シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#202 恋とか愛とか。それから鬱とか

 誰かを好きで好きでたまらない時の自分が好きじゃない。落ち込んでいる時、鬱状態の時、その人が自分にとってまるで救世主にように見える時がある。その人と一緒にならないと私はもう救われないような気分。その人なら私のことを全て理解して包み込んでくれるのでないかと思う。でも現実にそんなことは起きない。やっぱりわかってくれないんだと幻滅し、私はその人を忘れることにする。初めからその人なんていなかったかのように振る舞い、目を背ける。
 
 その人を捕まえて離さないことには、それこそ一生絶望の中にいないといけない。そんな風に思い込んでいた16歳の夏。
 最初に自分の鬱状態を自覚して、精神科に行ったあの夏以来、自分が誰かを好きになることが怖くなった。その人のことを考える自分は、人間的でないほどに思い詰めていた。今もその気持ちは完全には消えていない。

 16歳の時も、23歳の時も、24歳の時も、誰かを好きになっている時はいつも鬱状態だった。というか、私はずっと鬱状態なのかもしれない。一昨年の秋、精神科の先生の言葉。
「このテストの結果を見るに、あなたがADHDである可能性はかなり低いです。あなたの生い立ちを考えると、あなたがADHDかもしれないと感じた症状は、抑鬱状態にいることが原因かもしれません」
断定的なことをあまり言わない良い先生だった。たまたま地元に当日予約で行ける病院があって、発達障害かどうかの判断を早急に下さない先生がいてよかった。本当に運が良い。日本中どこでも、メンタルクリニックはすぐに予約が取れない。今日死にたいから病院に行きたいのに、予約が取れるのは来週以降だったりする。そこで絶望して自殺する人が何人もいるのではないかと思う。よくない世の中。
(もし、これを読んでいる人の中にしんどい人がいたら連絡してください。コメントでも大丈夫。いつもブログにログインして見てる訳じゃないからすぐには反応できないかもしれないけど、できるだけアクションを返したいとは思います)

「死にたい」という気持ちは7歳からある。その気持ちの発端は「自分のせいで大人が争っている」という3歳の私の思い込みだ。言葉によるDVを3歳児の目線で目撃した結果、私は私を責めた。消えない罪を背負ったような気分だった。
 それから、私に対して祖母が投げつけた言葉も私の自己肯定感の低下を加速させた。
「あなたを母子家庭で育ったと後ろ指を刺されるような人間に育てたくない」
アトピーが汚い」
「歩き方がおかしい」
「肩が前についている」
「背が低い」
「目つきが悪いから目を大きくしなさい」
「あなたの母親の育て方が悪いからこんなふうに捻じ曲がって育ったのよ」
こうして羅列すると、いかに彼女が祖母として酷い人間だったか。少なくとも孫に言う言葉ではない。
 完全な人間を孫に求めるあまり、スポイルしていることに気が付かなかった人。祖母は自分の息子にも同じようなことをしたというのに、どうして同じ間違いを繰り返したのだろう。自分が悪いとは全く思わなかったのだろうか。
 
 彼女のおかげで、地を這うほどに低くなった自己肯定感も、私が恋愛をしたくないと思う理由の一つだ。
「自分のことを認められないような人間が、誰を幸せにできる?」
そう自問自答していつも袋小路。
「こんなにダメダメな私だけど付き合ってください」
そんなことを言われて嬉しい人なんていない。相手に対しても失礼だ。その気持ちで誰かを好きになっても結局縋り付くことしかできない。縋って縋ってその最後に誰が幸せになる?

自分が生まれた病院
「死にたい」と思う気持ちが心の中にあり続ける限り、誰かと付き合ったらいけないんじゃないかって思う。救われたいという思い、誰かに許して欲しいという思いがある限り、誰かを幸せにできないのではないかと思う。あるいは相手に求め過ぎてしまうのではないかとも思う。「あなたならわかってくれると思ったのに」そんな風に相手に幻滅するのはもう嫌だ。等身大の相手を見ずに、理想化した偶像を崇拝している、なんてのはもう嫌だ。

 そう。ずっと抑鬱状態にいる自分は、好きになった人を偶像崇拝してしまうのだ。現実の相手ではなくて、心の中で作り上げた相手に恋してしまう。だから実際に会って話したら、とても変な感じになる。いつもがっかりする。なんだ、普通の人じゃん。その後で偶像を勝手に作り上げたのもそれを相手に投影しようとしていたのも、全部自分だったことに気づく。次いで、現実にいるその人自体をリスペクトしていなかった自分にがっかりする。
 
 16歳の時に好きだった人も、同窓会で話したら普通の人だった。
 23歳の時に好きだった人は年上で、経験値も知識もある彼女と話すときはいつも背伸びして話していた。だからきっと窮屈さを押し付けていたに違いない。「この人だったらきっとわかってくれる!」そう思って大人な立ち振る舞いをさせていたかも。その人はいつの間にか消えてしまった。
 24歳の時に好きになった人は完全に勘違いだった。自由気ままな振る舞いが魅力的でその人と一緒にいたらなんでもできる気がした。でもそんなことはなかった。

 自己肯定感が低い自分が、誰かと付き合いたいと思う時、その気持ちを分解していくと、それは「理解してほしい」と「こんな自分だけど許してほしい」という気持ちになる。それってちょっと悲しい。救いようがないくらいに暗い。
 
 もし自分といることでこの人が不幸せになってしまったらどうしよう。そればかり考えて、自信も覚悟もないからひっそりと諦めてきた。恋愛感情が抱えきれないほど大きくなって、友達でもいられなくなってしまったら、そっと離れてきた。

 なんてずっと思っていた。けれど最近はもっと自由に生きてもいいんじゃないかと思う。人間には心を伝え合う手段があるのだから。好きという感情は伝えた方がいい。大切なことはちゃんと言わないと。自分は不幸せでいないといけない人間ではない。時間はかかるけど、どうにかして前に進まないと。抑うつも自己肯定感の低さもきっと消えないだろう。それでも、同じ場所でぐるぐるしているだけの人生にしたくない。
 
 
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