シゲブログ ~避役的放浪記~

ありゃりゃ、みつかっちゃったぜ。全部フィクションです

#85 海野君のこと

 

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 今とてもしんどい。

 理由はたくさんある。まず第一に睡眠の問題。昨日は友達と朝まで遊んだ。フットボールとアルコール。ラーメンとカラオケ。

 第二に食事。春休みだからのらりくらり一日一食。時間も栄養素も偏っている。でんぷんばかり摂っている。

 第三に花粉。これに関しては言わなくてもいいだろう。

 第四にコロナウイルスとかそういうの。テレビを見てもSNSを見てもホント気持ちが滅入って来る。

 第五にさっき見たNHKスペシャル。明後日で震災からもう9年。「復興」を謳う政治家、五輪開催への忖度。

 第六に進路。3回生になって就職活動が現実味を帯びてきたこと。

 第七に毎日を無為に送っていること。目標も希望もない。「○○したい」「○○しなくてはならない」とは思うものの、計画を立てられない。

 第八にメールとLINEの返信。いちいち返信しないといけないのはめんどくさい。

 第九に——いやもういいや。なんせつらいのだ。でもそのつらさがどこから来ているのかと考え始めると、それはわからない。落とし穴のように突然沼があって、気がついたらそこで身動きがとれなくなっている。いやそんな大げさな、と自分でも思う。これ以上書くとみんなに誤解されそうだ。でも真実だ。

 単に3月だからかもしれない。幼少期の出来事が私の情緒の発達を阻害したからかもしれない。今夜はいつもより気温が低いからかもしれない。くるり岸田繁なら「しんどい理由なんて何ひとつないのだよ」なんて歌ってくれるかもしれない。寝不足の私はもう私がわからない。よくわからない怖さがある。いつか「社会が嫌い」って書き込んでしまいそうで怖い。いつか自分が消えてしまうのではないか、自分が独りぼっちになってしまうのではないか、そういうのに怯えている。

 

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深夜のスポーツバー。アーセナルが勝ったのでよかった

 ハイウェイに乗って車をすっ飛ばしたら少しはすっきりするだろうか。

 実際、自殺というのはすぐそこに潜んでいる。開けたドアの裏とか電子レンジの中にミスタースーサイドが佇んでいて、私にむかって微笑みかけている。彼らは日常生活の様々な場面でどこからともなく姿を現す。終電の吊り輪に、1人で入るバスタブ、飲み会のテーブルの角っこ。私にしか見えない絶妙な場所に彼らは現れ、静かな声で歌う。ある時一人でドライブしていて、ふとを横を見るとミスタースーサイドが助手席に座っていてぎょっとしたことがある。

 彼らは身長20センチぐらい。ボーリングのピンのような体形である。個体によって色は様々で、鮮やかなレモンイエローもあれば、パステルカラーのピンクもある。顔らしきものはあるのだけれど口以外は不鮮明だ。人間であれば目や鼻のある位置に、時折模様のようなものが見えたりするのだけれど、それも時間が経つと消える。我々は、いつも口の形を見て彼の考えていることを推測しなくてはならない。でもそれも、彼の思考が人間のそれと同じかはっきりしないので結局よくわからない。人が笑う時のように口角を上げてクックックとくぐもった声を出す。それを研究者は「笑い」と呼ぶけれど、それも便宜上そう呼んでるわけであって本当のところはよくわかっていない。アメリカのQ博士が1970年代に彼らの脳波を調べたのだけど、人間のものとあまりにもかけ離れているせいでそのデータは使い物にならなかったらしい。その後、Q博士の一番弟子のQ'研究員が——もちろん彼女は出世して今では教授職に就いている——論文の中でその脳波のデータに関して大胆な仮説を立てた。「Q'予想」と呼ばれる彼女の仮説は学会で論争となり、長い間議論の対象となっていた。そして2010年代、日本のRK研究所のQ"研究員が「Q'予想」を裏付ける革新的な論文を発表し論争に決着をつけたかに見えた。一躍時代の寵児になった彼はテレビにラジオに引っ張りだこになり、彼がいわゆる「イクメン」だったこともあってますます持ち上げられた。おんぶ紐を背負ったままの姿で週刊誌の表紙を飾った彼は、受け答えが当意即妙であったのもあってバラエティーやクイズ番組に呼ばれた。ユーキャン流行語大賞に「おんぶ紐」がノミネートされ、空前のおんぶ紐ブームになった。しかし、週刊誌の記事のせいで受賞はなくなってしまった。

 結局メディアと大衆は、彼の研究自体ではなく、彼の偉業と功績に興味があるだけだった。彼の論文2本に重大な欠陥があったことが判明するとあからさまに手のひらを返した。メディアに扇動されるまま愚かな大衆も彼を「嘘つき」と呼んだ。ネットに彼の住所が流出し、スプレーで落書きをする輩が現れ、その蛮行を一定数のネット民が賞賛した。Q"はそのスキャンダルのせいで第一線から離れることとなり、さらには離婚にまで追い込まれた。子供の親権はQ"の妻が持つこととなり、おんぶ紐は無用の長物となった。彼は今は東北の田舎町でマタギになる修行をしているらしい。バッシングのせいでQ"の上司は自殺したが誰もSNSでの悪口について問題にしなかったし、メディアも反省をしなかった。その騒動の数年後、ドイツのKR研究所が出した論文がQ"の主張の正当性を認め「Q'予想」の正しさは80%程度認められた。こうしてミスタースーサイド研究の主導国になるチャンスを日本はみすみす失った。

 まあそれもニッチなアカデミアの世界の話で一般人に広く知られているとは言えない。日本の人々の記憶に残ったのは「嘘つきQ"」だけであろう。そもそもミスタースーサイドの存在に気付いている人間も少ないのだ。多くの人が目撃し、れっきとした研究対象であるのに、未だに科学者の陰謀だと信じて疑わない人がいる。確かに「見える」人間と「見えない」人間がいるのはQ博士が第一線にいた時代からの研究対象であった。「見える人」の割合は国や地理的な条件によっても異なるみたいである。最近、猿や犬、馬といった一部の動物にもミスタースーサイドを見える個体がいることがわかってきている。さらなる論文の発表が待たれる。

 

 明らかなこととして、年齢が低ければ低いほど「見える」人間の数は少なることである。これはよく知られている。フィクションの題材にもなっている。Q教授が論文の中で提唱し今では定説となった文言を借りるならば、「自殺を自分の心の中で肯定的に考えた時、初めて彼らの存在が視認できるようになる」のである。

 私が通っている小学校では昼休みの後に掃除をするのであった。給食を食べてから昼休みは校庭でドッジボール。その後に班ごとに分かれて掃除。2年生のある日、私は「教室のホウキ」担当になった。私の班に海野君という物静かな男の子がいた。昼休みも中休みも教室で本を読んでいるような子だった。物知りなのだけど、手を挙げて発言するようなタイプではなくて、授業中はつまらなさそうに窓の外を見たり、先生の目を盗んで本を読んでいた。クールな彼にいつか話しかけたいと8歳児なりに思っていた。しかしいざ同じ班になって給食を一緒に食べるようになると、彼は意外と饒舌なのだった。私の発見だった。私は「シャイ」という言葉を初めて知った。

 二年生の水曜日の時間割は4時間目で終わり。掃除をしたらすぐに家に帰れるのだった。放課後に神社の池で遊ぶことだ好きだった私は早く帰りたくて急いで掃除を終わらせようとしていた。ドラム缶を再利用したゴミ箱にちりとりの中身を捨てると、勢いよくホウキ入れを開けた。

 開けてびっくりした。さっと血の気が引いて、頭がくらりとした。そこには水色に光るグロテスクな生き物がうずくまっていた。私はまだミスタースーサイドの存在を知らなくて、初めて見るその気持ちの悪い外見に頭がクラクラしてしまった。同じ班の鈴木さんやカネミチがその生き物に気付かないままホウキを直していく。私はその水色と縞々模様を食い入るように見つめたまま動けなくなっていた。すると後ろから誰かが肩を叩いた。振り返ると海野君が私の顔を見ていた。眉間にしわが寄っていた。

「なに、お前も見えるの?」

そう言いながら平然とホウキをしまった。私の手からホウキを取ってそれも直し、ピシャリと戸を閉めた。中で「ニ―」という声が聞こえた。水色の肌に浮かんだ縞々模様が頭から離れなかった。放課後の誰もいないトイレでゲーゲー吐いた。3年生以上のクラスではまだ授業が続いていて、トイレの個室まで授業中の声が届いていた。「もしかしてあいつを見るの初めて? こっちが普通に暮らしている限り何もしないから大丈夫だよ」

 その日は悪友のあっちゃんと神社の池で亀を捕まえるつもりだったのだけれどど亀どころではなくなったので、家で寝ていた。夕方5時ごろになってあっちゃんが捕まえたザリガニを見せに私の家まで来たけれど、ザリガニの尻尾の模様を見て、私はまた吐いてしまった。図書室で調べた結果、私が見た水色の生き物は「ミスタースーサイド」という名前なのだと知った。観察すると彼らはいたるところにいた。授業をする先生の教卓の上に寝転がっていたり、黒板消しに腰かけていたりした。しかし、クラスメイトのほとんどはミスタースーサイドが見えないようであった。8歳の時点で見えていたのは海野君と私だけであったと思う。その日から海野君と私の間には同じ秘密を共有するある種の仲間意識が芽生えた。私は少し大人だった彼にいろいろなことを教えてもらった。

 図書室で調べたり海野君に聞いたりして、ミスタースーサイドについての知識を得た私であったが、私に彼らが見えるのには心当たりがあった。しかし、8歳児の語彙力ではそれを簡潔に言語化することができず、私は長い間苦労した。今でもそうだが、自分の心の中が言葉で表現できないというのはもどかしく、つらいものである。

 

 成人式の日、中学校の同窓会があった。あっちゃんが幹事だったので私も行った。懐かしい面々がいて、その中に海野君がいた。中学時代はさほど話さなかったし、高校も違う高校に行ったから、共通の友達は少なかった。お酒を飲みながら一人また一人と家に帰っていき、最後まで残った十数人の中に海野君もいた。二次会の後、公園のジャングルジムに座った私たちは6年ぶりに話すことになった。

 映画監督になるための勉強をしていると彼は言った。大学名を訊くと、東京にある私でも知っているような芸術大学の名前を出した。いくつかの近況報告があって、会話に花が咲いた後、私は彼に長い間訊きたかったことを訊いた。ずっと気になっていることだった。

「訊きにくい話題で申し訳ないんだけどさ、海野君って私より早くから早くにミスタースーサイド見えてたじゃん? あれってどうしてだったの?」

「うわあ、申し訳ないとか言いながらめっちゃ直接的に訊くやん」

小学校低学年の時には口数が少なくシャイだった彼は中学生になるとよく喋るようになり、放送部の部長として給食の時間にラジオDJみたいなことをするようになっていた。その日も「地元に帰ったらやっぱ関西弁になるなあ」と言ってジョッキを片手にずっと笑い声の中心にいた。

 笑った顔のまま海野君は自分の家族のことについて教えてくれた。最後の方は笑いながら泣いていた。

 海野君が5歳の時、彼のおばあちゃんがが突然自殺したらしい。元々精神的疾患があったのだけど、その年は大きな災害があったり、親戚に不孝が相次いだりで彼の祖母は精神的に参ってしまったみたいだ。おばあちゃんのことが大好きだった海野君は坊さんのお経を聴きながら、自分もおばあちゃんのところに行きたいと思ったそうだ。自殺もおばあちゃんなりの考えがあったのだろうと理解していたから、あまり悲しくなかったそうだ。

「今やから笑えるけど、当時は『おばあちゃんのところに僕も行きたい』ってずっと言ってたな。自分なりに色々必死やったんやろなあ。なんというか、、、健気な話よな」そう言った海野君の目は少し光っていた。

 

 今朝、友達とカラオケで歌った後始発で帰ってきた。電車のシートに座るや否や友達はスース―と寝始めた。私はなかなか寝付けなかった。ぼんやりと窓の外を見ているとなぜか海野君のことを思い出してしまったのだった。

 あの成人式ももう1年前のことになってしまった。そうやってどんどん月日が経って行く。そういえば海野君のおばあちゃんが死んだのは3月だったらしい。3月に死にたくなるなる気分は私も何となくわかる。

 

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始発

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