シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#230 日曜日が終わらない

わが町Lütjenburg


 いつもバスに乗る停留所で今日は降りる。この時間のこの道を歩くのは初めてだなあと思いながら暗い道をトボトボ歩く。交差点を過ぎて坂道を降りていくと電灯もない真っ暗な道で、幹線道路の高架とその手前のスーパーまでは灯りがほとんどなかった。

 

 交差点から私を抜かした車がウインカーをつけて路肩に一時停車した。カーナビを入れ直しているのか、それとも。それとも私が車の横を通り過ぎるのを待っているのか。

 ドイツには推定16万人ほどの奴隷がいるらしい。「奴隷」という日本語はなんだか現代に即していないように思うけれど、暴力による搾取、経済的な搾取によって不当に虐げられている人がこの国には概算16万人。ドラッグの縄張りをめぐるマフィアの抗争は昔のHamburgにもあったらしい。今は移民コミュニティから発生したマフィアもある。そういうところで搾取されている人が推定16万人。ベルリンを旅行した時に、スペインから来て数日前に行方不明になった若者の写真がくり返し車内のスクリーンに流れていた。

一番近い都会、Kielの中央駅。ここからバスに乗って帰る。

 真っ暗闇で停まっている車がまた発車するまで私は歩かずに待つことにした。私は2日間ニナとマーティンの家に泊まっていて、だから大きな10キロ超のバックパックを背負っている。フードシェアリングでもらった麺が重い。手にはアボカドの苗木。いざとなった時、走れるか。一応鍵を手に持って反撃できるようにしよう。

 

 車は1分ほど停車した後で、幹線道路の方面に去っていった。ナビに住所を入力するのにかかる時間とほとんど同じ時間のような気もするけど、彼らが悪意を持っていたとしたら、ぐるりと回って後ろからまた来るかもしれない。一応気をつけながら歩こう。どこからか散歩中の犬の鳴き声もする。歩きながら電話する人の声も聞こえる。大丈夫だ。きっと大丈夫。

Lütjenburgは退屈な街といえば退屈である

 今日のことを振り返る。昨日のことを一昨日のことを。キールで電車を降りて、バス停に向かう時、どうしてだか肉まんが食べたいと思った。ラーメンもたこ焼きもお好み焼きも別に特に食べたくないのに、なぜかコンビニの肉まんは食べたい。ヤマザキ製パンの肉まんでもいい。神戸の一貫樓や老祥記、大阪王将551。有名な肉まんはたくさんあるのにどうしてコンビニなんだろ。まあ安あがりだからだろな。あるいはバスを待つという時間がコンビニを連想させたのかもしれない。箱根で暮らしている時、よくコンビニで買ったお菓子とか肉まんを食べていた。あの時、2022年の暮れ以来コンビニの肉まんは食べていない。

今井くん(ホテルの同僚)がキノコみたいと言ったホテル近くのバス停

 あるいは。列車の中で読んでいたチャットの送り主が横浜出身の人で、私の脳は無意識に中華街を彷徨っていたのかもしれない。いくさんと歩いた中華街、早朝にゆっくり食べたお粥。占い。野原の中で何度となく停車した列車は、結局30分遅れた。でもメッセージを読んで、返事に何を書こうと考えていたら一瞬だった。書きたいことが山ほど出てきて、日本語で文章を書こうとすると私の中の日本が溢れて溢れて止まらなくなる。

週末デートはチャイナタウン♪ 二人の距離は急接近♪

 同じ車両に乗る子供たちが走り回り、はいはいで来た赤ちゃんが私のリュックで掴まり立ちをした後でカラビナについているコルクを触ったり、ノイミュンスターから乗ってきた自転車乗りに席を譲ったり、心が動くことはたくさんあったけど、そんなのをいちいち書いていたらキリがないからここでは書かない。

カメラの裏側では子供達がめちゃくちゃ走り回っています

 友達とは免許合宿で出会った。不動産会社に勤めていると思ったけど今は同じ系列のホテルで働いているらしい。なんだ同業者じゃん、って思ったけれど私がホテルマンだったのはもう15ヶ月も前だ。「またホテルで働きたい?」ってこの前誰かに訊かれた時、私は反射的に働きたくないって言ったけれど、でも箱根の日々を思い出して、今の毎日と比べてしまうと、またホテルで働くのもいいかもしれないなと思う。インスタのストーリーにホテルの求人が流れてくるとクリックして内容を確認してしまう。

 前回のチャットは全国支援割引の愚痴だった。二人とも神奈川県のどこかのホテルで働いていて、だから少しのエネルギーと勇気があればもしかしたら2022年のどこかで会えたのかもしれない。

免許合宿で「米沢に行こう!」って思うようなユニークでアクティブな人たちだったからこそあんなに楽しかったのかも

 そんなことを今日は思うけれど、明日にも覚えているとは限らない。明日には明日の出来事があって、また違うことが気になるだろう。私たちがいつかどこかで会えるだろうなんていう絵空事みたいな想像を膨らませて、でも明日にはきっと忘れる。

 3週間前にあんなに電話したくてしょうがなった人のことも、先週から帰ってこないチャットのことも、半年おきに連絡をくれる友達のことも、きっといつか忘れる。忘れるのが怖いからこうやって書く。でも積もっていく紙が埃をかぶっていくだけだ。西宮の自室に積み上がったツバメノート。アップデートとともに消えたメモアプリの中の文章。ノートに挟まったまま清書されないままも紙きれ。そのまま忘れることが大半だ。今日の日の煌めきを、風の心地よさを、人の温かさを覚えておきたいのに忘れる。結局生きていることに意味などないのだ。ただ大事なのはここにいるということだけであって、あるいは誰かと連絡を取るとか、手元にある何度も読み返した手紙とか、最近よく思い出すこととか、そういうのだけなのだ。いつか忘れる。永遠の前に私もあなたも無力で、でも一方で確かに私たちは同じ時代を生きている。

売れ残って安売りされていたイースターのチョコ菓子と15年目を迎えるウォークマン

 さっきキールで見たもの。コンサート会場から漏れてくる音楽。会場の横にある四角い駐車場とその周囲にあるレストラン、パブ。2回すれ違った酔っ払い、あるいは薬物中毒者かも。やけに機嫌が良かった。東洋、あるいは南米系の顔をしていた。そういうのを見るとキールは都会だなと思う。人種的な多様性だけに限れば、今住む街は圧倒的に多様性に欠けていて、普通に私の方を見て笑う人がたくさんいる。辛いのは水曜日に空いているカフェの店員の態度。私にだけぶっきらぼうで、私にだけ冷たい。人間的に貧しい人達なのだと思う。もしくはとっても忙しいとか上司が嫌なやつとか、そんなんだろう。日本のサービスとの落差が信じられないレベルだ。サービスとは何か。リスペクトとは何なのだろう。この街に一年以上住むのはもう辛いと思っている。今のところ。土台となるいろんなことが違う。

一応イタリアン

 Googleマップによれば、知り合いに教えてもらったカフェが日曜の夜遅くまで開いているようだった。数日前にミンと一緒に行ったカフェと同じ通りにあるカフェ。緩やかにくねる坂を登るとそのカフェに着いたけれど、ボードゲームを売りにしたカフェで、どうやら個人客の私が座るスペースは心理的にも物理的にもなさそうだった。気後れした私は店の前で引き返し、代わりに駅前のレストランに入る。バスの出発まで2時間弱。90分はゆっくり座ろうか。

ちなみにノートはA6サイズ

 そのレストランは一応イタリアンで、一番安いメニューのマルガリータを頼んだ。コーヒーだけにする手もあったけれど、家に帰ってもどうせ料理する気にはならないだろうと思った。隣の少年たちが食べるピザを見ると、日本のインド料理屋で出てくるナン2枚分の大きさだった。これならお腹いっぱいになるだろうし頼んでみようと思って頼んだ。20分ぐらいかかったけれどぺろりと食べて、血糖値の上がった頭でぼうっとしながらまた文章を書く。隣の少年が会計を済まして、残った皿には三分の一以上のピザが残っていて、ウェイターはとってもイケメンだった。ジムとかでトレーニングしている感じの背がそんなに高くなくて、髪の毛をクルーカットにしたイケメン。中国語を話している家族が1組だけいて、ちょっと安心した。そんなのはこれから帰る街では起こり得ないことだ。ドイツに住むなら海の近い北ドイツに住みたいと思うけれど、でも移民として住むことを考えると都会の方が心理的に楽かもしれない。田舎は家賃が安いけれど、この閉鎖的な空気を吸っているだけでもうすでに私は辛いのだから。だとすればキールかフレンスブルク、あるいはリューベク。昨日行ったBremerhavenは結構良かった。ニーダーザクセンに住めばオランダにすぐ行けるなあとか考えて、でも家賃を調べたりはしない。こうやって、夢見て、永遠に生きる。夢を見て想像して、それだけでお腹いっぱいになれるくらいの想像力が私にはあって、それは幸せなことなのかもしれないなあと思う。マッチ売りの少女の話は貧しくても想像力が豊かだったからこそ、苦しまずに死ねた女の子の話なのかもしれないとこの頃思う。マッチは想像力のメタファーなんじゃないかって。

 バスに無賃乗車しようとした一人のためにそのグループ全員がバスを降りた。それを見て眉を顰めた女性はその数十分後に目の前でペンを走らせながら声を出しながら泣いている東洋人に驚くことになる。マルガリータは胃に持たれたりはしないけれど眠くなっている。万年筆にしがみついて書き殴る。停車の度に灯りがついたり消えたりするのにだんだんイライラしてくる。書いても書いても書いても足りない。話しても話しても終わらない。なのに明日の朝は6時に起きて6時半には家を出ないといけない。7時15分には働き始めて、また1週間が始まる。

Bioショップでおまけでもらった飴

 何かを変えたくてここに来たのに、結局来るまえにしていたことと同じことをしている。一見変わっているようで根っこは変わっていないのじゃないかと思って不安になる。不安になるだけ。何も変えたりはしない。

Preetzの駅前にある学校。建物がとても古い

 

 

 

Aufsatz017

„Die Rückfahrt aus Rotterdam ①“

Der Flixbus bog nach rechts ab und dass Wasser auf dem Dach floss am Fenster, sodass meine Welt vage wurde.

Die Leute um uns kommen und gehen täglich. Ich kann mich daran nicht gewöhnen, obwohl das immer und überall passiert. Eine Freundin von mir Giulia, die aus Treviso kommt und heute nach Budapest fährt, hat durch das Drehkreuz von der Station verlassen. Ich fühlte mich ein bisschen traurig, als ich ihren großen Rücksack sah. In einem solchem Moment werde ich kindisch und überdenkt, deshalb ist es schwer, den Abschied zu akzeptieren.

Einerseits kann ich unschuldig die Welt schauen wie ein 8-jähriges Kind, andererseits kann ich einfach verwirrt werden. Ich weiß, dass der Character von mir sowohl ein Vorteil ist als auch Nachteil ist.

 

Der Unterschied bereichert mein Leben und meinen Geist, sodass ich einfach gerührt werden kann. Meine Mein Emotion wegen des Unterschiedes sind bunt, darum habe ich große Motivation, zu schreiben und mich zu ausdrücken. Jedoch ist Zeit so kurz, dass ich alles nicht machen kann.

 

 

【今日の音楽】

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