シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#228 OK。眉毛は後回し

 眉間に毛が生えていて、そろそろ切らないといけないなあとか考えている。そういえば昨日スーパー並んでいる時、前に並んでいたお爺さんがとても立派な眉毛をしていたなあと何となく思い出す。その前に並んでいたお爺さんがかなりの曲者で、レジの人と何やら話し込んでいた。というか意思疎通が難しい感じだったからボケているのかもしれない。「ボケる」という少し残酷な響きをもつ動詞で表現するのは勇気がいる。私はその時繰り広げられていたドイツ語の会話を聞き取れなかったから、もしかしたら実際はそのお爺さんはボケていなかったのかもしれない。私が聞き取れた範囲では、お爺さんはカルボナーラの作り方をレジ打ちの店員に聞いていたのだと思う。長い行列の一番前の人がそんなことをするのは多分変だし、結局カルボナーラのためにレジに持ってきたと思われるマヨネーズのボトルを、お爺さんはレジに持ち込まなかった。

 脇に置かれたマヨネーズの白いボトル。駆けつけた別の店員が回収していった。10分後には、カルボナーラを食べたかったお爺さんに手に取られたことなんてまるでなかったような顔で、ケチャップの横に並ぶの。

 最近わかってきた自分の行動に、後回し癖がある。床屋、ビザ、携帯電話、銀行の手続き。別に何でもいいけど、例えば作りたい料理をインターネットで見つけたとして、それを本当に作るまでに最低2週間以上かかるらしい。その間に物事が変わったり、自分の興味関心が移って、そのレシピに戻ってこないこともあるのだけど「本当に」作りたいと思ったものには戻ってくるみたいだ。きっと眉毛を整えるのにも時間がかかるのだ。

「眉毛整えた方がいいよ」
最初にそう教えてくれたのは中学校からの同級生。2021年の秋だった。一緒にドライブしたのに、その人はなぜだか黙っていて、そのせいで何だか不安な時間を過ごした。久しぶりに口を開いたかと思えばそんなことを言ったので、何だか腹が立った。
 ひどい交通事故の後だったからか、ADHDであることを真剣に疑い始めた時だったからか、不安な時期だった。卒業論文から目を逸らし、モスクワの大学院に行く手続きをモモエちゃんに助けを借りながら何だかんだ進めていた。今思うと本当に適当にやってたなと思う。「本当に」やりたいなら正しいやり方でやらないといけない。自分がやりたいやり方ではなく。自分には譲れないこだわりがあって、自分なりの順番があったとしても、そのこだわりを理解してくれる人なんて一握りだ。
 市役所の人も国費留学プログラムの担当者も、年金事務所ハンブルクの外国人局もそんなの関係なしに彼らの仕事をしている。それって何だか怖い。自分が置いていかれるような感覚がある。座っているこの椅子が急に後ろの方向に回転し始める感覚。どこか高くて暗い場所にいて、地上の光を見下ろしている。交信はもうすぐ途切れる。

 私は結局ADHDではなくて、ADHDのように感じる自分の状態は、長い間抑鬱状態にあることが原因みたいだった。「愛着状態かもしれませんね」そんなことも精神科の先生は言った。それはネットに落ちているような簡単なチェックテストではなくて、心理カウンセラーさんとの3時間にわたる心理テストの結果だったから、一応は納得した。
 一応は納得するけれど、自分の心を知ろうという試みは、正直終わりがない。みな安直な考えを持って病院に行きたいと思い、占星術の結果を知ろうとする。強迫性障害もある気がするし、境界性パーソナリティ障害もある気がする。アスペルガー障害は確実にある気がする。全部ちゃんと確かめたいけれど、確かめても何にもならないかもしれない。私はきっと、小学校低学年の時点で、何となく自分の頭がおかしいことに気づいているのだけど、それがどうおかしいのか自分でも説明ができなくて、ずっと困っている。精神病の名前とか、アルファベット4文字で16種類に分類されるやつとか、一時期流行った「HSP」とか。そういう「誰か」が決めた枠に自分を当てはめることで、自分をわかりやすく伝えることができる気がする。でもそれでは「本当の」自分を伝えるために誰かの言葉を借りている気がして、別のモヤモヤが発生する。

 相談しても家族の口から飛び出すのは「シゲはうつ状態に見えないけどなあ」という言葉だった。でもどうしてそんなことが言えるんだろう。もうそこで話が終わってしまうじゃない。理由がなくて言っているわけじゃないのに。でももう一つひとつ説明しようとも思わない。ただただ心と心の距離がどんどん離れていくだけ。この話はもうできないし、頼ったりもできないってことよね。
 家族と話すたび、いつの間にこんなに遠くなってしまったのだろうと悲しくなる。毎回さようならと小さく呟く。私だけが違う重力に引っ張られているのだろうか。重力に引っ張られてたどり着いたその場所には私のような人たちがいるのだろうか。そこで私は「本当の」私に出会えるのだろうか。

「じゃあ、シゲの状態に名前がついたからと言って何か変わるわけ?」
 家族の誰かが言ったのは全くその通りだと思う。今までもこれからも何も変わらない。私が病気だろうが病気じゃなかろうが、関係なく日々は続く。でも、少なくとも病気という診断があることは、お金を払って何かしらの定義づけがされたことは、自分の助けにもなるはずだ。闇雲に進んでいくだけの力がもうなくなった以上、その定義によって自分のことが理解できて、助けになることもあると思うのだけど。まあ自分でやるしかないか。
 
 死んだ祖母ならわかってくれたかも知れないと時々思うこともあるが、そんな風に思うのは死んだ人だからだ。死人に口なし。死んだ人を味方にすることは簡単だ。
 残念ながら生きていても死んでいても父はわかってくれないと思う。自分の知る限り、彼は高度な情緒を持たず、他人対する関心も持てなかった人だ。2023年に彼の亡霊がハンブルクにいる私の枕元に現れたとして、まるで、理解できないだろう。理解してほしくもないし。
 
 ××××。
 
 安心できる人に安心できる場面でしか言えなかった。もっとオープンな感覚で生きていたら違ったのだろうなと、ドイツに来て思う。どうしてか私はとっても自意識過剰で、それは日本からドイツに来てもそんなに変わらない。でもそんな風に深く考えすぎることは、この国ではそれほど美徳とはされていないように思う。だから、自分がクラスにいる誰かを観察していることとか、バスの中で観察していることは、もしかしたら理解しがたい変なことなのかも知れない。


 眉毛のことを言われたドライブも、きっと普通のドライブだったのかも知れない。自分が変に考えすぎて、勝手にしんどくなっていたのかも。周りを見て、気を遣うことは大事だけど、そのせいで自分が苦しくなるのなら、ちゃんとバランスを取らないといけない。誰のために生きているのかわからなくなる。
 
 今日も地下鉄や通りにはたくさんの人がいて、その向こうにはそれぞれの家族だったり友達だったりがいる。それぞれの物語が同じ街で進んでいく。同時に自分の毛も伸びる。今日シャワーの時にちゃんと剃ろうと思う。
 
 
【Aufsatz016】

„Die Frauenquote in Japan"

Es gibt 23 Politiker im japanischen Kabinett. Wie viele davon sind Frauen?

Nur vier. Außerdem ist jeder siebte Politiker des Parlaments eine Frau und der Rest sind Männer.

 

Laut des Global Gender Gap Report des Weltwirtschaftsforums liegt Japan auf dem 125 Rang. Besonders im politischen Bereich wird Japan schlecht bewertet.

Zum Beispiel wurde im Juni dieses Jahres in Japan ein G7-Ministertreffen organisiert. Bei dem Treffen geht es um die Gleichstellung der Geschlechter und die Stärkung der Rolle der Frau. Daran haben Ministerinnen von den sechs Ländern und von den EU sowie ein Minister teilgenommen. Natürlich kam es aus Japan. Nach den Treffen hat Minister bei seinem Interview nach dem Treffen, dass ihm von anderen teilnehmen der Sitzung geholfen und er inspiriert wurde. Zwar ist das eine beschämende und lächerliche Nachricht, aber solche Probleme passieren jeden Tag in meinem Land. Schade drum.

 

Wie ist die Lage an der Uni?

Lange Zeit waren Frauen immer zuhause und haben sich unten Haushalt gekümmert. Das war traditionelle Kultur laut der Gedanken in Japan. SolcheAtmosphäre existiert noch. Einige Eltern wollen für Töchter beim Studiengang weniger als Söhne. Jetzt hat sich die Situation verbessert. 48 Prozent der Frauen und 55 Prozent der Männer in meiner Generation gehen an der Uni und studieren. in den internationalen Studiengängen studieren viele Studentinnen. Mehr als 60 Prozent von den Leuten Frauen sind beispielsweise, in keiner sprachwissenschaftlicher Fakultät der Osaka Universität. Aber andererseits ist es schwer in Japan Frauen in der Naturwissenschaft oder an staatlichen Universitäten in Japan. Tokyo Universität ist eine der bekanntesten und Gesten Universitäten in Japan. Jeder fünf Studierende dort ist eine Frau.

 

Meiner Meinung nach ist Gleichstellung in der medizinischen Bereiche nicht schlecht. Einige von meinen klugen Freundinnen studieren in diesen Bereiche und arbeiten als Ärztin oder Krankenpflegerin. Meine Mutter arbeitet als Apothekerin und in ihrer Apotheke arbeiten viele weibliche Angestellte. Anzahl von medizinischen Fakultäten sind gleich. Das verursacht andere Probleme. Die medizinischen Universitäten Kosten viel. Nur die Töchter reichert von Familien können studieren und Ärztin werden. Wegen den Kosten geben vielen Studentinnen den medizinischen Studiengang auf.

 

Die Situationen um die Gleichstellung von Man und Frau ist nicht nur ein Problem. Es ist mit anderen Problemen verbunden, zum Beispiel, das wenige staatliche Budget für Bildung, die alternde Gesellschaft und niedrige Wahlbeteiligung. Bevor mein schreiben zu lang wird, beende ich diesen Aufsatz.

 

【今日の音楽】
 
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