シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいる者です 文章を書くのを仕事にするのが目標です。夢は世界一周です

#173 ミスドで大学生活を振り返ろう(4)北摂編

 ミスド、おかわりができるのがいい。最近はコーヒーとカフェオレ、それに紅茶をドリンクバーで提供するお店もあって、ますます手軽におかわりができるようになった。おかわりをすればするほど、長居できるわけである。そして、トイレにも行きたくなる。ドリンクバーのコップは、耐熱の紙コップ。たっぷり入るのだけどしばらく飲んでいると、ミスドの陶器のカップが懐かしく感じられるようになる。不思議だ。
 今回紹介するミスドは外国語学部のキャンパスに近い4つのショップだ。大学の思い出とバイトの思い出が多めである。
 
 
小野原ショップ(ショップNo.0500)

一時期、食べかけのドーナツに芸術性を見出していた

 旧箕面キャンパスから最も近い場所にあるミスド。旧箕面キャンパスは、本当に山の中にあった。周りにあるのは住宅地と田んぼだけ。15分ほど歩けばモノレールの駅があって駅前には大きなスーパーとなぜかファミリーマートが2つもある。外国語大学だった頃は、この箕面キャンパスが本キャンパスで、学生は周辺に下宿していたと思うのだが、何も楽しみがなかっただろうと思う。実際、筑波大学と並んで学生の自殺者数が多くて問題になっていたらしい。A棟の何階にお化けが出るとか、お盆の時期に無数の幽霊が外大坂を降りていく話とか、不自然な位置にある自動販売機はその下に血痕を隠しているとか、そういうのがまことしとやかに語られていた。在学中の目撃談を授業中に語る、デリカシーのない先生もいて、授業中に気分が悪くなったりした。

誰も使わなくなった弓道場に竹林が迫る

 大学を辞めようとしていた頃は、将来に対して明るい気持ちを持てなくて、自分もいつかここのキャンパスで自殺したくなるのだろうかと思っていた。2018年も2019年も、高い階まで上がって窓を開けたら直ぐじゃないかと思っていた。でも前例があるから、どの階もどの窓も鍵は厳重に閉まっていた。

箕面キャンパス
 2020年、私は旧箕面キャンパスから徒歩10分の場所に住んでいた。時々夜中にキャンパス内を散歩したりした。大学の授業が全てオンラインになって、誰とも話せず、眠れなくてよく歩いていた。大学をウォーキングのコースにしている老人や、尾の丸まった白い猫がいた。一度なんか、下宿を出たところで鹿に会ったこともある。その時はびっくりしたけれど、驚いたのはきっと鹿も同じだったと思う。映画『スタンド・バイ・ミー』で主人公が鹿と出会うシーンを思い出した。
 

夜の旧キャンパス
 外大出身の人の昔話を聞くと、結構みんな小野原で遊んだみたいだ。吉野家マクド、ケンタッキー。学生時代の話を聞くと結構教授は小野原のことを話したりする。
外国語大学が編入されて外国語学部になるのは2000年代で、おそらくその時まで小野原は学生にとって重要拠点だったのだと思う。本キャンパスと箕面キャンパスの間をつなぐ連絡バスが運行されるようになってから、阪急沿線に住む人が増えたのだろうと思う。一度、学生生協で、新入生に物件を紹介するバイトをしたことがあるのだけれど、旧箕面キャンパス周辺は他のエリアと比べると家賃がとても安かった。私が住んでいた家もひと月30000円もしなかった。

住んでいたアパートの駐輪場
 そんな旧キャンパスから小野原まで、歩くと半時間かかる。気持ちいのいい日はいいけれど、雨の日は最悪だった。別にほとんど歩かなかったけど。
 バイト先で夜勤を終えて原付で移動し、小野原のミスドでモーニングをするというのが2019年のルーティーンだった。時間割の関係で夜勤に入れるのは火曜日が多かった。水曜はスペイン語の授業があって、毎週、水曜の午前はスペイン語の予習を慌ててやっていた。店を出る前にドリンクバーの紅茶を紙コップに入れてバイクに乗るのだった。
 久しぶりに会ったゴビゴビ砂漠くら寿司に行き、長く話したのもここ。彼とは6年の付き合いだけど、2020年から2021年にかけて、よく話したおかげで仲良くなった。隣にあるマクドにも何度か行った。

 
 
箕面ショップ(ショップNo.0001)

箕面の滝は人工って誰かが言ってた
 ローソンの1号店は豊中に。そしてミスドの1号店は箕面にある。ミスドの1号店、元々の店舗は残っていなくて、最近に新しく建った店舗の壁に、ミスドの歴史が書かれていた。そしてその横で普通にドーナツを食べられるようになっていた。ナポリの釜と同じ店内で、ドーナツを食べて美味しいと思っていたらピザの匂いがして、食べているのにまたお腹が減ったりする。
 今もあるのかはわからないけれど、私の高校には、在学中にバンドを組んでいた人が卒業時にライブをするという慣習があった。私の代のサッカー部でもバンドを組んでいて、浪人が終わった時に、後輩の卒業ライブに出た。練習するスタジオが箕面駅の駅前にあって、大学入学前の3月にそこに行って、みんなの演奏を聴いた。2曲だけ私も歌えることになって銀杏BOYZ の「BABY BABY」と RADWIMPS の「もしも」を歌った。どっちも拗らせてる男の子の歌だけど、その時はいい曲だなって思ってた。箕面駅に降りるたびにそんなことを思い出す。
 他には後輩と箕面の滝まで歩いたこととか、高校の時に部活動でグラウンドから滝まで走ったこととか。友達がオールのカラオケボックスで教えてくれた箕面の滝の近くの心霊スポットについても書きたいけれど、ミスドと関係なくなってしまうのでここらでやめておこう。

zenfone で撮った写真。色合いが他と違う

何か見えたりしますか、、、?
 
 
 
南千里駅前ショップ(ショップNo.1922)

これだけ注文して夕方まで粘っていた
 ここのミスドに行った回数はかなり多い。山田駅北千里駅の間にある場所でバイトをしていた時代があって、その頃よく行った。夜勤が主なバイトで、夜勤明けに歩いて南千里まで歩くのだった。千里周辺は50年前に山を切り開いて作った住宅地なので、自然が豊かで大きな公園があって、坂が多い。高度経済成長期に土地を売ったお陰で、孫の代まで何もせずに暮らしている一族がいるらしいと聞いたことがある。本当だろうか。

通り道にある苔だらけの欅

ここを何度も通って鉄塔が好きになった
 バイトの夜勤が終わる。学校には行かないことにする。ホームセンターとマックを通り過ぎ駅までの坂を登る。駅と駅前の美味しいパン屋を通り過ぎる。小さな梅林があって、「記念樹」と書かれた碑がある。
 ここを通るたびに記念樹って迷惑だなと思っていた。記念に植えた人が木の世話をすることはほとんどないだろうに、記念碑は植えた人のことだけを記す。なんか変だ。記念に木を植えるというのもピンとこない。記念のために植えた木が成長するにつれて、その人の記念も大きくなるのだろうか。木を植えるというアイディアだけが大事にされているように思う。

「記念樹」は阪急の線路沿いにある
 線路沿いに歩いていたのに、阪急電車はいきなりトンネルに入る。トンネルの上には公園があって、結構な量の木があって森のようだ。当時の私は公園でよくウォークマンを聴いていた。朝の公園を歩きながら相対性理論を聴きながら、浮遊感を楽しんでいたのだろう。ジッタリンジンもよく聴いた。小沢健二も結構聴いた気がする。

13年使ってるウォークマン
 ドリンクバー形式でコーヒーやカフェオレ、紅茶がおかわりできるので、面白くて何杯も飲んだ。窓があって外を歩く人を見ていた。南千里駅前の同じ並びにはスタバがあったけれど、結局入れずじまいだった。人生を通じてスタバに行ったことがほとんどない。クーポンをもらった時と、海外の空港でトランジットする時にしか使ったことがない。

どうすれば鉄塔をかっこよく撮れるか考えていた
 南千里ミスドで何を考えていたのか思い出そうとするけれど、ほとんど思い出せない。当時の日記を見直そうかと思う。バイト明けにこのミスドに行ったある日、今日がセンター試験だということに気づいた。阪急千里線には試験会場の大学があって、帰りには受験生がたくさん乗っていた。当時の私は大学に全く行ってなくて留年が決まっていた。つり革に捕まって私は何を考えていたのだろう。どうせ憂鬱そうな自分に酔っていたのだろうな。

南千里の駅前
 
 
 
千里中央セルシーショップ

店内の様子
 ここもバイトの思い出。ある日、千里中央から歩いてバイトに行こうと思ったのだ。別に最寄駅でもないし、近いわけでもない。でもその頃は歩きたくて歩いた。長いので数回しか歩かなかったけれど。大学に行けない自分にも大学にもムカついていて、何かしらの発散が必要だったのだと思う。

窓から
 千里中央周辺は、大きな道路があって、南北が分断されている。元々山だった場所なので坂が多くて、自転車も徒歩も大変だと思うのだけど、なぜか人は住む。不思議だけど、そういうのって住めば慣れるものなのだろうか。
 千里中央のセルシーは耐震の問題で建物が閉鎖されて、ミスドも閉店した、らしい。人からそう聞いた。千里中央駅を定期的に利用していたわけではない私は、気がついたらミスドが閉店していた。千里中央に下宿していた友達はよく使っていたダイエーが閉店したと残念そうに教えてくれた。

 小野原と南千里ミスドは、バイト後に行ったのだけど、ここのミスドはバイト前に行った思い出。2018年は大学がつまらなすぎてバイトだけが楽しかった。もっと専攻語の雰囲気が楽しかったら、先生同士が仲良さそうだったら、大学楽しかったんだろうなと思う。せっかく卒業できたのに、なんだか恨み節が多くて悲しい。
 大学の新しいキャンパスは千里中央から歩いて20分のところにできた。原付を手放し、実家から通うことになった最後のセメスターは時々千里中央にも行った。卒業する日までを数えて、なんだかしんみりした。
 セルシーのミスドは閉店したが、代わりにテイクアウトだけのショップがせんちゅうパルの地下にある。

 
 
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#172「東京に来たら連絡してね」

 せっかく東京に来たのに暑かったり寒かったり雨だったりで、毎日疲れている。なんだか昔より体力がなくなってしまったような気がする。金曜日、暑い中神保町で本屋を巡り、ゲストハウスにもどってスーツで企業説明会を受け、シャワーを浴び、それからまた出かけて友達と新宿で会った。気温が高い日で、最高気温は26℃とか。金曜の夜で歌舞伎町にはたくさんの人がいた。イベントがあったのかホストの軍団が路上で出ている区画があって、そこを歩くときはみんな警戒しながら歩いた。

新宿の空
 次の日もやはり暑かった。モーニングを友達と食べる予定で早くにゲストハウスを出たのだけれど、説明会があるからスーツで移動しないといけなくて余計に汗が出た。市ヶ谷駅が複雑だった。地下鉄が3本通っていて、JRもある。おのぼりさんには難易度が高い。やっと見つけた出口から地上に上がり靖国通りをテクテク歩いて15分。不安症なので荷物が多い。手提げ鞄の重量と用意した朝の自分に悪態をつきたくなる。待ち合わせたカフェの前に見覚えのあるシルエット。やあ久しぶり。待たせてごめん。
 
 座る前にハンガーにジャケットを掛けたのだけど、ワイシャツには汗染みで世界地図ができていた。友達はもしかしたら目のやり場に困っていたかもしれない。後から気づいて申し訳なくなった。モーニングは美味しかったし、もらった名刺のデザインは綺麗だった。なんだか緊張していて、いつもなら味わって飲むコーヒーを何も考えずに飲んでしまった。最近家で飲む種類のコーヒーと違っていて美味しく感じた。気がする。イングリッシュマフィンも間にあるとろりとした卵も美味しかった。優しい味。

 色々話す。就活のこと。同じ専攻語のこと。愚痴とか最近誰と会った話。とりとめもないと言えばそう。安心してそういう会話できる関係性は、大事なのだ。最近知った。「おもろい会話」をしないといけないと思い込んでいる節が私にはあって、そういう強迫観念が時々顔を出して私を苦しめる。目先の笑いがほしくて言いたくもないことを言ってしまう。後になって口が悪かったと反省する。
 
「お店を出ましょうか」とお互いの意思を確かめる瞬間は面白い。どちらからともなく言い出す。色んな要素。お互いのコップが空だとか、お店が混んできたとか。ひと段落した話題、トイレに行くタイミング。なんとなくお互いに「もうそろそろ店を出てもいいかな」と思っている。どちらかが言い出して、暗黙の了解が、日の光の下に出る。
 
 さっきまでの暑さが嘘のように霧雨が降っていた。奢ってもらったお礼を言って九段下まで歩く。湿度のせいで千鳥ヶ淵と皇居は煙が立ち込めたようにもやがかかっていた。もう少し歩こうかと言って神保町まで歩く。まだ10時台で開いている古本屋は少ない。開いている本屋を見つけてロシア文学の翻訳とか、文学者研究の本とか見てるうちに時間が来て、私は企業説明会に行くことになった。

金曜日、ここでヤーシンの本を買った
 
 誰かと別れるとき、電話を切るとき。正解がわからなくて困る。この一瞬が終われば私はあなたを忘れてしまう。多分あなたも私を忘れる。とても苦しい。悲しい。別にそこまで親密ではないし、守るべきライン、守ってほしいラインがあるのもわかる。このままさよならで、何ヶ月も会わない。もしかしたら何年も。何かが失われる気がする。可能性の青いドアが閉じる音。

「毎日会ってないと、究極どうでも良くなる」
そう言い放った Cを思い出す。COVID19が来た最初の季節。2年前の春が終わる頃、メインキャンパス近くのインドカレーを食べて、大学周辺を散歩した。阪急電車の高架下を歩いて適当に見つけた公園でブランコを漕いだ。Cは極端なやつだけど、でもその気持ちは私もわかる。一度会わない期間が続くと、その人との関係がどうだったかわからなくなる。思い出せないというわけではなくて、親密だったかどうかがわからなくなるのだ。親密さを測る完全な指標なんて存在しないから、結局は連絡の頻度や会った回数を数えてしまう。もっと目に見えないものを大事にしたいのに。

 
 地下鉄は走ってく。黒い窓を見ながら、さっきの会話を一つひとつ思い出してみる。やはり緊張していたのだと思う。駅から遠すぎるとか、暑すぎるとか、言わなくてもいいことを口走っていたことを反省する。傷つけなかったかどうかをチェックする。傷つけたくない。私はもう誰も傷つけたくない。誰にも会わずに家に一人でいた頃は、誰かを傷つけるくらいなら一人で死ぬ方がマシだと思っていた。自分のせいで傷つけたくない。

東京のどこかの駅
 また会いたいと思ってもらえるような人間でいたい。
「東京に来る時は連絡してよ!」みんなそう言ってくれるけど、本当のところはどうなんだろう。その言葉通りに受け取っていいのか迷う。内心では嫌われているのではないかと疑ってしまうから。結局のところ、自分が相手を信頼してないということなのだろうか。あるいは、言葉と内心が違う人に囲まれて育ったからだろうか。
 
「東京に行くときに連絡する人」のぼんやりとしたリストが私の脳内にはあって、時々自分の記憶力の良さを呪いたくなる。連絡しようと思ったりもするけれど、嫌われてる可能性も忘れられている可能性もあるから、チャットやDMの送信ボタンは押されないまま。自分が嫉妬深いことや、忘れることが苦手であることに悩む。悩みながら、自分は人が好きであることをまた確認している。

企業説明会に行く道
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#171 ミスドで大学生活を振り返ろう(3)池田・石橋・豊中編

 ミスドがいいのは、おかわり自由のシステムがあること。ブレンドとカフェオレ、それにミルクティーを頼めばいくらでもおかわりできるのだ。何杯飲んでも何時間いても料金は一緒。このおかわり制度があるから何時間でも居座る理由になる。貧乏くさいとは思うけど、本当に一日中居座ったこともある。最近はもうしないけど。全然関係ないけど、ロイヤルミルクティーの「ロイヤル」ってどこから来てるんだろうと疑問に思ってから、かれこれもう10年近く経つ。誰か語源を知っていたら教えてほしい。
 ミスドで大学生活を振り返る第3回目。今回は大学の本キャンパスに近い3つのショップについて書く。
 
 
阪急池田ショップ(ショップNo.0118)

いつも塩素の匂いがする
 私の高校から最も近くにあるミスド。なので親友Jとは学校帰りによくだべった。お互い2年生までは部活で忙しくて、3年生になってからよく喋るようになった。このミスドがなければ、カフェでダラダラなんてしない高校生活だったかもしれない。一人でぶらぶら歩いたり、電車に乗ってどこかに行ったりはしたけれど、誰かと時間をただ潰すなんていう時間はこのミスド以外にはなかった。
 ショップは阪急電車の高架下にある。近くに駄菓子屋があったり、スケボーするのによさそうな駅前広場がある。店内は面白い構造になっていて、半地下の席があり、天井が高く吹き抜けになっている。2階に客席はなく、キッチンがあって、ドーナツが揚がっているらしい。黒色の木と白い壁が基調になっている店内はドイツの田舎にもありそうな雰囲気で、純喫茶にいるような気分にもなれる。

この上にキッチンがあるのだと店員さんが教えてくれた

 大学のメインキャンパスからも2番目に近いミスドでもある。ミスドに行きたい、でも知り合いには絶対に会いたくないという時によく使った。一時期、川西のおじいちゃんの家に住んでいる時があった。その時は箕面市の果てまで片道17キロの山道を自転車で走っていた。時々、大学に行くのが面倒になってここで時間を潰した。今思えば片道2時間をかけて汗だくで走るのは馬鹿みたいだ。ちゃんと定期券を買えばよかったと思うけれど、それなら大学に通わなくてもよかったかもしれないとも思う。大学に通う時間が他の時間になっていたとしても、それなりに楽しめただろうし、大学は自分に向いていなかったとも思う。勉強は楽しかったけれど、いろんな人に迷惑をかけたし、不誠実なこともした。

 一度だけ、大学の友達と待ち合わせするのにこの場所を使ったこともある。サークルが一緒だった友達と一歩に待ち合わせて一緒に猪名川沿いを歩いた。天気のいい日で、裸足で川に入って水切りをした。友達はもう忘れているかもしれない。私は当分覚えているつもり。

 
 
 
阪急石橋ショップ

 石橋と大学生活を語る際に、欠かせないものはたくさんある。インド料理ガンガマハル、洋食屋ピノキオ、公園のベンチ、ご飯を何杯でも食べれる定食屋、先輩のアパートと借りたままの川上弘美の本。それから「再履バス」と学生に呼ばれるキャンパス間移動バス。
 石橋の本キャンパスと箕面の外国語学部のキャンパスを結ぶバスをみんな再履バスと呼ぶ。豊中キャンパスでの単位を取りきれなかった生徒が使うことがその名前の由来なのだろうけど、私が入学した2016年には既に外国語学部のキャンパスが移転することが決まっていたし、そもそも旧キャンパス周辺は車やバイクがなければ生活できないような場所だった。なので、交通の便が良い石橋や蛍池に住み、再履バスで通学する人が増えていたと思う。

再履バスの車内
 大学側としては「キャンパス間移動バスは、あくまでも再履修などで二つのキャンパスで授業を受けないといけない人に向けたバス」らしい。「単なる移動手段として使わないでください」といったお触れを、大学側は掲示板やメールで出したけれど、誰も納得するわけもなく、普通にみんな移動手段として使っていた。大学側がバスの本数を増やさない言い訳なのだと思う。

石橋阪大前駅。大学へと続く踏切から
 で、私はこの再履バスがとても嫌いだった。バスを使わないで済ませるために、自転車で祖父宅から通うという無茶なことをして、結局留年した。ちゃんと大学に通って進級した年は原付で登校した。バス、並ぶのも人が寿司詰めになるのも嫌だった。私はパーソナルスペースが比較的広いので、親しい人でもできれば30㎝は離れていたい。でもバスはラッシュ時でも1時間に3本しかなく、一つのバスに60人も乗り込むものだから、本当にぎゅうぎゅう。自分の尊厳が守れないように感じた。早起きすれば座れるし、パーソナルスペースも確保できるのだけど、目や耳から入ってくる情報量が多すぎて嫌だった。顔見知りと出会うのも避けたかった。2年前に同じ授業に出ていて数回話したことのある人と目が合ったとして、どう振る舞えばいいのかわからなかった。人間関係が嫌になって辞めざるを得なくなったサークルの後輩と出会って、素知らぬ顔をし続けないといけないのも嫌だった。ずっとイヤホンをしてスマホを見たり本を読むふりをしていた。向き合わないといけない現実から目を背けている気がして自己嫌悪感ばかり募った。孤独が好きなはずなのに、友達同志の楽しそうな会話が耳に届くと心がソワソワ揺れた。

新キャンパスのバス乗り場
 キャンパス間移動バスがもっと本数が多くて快適であれば、大学生活はもっと楽しめただろうと思う。他にも、新キャンパスの駐輪場が有料になったり、教務の対応が悪かったり、学部や大学の決定にはモヤモヤすることが多かった。いつか、大学生活を良き時間だったと認識できるようになるのかもしれないけれど、今は出身大学を全く誇りに思わないし、私の大学時代が素晴しかったなんて口が裂けても言えない。
 愚痴が長くなってしまった。再履バスについてはもっと書きたいし、他にも卒論のことや最後の一年に感じた専攻内の違和感もあるのだけど、他の機会か、あるいはフィクションに場を移して書こうと思う。 いずれにせよ私は毎朝、再履バスの列に並ぶ段になってもうすでに嫌になり、大学をサボってミスドに入り浸っていた。あるいは遅刻してるので開き直って、大学にも行かずにずっと本を読んだりロシア語を勉強したりノートを書いたりした。このミスドでノートをめちゃくちゃ書いた気がする。よく大学入学してから100ページあるツバメノートを日記兼雑記帳として使い始めたのだけど、当時のノートにはよくミスドのレシートが挟まっている。時々トレイに敷く薄い紙もある。大抵メモが書かれているのだけど、字が汚すぎて読めないことが多い。

店舗や時期によって、レシートの裏に柄があったりなかったりする
 大学に入って最初に読んだ本、川端康成の『伊豆の踊り子』も、読み終わったのはこのミスド。大学の図書館で借りた本を何冊もこのミスドで読んだ。大学2年目も、休学に気持ちが傾いた後は、授業の予習復習もそこそこにスマホで漫画を読んでいた。押見修造作品にはまって、漫画村で読める範囲のものは全部読んだ。『惡の華』が大好きで今でもネカフェに行くとよく読む。『漂流ネットカフェ』も『ぼくは麻理のなか』も好き。結構グロテスクだけれど、残酷な内面を抑圧して育った自分と押見作品の主人公が似ている気がして、いずれ全部読みたいと思っている。漫画村にアクセスしたことについては、反省はしている。

いつかのネカフェ
 サークルの人とミーティングしたり集まるのはここであることが多くて、いろんな人と話した。待ち合わせをして、ミスドでひとしきり喋って、向かいにあるインド料理屋ガンガマハルか、あるいはピノキオに行くのだった。ガンガマハルでは、常連になりすぎて、いつの頃からか私が行くとサービスでチキンティッカが出されるようになった。ナンのおかわりが無料で、よく一緒に留年した悪友のCとナンをたらふく食べた。老夫婦がやっているピノキオは、サークルの新歓で来て以来大好きなお店なのだけどこの前石橋を歩いたら潰れていた。代わりにダーツバーが入っていた。安くて量が多くて、店も広い。最高のお店だったのに。ダーツバーなんてもう流行らないだろ。

ガンガマハル

5時台はまだ空いているが、6時を過ぎれば学生と地元の人で賑わう

ピノキオの手書きのメニュー

ピノキオの店内。年季の入った入ったクロスが好きだった

唐揚げとメンチカツの定食。定食につくスパゲティがうまいのだ
 たくさんの思い出のあるミスタードーナツ阪急石橋ショップも、2021年の1月に閉店してしまった。2019年ぐらいにリニューアルされて綺麗になったトイレも、手すりのようなもので仕切られた店内も、ガンガマハルとなか卯が見える窓際のカウンターの席も好きだったのに。
 ミスドのあったところには整骨院が入った。こうして、この国からは若者の溜まり場が失われ、老人向けの場所ばかりが増える。石橋については今度また書きたい。本当に好きな場所。あの頃にはもう2度と帰りたくないとしても。

この公園でもいろんな話をした
 
 
豊中駅前ショップ(ショップNo.0599)

 大学生活最後のセメスターは、豊中駅をよく使った。2021年度から大学のキャンパスが移転したこと、そして夏の交通事故で私の原付がスクラップになったこと、この2つがあって豊中経由で大学に通うようになった。
 原付のこともいつか書きたい。原付で名古屋にも、山陰にも、九重連山にも行った。思い出がたくさん。でもバイク屋さんが来てトラックに乗っけるのは一瞬。あの夏の早朝に事故が無ければ、未だに一緒にいられたかもしれないバイク。ぶつかってきた相手からは未だに手紙も電話もない。ひと月半入院したのだから手紙をくれる機会はたくさんあっただろうに。 

豊中駅
 13歳から16歳までの間、豊中駅前の英語塾に通っていた。その時期の私は秀才で通っていたと思う。勉強以外にすることがなくて、遊ぶことを知らなかった。部活と文化祭の練習との両立が難しくて、塾はやめたけど、続けてもよかったなと思う。もったいなかった。同じ学校の子も何人か同じ塾に通っていた。なんとなく信頼関係があって、よくメールとかしたと思うけどもうほとんど覚えていない。でも何人かとはまだ繋がっている。繋がってるから、だからなんだよ、と思わなくもないけど。でも時々思い出したように連絡する。

この2階が英語塾
 卒論を書くのに豊中ミスドを使っていた。11時まで開いているのでとても助かった。論文を読んで、文章を書く。何度も心が折れそうになった。「(私の所属する)〇〇ゼミから出される論文がひどい」というようなことをわざわざ私に言ってのけた先生がいて、その言葉が何度も頭をよぎり、自分の書いている文章がひどく陳腐で価値のないように思えた。実際、精神的に参って、自分の書いているものは無価値なのだと思っていた。ひどい論文なのにOKを出しているとしたら、先生方にも問題はあると思う。それ以前にそういうのは暗黙の了解だと思うのだけれど、なぜ私にだけそういうのを言ってくれたのだろうと今は不思議に思う。私は相談されるのが好きだし、悩んでいる人がいたら一緒にいてあげたいと思うけれど、だからと言って愚痴ばかり言われるのは嫌だ。一方的に愚痴や悪口ばかりぶつけられると、自分がゴミ箱にでもなったような気がする。そんな風に誰かに接することを「信頼の証」だと思っているとしたら悲しすぎる。一方でそこまで許していた自分も悪かったと思う。我々の関係は共依存だったのだと思う。
 とにかく、私はその人の言葉が頭の中でリフレインしたおかげで自分の文章にも構成にも全く自信が持てず、卒業論文はひどい有様になった。自信を喪失し頭を抱えていたのが、この豊中駅ミスド。かなり広い店内で、店舗面積も、座席数も今まで行った中で一番広いかもしれない。新聞を広げている人、パソコンで仕事をしている人、放課後の受験生、中国語を勉強している社会人、いろいろな人がいる。
 ミスドから信号を挟んですぐ、新キャンパスに向かうバス停がある。1限の授業は取らないことにしていた。早起きして豊中ミスドでモーニングをしながら論文を読み、時間が来たらバスに乗って大学に向かうような日々だった。豊中からキャンパスまでの道は細くてアップダウンが多く、コーヒーで荒れた胃や食道が刺激されるのだった。

新しいキャンパス
 年始の授業でショスタコービチのプレゼンをしたこともあって、卒論の作業をしながら、あるいはバスに乗りながら、ショスタコービチの交響曲第7番を聴いていた。交響曲第7番は別名「レニングラード交響曲)」。作曲家ショスタコービチが生まれた町レニングラード(現サンクトペテルブルク)は1941年9月から44年の1月まで戦場となり、900日近くドイツ軍に包囲された。100万人を超える市民が死亡し、死因の大半が餓死だった。ショスタコービチは自らの交響曲レニングラードに捧げると述べ、包囲下のレニングラードではオーケストラが交響曲を演奏し人々を勇気づけたらしい。

授業のスライドから。ショスタコービチはサッカーファンだった
 レニングラードがドイツ軍の攻撃に耐え、ナチスの侵略に打ち勝ったことが、対ナチスプロパガンダに利用されたエピソード。そのプロパガンダは21世紀になっても続いているのだと感じる今日この頃。
 2022年の2月以降も第7番をたくさん聴いている。最初はロシア軍が迫ったキエフを思い、そして今は包囲されたマリウポリを思う。
 豊中駅には、他にも駅ビルの上階の図書館で本を読んだり勉強をしたこと、高校の文化祭の打ち上げの後に駅前のベンチで友達と話したこと、入り浸っていた駄菓子屋の話など、書きたいことはあるのだが、これ以上文章が散らばっても良くないのでここら辺でやめにする。

講義室
 
 
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#170 ミスドで大学生活を振り返ろう(2)神戸編

 大学生になったらスタバに行こう。そう思ってはいたものの、大学時代も、高校時代と同じくミスドに入り浸っていた。スタバの方がおしゃれなイメージがあるけれど、おしゃれ過ぎる感じがしたり、大人が使う場所という感じがあって、結局私はミスドから卒業できずに居座り続けている。
 
 
JR住吉ショップ(ショップNo.0614)

 2018年末から19年の年始にかけて心療内科に通っていた。精神科医の先生は「君は大丈夫だよ」と最初の診察で言ってのけた。その時に受けた悪い印象を私はずっと引きずってしまい、最後まで先生との会話は噛み合わなかった。自信の無い時、私は相手の第一印象を最後まで引きずる傾向にあるようだ。
 2回目以降はほとんどカウンセラーの人と話した。自分としては病気だと思っていたし、少なくとも何かしら自分を定義してくれる言葉が欲しかった。何かしらの定義があれば少しは心が軽くなる気がしていた。そんなわけないのに。「理解してくれ!」って叫びながら、目に入る全てのドアをノックしては、拒絶されるような感じだった。
 その心療内科の最寄りがJR住吉で、カウンセリングの後によくここでコーヒーを飲んでいた。大きな窓があって、街を歩く人が見えるのだけれど、目に映る人全員が、人生がうまく行っているように感じられて嫌になった。本を読んでノートを書いていた。あんまり覚えていないけど、当時のノートはまだ残っている。読んでみたい気持ちはあるけれど、落ち込みそうなので今じゃなくていいやと思う。

 阪急御影から弓弦羽神社を通ってカウンセリングを受け、最後にJR住吉のミスドでコーヒーを飲みながらノートを書くというのが診察日の流れだった。散歩するにはいい場所なのだけど、憂鬱だった。雲ばかり見て、晴れ間を見ず、人生は曇り空だと思っていた。


 
 
三宮本通りショップ(ショップNo.0961)

三宮駅

古き良きミスドの象徴とも言える黄色のトレイ
 ミスドの多くのショップで内装がリニューアルされて、トイレや壁のデザインが新しくなったりしているのだけれど、ここは「古き良きミスド」という感じの雰囲気があって大好きな店である。再開発が進んで古い場所が消えている三宮にあって、昔風のミスドがあるのはなんだか嬉しくて、三宮を歩くときは意味もなく店の前を通ったりする。アーケードのある商店街に面していて、窓から日光が差さないので、冬は昼間でも暗くて寒い。2階の窓から商店街を見下ろせるのだけれど、それが結構好きで、よく人間観察をした。おしゃれな神戸の街でも、このミスドに集って話している人には、高級な感じもおしゃれな感じもあまりなくて、居心地が良かった。

中華街
 大学に入ってから三宮に行く機会は増えた。留学生や神戸以外の出身の人に街を案内したりしたし、通っていたドキュメンタリー映像の塾も元町だった。本当に素敵な街だ。神戸港で風に吹かれながら海を眺めるのも好きだし、ロープウェイで布引のハーブ園まで行くのも好き。坂を登って洋館がある地区に行くのも楽しい。新開地から湊川公園までの道も好きだ。神戸は一つの街にいろんな側面があって、飽きない。大学時代、何度も行って、どの都度思い出ができた。ゴビゴビ砂漠と一緒に県立美術館から三宮まで歩いたこととか、アッペンと春日野道のくら寿司で食べたこととか、エジプト人の留学生と一緒に神戸モスクに入ったとか、本当に思い出がたくさん。どれも大切な思い出だ。
 三宮本通りのミスドは少しJRや阪急の駅から離れていて、具体的に誰と行ったという思い出はないけれど、私にとって大事な場所だ。駅前はこれから再開発されるらしい。街の風景もこれから少しずつ変わるのだろうけれど、ミスドは残って欲しいなと思う。

ポートタワーの上から

相楽園

布引ハーブ園
 
 
 
新長田ショップ(ショップNo.0251)

 後輩のAと行った。私が「子どもの頃遠足で行った須磨水族館に行ってみよう!」と言い出して、本当に行った。須磨水族館は、リゾート施設を併設させる計画があってその時も工事をしていた。何だか嫌な感じがした。須磨の海水浴場の人気がどれだけあったとしても、夏場以外に人が来るとは思えないし、失敗に終わる計画な気がしている。イルカのプールがなくなっていて、ペンギンが屋上で飼育されていた。小さい時に私が感銘を受けた「アマゾン館」という施設がなくなっていて、ピラルクやピラニア、ヤドクトカゲやヘビがいなくなっていた。ほとんど誰にも言ってないけれど、私が初めて文学賞に出した作品は動物園の爬虫類館が舞台で、モデルはアマゾン館だった。飼育員がヘビを逃すという『ハリーポッターと賢者の石』の序盤と同じ話だった。

 2020年に落ち込んだ時期、動物の動画ばかり見ていた。「The Dodo」というYouTubeチャンネルにある人間と動物の動画ばかり見ていたので、必然的に動物園や水族館に出かけるようになった。いつかどこかでダイビングしたいと思うようになったし、草原の広がる場所で保護いた動物と一緒に過ごす老後もいいなあと思うようになった。

神戸は商店街が多いから歩くのが楽しい
 スマスイ(須磨水族館のこと)からはぶらぶら歩いて、駒ヶ林ブックオフでダラダラ本を見た。それから新長田まで歩いて、ミスドでコーヒーを飲んで解散。Aは留学に行く前で、私は大学院の試験結果を待ちながらやきもきしている時期だった。毎日の愚痴を言って解散した。「コーヒーをおかわりできるの最高ですよね」ってしきりに後輩は言っていた。私は大学を卒業してしまったけれど、今でも時々電話する。

ブックオフでは伊坂幸太郎を買った
 
【今日の音楽】
 
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#169 ミスドで大学生活を振り返ろう(1)西宮・川西・尼崎編

 ミスドが好きだ。大学時代、家で作業をするということが苦手だった私は、よくミスドに出かけて宿題をしていた。外に行くのが嫌で家で引きこもっていた頃も、大学に行くのが無理でもミスドには行けた。待ち合わせに使ったミスド、コーヒーを飲みながら友達と話したこと、一人でドーナツを食べながら考えたこと。大学時代に行ったミスドのこと、そういうのを文章にすれば、自ずと自分の学生時代が浮き上がる、そんな気がしてこの文章を書いている。

 

 
 
JR西宮ショップ(ショップNo.0861)

 厳密に言えば、この店に関する物語は高校生の時代から始まる。大学生になってもこのお店にはよく来たけれど、大事な事件は全て大学時代以前に起きた。
 
 受験生になって、カフェで勉強することを覚えた私は、友人Mに連れられてよくこのショップで勉強をしていた。ブラックコーヒーを飲めるようになったのはここ。Mとは一緒に勉強した、色々と話したおかげで仲良しになった。受験生の時のノートがまだ残っている。当時私が気になっていたらしいのは、ポーランドの歴史、ドイツの歴史、ユダヤ人の歴史。受験生の私は英語と世界史を一緒に勉強しようとしていた。世界史について書かれた英語の記事を印刷してそこに書かれた英語を逐一調べてノートに貼る。そういう勉強をしていた。
 
 勉強する気になれない日々だった。毎日現実逃避ばかり。本を読んだり映画を観たりしていた。本屋で一日中立ち読みしていた日もあったし、定期券でタダになる範囲で、電車に乗れるだけ乗ったこともあった。知らない街の知らない風景をみて「勉強しないとなあ」と思うのだけど、いざ机に座ると何もしたくなくなるのだった。

閉店時間までいることがざらだった
 毎晩不安で眠れなくて、NHKのドキュメンタリーをよく観ていた。ある時、第二次世界大戦中のワルシャワ蜂起のドキュメンタリーが放送されていた。ポーランドが気になり始めた私は、次にエイドリアン・ブロディが主演の『戦場のピアニスト』を観て、東ヨーロッパに行きたいと思うようになった。中央アジアを旅行しているバックパッカーのブログもよく読んでいた。私はダラダラと18歳の1年間を終えて、浪人ののち外国語学部のロシア語専攻に進むのだけど、JR西宮のミスドに入り浸っていた頃に、中央アジアと東ヨーロッパに興味を持たなかったら、ロシア語を勉強しようとは思わなかったはずだ。
 
 他にも高校の後輩がそこでバイトしていたり、お金儲けのセミナーの勧誘を目撃したり、Mと家族の話をしたり色々書きたいことはあるのだけれど、とりあえずこの辺で。Mとは大学になってからも時々ここで会った。多分これからも。

 ちなみにこのミスドで書いたブログの記事は結構多い。同窓会の記事もそうで、高校の同窓会の後はその感動を忘れないように寝不足のままミスドに行き、文章を書いた。shige-taro.hatenablog.com

 
 
 

アクタ西宮ショップ(ショップNo.1956)

西宮北口
 東京のみんなは知らないだろうけれど、阪急西宮北口駅は結構大きな駅だ。神戸と大阪の中間にあって、神戸と大阪、宝塚方面にも行ける。今津方面に向かえば阪神電車にもつながる。「ニシノミヤキタグチ」という名前のせいでなんだか弱そうに聞こえるかもしれないけれど割とみんなが使う駅。あほみたいな数の中学受験の塾があって、笑っちゃうくらいの数の小学生がうろうろしている。予備校もコンビニより多い。少年時代を謳歌しないまま競争社会に絡め取られる子供たちの現在進行形を観測したい人はぜひ行って欲しい。西宮北口駅の改札階にあるカリヨン広場のベンチに座っていれば元気で賢い小学生たちを目撃できるはずだ。

Mが見つけたガーデンズで落ち着いて勉強できる穴場
 中学生になる頃に、駅の南側に、阪急西宮ガーデンズが出来た。ティーンになってすぐ、梅田や三宮よりも安全で、まだお金の掛からないガーデンズは居心地が良かった。連れ立って遊ぶ同級生もいたし、私も朝から晩までありえない時間をかけてブックファーストのソファで本を読んでいた。ブックファーストの近くからエスカレーターに乗ればTOHOシネマがある。初めて友達と映画を観に行ったのも、大好きな『桐島、部活やめるってよ』もここの映画館。初めてR15指定もここだった。それから屋上も素敵で、べンチや噴水、コンサートのできるスペースがあって天気のいい週末にはいい感じになる。AKBが流行っていた時にはここでSKEのイベントがやっていたし、高校生になるくらいにはきゃりーぱみゅぱみゅも来ていた。友達の誰かが行っていた気がする。

駅の南側にはコンサートホールがある
 大人になってから思うけれど、関西でも、そして日本でもそれなりに大きなショッピングモールが自転車で行ける距離にあったのは、結構すごいことだと思う。高校時代までにその規模を経験したおかげで、得たものと失ったものがたくさんある。友達と遊んだり時間を潰す場所としては便利だったけれど、そんじゃそこらのモールにはワクワクしなくなってしまった。イオンとしまむらとスタバと本屋が一緒になったような場所しかない地方都市に住んでいて、週末に家族とそこにドライブするような青春だったら、今の自分はできていなかっただろう。自転車を漕いで漕いで、クソ広い駐車場で花火とかしたかった。

 ガーデンズについて書きすぎた。西北のミスドがあるのはアクタ西宮の2階。ガーデンズとは反対側にあるビルだ。図書館があったり、1階にある古本屋が好きだったりで、なんだかんだでよく行く。長く通った歯医者も近い。歯医者さんと話した後は、本屋で立ち読みして、いいのがあったら買って、図書館にも行くというのが私のよくある週末だった。ミスドができたのは2019年春。10年前にできてたら入り浸っていただろうなと思うけれど、結局数回しか行ってない。高校時代のチームメイトと久しぶりに会った時と、卒業論文執筆時の数回しか行ってない。


 

 
 
川西能勢口ショップ(ショップNo.0616)

せっかく書かれた市名も草に隠れている
 ここも数回しか行っていない。だから写真もない。1回はワカと待ち合わせして映画を観に行った時。そしてもう1回はおばあちゃんのお葬式の日。おばあちゃんが死んだ次の日は大学のオリエンテーションの日だった。春休みが終わってみんなと顔を合わす。楽しいはずの日なのに、なんだか変な感じだった。「どうしてスーツを着てるの?」って訊かれるのも、答えるのも、いやだった。大学から能勢口のミスドに移動し、家族の車が来るのを待った。おばあちゃんが好きだったオールドファッションを食べて、日記を書いて、色々忘れないでいようと思っていた。

池田市側から猪名川を挟んで川西市を臨む
 能勢口は祖父母の家に行く時によく使った駅だ。阪急の川西能勢口駅も、JR川西池田駅もよく使った。小さい頃、能勢口駅前のビルでやっていたイベントで竹筒の水鉄砲を作ったこともあるし、祖父母の家に泊まる時は能勢口で降りてロータリーでおばあちゃんの車を探すのだった。今は無くなってしまったけど駅から階段を降りるとTSUTAYAがあって、おばあちゃんを待つ時はそこで時間を潰した。大学の友達と映画鑑賞会をするためにここでDVDを借りて蛍池まで自転車を漕いだこともある。『言の葉の庭』『はじまりのうた』『怒り』その他色々。

能勢電猪名川を越える箇所
 関東と比べて関西には「〜〜口」という名前の駅が多いらしい。確かに阪急だけでも「塚口」「西宮北口」「宝塚南口」「川西能勢口」「洛西口」、能勢電鉄にも「妙見口」もある。
 
 施設や山、地域への「入り口」「玄関口」という意味から「〜〜口駅」と名付けられるパターンがあるらしい。妙見口妙見山の登山口があるし、洛西口も京都市中心部から見れば洛西ニュータウンの入り口にあたる。川西能勢口も能勢方面に向かって伸びる鉄道と道路がある。西宮北口も西宮市内から見れば北部に向かう「入り口」だし、宝塚南口駅も同じ。東京だと「新西宮駅」や「新宝塚駅」になる場合が多いのだという。NIKKEI STYLEの記事に書いていた。
 

 

武庫之荘駅前ショップ(ショップNo.0967)

 ここでもワカと待ち合わせしたことがある。進級試験に受かったことがわかった日。大学は春休みで、だから一緒に尼崎を歩いた。二人とも尼崎に住んでいたことがあって、昔の話をしながら歩いた。彼の小学校の校区にあったあり得ないほどボロボロのマンションの話、私の小学校にいた4年生にしてタバコを吸っていた男の子の話、髪の毛を染めている子の割合などなど。武庫之荘から塚口、そして潮江まで歩いた。話は尽きなかった。

阪神尼崎駅
 小学校の途中でワカは川西市に、私は西宮市に引っ越すのだけれど、尼崎の各地にそれぞれの思い出が残っていて、なんだが切なくなった。従兄弟が生まれた病院、塚口駅で取得した初めてのパスポート、小さい頃お世話になった耳鼻科。尼崎駅を通り過ぎた私と、その人生に交差した人たち。

 

 荒れている地元から抜け出すために、2人とも中学受験の塾に通うようになり、同じ中学校で出会った。高校は別だったけれど私の高校の文化祭の度に会ったし、映画に行ったりもした。12歳の時に出会って今はもう25歳。人生の半分以上の付き合いだ。

shige-taro.hatenablog.com

 

 ちなみに塚口という地名は鉄道ができる前からあった。塚口周辺には塚口古墳群と呼ばれる古墳があって、古墳のある方面ということで「塚口」という地名ができたのだという。尼崎の地名は歴史と関係があるものが多くて面白いので、気になる人は調べて見てほしい。

時が止まったような阪急塚口駅
 
【今日の音楽】
西宮出身の友達のバンドです。
友達とかそういうのを抜きにしてめちゃくちゃかっこいいので、ぜひ音楽を聴いて見てください。今年から東京で活動しています。
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【お知らせ】フリーペーパー「ミカン」を作ります

未達成に終わったみんなのエピソードを集めて、フリーペーパー「ミカン」を発刊したいと思います。文末にあるURLから文章を投稿できます。このブログを読んで興味を持った人、ぜひGoogleフォームから文章を送ってください。
 
◎概要
「ミカン」をテーマにしたフリーペーパーを作ります。
未完、あるいは未刊に終わったままの、中途半端に終わったままの物語をGoogleフォームから募集し、集まった文章でフリーペーパーを作りたいと思います。
従来のフリーペーパーのように何枚も刷るのではなく、執筆者と希望する人にのみ郵送するシステムを取り、卒業文集のようなクローズドなものにしたいと思っています。vol01は、作ること自体を目標にして、家のプリンターで印刷します。vol02以降は変わるかも知れません。
 
◎投稿について
「あなたにとってのミカン」を教えてください。字数は自由です。「ミカン」に関わるテーマであれば、短くても長くてもかまいません。詩も大丈夫です。
絵や写真で「ミカン」を表現したい方は、メールに添付して eivomagie@gmail.com に直接送ってください。その際件名は「ミカンの絵・写真」としてください。(ただし、モノクロで印刷することを考えています。そこのところをご了承ください)
 
一応参考として、こんなのがあればいいかなと思うものを下に列挙します。
 
・変な感じで終わってしまった誰かとの関係。
・中途半端に止めてしまった趣味、お稽古、勉強。
・書きたいけれど、どこにどう書いたらいいのかわからなくて困っているアイディア、思い。
・あれだけ強く追い求めていたはずなのに、いつの間にか忘れてしまったあの頃の夢、希望。
・どこにも書き残せていない旅行の思い出。
・未送信のまま溜まっているツイート。
 
もちろんあくまでも例です。大事なのは、あなたの「ミカン」です。Googleフォームにてお待ちしています。奮って投稿してください。
 
◎コンセプト
生きていると後悔ばかりです。いくつかの選択肢が目の前にあっても、その全てを選ぶのは不可能です。あれもこれもと選んでも、体力と時間とお金は有限です。でも時々、人生を振り返って思います。あの時、違う道を選んでいたらよかったのではないのか。あの時、あの人ともっと話せば何か違っていたのではないか。買ったものの積んだだけで読まずにある本。最後まで話しかけずじまいだったクラスメイト。書きかけのままの手紙。諦めざるを得なかった勉強、留学etc。
 
我々は、過去の決断と選択が積み重なって結果、現在に生きています。過去において「あれがしたかった」「これがしたかった」と願っても、それは妄想や空想の枠から出ることはありません。そして過去に「あれ」や「これ」をしていたら現在の私は違う存在になっているはずです。
それでも、後悔や妄想は後から後から湧いてきます。そうした私たちの「ミカン」をフリーペーパー上の文章にすることで昇華させ、供養し、次に進むことがこのフリーペーパーの目的です。
 
GoogleフォームのURLはこちらです。どんなものでもよいので、ぜひあなたの文章を送ってみてください!
 

#168 人が交差する。この大都会で

 今いるゲストハウスは7泊で9000円しない。わお。東京にそんなところがあるなんて。いや、東京だから安いのかも。今日で3日目だけど色々な人がいる。ゲストハウスの出会いは一期一会で、最初に話し始める時からして、すでに切ない。オンラインの面接で毎日のように違う人と話しているからそんな風に思うのかもしれない。
 
 東京には就活で来ている。第一志望の御社の試験は会場にてオフライン。午前9時30集合なら前泊しようと思って前日はホテルに泊まった。一泊5000円弱、汐留と新橋の間にある12㎡の空間。COVID19が酷かった頃の東京で、感染者を受け入れていたという狭いスペースで、ほとんど眠れずに過ごした。一般常識と作文だけなので、ほとんど予習することもないからすぐに寝ても良さそうなものなのに、寝坊するのが怖くて寝れなかった。おかしな話だ。大事な予定の前日は、寝坊することが怖くて寝れない。負のスパイラルに入ってしまう。

 早稲田大学にいる。友達の大学。一緒に講義を受けようと思ったのだけれど、直前に休講になったらしい。大隈重信銅像銅像の周りに大学生がたくさん。私の大学とはかなり雰囲気が違う。みんな楽しそうに見える。ベンチの数が多い大学はいい大学。ベンチの多い街も。私の大学ではないのに道を聞かれる。ノルウェーからの留学生2人。日本語センターのような場所に行きたいらしい。地図で探す。案内する。北門を出て右手にあるオレンジ色の建物。22号館。私は適当に見つけた自習スペースで友達と待ち合わせる。文章を書く。周りにいる大学生は自分より少し年下なのだろうと思う。同じように就活をしている人もいるのだろうと思う。

 ゲストハウスを出る。歩く。少し雨模様。緑が綺麗。昔は川であっただろう水路を見る。花一つ二つまだ咲いている桜の木。生い茂る薄緑の葉。駅の反対側に出る。オンライン面接のためだけに滞在するネットカフェ。面接の5分前になってzoomを起動して、待機室に入る。緊張。画面の写りを確かめて、カメラの高さを調整したりネクタイを綺麗にしたり。緊張する。でも普段話せないような人と話せるのは貴重な経験だから、と言い聞かせる。画面が切り替わる。怖い。でも頑張らないと。もう決めたことなのだ。

 オンライン面接の後は、いつも変な高揚感がある。話したいことを話せたと思うけれど、伝わったかどうかは別の問題だ。今回もまたロシア語専攻であること、ロシアの留学について訊かれた。「もしロシアに留学できるとしたら行きますか?」「ロシアの大学院でジャーナリスト学部に入りたかったようですが、ロシアと私たちのローカル局の間にギャップのようなものはありませんか?」
「お金が必要なんです。そしてまだ興味のあるような仕事をしていたいです。したくもない仕事をして疲弊したくないです。将来についていつも希望を持っていたいのです」
 お祈りメール3通。今週もまた増えるだろう。シゲ様の今後のご活躍をお祈りします云々。絶対活躍したるねん。なんならもう活躍しとるわ。メールをごみ箱に入れる。
 
 また今日もオンライン面接。思っている以上に和気藹々とした15分になった。ウクライナの問題について訊かれたし、大学に6年もいたことについても質問された。今までの面接ではそこまで訊いてくれなかったから、私自身に興味を持ってもらえている感じがした。嬉しかった。ただ、地方ローカル局の面接にそのような会話が必要だとも思えないから、多分落ちているのだと思う。
 就活しながらよく思い出すのは『千と千尋の神隠し』の序盤。ボイラー室を出た千尋が湯婆婆のところを訪ねるシーン。「ここで働かせてほしいんです」って言うシーン。私がこれからもらえるどんな仕事も、八百万の神々をもてなす油屋の仕事と比べたら遥かに楽だろうけれど、背に腹を変えられなくなっているのは千尋と同じ。

 友達と会う。中学の同級生たち。大学構内から高田馬場まで歩く。緩やかな下り坂。中華料理とラーメン屋と日本語学校がたくさん。色と光もたくさん。夕暮れ時の空の色。高田馬場のロータリーには待ち合わせしている人がたくさんいた。区画に押し込められたスモーカーたちと、区画外で吸う人を区画内に入れるおじいちゃん。「シルバー人材派遣」という文字が背中に見える。

 3人が揃って、残り1人を待つ。中々来ない。もう電車から降りたものの迷っているらしい。見えているものを教えてもらう。タリーズ、ロフト、自遊空間。たくさんの看板。出口の番号。見覚えのある人影が見えて自信はないけど思い切って手を振る。向こうも振り返す。なんだほとんど変わってないじゃん。
 山手線の下をくぐって駅の西側へ。前の方から電話をしながら走ってくる人とぶつかりそうになる。西側と東側で少し雰囲気が違う。ベトナム料理とミャンマー料理の看板が見える。今度友達と行く中央アジア料理はここら辺だったなと思う。
 焼きとん。なんて関西じゃ聞いたことのない料理だ。豚のホルモンが串焼きになって出てくる。友達が慣れた手つきで串から肉を皿に移す。玉ねぎと胡麻油と豚のレバー。美味しい。すごく美味しい。昔のことをいくつか振り返って、何年生の時に誰が同じクラスだったかで盛り上がる。担任が今何してるとか、三者面談がどうだったかとか、友人の近況とか。
 今から来れそうな友人と電話。電話がつながって、また一人増える。ついでに場所を変えることにする。今度はくら寿司。お茶の粉を入れる人、水を持ってくれる人。トイレに行く人。タッチパネルに戸惑う。選べない。みんなはどうなんだろ。いつかと同じようにねぎま軍艦を食べる。醤油を垂らして食べる。美味しい。
 
 くら寿司のみかんジュースが美味しいと言って一人が選ぶ。もう一人もそれがいいと言ってみかんジュースが2杯運ばれてくる。回転寿司のレーンに近い子が結構食べる。私も食べる。コーンの軍艦を取ろうとしてやめにする。親友が回転寿司に行く度にコーンの寿司を食べることを思い出す。彼も東京にいる。西の方。今回の滞在ではまだ会ってない。最近連絡が途切れがちで少し気になっている。
 
 もう一人、別の友達と私は会う予定で、あと30分で席を抜けることにすると言う。その友達もこの席に呼べばいいじゃんって誰かが言って、私は彼に訊いてみる。彼がエレベーターから降りてこっちに来る。不思議な感じ。座る。一人づつ紹介する。みんなのことを改めて口にするとなんだか恥ずかしい感じがする。私の中学の同級生と、また別の友達が同席しているのはなんか変な感じ。でも面白い。

 第一志望の御社の試験は無事に寝坊せず受けれた。一般常識と作文と適性検査。対面で試験をする会社は今時珍しいと思うけれど、私としてはその方がありがたい。筆跡や鉛筆の勢いで伝わるものもあると思っているから。結果は来月の頭に郵送で送られるらしい。落ちた人にも結果が通知されるのかは知らない。
 
 都電荒川線で本を開く。路面電車。東京にもトラムがあるなんて。驚く。前から乗って後ろから降りるスタイル。坂の多い東京をスイスイ進む。時々揺れる。意外と人が多い。本を閉じる。黄色い表紙の本。ベンガル系の両親の元、アメリカで生まれた主人公。彼が生まれる前の両親のエピソード。幼少期のベンガル人コミュニティとパーティー。時々帰るカルカッタ。大人になるにつれて感じるアイデンティティの葛藤、両親とのずれ。彼の人生を通り過ぎる人。人。

 大学構内を案内したノルウェーからの留学生のことを考える。一人はポーランドにルーツがあって、もう一人は中国からの養子だった。彼らも少なからず何かしら抱えているのだろう。生きていたら付随する面倒なことの数々。別に国籍とかルーツとかだけでなく。外見とかわかりやすいことだけでなく。
 新宿駅東口。金曜日の夜。近くでプロ野球の試合でもあったのかというほど人がいる。地元の甲子園駅を思い出す。タイガースの試合の後は黄色い服を着た人で駅が埋め尽くされるのだけれど、今構内を歩く人の服装はバラバラだ。それぞれに乗るべき電車があって、帰る街がある。待っている人がいる人、いない人。明日の予定がある人、ない人。
 駅のホームにバラの花が一輪落ちていた。誰も気にも留めず通り過ぎて行く。電車が来てまた発車する。降りる人乗る人。バラはまだ踏まれていない。人混みが大方消えて、老夫婦だけが歩く。ホームの向こうにあるエレベーターを目指しているようだ。二人はバラの花を見て何か言う。また歩き出す。ようやくエレベーターに辿り着き改札へ向かうボタンを押す。

 
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