シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいる者です 文章を書くのを仕事にするのが目標です。夢は世界一周です

#177 セルフネグレクトして死んだ父のこと

 父が死んだ。
 本当に死んだ。嘘みたいだ。去年の7月に自分が交通事故に遭った時も嘘みたいだと思ったけれど、それと同じくらい信じられない。
 
 5月の2週目の火曜日。夜。普段は来ないSMSのメッセージが来ていた。父の姉だった。
「あなたの父親について連絡したいことがあります。電話でお話ししたいです」
どう考えても良くないことが起こったのは明らかだった。父親が私に会いたくないのは知っていた。だから次に会う時はお葬式だろうと思っていた。面倒だなと思う間に30分が経過して、このままかけずにいたら何年も経ちそうだった。仕方なく電話をかけた。案の定父親は死んでいて、驚くことに私は何も感じなかった。本当に何も。相手は涙ぐんでいる様子で、鼻炎であることを良いことに私は時々泣いているような声を出した。そんな風にする自分が嫌だと思った。
 
 半年近く父は誰とも会うことを拒んでいたみたいだった。ある晩にマンションの火災報知器が鳴って警察が部屋毎に住人を訪ねた。インターホンを押しても誰も出ない部屋があって、ベランダから警察が中に入った。異臭が察知され、中で死んでいる男が発見された。それが父だった。
 
 そこから父の姉へと連絡がいった。DNA鑑定。そして私へ。死後1ヶ月経った部屋がどういうものなのか知りたくてネットで調べた。一般清掃と特殊清掃。フローリングがどういう風に汚れるのか。虫はどういった風にわくのか。遺されたものがどう処分されていくのか。「セルフネグレクト」という言葉も初めて知った。
 
 誰にも相談できなかった。相談しても、結局のところ、私は何も落ち込んでいないように振る舞わないといけない。それが辛かった。父が死んだこと自体は、正直全然ショックではなかった。ただ、自分のこれまでの人生を、父の記憶が全くないままに生きないといけない事実を再確認しないといけないことが辛かった。
 
 親戚に相談した。その人はその人自身が家族について抱く不満を伝えてくれたけれど、正直それは迷惑だった。自分の地獄とその人の地獄。二つが釣り合うはずもなく、比べられるはずもない。その人が地獄を抱えながら頑張っているという事実は、私も頑張らないといけない理由にはならない。悲しみは比較されるべきではない。自分の不幸でマウントばかり取ろうとしている人もいる。大学の先生もそんな人だった。愚痴を一方的にまくしたてることを、親密さが現れと勘違いしている人たち。共依存の関係にあった過去の人たちを思う。弱い人が弱い人を搾取する構造。でもそこに明確な線はない。
 
 幼稚な疑問ばかりが浮かんでくる。最後に父が考えていたことは何だったのか。最後に食べたご飯は。最後に話したのは誰? よく行ったコンビニはどこだろう? 明らかに死んでいる人もやはり最初は救急車に乗せられるのだろうか?
 
 伝わってくる情報は全て、父の姉を経由する。彼女の意見は偏っている気がする。いつも父親をまるで10歳児のように話している。彼女は中学生以降の彼のことをどれだけ知っているのだろうか。過保護だったのだと思う。姉と弟。彼らにとっての父親は早く死に、目が悪い母親も、働けなくなった。父の姉は、高校生の父の三者面談にも行っていたらしい。そうした背景を知っているから一方的に非難はしたくない。ただただわからないことがあまりにも多い。父は自分の意見をどれくらい持っていたのか、どうして結婚しようと思ったのか。自分の子どもが生まれて嬉しいと本当に思っていたのか。父親のことはいつも二次情報。母から、祖母から、伯母から、そして父の姉から。祖父に至っては、私に何も教えてくれたことがない。まあ、それが祖父のいいところでもあるのだけれど。
 
 母や祖母の言うことに従いたくなかった時、家にいたくなかった時、父親のことを考えていた。なぜ会いに来てくれないのか不思議だった。裁判までして、面会する権利を彼は勝ち取ったというのに。本当に何もなかった。そのことをおかしいと思ったことはなかったのか。子どもを持つことの責任とはなんなのか。養育費を払う。年に一度母から送られる私の成績を読む。果たしてそれだけでよかったと思うのか。良心の呵責は?「私があなたなら、」と言いかけてやめる。私は父親にはならないだろう。なったとしてもあなたと同じことはしないだろう。
 
 強く会いたいと思ったのは高校1年生の時。私は高校を辞めようとしていて、家族の誰とも、祖母とも母とも伯母とも伯父とも話したくなかった。高校の誰とも話したくなかった。全員嫌いだった。急に世界の中で自分だけが独りになったような気がしたあの頃。
 私の中には父親から受け継いだ素質や、ある種の特性のようなものがあって、だから家族に拒絶されるのだと愚かにも思い込んでいた。映画と本、それと音楽だけが味方だった。でもそれだけでは満たされず、「父親のように」語りかけてくれる存在が欲しかった。
 
 進路に迷っている受験生の時、急に父親の意見を聞いてみたいと思った。私は「これから」を決めるのに「これまで」を知らなかった。母方の家族にはそれぞれの歴史があって、祖父の受験のことも、祖母が教師の資格をとったことも、知っていた。でも父方は、本当に何も知らなかった。
 
 幼いながら父の話題はタブーだと思っていた。父といる時の母がいつも楽しそうではなかったのを覚えているし、何度も話し合いをしていた。母を傷つけたくなかった。母子家庭はどこも父と子が会えないものだと思っていた。大学生になって、離婚しても自分の子どもには会いに行く人の存在を知った。その時はすごく驚いた。
 
 当時持っていた情報は、7歳までの自分が持っていた名字と父親の職業、それに働いているであろうエリアと住んでいる県。母親から父の名前を聞き出し、インターネット空間から父の写真が奇跡的に見つかった。がっかりした。全然似ていない。職場で撮った営業用の写真なのに、全く笑っておらず、睨んでいるようにも不貞腐れているようにも見えた。瞳にも口元にも全く表情がなくて、こんな人が父親であるはずがないように思った。授業中もやかましく喋らずにはいられない小学生だった私とは似ても似つかなかった。
 
 おそらくその時の彼は脳出血で倒れる前だったはずだ。その時には彼はまだ会いたいと言っていたらしい。脳出血になってリハビリが必要になって、一度は頑張るもののまた倒れる。2回目の脳出血でもう彼は働けなくなり、仕事も辞めざるを得なくなった。私が父の姉に連絡をとったのは2回目の脳出血の後だった。
 
「それで、あなたのお父さんは何も連絡をよこさないの?」
「うん」
「それならもう、捨てられたってことじゃない」
これは私が父に会いに行く一年半前の祖母との会話。父の病気を知る前の2016年4月。祖母の家のソファーでテレビを観ながら。祖母はその翌年に死んだ。
後になって深く傷ついた。大好きな祖母がそんなことを言うなんて。信じられない。でもまあその時も今も、捨てられたようなものだと思っている。だってそうでしょ。20年近く子どもに連絡をしないなんて。お金がないわけじゃないのに。
 
 大学2年目の時、全部嫌になって休学した。サークルも、つまんない大学も全部投げ出した。父親の仕事場に電話する。彼はもう仕事を辞めたと聞かされた。市役所に行って戸籍のコピーをもらう。隣の隣の県の住所。電車に乗る。乗り換える。駅から降りる。ああ、昔見た景色。駅前のロータリー。
 
 てっきり父か父の母親が出てくると思っていたのに知らない女の人が出てきた。父の姉だった。全部説明してくれた。脳出血で2回倒れたこと、小さい頃の私の思い出。私と母がある朝突然いなくなっていたこと。養育費を毎月払っていたこと。目が悪い父の母がその額について語りあきらかなため息をつく。父の姉がそれを嗜める。父の姉も父の母も私を責めたりしない。むしろ来てくれてありがとうって言っていた。 複雑だった。この人たちが母を苦しめたことは知っていた。それを、そのわだかまりをまだ私も二人も引きずっていた。過去は精算できないとしても、今日の楽しい思い出を覚えていて欲しかった。成長して、ちゃんと育った私を知って欲しかった。目の見えない老人の腕をとって私の顔を触らせてあげた。それが父方の祖母と会った最後。
 
 父が倒れて入院していること。回復は難しそうなこと。会わないでほしいという父の姉の願い。それは父が退院してからも同じだった。父は明らかに私と会うことを拒み、それを父の姉が私に伝えた。もらったDari K の父の姉が着ていたチョコレートとヴィトンの大きすぎるロゴ。
 私は父と会うことを諦めた。父を傷つけてまで、父の姉を傷つけてまで、病院へ会いに行こうとは思わなかった。私の中の父はその時に死んだ。だから次に会うときはお葬式だろうと思っていた。もしかしたら会いにいけばよかったのかもしれない。間違っていたのかもしれない。
 
 それから4年と少しが経って、父の姉からの電話。訊きたいことはたくさんあった。父親らしいことを何もしていないこと、会ってくれなかったこと、記憶の中にすらいてくれなかったこと。どうして結婚したのか、どうして子供を作ろうと思ったのか。自分の生に疑問を持っていた頃、知りたかったこと。
 
 おそらく食生活もめちゃくちゃでタバコも吸って、自暴自棄になっていたのだろうと思う。医者なのに2回も脳出血を起こすなんて。働けなくなってアパートに篭って電話も電源を切って手紙も読まない。最後は死因すらわからない。
 過干渉な姉からも病気になった自分自身も離婚した過去も全てから目を背けて逃避したのだろうか。状況から推測するに、そうなのだろう。一度くらいは私のことを思い出しただろうか。母と夜逃げしたのは4歳になる前で、名字が変わったのは7歳。その間に裁判までしてあなたは私に面会する権利を勝ち取ったというのに。何のための裁判? 母に嫌がらせをしたかったの?
 
 一度でも会えばいくらか違っていたのだろう。合わなかったために私の想像は止まるところを知らずに広がり続ける。そっちが何も言わないのだから、私が考えてあげないといけない。ずっと二次情報ばかり。私にとってのあなたは、いつも誰かが語るものだった。母や母の姉、祖母、そして父の姉。いつでも会えたのに。
 
 父が死んだこと自体はショックではなかった。ただ、自分の人生を再確認する作業だった。こうやって感じ考え、そしてこうやって生きて死ぬ。両親が揃っている家庭が死ぬほど羨ましかった中学時代のこと。自分の短所を全て父親の不在のせいにしたかった長い年月。一つひとつ思い出して、こんなことを考え続けないといけないことに嫌気が差してしまった。
 
 また父の実家に行く。遺影に手を合わせる。全然知らない顔。数年前に見つけた写真と比べるととても痩せていて同一人物には思えなかった。父の姉は私と父の共通点を見つけ出そうと一生懸命だったけれど、正直鬱陶しかった。父の話を聞いても何もピンとこない。「本当の」父はもうどこにもいないから、聞いても仕方がないなと思う。父の姉によって着色されたエピソードに叩いて意味があるのだろうか、とかそんなことを考えている。香典は断られた。受け取らないことにしているみたいだ。もうそれすらも疑ってしまう。私の香典だけ断っているのではないのかと。本当の父をどこかに隠しているのではないかと。だいたい本当に父は死んだのか?
 
 父だった骨にも何も思わなかった。父の姉にも人生があって、その人生にも地獄があるのだろうとは思うけれど、それは共有されることも分り合うようなこともなくて、ただ一瞬人生が交差しただけで、また別の物語が続く。
 
 帰る。最寄り駅まで歩く。関係なかったはずの戦争に巻き込まれて、その戦後処理をさせられている気がした。緑が眩しい。暑い。黒いネクタイを解く。少し腰掛ける。スーツが汚れるかもしれないけれど今はいい。お城がある。友達の出身高校がこのお城の中にあるとか、この街は私の好きなバンドの出身地だったとか思う。思うだけ。
 
 また電車に乗って2時間。家に帰って荷物を置く。服を着替える。そういえば今日は暑かった。シャツを洗う。干す。歩く。歩いても歩いても何もわからない。ただ海まで歩いて風と暗闇を感じる。私の住む街に海があってよかった。波音も海から吹く風も、揺れる草の音も、私を包んでくれる気がした。もう全部どうでもいいかもしれない。
 
 
〈あとがき〉
当然、悪態をつきながら書いています。
読んでくださってありがとうございます。
 
【今日の音楽】 
 
この記事を読んだ人にオススメ
シェアしてください。よろしくお願いします。