シゲブログ ~避役的放浪記~

ありゃりゃ、みつかっちゃったぜ。全部フィクションです

#88 4回目の仙台

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 今メモ帳として使っているこのノートは実は2017年のスケジュール帳である。年始の家族旅行から始まり、農場での住み込みバイトで終わった2017年は本当にちゃらんぽらんな1年だった。精神的にとても不安定だった。多くの人に迷惑をかけてしまった。自分も落ち込んでばかりだった。私は明日から1週間農場で働くのだけれど、やはり思い出すのは3年前の南丹の農場のことである。つらい時期だったけれど土と植物を触っていたら自然と心が落ち着いた。今は心の状態も安定して、そんなに落ち込むことも少なくなったけれど、植物の感触や、「暮らしにつながる仕事」をしている感覚は恋しい。もちろん都会でも四季や自然を感じることはできる。けれど、時々生きているという実感が乏しくなって、そんな時自然の中にある生活が恋しくなる。

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南丹の農場。1ヶ月くらい過ごした

 

 私は今仙台にいるけれど、初めて仙台に来たのも2017年だった。人生で初めて北海道に降り立ち札幌を観光した後、苫小牧から仙台港までフェリーに乗った。仙台港から電車に乗り鹽竈神社を観光したのだった。そして夜は高校の同級生、R太郎君の部屋でアルコールを飲んだ。仲の良かった同級生にも電話をかけたりした。旅行先に知り合いがいるというのは嬉しかったし、昔のあれこれをまた語れて楽しかった。定禅寺通りの色づいた欅並木を歩いたり、美香園という広東料理の店であんかけ焼きそばを食べたのもこの時だったと思う。それが、もう3年も前になってしまった11月の7日とか8日とかそこらへん。

 仙台。前回は去年の10月に来た。目当ては山形国際ドキュメンタリー映画だったので、空港からレンタカーに乗って市内は素通りしたから、実質的に仙台に来るのは2018年の1月以来ということになる。その時も旅の目的地は仙台ではなかった。米沢市のドライビングスクールで免許合宿をすることにした私は、ついでに東北の他の地域も回ってみようとしたのだ。仙台市内や石巻、そしてすっかりおなじみになった山形に寄って、米沢市にたどり着いた。あれからもう2年も経ってしまった。

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鹽竈(塩釜)神社の紅葉

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定禅寺通りの欅並木

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広東飯店 美香園

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あんかけ焼きそば

 

 夜行バスを降りた5:30の仙台はまっくらで、空には月が、駅前にはマクドナルドが光っていた。店内にはかなりの人がいてこの街ではマクドナルドぐらいしか夜を明かす場所がないのかもしれないと思った。「朝マック」を頼んで、いつもの旅と同じようにノートに文章を書く。たまり場のようになっている店内は案外にぎやかだった。ひと通り文章を書いた後で、仙台市内をどうめぐるか考えた。仙石線石巻まで行きたかったけど、時間が無くなりそうなのでやめた。朝風呂を入れる場所や朝ごはんの美味しいお店を探したが、物足りない気がして、結局荒浜に行くことにした。2年前の1月と同じだった。

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地下鉄東西線。けっこう深い

 地下鉄東西線の一番東の駅、荒井駅からバスに乗り込む。前回1時間かけて歩いた道のりはバスでは20分足らずだった。2年前にはなかった大きな丘があった。津波が来た時にはこの丘に避難できるのだろうと思った。だいぶ工事は進んでいて家の跡地がアスファルトで整備されて、また「状態のいい」家の残骸が震災遺構となって近くまで寄って見れるようになっていた。相変わらず旧荒浜小学校はバス停の側にたっていて、でも今日はコロナウイルスのせいで休館だった。浜には観音像があった。何しろ家がないので遠くからでも観音様がよく見えた。観音像と慰霊碑の脇には若い松林が育っていた。浜から山側を見るとかさ上げ工事をしているのが見えた。かさ上げをしたところで人が戻ってくるのだろうかと思った。2年前にも同じ疑問を抱いていた。時間が経てば経つほどこの問題は切実になるのだろうと思った。

 昨日でちょうど9年だった。今日から10年目が始まる。9年間何もできなかったという感じである。14歳の時の何もできなかったという無力感は今もそっくりそのままある。

 1時間荒浜を歩いた。人の住んでいたであろう跡が至る所にあった。残った家の基礎を見ながら勝手口の場所や間取りを考えて、その家にかつてあった暮らしに思いを巡らしたりした。津波が一つの街を飲み込んでいく様を想像するとつらくなった。昨日が丁度311日だったので街には花束がいくつもあった。慰霊碑の所にも花があった。海水浴場だった岩沼海岸の近くには数台車が停まっていて、私がそこにいた1時間ちょっとの間にも数家族が献花に訪れていた。砂浜でバドミントンをしている親子もいた。砂浜はきれいなのだけど風が吹きつけて寒かった。白い波が飽きずに寄せては帰っていった。

仙台市若林区荒浜で多数の遺体」

その夜のラジオでひっきりなしに流れたセリフだった。私は眠れなくてウォークマンFMラジオを聴いていた。夕方のニュースの映像も原発の事故も未だに現実味が無くて、ただただ大変なことが起ってしまったと思った。暗いベッドの上に仰向けになって頭の中ではいろんなことがぐるぐる渦巻いていた。14歳の私は何を感じたのだろう。無力感? 絶望? 恐怖? あんまり覚えていない。

 次の日には中学校の卒業式があって、司会を務める国語の先生が「本日は祝いの式ですので、おめでたい表現が出てきます。予めご了承願います」みたいなことを言った。そこで私は、ここに座っている父兄の中にも、生徒の中にも東北にルーツがある人がいるのだと知った。ルーツでなくても、友達や家族が東北にいたりするのだろうと思った。当時金沢より北に行ったことのない私にとって、東北は異国のように思えていたが、先生の言葉で昨日のニュースが同じ国の出来事なのだと再認識した。小学校の同級生、Uさんのことも思い出した。彼女は仙台から転校してきたのだった。彼の地にはUさんの友達もいて、もしかしたら被害を受けているのかもしれないと思った。教室や廊下では至る所で地震津波原発の話がもちきりで、各々興奮した様子であった。

 浴室だけが残った家。門だけが残った家。暮らしの痕跡とそれよりももっとむき出しのまま残る津波の跡。貞山堀にかかる橋にもガードレールにも9年前の跡がそのままあって悲しかった。震災遺構は年々取り壊されたりしているけれど、毎日目にすることに耐えられない人もそりゃ確かにいるのだろうなと思った。9年間自分は何をしていたのだろうと思った。

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2020年3月12日

 

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バスは1時間に1本


 バスに乗り込んでまた
40分ぐらいかけて仙台市内に戻った。仙台市中心部と荒浜は別の世界のように思えた。ぼうっとしながら商店街を歩いたらミスタードーナツを見つけたので入った。いろいろ書いて、また出た。R太郎からラインが来て仙台駅でランチを食べることになった。待ち合わせの前に私は定禅寺通りを歩き、いつの日かの広東料理の店の横を通り、せんだいメディアテークまで足を伸ばした。コロナウイルスが紙面をにぎわしているこのご時世、展示はすべてキャンセルになっていた。私は伊東豊雄の建築が好きなので建物の写真だけ撮って、R太郎と待ち合わせをしている仙台駅の方にまた引き返した。

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せんだいメディアテーク。人は少なかった

 

 指定された仙台駅の改札前にはたくさん人がいたけれど、東北大学院生になった彼の姿はすぐに見つかった。前に会った時よりもかっこよくなっていた。彼はなんというか着実に「大人」になっている気がする。前仙台に来た時と変わらないバックパッカースタイルの自分が、ひどく間抜けに思えた。着てる服も高校の時と何も変わっていない。自分のことながら笑ってしまう。

 茶髪になって、でも人懐っこい笑顔はそのままの彼と、駅構内にある「ハチ」という有名な店に入った。二人でおそろいのハンバーグナポリタンを食べた。いつぞやのテレビでサンドウィッチマンが紹介していただけあって、とても美味しかった。パスタが絶妙の太さで、ハンバーグは切ると肉汁が溢れて、1週間毎日食べても飽きないだろうと思った。 1月にも会っているので、そう大して話すこともないたのけど、お互い今年が就活なので自然とそういう話になった。前仙台で会った時シゲはドキュメンタリーに興味を持ち始めた頃だったよな、とフォークをくるくる回しながら彼が言って、確かにそうだったと私は思い出した。「ドキュメンタリーを作りたい」とか夢ばかり語って何もしていないのだと思うと恥ずかしくなった。

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ハンバーグナポリタン。とっても美味しい

 東北大学コロナウイルスの影響で春学期の授業の開始が4月後半になったそうだ。それでも院生の彼は毎日研究室に行って勉強をしているのだという。今日も大学に行くのだと言って、ナポリタンを食べた後は青葉城の方に歩いて行った。高校の時のようにあっさりと別れて、私はバスの時間まで仙台駅周辺を歩くことにした。バスターミナルには宮城県内のみならず東北各地に行くバスがあって、ワクワクした。乗り場もバスの種類もたくさんあって、日本で一番心が高鳴るバスターミナルかもしれないと勝手に思っている。

 私は明日から宮城県北西部にある栗原市というところで働くのだった。これから2時間後には栗原市くりこま高原駅で降りて、新しい生活が始まるのだと知っていても実感がわかなかった。とにかく旅の疲れで眠かった。東日本急行のバスは時間通り13:50に来て、バスの座席に座った途端私はすやすやと眠ってしまった。 

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バスターミナル

 

 

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