シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#194 高円寺から鎌倉


 少しずつ東京が好きになる。昨日一昨日とまた東京にいて東京に愛着が湧いた。でもまだ東京に住むのは難しそう。情報量が多すぎる。狭いのに人が多い。今読んでいる水村美苗の『本格小説』には吉祥寺が無医村だった話や、立川には基地以外に畑しかなかった頃の話が出てくる。でもそれはもう70年以上も昔で、私が知っている東京とはまるで違っている。
 
 私が知っている東京ではみんながみんな上手にサバイブしていて、スピードを上げて動かないと置いていかれる。私が思う東京に住める人間とは。それは誰かと群れることができるような人。集団の中で生きていけるだけの社交性。今の私には無理そうだと思う。今の私はまだ東京に住めうるだけの人間力を持っていない。私は究極的には独りで、誰とも分かち合えないものを心の中に抱えている。それをうまく外に出さない限り、次のステップには行けない気がする。その「何か」を形にして誰かと共有する。誰かにわかって欲しいという切望を形にする。できれば言葉で。できれば文章で。諦めが悪い私はいつまで走り続ければいいのだろう。

 今までのような中途半端ではダメだ。もっと大きな爆発で。もっと大きな力を持って。半端な思いで人を好きになってきた過去。中途半端な気持ちで人に寄りかかり、この人こそ、自分の心の冷たく固い部分に、暖かい光を当ててくれるのではないかと期待していただけのあの頃。憎しむべきものは自分の他力本願の浅ましさ。貧乏根性。
 
 自分のレベルを上げないことには救いも得られない。傷つくことを恐れているだけでは人間として大きくなれない。「おれはできるから。最強だから」銭湯の湯気の中で濡れた鏡に向かって何度もいい聞かせる。

東京にもいい銭湯がたくさんある。これは最近見つけた川崎の銭湯
 
 この前歩いた蒲田にある銭湯。ゲストハウスに来た人に教えてもらった銭湯。ポーラで働いている人で、ずっと化粧品部門で働いていたのが、最近になってポーラ美術館に異動することになり、箱根に単身赴任した人だった。ポーラ美術館は、1月の中旬にピカソの青の時代に関する展示が終わり、月末から「部屋」に関する展示が始まるようだった。草間彌生の作品(あるいはインスタレーションかも)もあるようで、その話になった。草間彌生の作品がある瀬戸内国際芸術祭の話になり、直島にあるアーティストがデザインした銭湯の話になり、雰囲気が似ているということで蒲田の蓮沼温泉を教えてもらったのだ。滝の絵が描かれた壁、春夏秋冬の花の絵。確かに直島の銭湯と似ていた。番台の周りの地元の人が集まっている雰囲気も良かった。

 一瞬だけ誰かの人生と交差する。深い話をして少しだけ分かり合えた気になる。金曜日の高円寺で出会った人たち。いつか忘れてしまうかもしれないけれど、いつか何かのタイミングでひょっこり思い出せるはず。きっと。

 いくつかの発見、気付き、もらった言葉。直接的に自分の人生が変わるわけじゃないけれど、だからといって何の意味もない訳ではないはず。毎日毎日学ぶことばかり。
 
 シムのベッドで起きる。鎌倉に行く予定だというのにもう正午を過ぎている。急いでベッドの下を見るとシムが寝ていた。家主を床に寝かせるなんて申し訳ない。散らかった部屋を見ながら、今度大掃除をすることがあったら呼んでくれと思う。引越しの時とか。

 
 今朝バーの帰りに見上げた時は、夜空の中にあった電信柱が、今は日の中にある。風が強いのは今朝と変わらずそのままに、商店街には人通りがあって活気があった。シムのアパートの前には古い家があった。往来にブルーシートが敷かれて絵本や図鑑、食器が置かれている。「ご自由にどうぞ」と書かれている。昨日シムに教えてもらった服屋では確かにシムが行ったように100円で服が売られていた。

 電車に乗る。鎌倉まで1時間。昨日のことを思い出そうと試みる。音楽と文章を仕事にしている人に貰った言葉。アドバイス。ちゃんと覚えておこう。HAKONE TENTに泊まったことがあると言ったバーのマスター。「ドイツに行っても日本人以外と付き合って、ドイツを見てね」と言ってくれたオーストリアからの人。彼はセルビア語を知っていたので、セルビア語とロシア語で会話をした。つい先日から高円寺に住み始めたというメキシコ人。彼は日本に来たのが初めてだからか、とてもテンションが高くて、話していてこちらも楽しくなった。シムのおかげで色々な出会いがあった。シムありがとう。

飲んだ酒場のトイレがこんな感じだった
 
「ただいま、東口には秋田県男鹿市からナマハゲが来ております」
ぼうっと渋谷駅で乗り換えていると、「ナマハゲ」という単語が耳に入ってきた。空耳だろうと思って何の考えもなしに改札を出ようとすると、そこには本当にナマハゲがいて、みんなスマホで写真を撮っていた。二人のナマハゲと、彼らを先導する赤い羽織の人。ナマハゲは何とかかんとか言っていたけれど、気にも留めずそのまま私は東横線へと急いだ。初めて見るナマハゲだったけれど、移動中だったからか考え事をしていたからか、何の感動もなくて、後から考えると悲しかった。渋谷駅にナマハゲなんて、SF映画のワンシーンみたいな光景なのに、急いでいて余裕がなかった。

「ナマハゲ」はひらがなで書くべき?
 
 きっと、東京に住むというのはこういうことなのだろう。毎日毎日たくさんのことが起こり、どの1日もかけがえがないものなのに、一つひとつを掬い上げるには圧倒的に時間が足りない。余裕もない。スマホで写真を撮っていた人たちもスマホのアルバムを見返したりはしないのだろう、きっと。好きな映画監督が言った「見返さない写真はもう死んでいる」という言葉を思い出す。旅に出て、新しい場所で過ごす度に写真を撮るけれど、そんなに見返さない。SNSにもあげない。じゃあなんで写真を撮りたいと思うのだろう。

 物思いに耽ったまま鎌倉に来てしまった。生まれてからこれまで鎌倉に来た回数を数えてみる。2016年の夏。去年の6月と8月。記憶違いがなければ4回目。
 
 鎌倉に行く度、いつも由比ヶ浜に行く。相対性理論の曲「LOVEずっきゅん」のように貝殻を集めて歩こうと地面を見ながら歩く。七里ヶ浜江ノ島の方と比べると由比ヶ浜の砂は白い。というか七里ヶ浜の砂が黒い。夏目漱石の『こゝろ』も思い出す。私と先生の邂逅。胸が少しだけキュンとする。『痴人の愛』にも鎌倉が出てきたなあと思い、そういえば芥川も鎌倉のことを書いていたかもしれないと思い至り、でも思い出せない。
 由比ヶ浜はサーファーもいたし、凧揚げをしている人もいた。バーベキューなのか、炭火を起こしている人もいて、暖かそうだった。

 大学になって最初の旅行は横浜だった。もう顔を合わせることのないだろう組み合わせ。もしかしたら死ぬまで揃わない面子。友達の部屋にはオカメインコが飛び回っていて、映画館でみんなで『シンゴジラ』を観た。
 その旅行で鎌倉にも行った。鶴岡八幡宮に参拝して小町通りを歩いた。その時の自分がどういうふうに考えていたのかは覚えていないけれど、鎌倉を歩くとその時のことを思い出してしまう。もしかしたら死ぬまで思い出し続けるのかもしれない。いつか誰かが上書きしてくれたら良いけれど。いや、忘れたくないか。楽しかったもんな。彼らとの別れ方がよくなかっただけで、あの時はあの時で楽しかった。
 
 この数日間で、この半年間で、東京も神奈川も好きになった。関東の地名はまだまだ私にとって馴染みないものが多くて、芸人のラジオや小説、歌詞でしか知らないものがたくさんある。そういった意味で東京も関東も、私にとっては永遠にフィクションから出て来ないけれど、それでも着実にリアルさを持って感じられるようになってきた。良いことだと思う。それが私の生き様で、生きていくこと、生きてきた道筋というのが最終的に私を作る。それは、私にしかできないはず。

 
 稲村ヶ崎にある温泉でお風呂に入る。沈む夕日と、濃くなっていく車の光。この温泉を私に教えてくれた人がいて、この土地に住む主人公の小説を私は昔読んで、そして数年ぶりにやってきた。誰にも真似できないことだ。平凡を積み上げるだけでも、積み上げたその先に自分しかいない特別な場所を作ることができるはずだ。
 
 
 
【今日の音楽】
 
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