シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#219 いつかどこかで。神様みたいな人と神様みたいになって

バス停に落ちていたイチゴ
 今、物事は全て鮮やかで情報量が多くて、だからちょっと辛い。いつも辛いわけじゃなくて、波があって時々辛い時期が来る。SNSを開く回数を減らしてるし、友達の書いている文章も読みたいのだけど心が崩れるのが怖くて見れてない。チャットも投げっぱなしで返せてない人もいる。ごめんなさい。全てにちゃんと取り組みたいけれど、なかなか難しい。自分の中にある心を落ちつかせないと。

先日行ったHamburger Pflenyenmarktでは全ての花の名前を知りたくなってよくなかった
 全てのものに手を伸ばさなくていいし、全てを自分の中に取り入れなくていいのだけれど、まだ私の心はわかっていない。理解したいと思うし理解されたいと思う。私が理解しようという態度を見せているのだから、あなたも私を理解してよ。そんな風に思ってしまう。
 
 段々、世の中には自分の手の届かない範囲にあるものが増えてきた。この世の中で自分がどれだけ生きられるのかわからないけれど、私はここで生きることを選択し続けるわけで、それを続ける限り、目の前のことを一つ一つ積み上げないといけない。でも目を背けたくなる。

初めて『スタンドバイミー』を観たのが図書館で、だから図書館で映画のジャケットを見ると時々リバー・フェニックスのことを考える
 映画『スタンドバイミー』でリバー・フェニックス演じるクリスが言うように「自分のことを誰も知らないどこか遠い場所に行きたい」って私はずっと言うし、そのままの姿勢でずっとやってきた。でも、映画の中でも映画の外でも、彼が生きられなかったことを私は知っている。

 今、ドイツにいて、地下鉄の中で文章を書いている。けれど、きっとこれも現実逃避なのだ。ドイツにいるならもっとドイツ語に染まって行きたいのに。
 私は遠い場所にいて、日本のことを思う。でもそれはドイツにいる自分にとって、日本が遠い場所になったからという話であって、きっと日本に戻ってもがっかりするのだろう。そして日本にいれば、またどこかの遠い場所を思うのだろう。戦争で行けなくなったモスクワの大学院について考え、箱根のホテルに思いを巡らし、そしてきっとドイツの今の生活について考えるのだろう。それって麻薬みたいもので、あるところまで行くと有害だ。でも心を保つために必要な行為だった。
 時間は有限で、人生は思っていたよりも随分短くて、なのに私は目の前の「今」に没入できない。それってすごい勿体無い気がする。でも、文章を書いていた昔の人も、きっと私のような人間だったのだと思う。

 この世界のどこかには、私のことを理解してくれる人がいるに違いないと、小さい頃から思っていた。それは結局幻想かも知れなかったのだけれど、私はその想いを大事に握りしめている。
 そんな風に思わないといけない子供時代は結構タフだったのだと思うけれど、それ自体を十分に理解してくれる人もそんなにたくさんいるわけではなくて、もしかしたら誰も理解してくれないとも思う。文章を書くという行為は、小さい頃からの幻想にしがみつくということでもある。でも目の前のリアルな人間に背負わせてしまうよりも、まだ良い。文章は一つの解決策だ。文章を挟むことで、そうした幻想とも人間とも折り合いをつけていけるなら、それは一つの道なのだ。そういった風に道を切り開けるはずだ。

教会の天井
 現実世界で新しい人に会うたび、この人なら自分のことがわかってくれるのではないかと期待してしまう。勝手に期待して、勝手に期待してチャットを送って、勝手に期待して電話する。それって結局私が満たされたいだけで、相手のことを考えられていない行為だ。その人に背負わせたのは自分なのに、勝手に裏切られた気になる。すごくわがままですごく未熟な行為だ。でも未だにやってしまう。この文章を書きながら、いろんな人の顔を思い浮かべてしまう。ごめんなさい、ごめんなさいとは思っているよ。

ハンブルクのメーンステーション
 大学の最終学年、ある先生が学生に対して、同じことをやっていることに気がついて愕然とした。その人は毎年入れ替わる学生を消費しているように見えた。それをできるだけのわがままさと、利己的な態度があるからこそ、アカデミアの世界でサバイブできるのかも知れないけれど、でも専攻内にそういう人がいるのは、決していいことではなかった。すでに退官したその人の先生もそういう人だったから、私の専攻はずっとそんな空気だったのかも知れない。
 勝手に相手を決めつける人、勝手に相手に期待する人、勝手に被害者になれる人、別に私だけじゃない。先生のことだけでもない。

 時々宗教があれば楽だったと思う。一神教はとても楽そうに見える。私のことを理解してくれる全知全能の神に対してのみ対話すれば良いだけなのだと思う。私の精神世界とは全く合わないけれど、でも楽だと思う。私はある時祖母にも母にも嫌気が差して、会ったことがない父親に対して期待していた。人間性を幾度も否定されて傷ついていた自分にとって、父親は会ったことも話したこともない分、想像できる余白があった。

リューベクの聖マリア教会(St. Marienkirche)
 家族は誰も私に対して理解を示してくれなかった。かなり早い段階で私は、家族に自分を理解してもらうことを諦めてしまった。自分のことばかり考えている祖父、気に入らないことがあると人間性を否定する祖母。主体性のない末っ子の母。母はともかくとして、祖母といる時間は辛かった。反抗するといつも人間性を否定されたから。私は父と離された後にトラウマを抱えたし、でもそのトラウマをどう表現すればいいのかわからなかった。

旧市街が世界遺産に登録されているリューベク
 保育所で泣き続けたのも、従弟をいじめていたのも、私にとってはある意味で一つの表現だったのだけど、でも大人たちは気にしていなかった。自分もわかっていなかった。母の姉の結婚相手である伯父は「シゲも同じ家族のようなものだから」と言ってくれるのだけど、私はそこに安らぎを見出せなくて困った。伯父の優しさに応えられなくて、申し訳なく思っていた。そして伯父と伯母、いとこ達との間にどうしようもない溝を感じるのだった。無邪気に振る舞える母が少し羨ましかったし、俯瞰的に場面を見ないといけない自分が子供らしくなくて、嫌だと思った。
 そう、子供らしくすることが難しかった。祖母は私によく「子供らしくしなさい」と言ったけれど無理だった。私は言われたことをよく根に持ったし、従弟の悪気ない言葉に簡単に傷ついた。それは確かに「子供らしくない」と言えたと思うけれど、祖母は「子供らしくない」私をも「私らしい」として愛するべきだったと思う。私は幾度となく祖母に否定され続け、周りの大人はそれに気がついていなかった。

走馬灯に出てきて欲しいランキング9位:菜の花畑
 ある時、彼は「俺にはおばあちゃんもおじいちゃんも2人づついるけど、シゲには1人ずつしかいないもんな」と言った。彼は1年生で私は4年生。もちろん彼をぶん殴った。その時の大人達の態度に私はがっかりしたのを覚えている。
 私に父親がいないこと、そしてそのことに引け目を感じていることに、大人は気にしていないようだった。誰も私が繊細な感情を持ち得ていることを知らなかったのだと思う。あるいはどうしたらいいのかわからなかったのかも。今思い出してもすごい悲しい。

公園で昼寝した後の帰り道
 私は小さい頃から記憶を忘れないように努力していて、だから人よりは記憶力がいいと思う。奈良の家に戻れなくなって、尼崎の保育所に通い始めたある日、父親の顔も奈良のこともほとんど思い出せなくなっていることに気づいて愕然した。あの朝から私は全てのことを取りこぼさないように覚えていようと思った。でも大人になるにつれてそれは難しくなって、たくさんの人と交わした会話ももう全部は思い出せない。その思い出せないという事実さえも、長く生きた証として愛せたらいいのだけど。

 父親のことを思い出せないのをいいことに、そして父親のことを家族の誰からも聞けないのをいいことに、私は父親を想像の中で膨らませていた。勝手に偶像の父親を作り、彼なら自分の苦しみも悩みも理解して受け入れてくれるのではないかと、そう思っていた。2023年になった今、その時代の自分がとても可哀想だと思う。結局父親は私に連絡を取ることもないままに死んでしまった。私のことをどう思っていたのか今となっては知ることもできない。一方的に父親について考え続けた時期があったというだけだ。2017年に私は彼に会おうと試み、病気を理由に父の姉から断られ、そして父は死んでしまった。

国語学部の旧キャンパス
 時々、私はもう誰にも理解されないのではと思う。でもこの道の向こうには私のことを理解してくれる誰かがいて、きっとその人に会うためには自分から動かないといけない。そう思わないと。
 諦めてはいけない。能動的にかつ建設的に日々を積み重ねていかないと。「ここじゃないどこか」に逃げ込むのではなく現実の中に道を作らないと。

 ハンブルクに来て、時々昔のように空想の中で父親と話す。姉に支配されて関西だけで終わった彼の人生は、私と一緒にドイツに来るようなことがあればきっと違うのだろうなと思う。一緒にドライブしたり旅行したり野球見に行ったりしたかったな。
 
 
 
【Aufsatz007】
Ich gehe zu Fuß zur Bushaltestelle. Der Bus Nm.27 kommt und die Türen stehen offnen. Ich steige in den Bus ein. Auf dem Weg zu einem Treffen, ich mache mir zu viele Sorgen um meine Fingernägel. Ich bin weit Weg von meinem Land und ängstlich. Die Sorge ist groß. Ich mache mir Sorgen um meinem Visum. Ich mache mir Sorgen um mein Deutsch. Ich mache mir Sorgen um vieles.
Jetzt bin ich im Bus und sitze zwischen dem Hund und der Frau. Plötzlich mache ich mir Sorgen um das Schloss des Haustür. Gleichzeitig  finde ich etwas rot auf der meiner Hand. Das ist ein Siebenpunkt-Marienkäfer. Vielleicht kommt Glück. Ich lächele und versuche zu denken, dass alles gut wird.
 
【今日の音楽】
 
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