シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいる者です 文章を書くのを仕事にするのが目標です。夢は世界一周です

#182 引き算の人間関係について。角田光代『対岸の彼女』を読みながら


 結局人間は分かり合えないのだと思う。そして最後は傷つけ合って終わるのだと思う。楽しいのは最初だけ。大学に入ったあの頃。可能性の青い扉が開けて、誰とでも友達になれそうだったあの数週間。あるいは高校、中学、小学校。
 誰かと仲良くなる。一緒に時間を過ごす。その人のことがわかったような気になる。それなのに時々その人は全然知らない顔をする。「ああ、知っていると思っていたのに、全然知らない人なんだ」
 当たり前のことを確認。また再確認。そのうちに人間関係ができる。仕事ぶり、家族構成、趣味。部活でスタメンかそうでないか。最初はふとした歪みから。
 チューブから出た歯磨き粉が元には戻らないように、人と人の関係も、一度進み始めるともう元には戻らない。穴が一度開いたら船はもう沈むだけ。見切りをつけて救命ボートに乗る。まだ生きている人を探して、呼び集めて、そして次のステージへ。
 
 人間関係は出会った頃からの引き算だと思う。あるいは長い間そう思っていた。そういう風にして生きている。私のこの告白を、あなたはどういう風に受け取るだろう? ロシア語専攻の先生たち。ちゃんと仲良くなれた一握りの大学の友達。もうほとんど会わないけれどこの世界のどこかに確かにいる高校の友達。今いるバイト先の同僚、先輩。よく行くカフェの人。
 
 スキーヤー新雪を探して歩き回るように、私は新しいものを探している。新しい人、新しい場所、新しい勉強。驚くほど簡単に何かを好きになり、知ろうとする。近づけば近づくほど、知れば知るほど、その人からは遠ざかる。知らない顔が出てくる。度量の大きな人なら、その知らない顔さえ愛せるのだろう。でも私は知っている人の顔の知らない表情を直視できない。正面から太刀打ちできない。昨日まで「同じ」国にいたのに今日から「違う」国にいる私たち。「なんだ、今まであなたは、私と「同じ」であるかのように偽装してたのね」勝手に裏切られたような気持ちになって、また引き算。最後にゼロになって、私はその人の元を去る。苦言の一つも言わずに。もちろん喧嘩なんてしたりしない。無言のままでフェードアウト。

 大人だと思っていた友達の子供っぽい愚痴にうんざり。友達の異性に対する態度に幻滅。酔った勢いで罵倒してきた先輩。お金があるからって、成金が好んで乗るようなそんなつまらない車に乗らなくてよくない? なんでそんな人と付き合ってるの? へー、そんな映画が面白いと思うんだ? さっきの態度、誠実じゃないんじゃない? あんた、さっきから口を開けばお金の話ばかりしてるね。昔からそうだったっけ?
 
 減点減点減点。チェックボックスにマークが付けられていく。お前らなんて大嫌いじゃ。元から好きやなかったんや。そもそも住む世界が違ったんか。言い訳言い訳言い訳。でも心の中ではわかっている。そうやって突き放すのではなく、歩み寄る方が大事なのだと。そうした歩み寄りが人間としての大きさであり、世界を良くしていくために必要なのだ。漠然とではあるが、平和な世の中であって欲しいとずっと思っている。
 
 角田光代の『対岸の彼女』を読む。寮の洗濯機と乾燥機を待ちながら。面白い。面白すぎる。ページをめくる手が止まらない。今朝起きたのは遅かったし、明日も早くないから少しくらい夜ふかししてもいいだろう。そう思ってまたページをめくる。次の章。また次の章。
 
 2人の主人公が出てくる。結婚して出産し、仕事を辞めた専業主婦の田村小夜子と、旅行会社を運営している楢橋葵。同じ大学出身であるということ以外に特に共通点を持たない2人の人生が交差して、そしてまた別れていく。そんな話。
 
 現代の小夜子の話と、高校時代の葵の話が交互になって物語が進んでいく。肩書きや家族構成、職業だけ見れば大きく異なるように見える彼女たちだけど、実際にはそんなに単純なものではないことが次第にわかる。ある場所を見ればとてもよく似ているし、また違うところに目をやれば、全然違う。人間というものはそうそう単純なものではなくて、モザイク壁画のように色とりどりのタイルが積み重なって全体像が出来上がっているのだ。でも私たちは時間がない。その人の背景にも家族構成にも思いを馳せるだけの余裕がない。その人のことを手早く理解しようと思えば、履歴書やゴシップ、誰かの噂話がなかなかに便利で、ついついそれに頼ってしまう。そして、たった数回の事象を見ただけでルールを見出し、その人のことを決めつけてしまう。悲しい。
 
 生まれてから現在まで、その人の人生を追体験できればいいけれど、でもそれは不可能。そもそもそうしたところでその人のことを全部理解できるとも思わない。逆に全部理解し尽くせないことに、世の中の面白さがあるとも思う。でもそれはまた別の機会で。長くなりそうだから。もうすでにかなりとっ散らかった文章だし。
 
 小夜子の視点で語られる現代では、葵は、女社長であるという肩書きだけが一人歩きして、色々と勘違いされている。それは彼女の自由でフランクな言動のせいでもあるのだけれど、高校時代の葵のことも並行して知っている読者は不思議に思う。高校時代の葵にはいじめのために横浜から群馬へ転校をした経験があり、クラスでの序列や人間関係について気にしている。そこには現代の葵に見られるような「浮ついた」姿はなく、むしろ引っ込み思案で周りの目を気にしてしまう物語冒頭の小夜子に似てさえいる。当然、高校時代の葵も現代の葵も同じ人物ではないから、それは普通のことだ。でも読者は不思議に思う。大方の予想通り葵の高校時代には何かしらの事件が起こり、彼女も変化していく。
 
 一度分かり合えたかのように思えた小夜子と葵も、やはり結局は分かり合えず、彼女の人生は束の間交差しただけで、再び別方向へと向かう。そういう話だと最後の最後まで思っていた。だからこの本のタイトルは『対岸の彼女』なのだと。川を挟んで別々の国にいる人たちの物語なのだと。でも角田光代が用意した物語のエンディングは予想と違っていて、生きる上で勇気をもらえるようなものだった。
 他人を理解するために臆病さに打ち勝つこと。そして自分の人生を切り開くために人間関係の中に居続けようとすること。そういうことを考えながらあとがきを読んでいた。乾燥機はとっくの昔に止まっていた。

 そうそう、角田光代は神奈川県出身らしい。前の記事でも書いたけれど、私は現在箱根の旅館で働いていて、休みの日には小田原や湘南、そして横浜へと繰り出している。『対岸の彼女』の中では高校時代の葵が同級生の魚子(ななこ)と横浜を歩き回るシーンがある。そして静岡の海沿いの民泊でバイトをする場面もある。最近の私は熱海や三島、伊豆にも行っているので、何となく土地勘のようなものができていて、その分楽しめた。人生の中で、たくさんの場所や物を知っていけば、文学をもっと楽しめるようになるのかもしれない。それだけでもこの世の中は生きる価値があると思う。
 
 
【今日の音楽】 
この記事を読んだ人にオススメ
 
シェアしてください。よろしくお願いします。
最後まで読んでくださってありがとうございます。

#181 緊張とお風呂と本

 あと数時間で誕生日を迎えるというのに私は浴槽に浸かりながら芥川について考えている。箱根の旅館。働いているスタッフはお客様と時間をずらした深夜帯に入浴できることになっている。私はお風呂が好き。でもここでは、一度建物を出て、大浴場のある姉妹館まで行かないといけない。炊事場とバックヤードを通りエレベーターに乗り込み、4階まで。いささか不便。お風呂にたどり着くまでに頭を下げないといけない回数が多すぎる。私は仕事を終えているけれど、炊事場ではまだ食器を洗っている人がいて、そういう人を無視するわけには行かない。けれど元気よく「お疲れ様です」なんて声を掛けるのは、空虚さをわざわざ増幅してしまう気もする。でも何も言わないのもおかしいと思う。だから遠慮がちに「お疲れ様です」と消え入りそうな声で言う。そうなのだ。私はずるい人間なのだ。

7月になったけれどまだ紫陽花は咲いている
 大きなお風呂というのはいつでも最高。なのだけれど、少し飽きてきた。良い風呂だとしても毎日入るには遠すぎる。仕事が終わってすぐにお風呂に入れないのは夏場はきつい。ネクタイとワイシャツをして お皿を運んで、仕事中はずっと汗だく。なのに、仕事を終えてから入浴まで1時間弱待たないといけない。寮の最上階にある自分の部屋に行って着替え、浴衣を着て外へ出る。暗い道、蛙の声。「失礼します」と言って網戸を開けて厨房へ。エレベーターはすぐ来ない。後ろからは食器を洗うカチャカチャという音が聞こえる。まだ働いている人がいることに後ろめたさを感じる。感じなくてもいいのに。生きにくいなあと思う。そういう「感じやすさ」みたいなのは文章を書くときには武器になるかもしれないけれど、社会で生きるのには不向きだ。今までの25年でわかったのは、自意識過剰が高じた時、私は失敗する傾向があるということ。周囲の視線を気にするがあまり、すべきことをできなかったり、言うべきことを言えなかったりする。勿体無い。そこまで緊張することはないのに。中学校でも高校でも予備校でもずっと緊張していた。今もリゾートバイトまで来てずっと緊張している。失敗するのが怖い。
 
 今のところお風呂が唯一リラックスできる場所だ。10時から12時なんて時間は誰も使わないから、好きに使える。歌うこともできるし、泳ぐこともできる。走っていって飛び込むこともできる。絶対しないけれど。仕事の場所と寮が同じ建物ということは、割とストレスで、しかもお客様と鉢合わせしないように仕事以外の時間も割と気を遣わないといけない。来週には慣れるのかもしれないけれど、未だに緊張する。部屋も狭いし、匂いにまだ慣れない。最上階だから暑い。そろそろエアコンを入れないとしんどい季節になる。昨日は仕事が終わって寮に帰ったら29℃もあった。

台湾旅行時に行った南東部、知本の温泉
 エアコンを入れないといけないなあと思いながら、エアコンから吐き出される風がかび臭かったら嫌だなあと思っている。実際部屋を開けたところの廊下にはカビが生えている。ダイキンのエアコンも何年も掃除されていないように思える。憂鬱だ。でもそろそろエアコンなしでは寝られないような季節になる。アレルギー体質だったり、喘息持ちだったりするのは、結構生きてて辛い。
 
 わざわざ違う建物まで歩いて行ってお風呂に入るというのは、面倒だけど気分転換にもなる。お風呂場は明るいから、脱衣所にある椅子に腰掛けて本を読んだりしている。この2週間で読んだ本は、大体脱衣所と洗濯機の前で読んだ。谷崎、西加奈子、そして芥川。
 大浴場やお風呂のシーンが出てくる小説が好きだ。『乳と卵』で姉妹が湯船に浸かりながら人々の体について品評するシーンも好きだし、最近読んだ西加奈子の「炎上する君」も物語の最後に起きる事件は高円寺の銭湯でだった。西加奈子は『窓の魚』でも温泉付きの旅館について書いている。もしかしたら西加奈子はお風呂が好きなのかもしれない。他の作品も読んでみよう。あと三浦しをんの『君はポラリス』の中にある「森を歩く」も、冒頭はアパートの狭いお風呂にカップルで入るシーンだった。映画なら『バーバー吉野』でお父さんと息子が家の風呂で狩人の「あずさ2号」を歌うシーンが好きだ。銭湯じゃないけど、『百万円と苦虫女』の蒼井優森山未來を好きになってコインランドリーでぼおっとするシーンも好きだ。

 それでも毎日使っていると大浴場にもだんだん飽きてきている。人間は勝手だ。大きな湯船に自分だけ。時々虚しくなる。初めは物珍しくて毎日行っていた露天風呂も、何日も行っていない。暑くなってきたから虫がたくさんいるだろう。そう思うと行かなくていいやと思う。いつでも行けるし。
 今日もお風呂に行く。別館まで歩いて、炊事場を通る。いつ行っても人がいる。飯炊きの人、皿洗いの人。何も変わらない毎日。適当に「お疲れ様です」とか言ってエレベーターに乗って、誰もいない廊下をお風呂まで歩く。もうかなりマンネリ化している。昨日は備えつきのボディーソープではなく、家から持ってきた石鹸を使った。匂いが変わるかなと思ったけれどあまり変わらなかった。今日は自分のシャンプーを使う。温泉の質のせいか、シャンプーのせいか、髪がバサバサになっている気がする。乾いた感じ。明日は昨日バイトを辞めたS子さんに頂いたボディーソープを使ってみよう。シトラス系の香りだから、気分が変わるかも。
 
 箱根の温泉なんてみんなが入りたいだろうに、毎日入っているとマンネリ化してくる。何か面白いことが起こらないかと思う。もし私の毎日が西加奈子の短編だったら、今日のお風呂には大きな赤いダルマが浮かんでいると思う。ダルマはお湯の中では浮いていて、ゆらゆら揺れて軽そうなのに、いざお湯から引き上げようとすると重たくて引き上げられない。

箱根の霧
 もし書き手が芥川なら、お風呂の中に幻覚が見えるのだろう。自殺した私の友人の顔がお風呂の湯気に浮かんで消える。あるいは脱衣所には私以外の誰の服もないのに露天風呂から誰かが上がってくるとか。西加奈子が湯船に残した達磨と格闘しているうちにダルマの国へと引き摺り込まれて、そこで人間の世界と鏡写しのダルマの社会を私目にするかもしれない。
 早く河童の続きを読みたいなあと思って湯船に浸かっている。湯船の中と、フィクションの世界の中でのみ、私の緊張は少し弱まる。箱根に来て2週間、毎日本を読んでいるけれど、これは現実逃避なのだろう。忙しい仕事から離れて束の間だけでも別の世界に行くことが必要なのだ。でもそれに熱中することでリラックスできる。不思議だ。現実世界からは離れられないのに、フィクションに心奪われるなんて。

孤独
 今読んでいるのは新潮文庫から出ている『河童・或阿呆の一生』だ。死ぬ前に、精神的に疲弊して薬物中毒になっていた彼の作品は、それまでの文章にあった気楽さや余裕が消えて、焦燥感に駆られて書いているような気がする。何かしらに焦っていて、自分を認められないまま、格闘している感がある。もう少し長く生きて、色々経験したら、彼はもっと違う文章を書けただろうと思う。50代になった芥川の文章など読みたかったなと思う。勿体無い。
 
 
 
【今日の音楽】 
 
この記事を読んだ人にオススメ
シェアしてください。よろしくお願いします。
最後まで読んでくださってありがとうございます。

#180 幸せってなんだろう

 ラッキーオールドサンの曲「フューチュラマ」の歌詞にこんな箇所がある。
「幸せって何だろう? 青梅行きのホームで」
関西出身の私はわざわざ東京に行って、中央線のどこかの駅に降りて、歌詞の通りに青梅行きの電車を待ってみたけれど、別に幸せは見えなかった。見えるものではないと知っていても、なんだかがっかりした。そんな私に頭の中の金子みすゞが「見えぬものでもあるんだよ 見えぬけれどもあるんだよ」と呟き、私は来た電車に乗った。
 今、リゾートバイトで箱根の旅館で働いている。一泊25000円以上する旅館。私はまだ新人だから、午後のシフトしか入らせてもらっていない。基本的に夕食の準備と配膳がメインの仕事。その他に仕事は山のようにあるのだが、基本的には夕食しかやらせてもらえてない。最初は、お部屋に配膳する夕食について覚えていく。メニュー、お皿の並べ方、料理を紹介する口上。それが今週の主な仕事だった。献立には知らない日本語がたくさん出てくる。迎腕、絹かつぎ、道明寺蒸し、香物。

「今日はどうされたんですか?」とお客さんに聞くとよく話題に上がる大涌谷
 四半世紀以上、日本語を母語として生きてきたのに、まだ知らない言葉がある。それってすごいことだ。私は覚えたての言葉を嬉々として使う。お客様はそれをフンフンと聞いている。「説明なんていいから早く食べたいなあ」と何人かは内心で思っているだろうけれど一応一通り話す。何層にも重ねて作られたサーモンの花造りに使われている食材は何か。絹かつぎとはどういった料理なのか。十割蕎麦の一口目は風味を楽しむために水に潜らせた方がいいとか。説明に次ぐ説明。
 説明を聞いたからといって料理が美味しくなるわけではないけれど、味わい方やエピソードを知った方が料理は楽しくなる。食べ方もわかる。正直、食べ方に正解なんてないと思うのだけど、そういうことを言うのが今の仕事だ。そうした「説明」がサービスであり、付加価値である。お客様が楽しんでいるのがわかる時、リアクションがあった時は嬉しい。
 
 自分の旅行について考える。自分がどこかにいく時、泊まるのはゲストハウスであって、旅館ではない。お風呂に入りたければ銭湯に行く。ご飯を食べたければコンビニや中華料理屋に行く。ゲストハウスはオーナーや旅人と語らう場所で、時々バーが併設されていて、たまに可愛い猫がいて、DIYで作り直した古民家であることもある。それが私が優先する価値である。「高級料理」は私の中で順位は高くない。むしろ低い。だから私がお客としてこの旅館に来ることはないと思う。料理の説明をされてもむず痒くなるだけだ。自分のテーブルマナーの酷さに恥ずかしくなるだろう。

山形にある大好きなゲストハウス「ミンタロハット」
 歯の浮くようなセリフを毎日言っている。自分がそんなセリフを言うようになるなんて。「かしこまりました」「ただいまお持ちいたします」「のちほどお部屋に伺います」「こちらにご記入お願いいたします」
 今まで接客のバイトをほとんどしてこなかったことを実感する。接客の経験が少しでもあれば、これほどまでに違和感を感じなかっただろう。大学生以降経験した接客のバイトは2つ。イベントスタッフと新入生向けのアパートの紹介しかない。障がい者向けのショートステイはある意味では接客だけれど特殊すぎる。「接客バイト」というより「介護のバイト」と言うべきだろう。

 箱根に来て、食事からお風呂から何から何までやってもらって寝て帰る。それが幸せの形なのだろうか。その感覚があまりわからない。ただ、働いていると、自分のしていることがお客様に喜んでもらえていることを感じる瞬間があって、そうした時は感動する。関西にずっと住んでいた人間が箱根の旅館で泊まりこみのバイトをしている。そして日本全国から来た人をもてなす。料理の配膳や紹介。小さなコミュニケーションを通じて束の間だけ心を通じ合わせる。夕食を出す人、出される人。少しだけ人生が重なって、また離れていく。その繰り返し。理解し合うほどまでに近づくことは決してない。それでも通い合わせた何かに毎日のように感動する。前のバイトでもそうだった。多分次の仕事でもそうだ。

梅雨の時期だからか箱根では毎日のように霧が出る
 もしお客様が源泉掛け流しのお風呂が各部屋にあるような旅館に泊まることを、料理が数回に分けて部屋に出されるような旅館に泊まることを「ステータス」だと思っているならそれは理解できる。男女で来て、一緒に数時間過ごし、思い出を作る。思い出を作るのに厳選掛け流しのお風呂も、大涌谷の名物である黒たまごも必要ないように思うけれど、でもそうして目に見える形にしないと幸せは共有できない。自分が文章を書くのもきっと同じようなことだ。相手が大事だから。大事な人と過ごす旅館なら「いいもの」にしたいから。思い出に残るから。高いステータスが選ばれ、今日も私は夕食の説明をする。来週からは朝食の説明もするだろう。起きられるか不安だ。

京都三条大橋のスタバ
 ある人が、1週間に一度スターバックスでフラペチーノを飲み、その写真をインスタグラムに投稿することで自分を保っていると言っていた。その気持ち、私はよくわかる気がする。
 中学時代、自分の尊厳を守るために勉強していた時期があった。高校になってから半ば信仰のように映画を観ていた。中学受験した進学校で周囲との間に貧富の差や文化の差を感じた私にとって、勉強こそが周りに勝つ手段だった。高校では、大学進学に向けて勉強ばかりしている同級生が馬鹿みたいに思えていた。芸術系の仕事をしたいと思っていたから、感性が若い時期になるべく沢山のものに触れようとしていた。結果的に私は25歳でいまだに何者にもなれていないけれど、勉強熱心で感受性の豊かな人間にはなった。これから先、腰が曲がり、顔がどれだけしわくちゃになろうとも、目だけはキラキラしていると思う。死ぬ間際になってきっと後悔する。何者にもなれていないだろうから。

鳩も何かになりたいと思っているのかなあ
 他人から舐められないために、また自分を信じるために、インスタにスタバの写真を投稿することは必要なのだ。学校の成績という揺るぎない物差しも同じ。学校をサボって映画の感想を書いたノートでさえ、自分を保つために必要だった。
 社会から祭り囃されるもの。学歴、収入、家庭の有無。学歴以外、そういうのに無縁なので、代わりとなるものを探さないといけない。メインストリームを歩かないから、歩けないから。他の道を探して、その道に沿って進む自分を信じないといけない。舐められないためにも大丈夫なように振る舞わないといけない。久しぶりに会った別に仲良くもない友達。「シゲ、そんなので大丈夫なの?」「うちの親が心配してたで」「フリーターとかやばいやん」
 正直、もう同窓会にも野球大会にも行かなくてもいいかなあと思っている。会いたい人は連絡してくるだろうし、会いたい人には連絡するし。気難しくてごめん。

去年の今頃、大学から高校まで歩いた
 来月、友達の結婚式に出席する。いわゆる「幸せ」を体現したかのようなビッグイベント。その友人が幸せであることを私は心の底から願うし、彼が悲しい時は私も悲しい。それでも家庭にコンプレックスがある私にとって、劣等感に苛まれるイベントになる気がする。悲しい。本来友人を祝福し、幸せを願うための行事なのに、私は自分のことばかり気にしてしまうような気がする。私は未熟で自分勝手な人間だ。申し訳なくなる。主役は彼と彼女なのに。

この写真は結婚式ではない。尾道のお祭りの写真である。
 この前、初めて母親の結婚式の写真を見た。古いアルバム。父親の写真はほとんど全て抜き取られていて、唯一彼の顔が写っているのが結婚式の写真だけだった。この書き方で察して欲しいけれど、私は母子家庭で育った。父親は遺伝子と養育費とウルトラマンの本以外、何も残してくれなかった。彼は脳出血の後遺症で医師として働けなくなり、引きこもった挙句、近畿地方のどこかのアパートで孤独死を遂げ、警察に発見された。結婚式に出席した友人の、誰とも連絡を取っていなかったらしい。私は「会いたい」というメッセージを送ったけれど、彼は拒否した。だから私は父と3歳以降会ってないし、写真以外の父をうっすらとしか覚えていない。この前、お骨になった父に手を合わせに行った。写真に写った人は、全然知らない人だった。みんなが色々な意味を込めて言うであろう「ご冥福をお祈りします」という言葉に、何の気持ちも込められなかった。いけしゃあしゃあと思ってもいないことを言う自分に、乾いた笑いが込み上げ、漏れそうになった。
 あるいは祖父母のこと。最後まで恨み言を言って死んだ祖母と、何もわからずに能天気な祖父。孫から見てもわかる。彼らの結婚は幸福だったとは言い難い。生まれてきてしまった私は一体なんなのだろう。私が生まれてきた意味とは? 私は誰のための何なのだろう?

いつかの年の暮れ。祖父、母、私
 きっと私は友人の結婚式に出席して彼を祝福しながら、頭の隅で自分の家族について考えるのだろう。今から考えてもそれは憂鬱で、友人に対して申し訳なく思う。私よりもふさわしい出席者がいるのではないだろうかとさえ思う。ただただ同じ部活にいたからという理由だけで呼ばれる自分よりも、より純粋に彼と彼女を祝福する誰かがいるに違いない。くだらないブログで幸せに水をさすようなことをしない誰かが。こんな文章、きっと書くべきではない。

結婚式をするならモエレ沼公園みたいなところでやりたい
 きっと同級生や部活のチームメイトと顔を合わせる。どうせ話題もないだろうし近況を確かめ合うのだろう。お互い別に興味もないだろうに。喫煙者であるフリをして「ちょっとタバコ吸ってくる」とか言って式中に散歩できたらいいのに。会場は大阪城が見える場所らしいから、京橋の近くを歩いてそのまま遊覧船にのってどこかに行ってしまいたい。あるいはお酒を飲みすぎたフリをするとか。
「結婚おめでとう」や「幸せな家庭を築いてね」を、私は心の底から言える気がしない。家庭にコンプレックスがある人間からしたらそんなのは全てチクチク言葉だ。
「たくさんいいことがあるといいね」なら心の底から言える。だからそう言う。ここに書いたことなど全て考えてないような顔をして。

高校のグラウンド
 幸せになるために結婚する人や、幸せになるために高級旅館に泊まる人がいるとしたら、それはお馬鹿で悲しい人だと思う。でもそんな人は世の中にたくさんいる。父の姉は「結婚ができて、こんなお嫁さんがいるなんて幸せだねえ」と父に言い聞かせていたらしい。馬鹿な人たちだと思う。でも、そういう風にして「見える」ようにしないと伝わらないこともある。共有できないこともある。なぜなら感情に対する解像度は皆それぞれ違うから。仕方ないことだともちろんわかっている。
 高級料理を出した後で、コンビニに行ってガリガリ君を食べる。何通りの幸せがあってもいいと思う。タバコが吸いたい。今の職場ではみんな吸ってる。

大学の建物。ここにくると何となくタバコが吸いたくなった。

 

 

 
【今日の音楽】
 
この記事を読んだ人にオススメ
シェアしてください。よろしくお願いします。
最後まで読んでくださってありがとうございます。

#179 定点観察伊坂幸太郎(2)『魔王』

このコーナーは、伊坂幸太郎を2021年から読み始めた私が、伊坂幸太郎の作品を読み進めるごとに備忘録を残していくという企画です。あまり下調べなどはせず、感じたことをそのまま書こうと思います。
第2回は『魔王』です。講談社文庫から出ているものです。

#178 定点観察伊坂幸太郎(1)『PK』

このコーナーは、伊坂幸太郎を2021年から読み始めた私が、伊坂幸太郎の作品を読み進めるごとに備忘録を残していくという企画です。あまり下調べなどはせず、感じたことをそのまま書こうと思います。
記念すべき第1回は『PK』です。講談社文庫から出ているものです。

#177 セルフネグレクトして死んだ父のこと

 父が死んだ。
 本当に死んだ。嘘みたいだ。去年の7月に自分が交通事故に遭った時も嘘みたいだと思ったけれど、それと同じくらい信じられない。
 
 5月の2週目の火曜日。夜。普段は来ないSMSのメッセージが来ていた。父の姉だった。
「あなたの父親について連絡したいことがあります。電話でお話ししたいです」
どう考えても良くないことが起こったのは明らかだった。父親が私に会いたくないのは知っていた。だから次に会う時はお葬式だろうと思っていた。面倒だなと思う間に30分が経過して、このままかけずにいたら何年も経ちそうだった。仕方なく電話をかけて、案の定父親は死んでいて、驚くことに私は何も感じなかった。本当に何も。ゼロ。相手は涙ぐんでいる様子で、鼻炎であることを良いことに私は時々泣いているような声を出した。そんな風にする自分が嫌だと思った。
 
 半年近く父は誰とも会うことを拒んでいたみたいだった。ある晩にマンションの火災報知器が鳴って警察が部屋毎に住人を訪ねた。インターホンを押しても誰も出ない部屋があって、ベランダから警察が中に入った。異臭が察知され、中で死んでいる男が発見された。それが父だった。
 
 そこから父の姉へと連絡がいった。DNA鑑定。そして私へ。死後1ヶ月経った部屋がどういうものなのか知りたくてネットで調べた。一般清掃と特殊清掃。フローリングがどういう風に汚れるのか。虫はどういった風にわくのか。遺されたものがどう処分されていくのか。「セルフネグレクト」という言葉も初めて知った。
 
 誰にも相談できなかった。相談しても、結局のところ、私は何も落ち込んでいないように振る舞わないといけない。それが辛かった。父が死んだこと自体は、正直全然ショックではなかった。ただ、自分のこれまでの人生を、父の記憶が全くないままに生きないといけない事実を再確認しないといけないことが辛かった。
 
 親戚に相談した。その人はその人自身が家族について抱く不満を伝えてくれたけれど、正直それは迷惑だった。自分の地獄とその人の地獄。二つが釣り合うはずもなく、比べられるはずもない。その人が地獄を抱えながら頑張っているという事実は、私も頑張らないといけない理由にはならない。悲しみは比較されるべきではない。自分の不幸でマウントばかり取ろうとしている人たち。大学の先生もそんな人だった。愚痴を一方的にまくしたてることを、親密さが現れと勘違いしている人。依存の関係にあった過去の人たちを思う。弱い人が弱い人を搾取する構造。でもそこに明確な線はない。それから、共有されたとて悲しみはぴったりとは重なり合わない。相手は「同じ」立場に立って寄り添ってくれるつもりかもしれないけれど、私は「違う」ということを思い知らされるだけ。
 
 幼稚な疑問ばかりが浮かんでくる。最後に父が考えていたことは何だったのか。最後に食べたご飯は。最後に話したのは誰? よく行ったコンビニはどこだろう? 明らかに死んでいる人もやはり最初は救急車に乗せられるのだろうか?
 
 伝わってくる情報は全て、父の姉を経由する。彼女の意見は偏っている気がする。いつも父親をまるで10歳児のように話している。彼女は中学生以降の彼のことをどれだけ知っているのだろうか。過保護だったのだと思う。姉と弟。彼らにとっての父親は早く死に、目が悪い母親も、働けなくなった。父の姉は、高校生の父の三者面談にも行っていたらしい。そうした背景を知っているから一方的に非難はしたくない。ただただわからないことがあまりにも多い。父は自分の意見をどれくらい持っていたのか、どうして結婚しようと思ったのか。自分の子どもが生まれて嬉しいと本当に思っていたのか。父親のことはいつも二次情報。母から、祖母から、伯母から、そして父の姉から。祖父に至っては、私に何も教えてくれたことがない。まあ、それが祖父のいいところでもあるのだけれど。
 
 母や祖母の言うことに従いたくなかった時、家にいたくなかった時、父親のことを考えていた。なぜ会いに来てくれないのか不思議だった。裁判までして、面会する権利を彼は勝ち取ったというのに。本当に何もなかった。そのことをおかしいと思ったことはなかったのか。子どもを持つことの責任とはなんなのか。養育費を払う。年に一度母から送られる私の成績を読む。果たしてそれだけでよかったと思うのか。良心の呵責は?「私があなたなら、」と言いかけてやめる。私は父親にはならないだろう。なったとしてもあなたと同じことはしないだろう。
 
 強く会いたいと思ったのは高校1年生の時。私は高校を辞めようとしていて、家族の誰とも、祖母とも母とも伯母とも伯父とも話したくなかった。高校の誰とも話したくなかった。全員嫌いだった。急に世界の中で自分だけが独りになったような気がしたあの頃。
 私の中には父親から受け継いだ素質や、ある種の特性のようなものがあって、だから家族に拒絶されるのだと愚かにも思い込んでいた。映画と本、それと音楽だけが味方だった。でもそれだけでは満たされず、「父親のように」語りかけてくれる存在が欲しかった。
 
 進路に迷っている受験生の時、急に父親の意見を聞いてみたいと思った。私は「これから」を決めるのに「これまで」を知らなかった。母方の家族にはそれぞれの歴史があって、祖父の受験のことも、祖母が教師の資格をとったことも、知っていた。でも父方は、本当に何も知らなかった。
 
 幼いながら父の話題はタブーだと思っていた。父といる時の母がいつも楽しそうではなかったのを覚えているし、何度も話し合いをしていた。母を傷つけたくなかった。母子家庭はどこも父と子が会えないものだと思っていた。大学生になって、離婚しても自分の子どもには会いに行く人の存在を知った。その時はすごく驚いた。
 
 当時持っていた情報は、7歳までの自分が持っていた名字と父親の職業、それに働いているであろうエリアと住んでいる県。母親から父の名前を聞き出し、インターネット空間から父の写真が奇跡的に見つかった。がっかりした。全然似ていない。職場で撮った営業用の写真なのに、全く笑っておらず、睨んでいるようにも不貞腐れているようにも見えた。瞳にも口元にも全く表情がなくて、こんな人が父親であるはずがないように思った。授業中もやかましく喋らずにはいられない小学生だった私とは似ても似つかなかった。
 
 おそらくその時の彼は脳出血で倒れる前だったはずだ。その時には彼はまだ会いたいと言っていたらしい。脳出血になってリハビリが必要になって、一度は頑張るもののまた倒れる。2回目の脳出血でもう彼は働けなくなり、仕事も辞めざるを得なくなった。私が父の姉に連絡をとったのは2回目の脳出血の後だった。
 
「それで、あなたのお父さんは何も連絡をよこさないの?」
「うん」
「それならもう、捨てられたってことじゃない」
これは私が父に会いに行く一年半前の祖母との会話。父の病気を知る前の2016年4月。祖母の家のソファーでテレビを観ながら。祖母はその翌年に死んだ。
後になって深く傷ついた。大好きな祖母がそんなことを言うなんて。信じられない。でもまあその時も今も、捨てられたようなものだと思っている。だってそうでしょ。20年近く子どもに連絡をしないなんて。お金がないわけじゃないのに。
 
 大学2年目の時、全部嫌になって休学した。サークルも、つまんない大学も全部投げ出した。父親の仕事場に電話する。彼はもう仕事を辞めたと聞かされた。市役所に行って戸籍のコピーをもらう。隣の隣の県の住所。電車に乗る。乗り換える。駅から降りる。ああ、昔見た景色。駅前のロータリー。
 
 てっきり父か父の母親が出てくると思っていたのに知らない女の人が出てきた。父の姉だった。全部説明してくれた。脳出血で2回倒れたこと、小さい頃の私の思い出。私と母がある朝突然いなくなっていたこと。養育費を毎月払っていたこと。目が悪い父の母がその額について語りあきらかなため息をつく。父の姉がそれを嗜める。父の姉も父の母も私を責めたりしない。むしろ来てくれてありがとうって言っていた。 複雑だった。この人たちが母を苦しめたことは知っていた。それを、そのわだかまりをまだ私も二人も引きずっていた。過去は精算できないとしても、今日の楽しい思い出を覚えていて欲しかった。成長して、ちゃんと育った私を知って欲しかった。目の見えない老人の腕をとって私の顔を触らせてあげた。それが父方の祖母と会った最後。
 
 父が倒れて入院していること。回復は難しそうなこと。会わないでほしいという父の姉の願い。それは父が退院してからも同じだった。父は明らかに私と会うことを拒み、それを父の姉が私に伝えた。もらったDari K の父の姉が着ていたチョコレートとヴィトンの大きすぎるロゴ。
 私は父と会うことを諦めた。父を傷つけてまで、父の姉を傷つけてまで、病院へ会いに行こうとは思わなかった。私の中の父はその時に死んだ。だから次に会うときはお葬式だろうと思っていた。もしかしたら会いにいけばよかったのかもしれない。間違っていたのかもしれない。
 
 それから4年と少しが経って、父の姉からの電話。訊きたいことはたくさんあった。父親らしいことを何もしていないこと、会ってくれなかったこと、記憶の中にすらいてくれなかったこと。どうして結婚したのか、どうして子供を作ろうと思ったのか。自分の生に疑問を持っていた頃、知りたかったこと。
 
 おそらく食生活もめちゃくちゃでタバコも吸って、自暴自棄になっていたのだろうと思う。医者なのに2回も脳出血を起こすなんて。働けなくなってアパートに篭って電話も電源を切って手紙も読まない。最後は死因すらわからない。
 過干渉な姉からも病気になった自分自身も離婚した過去も全てから目を背けて逃避したのだろうか。状況から推測するに、そうなのだろう。一度くらいは私のことを思い出しただろうか。母と夜逃げしたのは4歳になる前で、名字が変わったのは7歳。その間に裁判までしてあなたは私に面会する権利を勝ち取ったというのに。何のための裁判? 母に嫌がらせをしたかったの?
 
 一度でも会えばいくらか違っていたのだろう。合わなかったために私の想像は止まるところを知らずに広がり続ける。そっちが何も言わないのだから、私が考えてあげないといけない。ずっと二次情報ばかり。私にとってのあなたは、いつも誰かが語るものだった。母や母の姉、祖母、そして父の姉。いつでも会えたのに。
 
 父が死んだこと自体はショックではなかった。ただ、自分の人生を再確認する作業だった。こうやって感じ考え、そしてこうやって生きて死ぬ。両親が揃っている家庭が死ぬほど羨ましかった中学時代のこと。自分の短所を全て父親の不在のせいにしたかった長い年月。一つひとつ思い出して、こんなことを考え続けないといけないことに嫌気が差してしまった。
 
 また父の実家に行く。遺影に手を合わせる。全然知らない顔。数年前に見つけた写真と比べるととても痩せていて同一人物には思えなかった。父の姉は私と父の共通点を見つけ出そうと一生懸命だったけれど、正直鬱陶しかった。父の話を聞いても何もピンとこない。「本当の」父はもうどこにもいないから、聞いても仕方がないなと思う。父の姉によって着色されたエピソードに叩いて意味があるのだろうか、とかそんなことを考えている。香典は断られた。受け取らないことにしているみたいだ。もうそれすらも疑ってしまう。私の香典だけ断っているのではないのかと。本当の父をどこかに隠しているのではないかと。だいたい本当に父は死んだのか?
 
 父だった骨にも何も思わなかった。父の姉にも人生があって、その人生にも地獄があるのだろうとは思うけれど、それは共有されることも分り合うようなこともなくて、ただ一瞬人生が交差しただけで、また別の物語が続く。
 
 帰る。最寄り駅まで歩く。関係なかったはずの戦争に巻き込まれて、その戦後処理をさせられている気がした。緑が眩しい。暑い。黒いネクタイを解く。少し腰掛ける。スーツが汚れるかもしれないけれど今はいい。お城がある。友達の出身高校がこのお城の中にあるとか、この街は私の好きなバンドの出身地だったとか思う。思うだけ。
 
 また電車に乗って2時間。家に帰って荷物を置く。服を着替える。そういえば今日は暑かった。シャツを洗う。干す。歩く。歩いても歩いても何もわからない。ただ海まで歩いて風と暗闇を感じる。私の住む街に海があってよかった。波音も海から吹く風も、揺れる草の音も、私を包んでくれる気がした。もう全部どうでもいいかもしれない。
 
 
〈あとがき〉
当然、悪態をつきながら書いています。
読んでくださってありがとうございます。
 
【今日の音楽】 
 
この記事を読んだ人にオススメ
シェアしてください。よろしくお願いします。

#176 ミスドで大学生活を振り返ろう(7)東北編

 ミスタードーナツについて自分の大学生活を振り返るこの試みもこれで最後。今回はざっくり「東北編」とした。関西のショップには結構行っているけれど、他の地方のミスドにはほとんど行ったことがない。実は長い間、ミスドは関西によくあるもので、他の地域にはあまりないのだと思っていた。この前、東京に行って、池袋駅に3つもミスドがあることを発見して驚いた。いつか東京のミスドも開拓したいけれど、そんな日々は来るのだろうか。
 ミスドについて書いたこのシリーズは今回でとりあえず終わるけれど、いつかまた再開するかもしれない。ちなみにミスドは全国に960店舗あるらしい。閉店したものも含めて27店舗、このブログでは紹介した。それでも全国の3%にも満たない。
 
 
 
イオン米沢ショップ(ショップNo.0855)

 2018年の1月から2月。免許合宿で行った山形県米沢市。とても楽しかった。何人か友達ができて、いまだに連絡を時々取ったりする。本当に時々。頻度は減ってしまった。ちなみに自分がInstagramのアカウントを作ったのもこの免許合宿がきっかけである。「シゲはインスタ持ってないの?」って良く聞かれたから。
 どうなんだろう。今更ながらあの時の自分は勇気もあって、アクティブだったなと思う。相部屋で誰かと2週間。2018年の自分、結構すごい。なんて2022年の自分は思う。とても雪が降った年で、雪国を知らなかった自分は運転するのがとても怖かった。道路の脇に積もった雪で車線が狭くなり、路面上の標識を信じているだけでは事故になりそうな場所だった。「何をしてる飛ばせ!」と言われて、泣きそうになりながら雪道でアクセルを踏み続けたことも何度かある。教官の置賜弁がわからなかったり、ボソボソ喋るのが聞き取れなくて、その都度聞き返し、車内に気まずい空気が流れたこともあった。

 同室になった友達がラーメン好きで、この頃からラーメンを食べるようになった。友達が教えてくれるメンマの話とか、一緒に食べに行った赤湯の辛みそラーメンも、教官に教えてもらって行った中華そばの店も、懐かしい。いつかまた行きたいし、また友達とも会いたいなと思う。(もし読んでいる人がいたらいつでも連絡してね!)
 

shige-taro.hatenablog.com

 

 雪の積もる世界が面白くて、授業や教習のない日は良く歩いていた。歩くのが楽しかった。上杉神社の、雪のせいで誰かわからない石像の数々。猫の足跡。小学校の横を通りながら、雪国で育つ経験は関西で育つ経験とずいぶん違うんだろうなあなどと思ったりした。

 ウォークマンを持って行っていた。この頃よく聴いていたのがジッタリンジン相対性理論。日常なのに非日常の中にあるようなふわふわした感覚。そんな感覚を持ってずっと歩いていた。雪道を歩いていれば靴がびしょ濡れになってしまう気もするが、そんな記憶もないからきっと大丈夫だったのだろう。ナイキの革の靴を履いていた気がする。
 ミスドは、教習所から見て街の反対側にあった。どうせここでもノートを広げて色々書いていたのだろうと思う。あの頃は色々思うことがあって書くことがあった。
 
 
 
郡山駅前ショップ(ショップNo.1949)

 その免許合宿の帰り、郡山を通った。郡山からしか関西に向かう夜行バスはなくて、米沢から福島駅、そして郡山駅。友達が銀山温泉に行かないかと誘ってくれたのに「もうバスのお金を払っているから」と言って断ったのをまだ後悔している。数時間後にラインのグループチャットが動いて友達が雪の中の銀山温泉の写真を送ってくれた。同じ時間に私は郡山市内をぶらぶらして、全く雪のないことに驚いていた。電車に2時間乗っただけでこうも世界が違うなんて。米沢市にいた2週間で雪に慣れてしまっている自分にも驚いた。

開成山公園
 本当に意味もなくただただ西へと歩いて、開成山公園でぶらぶらして、また駅まで引き返した。やることがなくて、駅前でラーメンを食べた後は、ツバメノートのお気に入りのやつを買って駅前をまたぶらぶらしていた。夜行バスの時間は遅かったから、まだ時間が余っていて、結局ミスドに入ることにした。やっぱり銀山温泉に行くべきだっただろうかと考えながらコーヒーを飲み、ノートを書いていた。店内には数人しかいなくて高校生が勉強していた。
 
 時間が来て、駅の東西を結ぶ連絡路を通って駅の西口から東口に行った。郡山駅の東口は、真っ暗で、深夜とはいえまだ明るい西側と比べるとなんだか悲しくなってしまうような光景だった。雪が降ってきて、これならばもう少し長い間ミスドの暖かい店内にいればよかったと思った。オレンジ色のナトリウム燈に雪国らしさを感じ、降る雪を見上げながら、仲良くなっても別れないといけないことの悲しさについて考えた。まあでも人生ってこんなもんだよなって思って、夜行バスに乗った。あまり寝れなかった。

ナトリウムランプって世界で一番綺麗なものの一つだと思う
 
 
 
仙台勾当台ショップ(ショップNo.0528)

 何回来たかわからない。仙台に行くたびに来ているような気がするし、一回しか来ていないような気がする。いつも2階のカウンター席で食べる。商店街を歩く人を見下ろしながら。
 ウィキペディアにあるミスタードーナツの記事には「仙台市にあるミスタードーナツの店舗」として、店舗外観の写真がある。少し勾当台のミスドと外観は似ているけれど別の店舗。写真の店舗はもう閉店したらしい。
 今もいるのかはわからないけれど、仙台で学生をしている友達がいて、仙台に行くときはその友達に連絡して良く会った。彼の部屋で飲んだアルコールの味とか、話したこととか、まだうっすら覚えている。でもいずれ忘れるだろう。悲しい。
 最後に仙台に行ったのは去年の10月。その前は2022年の3月。すぐにでも仙台には行きたいけれど、友達がまだそこにいるか定かではないし、それに今はお金がない。
 仙台の思い出は本当にキリがない。駅東側にいい中古書店があったり定禅寺通りのけやきが綺麗だったり。勾当台公園の近くには美香園という広東料理のお店があって、わざわざ有名らしい麻婆焼きそばを食べに行ったこともある。牛タンとかずんだ餅とかではなくて、麻婆焼きそばを選んだのは、普通に尖っていたのだと思う。他とは違うことがしたかったんだろう。一応、ゲストハウスの人に訊いて手頃なお店に行って牛タンを食べたこともあるし、駅構内にあるハチでナポリタンも食べたことはある。ハチのナポリタン、時々サンドウィッチマンがテレビで紹介するお店。


絶対に美味しいので迷ったら食べるべき

定禅寺通り

せんだいメディアテーク
 2020年の3月。栗原市に向かう前に仙台を歩いた。見つけたミスドに入って時間を潰して、待ち合わせた友達とハチで食べた。悠長にコーヒーを飲むつもりが、予定より早く友達が用意してくれて、急いで店を出た気がする。この頃からミスドはプラスチックのストローを廃止しようとしていて、そういった「お知らせ」をレジで渡されたように思う。ああ仙台。また行きたいなあ。
 
 
〈あとがき〉
とりあえずミスドについて大学生活を振り返る企画はこれでおしまいにします。「こんな企画をやってほしい!」といったご要望があればコメント欄に書いてください。
なんか、お腹空いてきましたね。
 
 
【今日の音楽】
 
この記事を読んだ人にオススメ
 
シェアしてください。よろしくお願いします。