シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいる者です 文章を書くのを仕事にするのが目標です。夢は世界一周です

#181 緊張とお風呂と本

 あと数時間で誕生日を迎えるというのに私は浴槽に浸かりながら芥川について考えている。箱根の旅館。働いているスタッフはお客様と時間をずらした深夜帯に入浴できることになっている。私はお風呂が好き。でもここでは、一度建物を出て、大浴場のある姉妹館まで行かないといけない。炊事場とバックヤードを通りエレベーターに乗り込み、4階まで。いささか不便。お風呂にたどり着くまでに頭を下げないといけない回数が多すぎる。私は仕事を終えているけれど、炊事場ではまだ食器を洗っている人がいて、そういう人を無視するわけには行かない。けれど元気よく「お疲れ様です」なんて声を掛けるのは、空虚さをわざわざ増幅してしまう気もする。でも何も言わないのもおかしいと思う。だから遠慮がちに「お疲れ様です」と消え入りそうな声で言う。そうなのだ。私はずるい人間なのだ。

7月になったけれどまだ紫陽花は咲いている
 大きなお風呂というのはいつでも最高。なのだけれど、少し飽きてきた。良い風呂だとしても毎日入るには遠すぎる。仕事が終わってすぐにお風呂に入れないのは夏場はきつい。ネクタイとワイシャツをして お皿を運んで、仕事中はずっと汗だく。なのに、仕事を終えてから入浴まで1時間弱待たないといけない。寮の最上階にある自分の部屋に行って着替え、浴衣を着て外へ出る。暗い道、蛙の声。「失礼します」と言って網戸を開けて厨房へ。エレベーターはすぐ来ない。後ろからは食器を洗うカチャカチャという音が聞こえる。まだ働いている人がいることに後ろめたさを感じる。感じなくてもいいのに。生きにくいなあと思う。そういう「感じやすさ」みたいなのは文章を書くときには武器になるかもしれないけれど、社会で生きるのには不向きだ。今までの25年でわかったのは、自意識過剰が高じた時、私は失敗する傾向があるということ。周囲の視線を気にするがあまり、すべきことをできなかったり、言うべきことを言えなかったりする。勿体無い。そこまで緊張することはないのに。中学校でも高校でも予備校でもずっと緊張していた。今もリゾートバイトまで来てずっと緊張している。失敗するのが怖い。
 
 今のところお風呂が唯一リラックスできる場所だ。10時から12時なんて時間は誰も使わないから、好きに使える。歌うこともできるし、泳ぐこともできる。走っていって飛び込むこともできる。絶対しないけれど。仕事の場所と寮が同じ建物ということは、割とストレスで、しかもお客様と鉢合わせしないように仕事以外の時間も割と気を遣わないといけない。来週には慣れるのかもしれないけれど、未だに緊張する。部屋も狭いし、匂いにまだ慣れない。最上階だから暑い。そろそろエアコンを入れないとしんどい季節になる。昨日は仕事が終わって寮に帰ったら29℃もあった。

台湾旅行時に行った南東部、知本の温泉
 エアコンを入れないといけないなあと思いながら、エアコンから吐き出される風がかび臭かったら嫌だなあと思っている。実際部屋を開けたところの廊下にはカビが生えている。ダイキンのエアコンも何年も掃除されていないように思える。憂鬱だ。でもそろそろエアコンなしでは寝られないような季節になる。アレルギー体質だったり、喘息持ちだったりするのは、結構生きてて辛い。
 
 わざわざ違う建物まで歩いて行ってお風呂に入るというのは、面倒だけど気分転換にもなる。お風呂場は明るいから、脱衣所にある椅子に腰掛けて本を読んだりしている。この2週間で読んだ本は、大体脱衣所と洗濯機の前で読んだ。谷崎、西加奈子、そして芥川。
 大浴場やお風呂のシーンが出てくる小説が好きだ。『乳と卵』で姉妹が湯船に浸かりながら人々の体について品評するシーンも好きだし、最近読んだ西加奈子の「炎上する君」も物語の最後に起きる事件は高円寺の銭湯でだった。西加奈子は『窓の魚』でも温泉付きの旅館について書いている。もしかしたら西加奈子はお風呂が好きなのかもしれない。他の作品も読んでみよう。あと三浦しをんの『君はポラリス』の中にある「森を歩く」も、冒頭はアパートの狭いお風呂にカップルで入るシーンだった。映画なら『バーバー吉野』でお父さんと息子が家の風呂で狩人の「あずさ2号」を歌うシーンが好きだ。銭湯じゃないけど、『百万円と苦虫女』の蒼井優森山未來を好きになってコインランドリーでぼおっとするシーンも好きだ。

 それでも毎日使っていると大浴場にもだんだん飽きてきている。人間は勝手だ。大きな湯船に自分だけ。時々虚しくなる。初めは物珍しくて毎日行っていた露天風呂も、何日も行っていない。暑くなってきたから虫がたくさんいるだろう。そう思うと行かなくていいやと思う。いつでも行けるし。
 今日もお風呂に行く。別館まで歩いて、炊事場を通る。いつ行っても人がいる。飯炊きの人、皿洗いの人。何も変わらない毎日。適当に「お疲れ様です」とか言ってエレベーターに乗って、誰もいない廊下をお風呂まで歩く。もうかなりマンネリ化している。昨日は備えつきのボディーソープではなく、家から持ってきた石鹸を使った。匂いが変わるかなと思ったけれどあまり変わらなかった。今日は自分のシャンプーを使う。温泉の質のせいか、シャンプーのせいか、髪がバサバサになっている気がする。乾いた感じ。明日は昨日バイトを辞めたS子さんに頂いたボディーソープを使ってみよう。シトラス系の香りだから、気分が変わるかも。
 
 箱根の温泉なんてみんなが入りたいだろうに、毎日入っているとマンネリ化してくる。何か面白いことが起こらないかと思う。もし私の毎日が西加奈子の短編だったら、今日のお風呂には大きな赤いダルマが浮かんでいると思う。ダルマはお湯の中では浮いていて、ゆらゆら揺れて軽そうなのに、いざお湯から引き上げようとすると重たくて引き上げられない。

箱根の霧
 もし書き手が芥川なら、お風呂の中に幻覚が見えるのだろう。自殺した私の友人の顔がお風呂の湯気に浮かんで消える。あるいは脱衣所には私以外の誰の服もないのに露天風呂から誰かが上がってくるとか。西加奈子が湯船に残した達磨と格闘しているうちにダルマの国へと引き摺り込まれて、そこで人間の世界と鏡写しのダルマの社会を私目にするかもしれない。
 早く河童の続きを読みたいなあと思って湯船に浸かっている。湯船の中と、フィクションの世界の中でのみ、私の緊張は少し弱まる。箱根に来て2週間、毎日本を読んでいるけれど、これは現実逃避なのだろう。忙しい仕事から離れて束の間だけでも別の世界に行くことが必要なのだ。でもそれに熱中することでリラックスできる。不思議だ。現実世界からは離れられないのに、フィクションに心奪われるなんて。

孤独
 今読んでいるのは新潮文庫から出ている『河童・或阿呆の一生』だ。死ぬ前に、精神的に疲弊して薬物中毒になっていた彼の作品は、それまでの文章にあった気楽さや余裕が消えて、焦燥感に駆られて書いているような気がする。何かしらに焦っていて、自分を認められないまま、格闘している感がある。もう少し長く生きて、色々経験したら、彼はもっと違う文章を書けただろうと思う。50代になった芥川の文章など読みたかったなと思う。勿体無い。
 
 
 
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