もあって、慣れたら楽なのだろうけれど、まだ難しい。

 ドイツの夏は、雨が降り続ける年もあれば、かんかん照りの年もあるらしい。ハンブルクは年間降水量はそれほど多いわけではないのだけど、曇りの日が多くて、雨が降る日自体は多いみたいだ。トマトはこの鉢のままで大きくして、来月の中旬ほどになったら大きめの鉢に移し替えよう。
 トマトとレモンバームに負けないように自分のドイツ語を伸ばさないと。

 

【Aufsatz005】
„Meine Arbeit in Frankfurt“
Ich komme aus Japan. Viele Flugzuge aus Asia kommen am Flughafen in Frankfurt an. Dort habe ich eine Woche verbraucht. Dann helfe ich dem Gastgeber bei seiner Gartenarbeit und Renovierung. Meine Arbeit ist nicht schwer under und macht Spaß.
Im Garten nehm ich Pflanzen und mache Platz für Blumen. Drinnen streiche ich die Wände an oder manchmal koche japanische Gerichte. Meine Kollegin kommt aus Italien. Sie heißt Giulia. Sie kocht gern. Ihre Lasagne and Gnocchi schmecken gut! Ich vermisse die Tage in Frankfurt.
 
 
 
【今日の音楽】
 
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#216 箱根から降りていく。

「別れを上手くすること」
それが今年の目標だった。箱根を出るときは、できるだけこっそり出たかった。でもやっぱり名残惜しくて、時間がかかった。みんなありがとう。それでも全員に感謝を伝えることは不可能で、それに自分の中にあるのは必ずしも純度100%の感謝というわけでもないので、余計に難しかった。

「冬」って感じの写真
 ゲストハウスで働き始めたとき、私は焦っていた。ちょうど海外から旅行客が入国できるようになった頃で、たくさんの人がゲストハウスを通り抜けていった。お互いの国の話、おすすめの旅行先、素敵な季節と風景。数え上げていくと本当にキリがないけれど、思い出すとまだ心がジーンとする出会いがいくつかあった。SNSを交換したりして、その人のことを、相手の文化のことを知りたいと思った。

晴れの日の登山電車
 ゲストハウスの日々が忙しくなるにつれて、私は疲れていった。自分が抱えられるよりも遥かに多い情報量を毎日摂取して、インプット過多になっていた。人生ってもしかしたらそんなもんかと思い、でもそれについて誰とも話せなかった。話す余裕も、心をそこまで許せる人もなかった。普通なら、頭の中にあるモヤモヤをアウトプットして文章にするのに、忙しすぎてできなかった。忙しい毎日なのに、オーナーからは「ありがとう」とも「お願いします」も言われず、何のために働いているのかわからないまま日々は過ぎた。11月末に病院の受診のために実家に帰ったけれど、疲れが取れず、ずっと寝ていた。あそこにい続けたら、病気になってしまうのだろうと思った。自分だけが弱くて、無意味に傷ついていた。マネージャーの無神経な言葉にも、オーナーの心の狭さにも。

「人と人とはどうせ分かり合えないのだから」とか「どうせもうやめるのだから話しかけても無駄だ」とか、そういう風に思うようになり、積極的にお客さんと話すことをやめた。心が晴れず、毎日が繰り返しのように感じてられた。このゲストハウスで人生が交わっても、結局我々は別々の道に進むのだ。諦めに似た感情が私の心を支配するようになり、そんな風に考える自分が嫌になった。実際箱根にいたあの頃から数ヶ月経ってもまだモヤついている。いくつかのことは許せそうにない。
 ゲストハウスで働く最後の1ヶ月はしんどかった。よく話した人がいなくなって、みんな焦っているのに、問題がそこにあることに気づいているのに、誰もそれを指摘しない。「ありがとう」も「お願いします」を言えない人にはならないでおこうと思うのが精一杯で、状況を積極的に変えられない自分が嫌だった。
 そんなこんなだったので、最後は気分が晴れないまま私は登山電車に乗って箱根を下った。標高の高い場所から低い場所へ。積み上げた7ヶ月の月日が一瞬で過ぎる。いろんな人と行った彫刻の森美術館。正月に歩いた向こうの山。ホテルで働いていた時によく使った駅。曲がりくねった国道1号線が見える。働いていたホテル。スイッチバック。冬の山、山、山。

最後の日の強羅駅
 運転手の見えるところに親子が3人で座っている。5歳くらいに見える男の子がキャッキャと声を上げている。出山の鉄橋もトンネルも、その男の子が騒いでいて、だから私は気が少し紛れた。昔の自分にもあのような瞬間があったことを知っている。よく喋る子供だった私。大人を信頼しきっていたあの頃。もうなくなってしまった遊園地。電車が見えた駅前のマンション。

 時空を超えて私が存在しているということに、どうしようもなく泣きたくなる。私はまだ死にたくはなくて、ならばどうにかして進んでいかないといけない。毎日に一応の意味を見出し、そして石を積み上げていく。その石に自分以外の誰も価値を見出せないとしても、私だけは信じないと。

 不思議な気持ちだった。泣きたいというのもまた違った。でも確かに心の中にずっしりと悲しみがあった。ついに分かり合えなかったというモヤモヤした気分。きっと私は、不貞腐れながらゲストハウスで働いている自分自身がずっと嫌だったのだ。私の面接をしてくれた人も、マネージャー、オーナーも社員の人たちも。またできればいつか会いたいけど、きっともう会えない。みんなにモヤモヤした気持ちを抱えながら、自分の不甲斐なさを恥じて、でももう戻れない。電車は小田原へと降りていく。

最後の日の小田原駅
 今でも時々、最後に頂いた賄いのチャーハンの味を思い出す。みんなの笑顔も粉になるコーヒー豆の音も喫煙所の煙も。
 
 
 
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