シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#221 レスターが降格した。それからドイツでフットボールの試合を観た。

 私が横浜スタジアム近くの路上で買ったレスターのユニフォームは プーマのロゴが入っていない。なぜならバッタモンだから。
 レスターが降格した次の日、友達とブレーメンに行った。グリム童話に出てくるあの音楽隊の彫刻と共に写真を撮り、ローランドの像の前でその大きさに驚いたりした。
 そうは言ってもこのところの私は疲れていて、正直行きたくなかった。アヌが遅れてくるのも、オープンマインドになれない自分も嫌だった。ビザのこととか色々考えていると焦ってしまって困る。ホストファミリーが送ってくれたリンクもまだ開いていない。私はドイツに来て大学院に入ろうと考えていたけれど、ドイツ語は難しくて、だから違う道を模索している。私はできるだけ長くこの国にいたいと思っているけれど、どうなるかわからない。なにしろビザのことがまだ進められていないのだから。

ハンブルク中央駅
 ブレーメンへ行く道でビザ関連のメールを送る。いつもは返信が来ないのに、今日はすぐ返信が来る。「このリンクからどうにかしなさい」と書かれている。アポイントメントを取り付ける段まで行くのだけれど、予約でいっぱいなのか予約が取れない。メールを送るけれど返事がない。来週までにメールが返って来なかったら電話をしてみよう。新しいSIMカードを買って電話をする。簡単なことだ。いつも後回しにしているけれどこれはもう後回しにできない。毎日毎日歳をとる。好きでも嫌いでも毎日毎日新しい日を積み上げる。できたら昨日よりも進んでいたい。

 ようやく遅れて来たアヌと合流する。彼は地下鉄の駅から鉄道の駅までの行き方がわからないと言ったので迎えに行った。歩いて1分もかからないけれど、そりゃ不安だよな。人も多いし。今日はキリスト教関係の休日。イースターから数えて50日目とかだと思う。違うかも。ドイツは政教分離の国だけど、キリスト教の祭日が休日としてカレンダーに組み込まれている。他の宗教の祭日、たとえばラマダンが終わる日などは祝日には含まれない。それってなんだか不公平だと思うけれど、ドイツはアメリカのような人工的にできた国家じゃないから、住んでいる人にとってはそれが当たり前なのかもしれない。キリスト教は私にとっては新しくて、だから時々奇妙に見える。薬物中毒者のように見える人が十字架を逆さにしたタトゥーをよく入れていたり、エホバの証人を信仰する人が通りに立っていくつもの言語で書かれたパンフレットを配っている。日本語はなかった。ロシア語のものが欲しかったのだけど、英語を渡されて、少しがっかりした。書いていることはちんぷんかんぷんだったけれどそれは自分の英語力のせいだけではなかった。プロテスタントの人が多いと思っていたけれど、ホストファミリーの通う教会コミュニティは人の交流を大切にしていていて宗派の違いなどはこだわっていないような気がした。Dr.P のホストファミリーはポーランドから来た人でカトリックらしく、ローマ教皇の写真が壁にかけられていた。その家にはヒンドゥー教徒でタミル人の彼の他にトルコ人とブラジル人が住んでいる。彼は明後日からニーダーザクセンのとある大学で働き始める。これからあまり会えなくなる。寂しいけれど、外国人として暮らしているのだから、そういうことはこれから多々あるだろう。時々連絡しよう。
 
 ブレーメンに行く電車の中で私はタッパーから水が漏れていることに気づく。この3日間で2回目である。土曜日は茹でた芋を入れていたタッパーがカバンの中で開いてしまった。今日はキュウリ。塩揉みした後の水切りが足りなかったのか、ナップザックがかなり濡れている。古いキュウリは硬くなってしまって、あまり美味しくなかった。持ってきたスサムジャンをつけた。この前アジア食品店で買った500グラムは3週間で無くなりそうだ。でもDr.P は美味しいと言ってくれる。彼はよく食べる。そうだ。彼と会うのは今日で最後になるかもしれない。だから今日は絶対に来ないといけなかったのだ。

観に行った試合のチケット
 ビザについて考えて、でも私の携帯は電車のWi-Fiをなかなか掴めない。仕方がないから私は一昨日のサッカーの試合について考えている。4部リーグに相当するレギオナルリーガの試合。ハンブルクレギオナルリーガノルド(北部)に含まれている。シュレスヴィヒ・ホルシュタインブレーメンハンブルクが合わさった地域にいる19チームが戦っていて、その日が最終節。優勝争いをしている地元のチームHSV ⅡとSC  Weiche 08というフレンブルクを本拠地を置くチームの試合。der Hamburger Sport-Vereinを略してHSV。強豪のチームだからセカンドチームもあるのだ。一応スカウト網とかもあるのだろう。10番をつけていた色白の選手はフィンランドの育成年代で有名な選手らしかった。ディフェンスラインに顔を出して中盤の底から試合を組み立てたり、機を見て上がってシュートを打ったりしていた。同じ中盤の6番の選手はドイツ代表の育成年代代表だったらしいのだけど、ルーツのあるジンバブエの代表を選択したらしくA代表で1試合経験しているらしかった。60分台に、時間稼ぎする相手選手に対しての抗議でしょうもないイエローをもらった彼は、80分過ぎにカウンターを仕掛けた相手フォアードを倒してしまい、退場になった。負けている状況でこれ以上時間を使いたくなかったのか、慣れているのか、すぐにピッチの外に出ていった。そして黄緑のビブスを着て試合を観ていた。

レンブルクの選手たち

こっちがハンブルガー
 その試合の前までハンブルガーはレギオナルリーガノルドの1位だったのだけど、ハーフタイムの時点で1点リードされていた。他会場で戦うリューベクのチームが試合をリードしていたために、優勝するためには勝たないといけなかった。
 終了間際、セットプレーのタイミングでゴールキーパーが前に出て行った後にカウンターを喰らって相手にゴールが決まり、2ー0で試合は終わった。全力を尽くしたという感じで、優勝を逃したハンブルガーの選手たちは地面に倒れ込んでいて、サッカー選手って大変だなと思った。きっと今日も観客席のどこかには他チームのスカウトがいるのだろうし、彼らはプロになるために毎試合ベストを尽くさないといけない。10番の選手は「Juho Kilo」という名前らしいのだけど、彼の成長は楽しみだと思ったので、これから追えるなら追ってみようと思う。プレースタイルがかっこよかった。

ハーフタイムになると一般の子供達もピッチに入ってボールを蹴ったりしていた
 対戦相手のフレンブルクはリーグ戦では5位のチームなのだけど、来週末にシュレスヴィヒ・ホルシュタインカップ戦決勝を戦うことになっていて、だから最終節でもちゃんと勝とうとしていた。コンディションも良さそうだった。ボールを支配するのはハンブルガーなのだけど、効果的なカウンターを繰り返スノがフレンブルク。ハンブルガーの左サイドがよく狙われていて、サイドバックと左ウイングの連携もイマイチだった。左サイドの攻撃が停滞したハンブルガーがボールを取られ、フレンブルクのカウンターというのが前半はよくあった。前半、目の前でウイングの23番とサイドバックの17番がポジションをかぶっていて、ヤキモキしながら見ていた。ハーフタイムで23番は交代させられてしまった。

キックオフ前の円陣にベンチの選手も一緒に入っていたのがいいなと思った
 ちなみに対戦相手フレンブルクのチーム名にある「SC」はSport-Club」の略。HSVのVも「Verein」という「チーム」を表すドイツ語なのだけど外国語由来の「Club」もOKらしい。Jリーグには名前に「クラブ」とか「チーム」とか入っているクラブはないと思う。でもドイツでは(ロシアのチームもそうなのだけど)同じチーム名の下にサッカーチームと共にハンドボールのチームや水球のチームがあったりするので、そういうのもあっての「スポーツチーム」なのだろうと思う。あと「Welche」は意味がよくわからない。柔和という意味もあるのだろうけど「ポイント」「転換点」という意味もあるらしい。今度誰かに聞こう。
 6月最初の週末、カップ戦決勝で、フレンスブルクはリューベックに勝ってタイトルを獲得した。
 きゅうりを分け合い、アヌのブドウとモモを分け合った後はやっぱりみんな疲れているのかイヤホンをして目を瞑っている。暑いし人が多い。それから花粉症もある。何より違う国に住んでいる。友達と一緒にいる時はイヤホンをしたくないというこだわりがあって、私は一人でいる問いにしかイヤホンをしたくないのだけど、でもインド人はそんなの関係ないのかもしれない。そんなことも考えていた。

ブレーメン路面電車があってよかった
 横のコンパートメントに座っている若者二人がさっきからずっとサッカーのチャントを歌っている。首に巻いているタオルのカラーを見るにマフラーボルシアMGのサポーターと思うけれど自信はなかった。チャントを聴きとるだけのリスニング能力はまだない。「まだない」とか言っているけれど本当にそんな日が来るのだろうか。


 ジェイミー・ヴァーディーのユニフォームを着ているからか、列車で席を探して移動する間「ヴァーディー!」と叫ばれる。その度にニコッとしたりヴァーディーのゴールパフォーマンスっぽい動きをしたりするのだけど同時に自分がアジア人ということも意識する。

試合後のピッチ
 レスターはタイ人オーナーの元であの偉業を成し遂げた。自分が知る限り、アジア人が所有するチームとして最初に成功を納めたチームだ。そしてレスターという街はイギリス国内でも多国籍な地域だ。そして一番大事なことは、ユニフォームのモデルにアジア系の人たちを起用していること。極東でヨーロッパのフットボールの世界を覗き込んでいる自分にとってそれは大きな意味があった。レスターが新シーズンのユニフォームを発表するSNSに私と似たような顔のモデルが写っているのを見て、フットボールと自分の距離が近くなるような気がして嬉しかった。
 今、ドイツにいて他人が自分の外見をジロジロ見るのに疲れている時に、レスターのユニフォームは少しだけ勇気をくれる。

 レスターが降格した。きっとすぐに1部に戻れるだろう。でも何が起こるのかがわからないのがスポーツ。
 
 
 
【Aufsatz009】
„Der Ausflug nach Lübeck 2“
Es ist einfach zu verstehen, wie eine Altstadt in Deutschland aufgebaut ist. Kirche, Rathaus, und Marktplatz sind im Stadtzentrum. Der Turm der Kirche ist der Höchste in der Stadt, denn man weiß so, wo die Kirche ist. Vor der Kirche gibt es einen Marktplatz. Touristen fotografieren dort. Du kannst Paare in Anzügen und Kleiden neben einem Gebäude sehen. Das Gebäude ist Rathaus.
Die Geschichte der Hansestadt Lübeck beginnt im zwölften Jahrhundert. Zeitgleich ist die Heian-Zeit in Japan. Heian-Zeit ist die Ära der Adligen. Berühmte Geschichten , wie „Genji-Monogatari“ und „Das Kopfkissenbuch“ wunden in dieser Zeit geschrieben. Im zwölften Jahrhundert endete in Japan die Ära der Adligen und die Ära der Krieger fing an.
In zwölften Jahrhundert begann in Deutschland die Wanderung nach Osten. Händler gründeten die „Hanse“. Lange Jahre galt Lübeck als „Königin der Hanse“
Dr.P und ich verließen und liefen in die Altstadt. Wie sind lange in einer Kirche geblieben. Wir sind keine Christen, aber die Dekorationen und die Ausstellung waren sehr schön und haben uns berührt.
Ich möchte mehr über die Stadt, zum Beispiel über die Haikatter oder die Ostsee schreiben, aber meine Sprache ist nicht gut genug.  Deswegen höre ich auf zu schreiben.
 
 
 
【今日の音楽】
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