シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#193 熱海に足を踏み入れる

熱海から見る東の海。真鶴の三ツ石海岸が見える
 Googleマップの示す住所に行ってもそこには「closed」とあるだけで明かりもついていなかった。ただ、確かにそこはゲストハウスの入り口であるようだった。どういうことなのだろうと思って予約サイトからのメールを見る。ああ、なるほど。チェックインは6時からだと言うのを見落としていた。時計を見ると5時前。それならゆっくり熱海の街を一周してみよう。そう思って海へと歩き出す。

浜辺に向かって降りていく
 歩き初めてすぐに坂の多い街だということに気がついた。海岸に迫るようにたくさんのホテルやビルがひしめき合っている。ちょうどこの熱海のある場所は丘陵に挟まれているだけで、少し車を走らせれば、山道になるのかもしれないと思った。そういえば、小田原からこちらへ来る東海道線も、山が多かった。海岸線が近いと思っても、海抜が高かったりした。正月に箱根の山から見た光景を思い出す。駒ヶ岳の頂上から見ると、伊豆半島相模湾駿河湾を分けていた。伊豆半島の先っぽは雲の中で見えなかった。

深圳の郊外。ビルとビルの間が近くて驚いた。
 旅はリンクする。昔行ったことのある台北や深圳の郊外。古い建物と新しいもの、綺麗な看板とオンボロになった看板が入り混じっていて、その混沌が不思議な魅力を生み出していた。
「熱海より、箱根の方が好きだな」と思って、でも箱根に来た時も最初は馴染めなかったことを思い出す。6月の箱根。もう半年以上も前になってしまったけれど、まだしっかり思い出せる。霧の立ち込める谷間。あちこちに咲く紫陽花。雨の中を走る登山電車。
 ここに住めばどうなるのだろうと、いつものように考える。熱海の砂浜は小さくて、なんだか窮屈に思えた。地元の砂浜の方が暮らしに馴染んでいる感じがあって好きだと思った。沖合に見える初島も、グリーンとブルーの光で照らされる椰子の木も『金色夜叉』の銅像も、なんだか観光客に見せびらかしているようなところがあって、悪趣味に思えた。

熱海の砂浜
 山の向こうに夕日が消えて、魔法のように空が綺麗になった。ビーチの近くにあるジョナサンのネオンが夕闇の中で怪しく光っていた。海岸沿いから引き返すと商店街があり「浜通り」「銀座通り」などと書いてあった。キラキラとした照明の下で紅白の垂れ幕が揺れている。日本中どこを探しても見つからず、もう絶滅したと思われていたかのようなフォントがここではまだ生きている。路地裏を通ると、数十年前にタイムスリップしたような気持ちになった。

熱海の路地は迷路みたいで面白かった
 1996年に生まれて、人口減少と高齢化の中で、観光地がどんどん寂れていく時代しか知らない私は、熱海も今までに見てきた観光地と同じように見えた。バブルの時代に発展し、弾けた泡と共に衰退した街。まだ何の愛着を感じていない私にはそんな風にも見える。
「ゲストハウスにを立てるために物件を探して熱海と湯河原に行きましたが、街が死んでいるという印象を受けました」
これは今朝まで働いていたゲストハウスのオーナーの言葉。物件探しからゲストハウス開設に至るまでの歩みがまとめられた冊子。リビングにあるこたつの中でページを捲りながら「強い言葉だなあ」と思ったのを覚えている。

1月中旬だったからか紅白の垂れ幕が出ていた
 確かに、熱海のどこに行っても「寂れた」感じは消えなかった。バブルの残り香のようなものが付き纏ってきた。ただ、歩くうちに、古いものと新しいものがごちゃごちゃと混ざり合う街並みが魅力的に思えるようになっていた。玉石混交のこの街ではきっと、ホテル選びに失敗して険悪なムードになるカップルがいるのだろうと思い、温泉旅館の乱立に伴って昔のように出なくなった温泉もあるのだろうとか思い、もしこの街に住むとしたら、そういう細々したディテールをも知ることができるのだろうと思った。永遠のように思える時間は実は有限で、明日の朝になると私はこの街を出る。いつか帰ってきたいけれどそれがいつになるかはわからない。

 
 気がつくともう6時前だった。熱海駅で降りて1時間以上経過していた。駅まで戻り、今日のゲストハウスに行くことにした。また駅前に戻って同じ道を歩く。色んな人がいる。バスに乗る人、土産物を買う人、スーツで改札を抜けていく人。
 
 ドアを開ける。ArtBar&Guesthouse ennova。正式名称はいつも長い。
 今度は明かりがついていて、人がいた。緊張した。初めての場所はいつも緊張する。宿の設備、チェックアウトのシステムなどについて教えてもらう。鍵を返す場所、シャワーの場所、ラウンジ。

ゲストハウス
 ennovaは、1階がバーで、2階がドミトリー、3階がラウンジになっていた。ラウンジにある共用の冷蔵庫に明日の朝食用に買ったご飯を入れる。名前を書く。少しベッドでゴロゴロして自分の眠気とお腹の空き具合を調べる。空腹といえば空腹だった。けれど、体はすでに旅行のモードに入っていて、食べなくても大丈夫だという感じもあった。でもせっかくだしバーで誰かと話してみよう。そう思って階段を降りる。扉を開ける前の一瞬。少し躊躇する。
 
「シゲはennova好きだと思うよ」
そんな風に素敵な場所を教えてもらったのが嬉しくて、こうやって来てみた。でも最後の一歩は自分で踏み出していかないと、楽しいはずの経験も楽しいものにならない。
 
 結果的にバーで過ごした時間は、かけがえのないものになった。素を出すのにいつも時間がかかるから、すぐに場所に馴染めた訳ではないけれど、時間が経つにつれて自分がその場所の「中」にいる感じがしてホッとした。そんなことあんまりないから。
 
 また来たいと思って、本当にまた来るかもしれないと思った。箱根にいた半年で、自分が思っている以上に自分は人間が好きだということがわかった。ホテルにいてもゲストハウスにいても接客業が楽しかった。そんな風に思うなんて思ってもみなかった。自分は人間が嫌いで嫌いでしょうがないのだと思っていた。ホテルでは来る人のそれぞれの幸せの形を見るのが楽しいと思ったし、ゲストハウスでも、人と話すのが楽しかった。もちろん、嫌な人も苦手な人もいたけれど、それも経験になった。

 ここにいて、このゲストハウスのオーナーさんのもとで接客を学べるような未来を想像した。それはとても有意義なことのように思えた。ドイツに行くまでの間、手続きがひと段落したら、また来ようと思った。あるいはドイツに行った後とか。
 
 箱根の生活が終わったことを実感し始めていることに気がついた。この半年間、拠点がいつも箱根にあった。箱根はいつも帰るべき場所であったのに、今朝HAKONE TENTを出て、もう当分はあそこに戻らないのだった。山を降っていく登山電車の中でぼんやりと窓の外を見ていた。小田原についてもJR東海道線に乗って熱海駅で降りても実感が湧かなかった。やっと、このバーカウンターに座る段になって、箱根の「次」のことについて考えている。オーナーさんがその日の気分でスパイスをブレンドするというカレーを食べる。辛かった。
 
 割り当てられたドミトリーには、自分以外誰もいないように思えた。すぐ寝る気になれなくて、ゲストハウスにあった茨木のり子の詩集を読んだ。

 次の日起きて、ラウンジから海が見えることに気づいた。曇り空だった。午後、東京でJと会うまでやることがないけれど、カフェに入って、今考えていることを書きたいと思った。昨日バーで教えてもらった熱海の温泉に行くのは次の機会にしよう。次があるかどうかは自分が決めないと。そう思って東海道線に乗り込んだ。座席で早速ノートを広げた。いつかまた来ないと。その時は熱海のことがもう少し好きになれるかな。

 
 
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