シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいる者です 文章を書くのを仕事にするのが目標です。夢は世界一周です

#182 引き算の人間関係について。角田光代『対岸の彼女』を読みながら


 結局人間は分かり合えないのだと思う。そして最後は傷つけ合って終わるのだと思う。楽しいのは最初だけ。大学に入ったあの頃。可能性の青い扉が開けて、誰とでも友達になれそうだったあの数週間。あるいは高校、中学、小学校。
 誰かと仲良くなる。一緒に時間を過ごす。その人のことがわかったような気になる。それなのに時々その人は全然知らない顔をする。「ああ、知っていると思っていたのに、全然知らない人なんだ」
 当たり前のことを確認。また再確認。そのうちに人間関係ができる。仕事ぶり、家族構成、趣味。部活でスタメンかそうでないか。最初はふとした歪みから。
 チューブから出た歯磨き粉が元には戻らないように、人と人の関係も、一度進み始めるともう元には戻らない。穴が一度開いたら船はもう沈むだけ。見切りをつけて救命ボートに乗る。まだ生きている人を探して、呼び集めて、そして次のステージへ。
 
 人間関係は出会った頃からの引き算だと思う。あるいは長い間そう思っていた。そういう風にして生きている。私のこの告白を、あなたはどういう風に受け取るだろう? ロシア語専攻の先生たち。ちゃんと仲良くなれた一握りの大学の友達。もうほとんど会わないけれどこの世界のどこかに確かにいる高校の友達。今いるバイト先の同僚、先輩。よく行くカフェの人。
 
 スキーヤー新雪を探して歩き回るように、私は新しいものを探している。新しい人、新しい場所、新しい勉強。驚くほど簡単に何かを好きになり、知ろうとする。近づけば近づくほど、知れば知るほど、その人からは遠ざかる。知らない顔が出てくる。度量の大きな人なら、その知らない顔さえ愛せるのだろう。でも私は知っている人の顔の知らない表情を直視できない。正面から太刀打ちできない。昨日まで「同じ」国にいたのに今日から「違う」国にいる私たち。「なんだ、今まであなたは、私と「同じ」であるかのように偽装してたのね」勝手に裏切られたような気持ちになって、また引き算。最後にゼロになって、私はその人の元を去る。苦言の一つも言わずに。もちろん喧嘩なんてしたりしない。無言のままでフェードアウト。

 大人だと思っていた友達の子供っぽい愚痴にうんざり。友達の異性に対する態度に幻滅。酔った勢いで罵倒してきた先輩。お金があるからって、成金が好んで乗るようなそんなつまらない車に乗らなくてよくない? なんでそんな人と付き合ってるの? へー、そんな映画が面白いと思うんだ? さっきの態度、誠実じゃないんじゃない? あんた、さっきから口を開けばお金の話ばかりしてるね。昔からそうだったっけ?
 
 減点減点減点。チェックボックスにマークが付けられていく。お前らなんて大嫌いじゃ。元から好きやなかったんや。そもそも住む世界が違ったんか。言い訳言い訳言い訳。でも心の中ではわかっている。そうやって突き放すのではなく、歩み寄る方が大事なのだと。そうした歩み寄りが人間としての大きさであり、世界を良くしていくために必要なのだ。漠然とではあるが、平和な世の中であって欲しいとずっと思っている。
 
 角田光代の『対岸の彼女』を読む。寮の洗濯機と乾燥機を待ちながら。面白い。面白すぎる。ページをめくる手が止まらない。今朝起きたのは遅かったし、明日も早くないから少しくらい夜ふかししてもいいだろう。そう思ってまたページをめくる。次の章。また次の章。
 
 2人の主人公が出てくる。結婚して出産し、仕事を辞めた専業主婦の田村小夜子と、旅行会社を運営している楢橋葵。同じ大学出身であるということ以外に特に共通点を持たない2人の人生が交差して、そしてまた別れていく。そんな話。
 
 現代の小夜子の話と、高校時代の葵の話が交互になって物語が進んでいく。肩書きや家族構成、職業だけ見れば大きく異なるように見える彼女たちだけど、実際にはそんなに単純なものではないことが次第にわかる。ある場所を見ればとてもよく似ているし、また違うところに目をやれば、全然違う。人間というものはそうそう単純なものではなくて、モザイク壁画のように色とりどりのタイルが積み重なって全体像が出来上がっているのだ。でも私たちは時間がない。その人の背景にも家族構成にも思いを馳せるだけの余裕がない。その人のことを手早く理解しようと思えば、履歴書やゴシップ、誰かの噂話がなかなかに便利で、ついついそれに頼ってしまう。そして、たった数回の事象を見ただけでルールを見出し、その人のことを決めつけてしまう。悲しい。
 
 生まれてから現在まで、その人の人生を追体験できればいいけれど、でもそれは不可能。そもそもそうしたところでその人のことを全部理解できるとも思わない。逆に全部理解し尽くせないことに、世の中の面白さがあるとも思う。でもそれはまた別の機会で。長くなりそうだから。もうすでにかなりとっ散らかった文章だし。
 
 小夜子の視点で語られる現代では、葵は、女社長であるという肩書きだけが一人歩きして、色々と勘違いされている。それは彼女の自由でフランクな言動のせいでもあるのだけれど、高校時代の葵のことも並行して知っている読者は不思議に思う。高校時代の葵にはいじめのために横浜から群馬へ転校をした経験があり、クラスでの序列や人間関係について気にしている。そこには現代の葵に見られるような「浮ついた」姿はなく、むしろ引っ込み思案で周りの目を気にしてしまう物語冒頭の小夜子に似てさえいる。当然、高校時代の葵も現代の葵も同じ人物ではないから、それは普通のことだ。でも読者は不思議に思う。大方の予想通り葵の高校時代には何かしらの事件が起こり、彼女も変化していく。
 
 一度分かり合えたかのように思えた小夜子と葵も、やはり結局は分かり合えず、彼女の人生は束の間交差しただけで、再び別方向へと向かう。そういう話だと最後の最後まで思っていた。だからこの本のタイトルは『対岸の彼女』なのだと。川を挟んで別々の国にいる人たちの物語なのだと。でも角田光代が用意した物語のエンディングは予想と違っていて、生きる上で勇気をもらえるようなものだった。
 他人を理解するために臆病さに打ち勝つこと。そして自分の人生を切り開くために人間関係の中に居続けようとすること。そういうことを考えながらあとがきを読んでいた。乾燥機はとっくの昔に止まっていた。

 そうそう、角田光代は神奈川県出身らしい。前の記事でも書いたけれど、私は現在箱根の旅館で働いていて、休みの日には小田原や湘南、そして横浜へと繰り出している。『対岸の彼女』の中では高校時代の葵が同級生の魚子(ななこ)と横浜を歩き回るシーンがある。そして静岡の海沿いの民泊でバイトをする場面もある。最近の私は熱海や三島、伊豆にも行っているので、何となく土地勘のようなものができていて、その分楽しめた。人生の中で、たくさんの場所や物を知っていけば、文学をもっと楽しめるようになるのかもしれない。それだけでもこの世の中は生きる価値があると思う。
 
 
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