シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#89 コーヒーを淹れてみよう

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 コーヒーを淹れてみよう。そう思った。時間はたっぷりあった。

 先が見えない毎日。家にいないといけないのなら、できる範囲で暮らしを豊かにしようと思った。とはいっても野菜は確実に値上がりを続けている。不必要なものは買えないのでとりあえずジャガイモと玉ねぎを大量に買った。お米も飛ぶように売れている。スーパーマーケットでレジ打ちをしているクラスメイトいわく、年街年始並みの売上らしい。頑張ってくれよ、病気にならないでくれよと思う。ある日から、そのスーパーにも感染症対策として、レジ打ちと客の間に仕切りのパネルが出来ていた。街行く人もなんとなくよそよそしい。距離をとらないといけないし、マスクもつけないといけない。そうじゃないと警戒される気がする。

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 今まで大事だと思っていたあれこれがあっけなく価値を失い、今まで大事ではないように見えいたものたちがふわりと浮き上がって来た。毎日の食事、睡眠、気軽にチャットできる友達、心配してくれる家族、近況を確かめ合える旧友。そういうのが急に大事に思えるようになった。私が今まで歩いてきた人生を振り返って、そこにいた人々を思い起こした。久しぶりに何人かと連絡を取った。

 今はまだ大丈夫だけれど、専門家の人達が言うように、近いうちに医療崩壊が起こるかもしれない。そうなると別にコロナウイルスにかからなくとも、他の病気や急な事故で簡単に命が失われてしまうようになるのかもしれない。そうしたら誰だって他人事ではない。

 もしかしたらもう感染しているかもしれない。明日には発熱して、明後日には味覚と嗅覚がなくなって、週末には保健センターに電話しないといけないのかもしれない。全然ありえる話だ。ICUには絶対行きたくないけれど、可能性がないわけではない。もうすぐ自分が消えてしまうかもしれないことを考えると、もっとたくさんやりたいことをやっておけばよかったと思った。色々な人と話すべきだった。    

 オードリーの若林正恭が、インスタでフォロワーに質問を募集していた。その中で「若いうちにやっておいた方がよかったと思うことはありますか?」という質問に「話してみたいなと思って人にちゃんと話しかける」と答えていた。彼は私より18歳年上だ。18年後の私は2020年4月の私に出会ってなんとアドバイスするだろうか。

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私はリトルトゥースなのです

 どうせなら今話せる人と話しておこうと思った。毎日のように誰かと電話している。バイトに行っても色々話すようにしている。もしかしたら「本当に」今日が最後かもしれないからだ。私の人生と誰かの人生が交差して、また別々の方向に別れていく。コロナウイルスに関係なくこれは世の常なのだけれど、コロナウイルスのおかげでまたもう一度再確認できた。

 先が見えないからこそ、毎日の行為、食事洗濯掃除、運動と散歩、そういうものの地位が上がった。本は読んでも読まなくてもいい。文章だって書く必要はない。でも毎日を生きるために野菜を切らないといけない。洗濯物を干さないといけない。たまたまコーヒーの粉とフィルターがあった。家族のだれかが思いつきで買って誰も読まないまま私がもらうことになったコーヒーの本もあった。どうせならと思って、コーヒーを淹れるのを練習することにした。

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散歩。カラスノエンドウがきれいな季節だ

 美味しくできなかった。変だなと思って粉の入った袋を見ると、賞味期限は半年前に切れていた。元々はフルーティーな香りであるはずだったのだろうけれど、酸っぱい味がした。もしかしたら「あえて」そういう味にしているのかもしれないと思った。この粉の「よさ」を味音痴の私には理解できないのかもしれないと思った。もしそうだったら悲しいなと思った。

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オーソドックスそうなやつ

 買い出しに行ったついでに新しくコーヒーの粉を買った。UCCのよく見かけるやつ。コーヒーは豆の種類と産地で味が違うらしく、封を開けると家にあるものとは全く違う匂いがキッチンに広がった。今回も本に書いていることに忠実にやった。蒸らして、それから数回やかんのお湯を注いだ。お湯がぽとぽと落ちて、フィルターの中の水が少なくなるとまた注いだ。最初の1杯と2杯は美味しかった。1杯目よりも2杯目の方がすこし味が薄くなった気がした。3杯目はもう色水だった。蒸らし方やお湯を注ぐタイミングで味がすぐ変わるのだろうと思った。難しかった。

 またフィルターをセットして、粉を入れて、お湯を注いだ。また微妙に味が違う気がした。でもどう違うか説明できるだけの語彙力と経験値を持っていなかった。コーヒーの本にはたくさんコーヒーの味を説明する言葉が載っていて、そういった日常でも使う言葉でコーヒーの味を表現できてしまうことが不思議だった。しかし、今飲んだコーヒーの味をいざ自分で表現するとなると、適当な言葉が見当たらなかった。「コク」も「雑味」も、私が思うものとあなたが思うものは必ずしも同じものではない。同じではないのに「似ている」というだけで便宜的に同じ言葉を使って表現している。同じ言葉を使って、同じ感覚であるかのようになっている世の中の仕組みが面白いなと思った。 

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スペイン風オムレツも練習中

 上手く淹れられないのが悔しくて、コーヒーをたくさん淹れた。コツはわからないままだった。カフェのマスターはすごいなあと思った。ものすごい技術だと思った。豆ごとに、産地や煎り方で味が違ってくるのに、それを店で出して客を満足させるのはすごいことだと思った。たくさんコーヒーを飲んだ後にzoomを使ったオンライン授業があった。不安だったけれど案外授業はうまくいって、教室でやるのとはまた違う良さがあった。クラスメイトや先生が身近に感じられて勉強が集中できた。ただ、コーヒーをたくさん飲んだせいでトイレに行きたくなった。オンラインなので気にすることなくトイレに行った。

 明日もコーヒーを淹れる練習をしようと思う。

 

 

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