シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#187 友達のジャズを聴く

 で、今の私は吉祥寺のジャズバーStringsでカプリチョーザを食べている。正しい場所の名前はLive Bar & Italian Restaurant Stringsというらしい。イギリスじゃなくてグレートブリテン及び北部アイルランド連合王国。ハクじゃなくてニギハヤミコハクヌシ。パブロ・ピカソではなくて、パブロ・ディエゴ・ホセ・フランシスコ・デ・パウラ・ファン・ネポムセーノ・マリア・デ・ロス・レメディオス・シプリアーノ・デ・ラ・サンティシマ・トリニダード・ルイス・イ・ピカソ何でもかんでも正式名は長いのだ。ここまでが導入。読まなくて結構。ちなみに、カプリチョーザというのはイタリア語で「気ままに」「勝手に」という意味らしい。日本語にすると「シェフのおまかせピザ」といったところだろうか。

STRINGSはこちら
 そろそろ本文。カプリチョーザは高校の先輩が奢ってくれた。たまたま会った先輩。高校時代話したことは数回あるかないかだけど、目立つ先輩だったからなんとなく覚えていた。そして、10年ぶりに会った先輩に認識された自分も目立つ後輩だったびだろう。ジャズバーへ降りる踊り場でタバコを吸っていた先輩。大袈裟なバックパックを背負った私。先輩と一緒に来ていた先輩の同僚の人。今日は高校時代の友達のコンサート。友達が歌う。観に行く。いや「聴きに行く」が正しいかも。 
 
 高校を卒業してから「高校」という枠を外れて友達とコミュニケーションできるようになった。小さな社会の中で息苦しかった高校時代。卒業してから仲良くなれた人の方が多いかもしれない。それは、受験に追われた閉塞感かもしれないし、クラブごとに固まらないといけない風潮があったからかもしれない。あるいは、私がまだ幼かったからかも。書きたいディテイルが多くて、前置きがいつも長くなってしまう。
 
 観に行ったのはピアノとヴォーカルのデュオ。「デュオ」ってジャズの世界だとどういう意味なのだろう。音楽については全くの素人なので、最初は「ピアノの伴奏に合わせて小野さんが歌う」のだと思っていたけれど、その認識が全然違うということを、聴き始めて気づいた。そのライブではヴォーカルとピアノは対等なのだった。どちらかが一方に合わせるのではなく、会話というか掛け合いというか、そういうやり取りの中でできていく音楽みたいだった。もしかしたら、音楽ってみんなそうなのかも。素人すぎてわからない。
 
「表現っていいなあ」っていうのを終始思っていた。そして演奏の合間に、モカさん(先輩)とコウさん(その同僚の人)に「表現ってほんまええですねえ」みたいなことを言ってた。まだ飲んだのはコーヒーだけで、酔ってはなかった。吉祥寺の後で、先輩に連れて行ってもらった下北沢のバーで酔って寝てしまい、自分の酒の弱さをまた思い知ったのだけど、それはまた別の話。

駅に続く道。ここで先輩たちと別れた
 音楽を聴きながら色んなことを考えた。私の好きなフィギュアスケーター鈴木明子やジェレミーアボットがこの曲に合わせて滑ったらどうだろうとか、小説家と音楽家はどっちが多いのだろうとか、そんなとりとめのないことばかり浮かんでは消えた。カプリチョーザを食べる音が演奏の邪魔になってないだろうかとか、真剣に演奏を聴くのならカプリチョーザなんて食べてる場合じゃないのかも、とかも考えた。耳のところはサクサクなので演奏の合間に食べた。ピザには茸が乗っていて噛むと口の中で香りがはじけた。
 
 曲紹介の中で色んな音楽家の名前が出てきた。トランペット奏者、ピアニスト、ヴォーカリスト。Ambrose Akinmusire、Kenny Kirkland、Lyle Mays、Aubrey Johnson、Tatiana Parra。その一人一人にそれぞれの作品と録音がある。途方もない数。
 今の今までに、世の中に出されては消えていった音源。この世の中に何か絶対的な存在がいて、その存在が作った音楽の殿堂に、全ての音楽がアーカイブされていればいいのにと思う。いつでもどの音楽にアクセスできるような場所があればいいのに。
 
 曲の合間に紹介されるエピソード。作曲家にまつわるストーリー。スタンダードはアンコールの一曲しかなくて、コンテンポラリー(これはモカさんの言葉をそのまま借りた)が多かった。ジャズ、全くの初心者だから何がスタンダードで何がコンテンポラリーかもわからないけど、なんとなくわかった気になって「ふーん」とか思ってた。たくさんのエピソードやストーリーが積み重なったスタンダードにはそれなりの重さととっつきにくさがありそうだし、コンテンポラリーは新しいもので私のような初心者には優しいけれど、また別の難しさがありそうだった。でもまあなんにせよ新しい場所に来て新しい素敵なものに触れるのは楽しくて、なんとなく体を動かしたりして、適当にやっていた。

stringsは吉祥寺の駅から5分ぐらい歩いたところにあった。
 言葉のある曲と、言葉のない曲を比較した時に、言葉のある曲は「難しい」と小野さんは言っていた。その話をもっと聴きたかったなと思う。実際私はこうして文章を書いているけれど、文章を書いても書いても、真実は言い表せない。
 言葉は完全ではないから、言葉を重ねると同時に嘘も重ねることになる。そして言葉を紡げば紡ぐほど文章に対するハードルは上がり、長い文章になるほどアクセスしにくくなる。それに、長々と書いた大河小説よりも、万葉集に残る一首が何倍も真実を表しているように思える時もある。

 言葉を含む歌であれば、その言語がわからなければ楽しめないし、小さい子にも届かない。それなら言葉を無しにして、みんなにアクセスできるものになればいいと時々思う。時々文章を書くのをすっぱりやめて、絵を描いたり、粘土をこねたり、料理をしてみたくなる。でもいつも続かなくて文章に戻る。
 
 モカさんもコウさんも音楽をやっている人だから、二人の感想を聞くのがとても面白かった。弱く歌うところの声が何種類かあって、それが綺麗だったと二人が言っていた。詳しいこととか具体的なことは、あまりわからないけれど、同感だった。歌う人にはそれぞれ自分の声の強みとか特徴があって、それについていつも考えてるんだろうな。どんな曲をどのように歌うとか、今日はこんな風に歌ってみようとか。その分野を知らない人には想像もつかないようなことがきっとたくさんあるのだ。吉祥寺から下北沢のバーに移って二人の感想を聴きながら、やはり表現っていいなあって思う。

井の頭公園。すっかり秋でした。

 

 
【今日の音楽】

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