シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#215 言えたはずのフレーズ

Berliner Tor駅
 今の会話に知っているはずの単語があったのではないか、聞き取れたはずのフレーズがあったのではないかと、私はがっかりしている。きっと使えたはずのフレーズも試せるはずの表現もあったに違いない。進研ゼミじゃないけれど「この場面知ってる! 教科書で呼んだやつだ!」というのが今じゃなかったのか。おばあさんが降りたドアの辺りを見るけれど列車はもう発車している。残念無念また来年。毎日の出会いを大事にしないといけないのに、今の私は大事にできていたか。チャンスはいつも突然来る。いつでも準備万端というわけには行かないけれど、準備はできている方がいい。
 
 新しい場所にいて新しいば言葉を学ぶ。一度獲得した言葉はここでは意味がなくて、掴んだものを手放して、新しいものを獲得するために走らないと。まだ言葉を獲得していなかった16歳以前と同じやるせなさが時々顔を出して焦る。常に言葉を上手く言葉にできないという不満を抱えていて辛い。楽になりたいけれど楽になるには勉強するしかない。

Wellingsbüttel 駅。この前ここのフリーWi-Fiを使って友達と長電話した
 ロシア語を勉強し始めた時、友達のモモエちゃん(もちろん仮名)が「赤ちゃんの時みたいで面白い」と言っていた。その友達は6年経ってペラペラになっている。自分も6年後に話せているのだろうか。というか1年後にはちゃんと話したいのだけど。
 言葉を話せないがためにずっと屈辱的な思いをしている。それを悔しいと思わないのも生存のための戦略なのだけど、それを当たり前だと思っていたら、ドイツ語は上達しない。

道に迷った後にようやく見つけた駅
 日本と比べてドイツの人は、車内で目線が合ってもニッコリしてくれて嬉しい。ナイジェリアから来たトシンは逆で、ドイツ人は初対面の人に優しくないと言っていた。その対比はとても興味深かった。肌の色も関係があるのかもしれない。外見やエスニックグループに対するイメージとかってドイツと日本じゃきっとまるっきり違うんだろうな。トシンはポスドク社会心理学者なので「ハンブルクでそれの研究をしたら?」って言った。もちろん冗談。でも大学で彼女がこれからどんな研究をするのかは結構興味がある。

Wandsbeker Chaussee 駅。好きな駅。
 ちなみに、電車を降りて行ったお婆さんは、私が隣に座るやいなやすぐに話かけてきた。私がドイツ語を話せるとか話せないとかは関係なく「話したいからあなたに話しかけるのよ!」って感じ。私が筋骨隆々で無愛想にしていたら話しかけられないと思うので、これは少し得だなと思う。私は昨日作り始めた暗唱文ノートを開いていて、それも話しかけやすかったのだと思う。電車でスマホを見ている人より、本を読んでいる人とか勉強している人の方が親近感はわく。
 私は話しかけてもらえてすごく嬉しかった。やっぱり毎日心細いから。ドイツ語がわからない。お金がない。時間もない。ずっと焦っている。一人だとくよくよ考え込んでしまう。
 
 おばあさんは私がドイツに来たばかりだとわかると、色々言ってくれた。私がノートを差し出すと少しだけ書いてくれたけれど、大事なのは話すことみたいで、あんまり多くは書いてくれなかった。私は耳で聞き取る勉強は苦手で、紙に書いて覚える方が得意だ。ペンを持ってもすぐに返してくるおばあさんを前にして少し残念に思いながら話を聞いていた。「行く場所はどこ?」「降りる駅、ちゃんとわかってる?」「この地図は何? Googleマップってこんな感じなのね!」「ああ、日本人なのね!」全部はわからないけれど、言ってることはなんとなくわかるから面白い。
 ぱーっとマシンガンのように話して、急に席を立ち「じゃあね」と言って降りて行った。ちょっとかっこよかった。

ここも地下鉄の入り口。見つけた時はワクワクした
 電車やバス、バーで取り止めもなく話しかけてくる人がいると、私は不安になる。この人はもしかしたら家で誰にも相手にされていないのではないか。誰にも自分の考えを言えずに今日一日過ごして、溜まってしまった言葉を私に投げかけるのではないか。一緒にいたのはバスの中の数分間、道端での数十秒なのに、私はその人の1日や1週間、人生までも考えてしまう。そこにはまた別の宇宙が広がっていて、時々怖くなる。それぞれ、たくさん思っているし考えているのに、それを伝えられない。感情は確かにそこにあったのに、伝えられないままどこかに消える。それってすごく悲しい。

地下鉄の入り口
 時間は有限で、伝えたいことは伝えないといけない。本当に大事なら。
 大切に思えることが私にはたくさんあって、脳の容積が追いつかない。スマホで写真を撮るだけ撮って、後から見返したりなんてもうほとんどしない。メモを書いても後から後から新しいメモが来て、大事な情報は埋もれてしまう。言えたはずのフレーズも、メモにして保管するだけじゃ意味がない。使わないといけない。新しい情報をインプットする機会がこれからの人生でどれだけあるだろう。それをアウトプットする時間がどれだけあるだろう。全部を大切にして生きたいなら、諦めるということさえも受け入れないと。
 
 
 
【Aufsatz004】
„Drinnen oder draußen?“
Ich bin gern drinnen. Natürlich ist es nicht gut den ganzen Tag drinnen zu bleiben. So manchmal gehe ich spazieren oder ins Café. Dann mag ich schreiben und lesen im Café oder im Park.
Zusammen mit anderen es ist auch schön ins Café zu gehen. Ich mag sprechen über Kulturen im Café. Zuhause mag ich es japanische Gerichte für Freunde zu kochen.
 
【今日の音楽】
 
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#214 Taiwo と Kehinde の話。ヨルバの双子は、生まれた時から名前が決まっているらしい

 植物マーケットの前の金曜日。語学学校は午前と午後にも授業があった。午前は代理の先生が来て授業をやった。その先生は祖父母がリトアニア人で、戦争後にカリーニングラード(ドイツ語はケーニヒスベルク)がソ連領になったためにハンブルクに越してきたらしい。教室には一人ロシアから来ている生徒Mがいて、彼と先生は社会の話をするのが好きみたいだった。授業の終盤で、戦争の話や、抗議活動の話になった。ちょうどパリで年金改革に抗議するデモがニュースになっていて「フランス人は偉い。私たちドイツ人はあまり抗議をしないよね」というようなことを先生が言った。
 私の感覚からすると、ドイツもロシアも、人々が問題意識を持って行動しているだけ偉いと思う。私がフランクフルトに着いて5日目に、鉄道がストライキを起こして、交通機関は全部ストップした。

 2023年のロシアではもう表立って抗議活動はできない。けれど、2022年の2月には街に出て抗議する人がいた。レニングラード包囲線のおばあさんがプラカードを掲げて捕まるのも、何も書かれていない紙を掲げただけで捕まった人の動画も、あの頃はたくさんの動画を見た。しんどかった。今も戦争は続いていて、私はもう動画は見れないけれど、今日もどこかで死ななくてもよかった誰かが死んでいる。昨日も。
 Mは2014年のクリミア併合の時に政府に抗議した人の話をした。逮捕されてひどい暴力を受けた人たち。2020年のベラルーシで当局がデモ参加者に対して酷いことをしたのは知っていたけれど、2014年のことは知らなかった。すごい悲しかった。警察がそんなことをやるなんて一体どういうことなんだろう。

 昼休みが終わって教室に帰ったら、ロシア人のMが今度はイスラエル人と宗教と民族の話をしていた。教室にいる5、6人がそれぞれ何かをしながら一応その会話に参加している。
「やめてくれー」と思いながら私も一応聞く。民族と学校の話をしているみたいだった。イスラエルでは宗教によって通う学校が違っているらしい。
「そんなのロシアではあり得ないよ」ってMが言う。「アルメニア人もアゼルバイジャン人も同じ学校に通ってる」
 
 私の中にも色々思うところがある。アルメニアアゼルバイジャンが争っているのはコーカサスのナゴルノとカラバフであってロシア国内の土地じゃない。でもイスラエル国内のユダヤ人とパレスチナ人はイスラエルの土地を争っているのだから、その環境は全く違う。それから、アルメニアアゼルバイジャンも同じソ連だった。ソ連時代は一応民族による差別はなかったから、その歴史があるからアルメニア人もアゼルバイジャン人もロシアで共存できるのだと思う。

どこかの駅
 でも今日は午前も午後も授業がある。休憩時間くらいゆっくりしたい。
 宗教と戦争と政治というセンシティブなテーマに、同じように疲れていたらしいタイウォがペットボトルから水を飲んで割と大きな声で私に訊く。
「日本語ってどんなんなん? 挨拶ってどんなん?」
 唐突だなあとは思いながら、この数十分の会話に疲れていたので、前のホワイトボードを使って日本語の話をしようと思う。
「日本語には3つの文字があってね、カタカナとひらがなはアルファベットっと同じで表音文字。でも漢字は違う。一つの漢字にもいくつかの読み方と意味があったりする」
みんな色々訊いてくるし、それに答えるのは結構楽しい。

市役所。観光客がたくさんいる
「アルファベットはいくつあるの?」
「ひらがなとカタカナは50。高校卒業までに習う漢字は大体2000くらいだけど、漢字自体はたくさんある」
「俺の名前、日本語で書ける?」
頑張って書いてみる。
 ロシア人のMはやっぱり物知りで、組み合わせによって漢字の意味と読み方が違うことを知っていた。あっという間にホワイトボードには余白がなくなっていく。みんなが自分の言葉や文化に興味を持ってくれるのは嬉しいことだと思う。幸せなことでもある。

これは住民登録をした時の写真
 またタイウォがよくわからないことを訊いてくる。
「双子につけられる決まった名前とかってある?」
タイウォは時々文化の違いを踏まえずに話をしてくるから困る。その時も私は「どういう意味?」って思って詳しく話を聞いた。ヨルバの文化では、双子につける名前は決まっているそうだ。
「双子のうちで先に生まれた子供はタイウォ、後に生まれた子供はケヒンディと呼ばれるらしい」
自分の耳が信じられなくて何回も聞いた。でも、やっぱり双子につけられる決まった名前というのがヨルバにはあるらしい。双子が生まれたら必ずタイウォとケヒンディと名付けられる。性別に関係なく。
「家族の名前に同じ漢字を使ったり、同じ音を入れたりすることはあるけれど、双子につけられる名前なんてないなあ」と私は言い、文化による規範に従って自由に名前を自由につけられないのは大変だろうとも思った。
 私たちは願いを込めたり、家族の名前から文字を取ったりして好きな名前を子供につけるけれど、ヨルバの名前は自分の出自を表すためのものなのだろう。「名前」に対する考え方が全く違っていてとても面白い。文化にとってはタトゥーがアイデンティティになっている。確かマオリの文化がそうだったと思う。模様を見るだけで、一族のことや家族のことがわかるのだと聞いたことがある。スコットランドのキルトもそうだったはず。そういう文化は世界のあちこちにあって、時々、今日みたいにそれが交差する。それってすごい面白いことだ。どんどん私の世界が広がっていく。

散歩中によく森に入る
 
 帰りの電車でトシンが訊いてくる。
「昼のタイウォの話わかった?」
「完璧にはわからなかったけれど、一応わかった。最後のヨルバのジョークはわからなかったけど」
「OK、Google翻訳でちゃんと説明するわ」
そう言ってトシンは英語を打ち込んでいく。綺麗な英語。差し出された画面にはこう書いてある。
「先に世界を見るのがタイウォで、ケヒンディは後から世界を見ます。タイウォに世界を見るように促して、戻って世界のことを伝えるように言うのがケヒンディなので、人々はしばしばタイウォよるケヒンディの方が年上じゃないかとふざけて言います」
もちろん法律的にはタイウォが兄または姉として登録されるらしい。

 
 
【Aufsatz003】
„Deiser Aufsatz wurde von mir in Jahr 2022“
Ich arbeite als Hotelfachmann in Hakone. Mein Hotel heißt „Hakone T-S“. Ich arbeitet 50 Stunden pro Woche, normalerweise von Dienstag bis Sonntag. Hakone ist eine kleine Stadt und ein touristische Ort. In 2.5 Stunden ist man in Tokyo. Viele Touristen besuchen Hakone.
 
【今日の音楽】
 
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#213 ナイジェリアには四季がないし、ここでは誰もスピッツの「ロビンソン」を歌わない。

 ナイジェリアには四季がない。乾季と雨季しかないとはいえ草木も自然も変わるから、それを単に「四季がない」と言ってしまうのはどうかと思うけれど、でも「四季」という言葉がすでに市民権を得てしまっているから仕方がない。虹の見え方が文化によって違うのと同じで、どうやって「それ」を区切るかというのは長い時間をかけて人々が決めることだ。日本にあるのは確かに四季だけど、同じ秋の中にも台風とか、秋祭りとか、紅葉とか、体育祭とか文化祭とか、そういうのによって時間は区切られる。「今年も体育祭の季節がやってきたねえ」と言っても、学校によって体育祭をやる時期は違う。私の高校の体育祭は11月だったけど、中学校は10月だった。小学校では9月だったと思う。5月に体育祭をやる学校もある。

三寒四温という感じで春と冬が一進一退の毎日
 時間をどう区切ればいいのかなんて本当は誰もわからないから、とりあえずカレンダーを作ってみたり星の動きから暦を作ったりしたのだろう。昔は天候や自然の変化だけで季節を感じたのに、今は年間行事によって季節を感じる。昔はその時期にその土地で採れた山菜、魚、穀物が行事に反映されていたのだろうけれど、今はそうとは限らない。少なくとも私の場所では地域の文化や歴史と関係なく生活が進んでしまっている。少しだけ悲しい。
 ナイジェリア人のタイウォが自分の国に四季がないと言った時、「そうだよなー、そういう国もあるよなあ」って思った。教科書には「あなたは夏に何をしますか? 例に従って書いてみましょう」なんて書いてあるけど、四季がない国に育ったらそんなの簡単には書けないかも。

池にも湖にも見えるけれど、これはアルスター川の一部。セントラルステーションの北側に広がるここでは、夏にはきっと泳ぐ人もいるのだろう
 で、ドイツには四季がある。教科書にはそう書いてある。夏は水泳。秋はキノコ採り。冬はウィンタースポーツとかなんとか。春には鳥が来て、そして暖かくなって、花が咲くよね。
「じゃあ、あなたは春に何をするの?」
そう聞かれて教室にいる人が順番に答えていく。
入学式、卒業式、花見、ゴールデンウィーク。急にスピッツの「ロビンソン」を聴きたくなる。誰かとスピッツの話をしたくなって、でもその感覚をきっとここにいる誰とも共有できないのだろうと思うと悲しくなる。ファーストアルバム『ハチミツ』に入っている「ロビンソン」。春に川沿いを歩くときにいつも口ずさむ「ロビンソン」。

ハンブルクは運河がたくさんある。このあたりは水深が低くて、魚のための場所になっている。ボートは通らないらしい。
 ドイツの人は自然が好きだ。日本のように、人間の活動場所と自然がはっきりと別れているようなことはなくて、都市の中に公園があったり、道の横に林があったりする。自然との距離の近さは、ドイツの暮らしのいいところの一つだ。今までドイツで3つの家で寝泊まりしたけれど、どの家にも庭があって、どの人も庭をしっかりと手入れしていた。旅人が使うWorkawayというサイトにも「ガーデニングを手伝ってほしい」と書いている人が多い。私もフランクフルトのティモの家で私もガーデニングを手伝ったけれど、体を動かして働くのが久しぶりで楽しかった。3月の終わりで雨がたくさん降るし、寒かったけれど。

ティモの庭
 家の近くに牧場のような場所がある。「ような」と書いたのはまだ実態がわかっていないからだ。学習施設のようのも思えるのだけれど、私の拙いドイツ語では書いている言葉をまだ理解できていない。
 ハンブルクに来て2週目の終わりに、その場所で「植物市場」なるものが催されていた。そこで私はミニトマトレモンバームを買って、今キッチンの窓のそばに置いてある。町中にポスターが貼られているとはいえ、植物のマーケットなんてのに来る人はいないだろうと思っていたのだけれど、とてもたくさんの人がいて驚いた。若いカップルも老夫婦も、一人で来ている人も家族連れも。移民のように見える人は少なかったけれど、かなりの多様性がそこにはあった。きっと一日の来場者は3000人くらいだったと思う。もっとかな。 J2の試合の観客動員数くらいは人が来たんじゃないか。

植物市場。日本語にするとダサい

バラを見ると大阪の靱公園を思い出す

羊の赤ちゃんもいた。
 火曜日に先生に作文を書いて添削してもらう。日本の春のことを書く。花見のこと、卒業式と入学式、新しく始まる季節のこと。スピッツの「ロビンソン」のことも書く。ここでは誰も「ロビンソン」を歌わない。口ずさみながら地下鉄の駅から外へ出る。もっと書きたいけれど書けなくて焦る。でも今日はここまで。
 
 
 
【Aufsatz002】
Im Frühling blühen in Japan Kirschblüten. Wie sitzen im Garten und auch unter dem Baum. Wir sehen Kirschblüten und trinken Sake. In meinem Land beginnt das neue Semester in Schulen und Universitäten im April. „In der neuer Saison fühle ich Traurigkeit in der Brise“ singt meine Lieblingsband „Spitz“ in einem Lied. Das Lied heißt „Robinson“ Im Frühling gehe ich gern entlang der Bäume am Flussufer genauso wie im Lied.
 
【今日の音楽】
 
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#212 図書館に行ってみよう

 地図を見ていたら本のマークがあった。Bücherhalle って書いてあったからきっと図書館だと思う。Bücher が本の複数形。単数はBuch。Halle がホール。ドイツ語の名詞には性がある。Buch は中性名詞だけど Halle が女性名詞なので Bücherhalle も女性名詞となる。どうしてかはわからないけれどそういうカラクリらしい。
 地図で見て気になってから5日くらい経った後で、この前ついに行ってみた。別に変なことはない普通の図書館。辞書で調べてみて「Bücherhalle」の対訳が「図書館」でなかったとしても、私のいる場所はどう考えても図書館。
 昼過ぎなのに人がいて、自習用スペースは空席が数席しかなかった。図書館としては少し小さめで私の街なら「西宮市図書館〇〇分室」という名前になっていると思う。

 図書館ってコミュニティの中で情報を集めたり発信する場所にもなっていると思うのだけど、それはドイツでも同じで、地域のスポーツ教室のチラシがあったりイベントの案内が置いてあったりした。図書館の本で育ったからか、とても落ち着く場所だった。私は居座ったら長く勉強するタイプなので座席が少ないのはちょっと困るけど、でもここに席がなくても近くのマクドナルドはいつもガラガラだし、これから暖かくなれば外の適当な芝生でも勉強できる。それにここまで来たら街の中心までU-Bahnで20分で行ける。学校の前とか学校の後に自習できるなあとか思いながら書棚を歩き回る。この図書館にある本を読めるほどに私のドイツ語は成長するだろうか。成長しないとな。

 どこからかロシア語の会話が聞こえる。ドイツ語を勉強しているロシア語話者か、あるいはロシア語を勉強いているドイツ語話者か。数人が机を囲んでロシア語とドイツ語で話していた。「私もロシア語話したいです」なんて急に入って行きたいけれどそれはきっとここでも変だろうからやらない。いくら日本とドイツが違うとしても、きっとダメだろう。この「2022年以降の世界」でロシア語を話せるというのは、少し奇妙なことだ。ドイツにいる東アジア人がロシア語を理解するなんて、きっとユニークなのだろうけれど、でもだからと言っていきなり話しかけると変な人になってしまう。まあ、変な人でも良いのだけど。というかすでに変な人か。
 適当に席を見て座る。左の席の男性はアラビア語を勉強しているように見えたし、右の席に後から座って来た女の子は化学の勉強をしていた。微かにたちこめる人の匂い。昔いた尼崎の図書館を思い出す。「カホちゃんのお母さんが「スメルのする人」と呼んだ大人たち。

 小田公民館。従兄弟が住むマンションの1階が図書館になっていた。図書館と反対側には年少の幼児が通う保育所があった。従弟はその保育所に通ったのだけど、私がその街に越して来た時は4歳になる手前だったのでその保育所には通わなかった。
 実を言えば、その保育所に行きたかった。その保育所に通っていてほとんど生まれた時から友達がいる従弟が羨ましかった。賢かったことがその頃の自分にとって不幸だった。大人が私のことを話している時はいつでも気づいた。祖母は、子供であれ誰であれ、他人に容赦せず自分の思ったことを言う人だったから、私は保育園児なりに傷ついていた。父親と母が話している時も同じ。
 父親の家族が母に対して酷いのを見ていた私は、ずっと心配で寝れなかった。ある夜を境に父親と会えなくなった後は、今度は母が私を捨てるのではないかと怖くて眠れなかった。でもそれを言うと大人が心配するから言わなかった。言えなかった。母の仕事が遅い日は伯母の家に預けられたのだけど、伯母も祖母も私が寝ないと怒った。その時にはすでにトラウマを抱えていたし、ある意味ではもう大人を信じられなかった。寝るのが怖い理由としてはすごく真っ当なものがあったと思うのだけど、あの頃の大人たちはちょっと私に対して酷かったのではないか。時々腹が立つ。伯母とも伯父ともその話はできていない。伯母は私にとってはずっと「怖い人」だ。きっと家族の中では一番私と近しいことを考えているのだけど、一緒にいて安心だと感じれたのはもう随分前。4年前に過呼吸を起こしてしまってからは修復が不可能なほどになってしまった。伯父は感情インテリジェンスが乏しくて、メンタルヘルスについて話してもきっとわかってくれない。「お前なら大丈夫」と言うだけだ。きっと伯父の父がそう言ってきたからだろう。でも彼は親友の一人を自殺で亡くしている。だから本当のところ何を考えているのかは知らない。口は達者な人だから聞いたらたくさん答えてくれるのだろう。でもどの言葉が本当かわからない。感受性に乏しい祖父は別の言語圏にいるような人。最初から当てにはしなかった。
 最後に祖母。祖母とはもう話せない。私が「死にたい」と初めて家族に訴えることができたのが16歳で、20歳の時に祖母は死んだ。短すぎた。祖母は私にとって大好きな人で、でも同時にいつまで経っても許せない人だ。大学に入学した時、祖母と手紙のやりとりをしたのだけど長くは続かなかった。もっと書けばよかった。私がしっかりと言葉を獲得して、反論できるまで生きていて欲しかった。26歳の私はまだあなたに縛られています。ましな言い方をすれば、まだあなたのことを身近に感じられています、ってこと。

 「本当に」彼女が生き続けていたら違うことを思っているのだろう。
 
 今もこれからもずっと、家族との間には壁がある。隠したって仕方がない。ずっと家族の中で安心できなかった。いとこ達との関係はどうだろう。私がこれからも殻に閉じこもる限り、離れていくのだろうな。というか人間って何もしないと離れていくよね。とにかく、4歳で父親の家から切り離された私は、新しい街で新しい生活を始めないといけなかった。それってとても悲しかったのだけど、誰も私の辛さをわかってくれるように思えなくて、保育所ではずっと泣いていた。あの頃の私に言葉があれば。
 
 消防車の形をした鉛筆削りをもらったのも、初めてこの本を手元に置きたいと思う本を見つけたのも小田公民館。母は小学校の前から連れて行ってくれた。小さい子向けに靴を脱いで上がれるスペースがあった。時々、日中に行き場がない人が紙芝居コーナーで座っていたり寝ていたりした。その人たちが、カホちゃんのお母さんが「スメルがする」と侮蔑的なニュアンスで呼んだ人たちだ。カホちゃんは同い年の友達で、クラスメイトという以上に一家で一緒にキャンプに行ったりするような間柄だったのだけど、いつの間にか疎遠になった。ある意味、私と従兄弟はあの街を離れることができたけれど彼女たちはそのままだった。私は尼崎のことが好きで、転校した先に馴染めなくてずっと戻りたかったのだけれど、逆にカホちゃんのお母さんはずっと離れたかったのだと思う。カホちゃんのお母さんが離れたかった理由は今ならいくつか思いつく。

 今いる席は窓際。自転車が雨の中を走っていく。ハンブルクは雨が多い。湿度も年間を通じて安定していて、降水量も少ないのだけど、霧雨が多いらしい。何かのサイトでそう書いてあった。タバコを吸いに外に出た人が通り雨に打たれて、濡れながら満足気な顔で吸っている。少し凍えているくらいが煙が美味しいのかもしれない。ドイツはタバコを吸う人が多い。カフェも分煙されていないし、室内とか屋外とか関係なく平気でガンガン吸う。牛乳の代替品としてオーツや米から作られた飲み物があったり、みんな自転車に乗っていたり、電気自動車が普及してたり、環境のことを考えている雰囲気はとてもあるのだけど、タバコはやめられないみたい。喘息だから気になるっていうだけで、別に良いのだけど。喘息じゃなけりゃ、むしろ吸いたいくらい。
 傘を差す人が少ない。みんな水を弾く素材のウインドブレーカーだったりコートだったりを持っている。足跡のついた Jack Wolfskin のロゴを毎日嫌というほど見ている。機能的な服のせいなのか、みんな一様なファッションで面白くない。郊外のベッドタウンより中心地の移民の多い地区の方がお洒落な人は多い。
 7時になって閉館の時間。また来ようと思いながら出口へ。この図書館、あと何回来れるだろう。初めて来たのに、もう終わりのことを考えている。雨の中を帰る。一瞬だけ日が差して、また太陽はどこかへ。日没まであと1時間半くらい。なんでここまで来て家族のこと考えてるんだろ。やめだやめ。途中でスーパーに寄ってチョコレートでも買おう。

 
 
【Aufsatz001】
Ich komme aus Japan, aus Osaka. Meine Stadt heißt Nishinomiya. Nishinomiya liegt zwischen Kobe und Osaka. In 20 Minuten ist man in Kobe auch und in Osaka. Meine Stadt hat drei Eisenbahnen, so ist das Leben bequem! Ein berühmte Ort in meiner Stadt ist „Koshien Baseball Park“. Die Baseballspieler spielen hier von Frühling bis Herbst. Das ist mein Lieblingsplatz.
 
 
 
【今日の音楽】
 
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#211 語学学校2日目

 クラスにナイジェリア人が2人いる。ドイツ語ではナイジェリアは「ニゲーリア」と発音するのだけれど、その度に1人は嫌な顔をする。「ニホン」と「ヤーパン」の乖離のほどを考えたら「ナイジェリア」と「ニゲーリア」の違いはさほどではないと思う。綴りさえ変わらないのだ。私は彼らほどに英語ができないくて、時々何を言っているのかがわからない時がある。昨日は鉛筆を貸して欲しいと言われたのだけれど、最初に「スペアのペンシルは持ってる?」みたいなことを言われて「???」ってなった。シンプルに「貸して」と言えばいいのに。私は鉛筆は1本しか持っていないけれど、いつでも貸してあげるのに。なんと返すか戸惑っていたら「ダメだこいつわかってないわ」みたいな顔をされる。癪だ。お前の発音もコミュニケーションもそんなに良くないぞ。とかは思うけど笑顔で貸してあげる。もう1人のナイジェリア人は発音が難しいのか授業中ほとんど話さない。授業の前後には話すのに。良くわからない。

みんな気にしてないけれど、実は毎日いろんな場所でいろんな人生が交差している
 彼らと私を含めて教室には5人の生徒。他にインド人とパレスチナ人がいる。私とパレスチナの女の子以外は、フンボルト基金のプログラムで来ているらしい。彼ら3人はきっと優秀なポストドクターで、これからドイツで英語で研究するのだから、別にドイツ語を学ばなくてもへっちゃらなのだ。なんせ仕事も住む場所も用意されているのだから。
そんな彼らと同じスピードで進む授業はとても遅い。焦って焦って疲れしまう。電車でもバスを待つ間もドイツ語のメモを読んでいるけれど、一向に上達している気はしない。それはそうだ、まだ勉強し始めてから7日も立ってないのだ。早く次のステップに行きたいけれど、着実に進んでいかないことには始まらない。地道なことをコツコツ。私の苦手なこと。

ロシアでいうダーチャみたいなのがドイツにもある
 頭がいい人ほど、ある程度の地位がある人ほど、他のことに柔軟でなくなるのかもしれない。ナイジェリアの2人を見ていて思う。仕方なしに勉強している感じがして、私とパレスチナ人ほどの熱意があるように見えない。インド人はクールで話しやすいように思っていて、それは文化の近さとかもあるのだろうと思う。
 海外にいて、時々祖母のことを考える。祖母はよく海外旅行に行っていた。ニュージーランドの山や北欧の景色について、スペインやバルカン半島について話していた祖母。
 彼女は自分のことに関して言えば進歩的で、自由な人だったけれど、家族のことに関して、特に自分より下の世代に対してとても保守的だった。彼女の機嫌は両極端を振り子のように行き来して、私はいつも顔色を窺わないといけなかった。いや、そんな単純に言える話でもないか。私にとっての祖母はとっても複雑で、ある部分はとても大好きでとても感謝している。でもある部分はとても憎くて今でもやるせない思いを感じる。私の人生をめちゃくちゃにしたと書くのは、言い過ぎだけど、でも私の子供時代が彼女のコントロールからもう少し離れた場所にあれば、今こんなに苦しくないだろうなと思う。日本から逃げ出したつもりでここまで来たけれど、未だに祖母に縛られている。理不尽に叱られて、やるせない思いと誰にも理解されないという孤独を抱えた10歳当時の気分は今も続いている。早く解放されたい。

これはローラースケート用のリンク。あんな風に自由に踊れたらなあ
「もっと自由に振る舞っていいのよ」
フランクフルトのティモの所ではみんながそうやって言ってくれた。でも周囲の顔を伺いながら生きる癖はなかなか治らない。祖母はここまでも追いかけてくる。30代も同じなのだろうか。

ハンブルクに来た日に見つけたお気に入りの場所
 英語に話を戻す。自分の英語は訛ってないと思う。でもそれは自分基準でそう思うだけで、客観的に見ているわけじゃない。ナイジェリア人だけでなくここに来て「何言ってるかわからん」と言う顔をよくされる。もう少しシンプルな構文を選べば伝わるのだろうけれど、私はどうしても話が長い。文脈を大事にしたいから重要性の低い前後まで話してしまう。
 ティモの家でも「結局何が言いたいの?」みたいなことを言われたけれど、それは多分自分の性格と育った文化によるのだと思う。日本語の構造によるものもあるかもしれないけれど、でもそれよりも多分に自分の性格によるものだと思う。いちいち複雑に考えないといけない性分。

 私はここで、自分がもっとできると言うことを自分に対して示したい。英語もドイツ語も不十分だけど自分にむかつくことだらけだけど、自分にはできる。
自分には、少なくとも良い書き手になれるだけの感受性と真面目さと探究心がある。あとは継続することでしか得られないものを獲得していくだけ。謙虚な態度で続けていくだけだ。シンプル。
 
 
 
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#210 口角を上げろ!

 何もわからないからとりあえず口角を上げている。電車で目が合うと時々笑いかけてくれる人がいて、ここにあるそのコミュニケーションはいいなと思う。日本では目が合ったらすぐに目を逸らすけれど、ここでそれをやるのはなんだか良くないことのような気がする。
 自分の顔が怒り顔でないことも、自分の体が小さいこともあると思うけれど、何よりファッションやら顔つきやら自分の外見に興味津々っていう感じの人が多い気がする。列車に乗っていてもバスを待っていても、カフェで誰かの椅子の後ろを通る時も、通りの雑踏の中でも、なぜか微笑みかけられる。何歳に見えているのだろう。

フランクフルトの1週間はずっと料理をしていた。インディカ米で作ったキムチチャーハンみたいなやつと、茹で野菜を醤油と砂糖軽く炒めたやつ
 金銭的にも心理的にも余裕がなくても、口角を上げてさえいればなんとなく意味があるような気がする。それだけで果たしていいのかなあなんて思うけれど、それで良いこともあるのだと思う。その昔、口角を上げる練習を鏡の前でずっとしていた時期があった。どうしてそうしていたのかはもうわからないけれど、ただそうしないと自分がダメになるような気がしていたんだと思う。絶望の中にいたとしても笑顔ではいたい。鏡に向かって叫び出したくなるのを堪えて、ニッコリする練習をしていた。鏡の中の私は時々、いきものがかりの「Happy Smile Again」という曲のことを考えていた。私は私らしく歩いていきたいけれど、その私らしくみたいなのがどうしてもわからなくて、でもとりあえず笑えてるし、生きているし、だからまあ、このままでもいいか。そんな感じだったと思う。20歳とかそのへんの頃。平昌オリンピックの羽生結弦も演技の前にニッコリしてた。笑うことで不安を吹き飛ばしたかったのだと思う。後のインタビューでなんかそんなことを言っていた。羽生結弦はパーフェクトすぎて、スケートファンとしては応援しがいがないのだけれど、時々彼の考え方は生きる上で参考になる。彼のインタビューはいつも面白い。

これはドイツで初めて行ったスーパーマーケット。ティモが連れて行ってくれた
 言葉が通じない環境に来て、自分の表現力が3歳児よりも低くなった今、嫌われる行動は避けたい。その観点からしても口角を上げておくことは戦略的にも有効だ。赤ちゃんはよく笑うけれど、それは周囲に愛されるためらしい。生存本能としてそういう機能が備わっているみたい。家庭科の授業で杉本先生が言っていた。笑顔を絶やさないことはお守りにもなるけれど、同時に生存戦略としても有効なのだ。それは20代後半になっても有効なのかはわからないけれど、言語がわからない場所に来ている今の私にはすごく大事なことだ。
 
 気の弱い人間だと思われることは別になんとも思わないのだけど、気の弱さにつけこまれることは嫌だ。まだこっちに来てそんな風にはなっていないけれど、誰かと一緒にいることに重きを置きすぎて、自分のやりたいことができなくなっていたらよくないなと思う。主張しないといけないところは主張しないといけなくて、だからそのバランスが時々難しい。

ポン酢を作って焼いたナスビにかけて食べるというのを毎週やってる。ナスは安いときは1キロ1.5€(220円くらい)
 口角を上げて無害な人間であることをアピールするのは良いけれど、自分がもっと快適に過ごすには、言いたいことを言わないといけないわけで、その過程では自分の浅はかさや人間の小ささ、未熟さがバレることもある。いつも口角を上げて愛嬌で誤魔化すのはその場しのぎでしかなくて、真摯なコミュニケーションではない。愛嬌は大事だけれど、もっと仲良くなるには一歩二歩踏み出さないと。
これから言葉を段々獲得していけば、口角を上げるだけではダメな時がくる。その時、私は自分とも世界とも戦わなくてはならない。その戦う準備はいつまで経ってもできた気がしないけれど、それでもやっていかないといけない。いつも準備はできてないけれど外に出ないと始まらない。

いつものバス停

 

 
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#209 167番のバス

 地下鉄から乗り換えて、駅前でバスを待つ。私の乗る27番のバスはさっきから待てど暮らせどやって来ない。この5分ぐらいずっと「あと12分で到着」のままだ。ちょうどラッシュアワーで、バス停の周りは人で溢れている。ドイツ語で電話に向かって何か叫んでいる人もいるし、ドイツ語ではない言葉も聞こえる。叫んでいる人は日本よりも多い。通りに座って金を集めている人も時々叫んだり歌ったりしている。昨日は叫びながら何かしらのパフォーマンスをしている人がいて、ドイツ語がわかったら面白いのだろうなと思った。昨日は隣のベンチにロシア語を話す親子がいた。抱えた花束について、なんとかかんとか言っていた。他の都市もそうだと思うけれど、ハンブルクでも時々ロシア語が聞こえる。自分の知っている言語が聞こえてくるのは嬉しい。ハンブルクに来た初日、メトロで誰かが「О чём?」と言うのを聞いて振り返ったけれど母親が幼い息子に話しかけていた。

Hamburgの中心
 ハンブルクではまだ日本語は聞いてない。別に日本語を聞いても嬉しくないと思う。私は日本から離れたくてずっと外国語を勉強している。ハンブルクに来る前にいたフランクフルトでは日本人とカフェで鉢合わせた。ハウスメイトのジュリアと街に出てカフェに入った時、隣のテーブルには日本人の男女が4人座っていた。旅行者という雰囲気は全くなくて、きっとドイツで働いていたり家庭を持っていたりするのだろう。羨ましかった。きっと彼らはドイツ語がペラペラでお金もあるのだろう。彼らのようになるのが目標だと思った。けれど自分が恥ずかしかった。私は『イラストでわかるドイツ語(もちろんCD付き)』を机の上で広げていて、せかせかとノートに書いているのだから。別に勉強しないよりいいし、私は私の方法で前に進んでいくしかないのだけれど、やっぱり焦る。ちなみにジュリアは大学院に行くための化学の本をKindleで読んでいた。

好きな歌手の影響で高架線が好き
 バスはまだ来ない。今目に入る文字。「アジア・アフリカ・食品」と書かれた店。床屋。薬局。クロアチア・国際料理のレストラン。マクドナルド。目に映るもの全てがまだ新鮮で、だから純粋に毎日が楽しい。考えることも感じることもたくさんあって、全てを書き残しておきたいけれどそれは難しい。時間は有限で、私は自分の食べるものを作らないといけないし、勉強もしないといけない。毎日毎日好きなことを書いていたいけれど、それだけをしていたら病んでしまう。
 
 メモ帳がわりにしている裏紙にドイツ語の文法事項を書いて、電車では暗唱しているのだけれど、時々余白にメモをしている。語学学校にいて、英語を学び始めた時のことや、ロシア語を学び始めた時のことを思い出している。津田英語塾、学校の内田先生の英語の授業。この場所をまだ自分のものにできていないという焦り、不安。自分の不自由さ。
 
 視線を感じて顔を上げる。考えていることをメモするのに夢中になっていたけれど、こちらを見ている人がいる。2秒ほど見つめあって、どちらからともなくニッコリする。女の人だ。年齢はわからないけれどニキビがあるから多分20代。買ったばかりのイチゴを手に持っている。きっと仕事帰りに八百屋に寄ったのだろう。ドイツ語で八百屋ってなんていうのだろう。自分はどういう風に見えているのだろう。日本人? 東アジア人? アジア人?

 なんだ。ずっと見てくるじゃないか。私が今かぶっている帽子には日本語で「コーヒーキャンプ」と書いてある。もしかしたら彼女はそれが読めるのかもしれない。
 異国にいて、じろじろ見られる経験はある。初めは怖いなと思っていたけれどきっとみんな私に興味があるだけなのだと思う。最初から人種差別的なことを言ってくる人もいるし、話を途中まで聞いて差別的な人間だとわかることもある。モンゴル、ロシア、ミャンマー、韓国、イギリス、台湾、ジョージア。いろんな人が話しかけてくれた。
 私はメモ帳に文章を書くふりをして、その場をやり過ごすことにした。ずっと視線を感じていた。程なくして167番だか168番だかのバスが来て、その女の人は乗った。乗り込んでもガラスの向こうからこっちを見ていた。行き先はWで始まる知らない街。ハンブルク郊外のベッドタウン。きっと来週には地理も発音もわかっているのだろう。でも今はまだ全てが靄の中。あんなに見てくる人は初めてだから今度見かけたら話しかけてみよう。

 
 
 
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