シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#154 萩から下関、北九州へ

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◎令和元年 8月30日
 そんなに眠れていないはずなのに朝7時半に目が覚めた。昨日は二段ベッドの中でラジオを聴きながら眠りについた。岡村隆史オールナイトニッポン劇団ひとりがゲストで来ていた。劇団ひとりビートたけしのモノマネをやるコーナーがあって面白かった。YouTubeに落ちている、昔のコント番組、リチャードホールの映像を高校生の時よく見ていたけれど、一番好きなのは劇団ひとりだった。劇団ひとりが扮するのはビートたけしに憧れる尾藤武という男で、引っ込み思案な彼は窮地に立つとビートたけしのモノマネをして、自己を表現する。それがカッコよくて、面白かった。たけしメモを模して書かれた下ネタいっぱいのリスナーのメールを、劇団ひとりがモノマネしながら読んでいくのをニヤニヤしながら聴いていた。それが萩2日目の夜。

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 萩を後にする前に散歩に出かけた。菊ヶ浜には目つきの悪いカモメがいた。羽が毛羽立っているのでなんだか凍えているようにも見えた。見島、相島、大島へ向かう定期船の乗り場を見て、昨日のあのきょうだいとサッカーをした駐車場を通ってゲストハウスに帰った。歯を磨いて、レインコートと服にリセッシュをして(この旅行は原付で走ってばかりだったので洗濯をできるタイミングが限られていた。リセッシュを重宝していた)出かける準備をする。起き出してきた獣医学部の女の子4人と喋る。今日は元乃隅神社と角島を見て、下関に行こうとしていた。可能なら北九州まで行って、そこで宿を探そうと思っていた。ネットカフェかジョイフルがあればそれでよかった。旅の予定を話すと、西都出身の人は「昨日は角島大橋は綺麗じゃなかった」と言っていた。けれど昨日と違って今日は晴れそうだった。8時になって彼女たちは車に乗って出て行った。マクドナルドで朝食を食べるらしい。
 私は読みかけの林芙美子を読み(芙美子は1ヶ月のロンドン滞在を経て、パリへと戻るところだった)、日記を書いた。旅の日記というのは難しい。書きたいことがたくさんあるけれど、時間は有限だ。書くのに気を取られて現実の景色を見なければ本末転倒だ。バランスが難しい。オーナーのSさんが本格的に起きて、昨日長門で買った食パンを1枚くれた。これで元気はつらつ。角島までお腹が持ちそうだった。Googleマップを見ながら道順を確認する。元乃隅神社までは44キロ、そこから角島までは30キロ程度だった。角島から下関までは60キロなので、これは頑張れば夕方には下関に着けるかも知れなかった。一昨日に一緒に温泉に入った時、「津和野に行きたい」という話をしていたのでオーナーのSさんと「また来るので、今度は津和野に行きましょう」と約束してゲストハウスをでた。
 いい天気だった。国道191号線は混んでおらず、萩から三隅までの間で、私を抜かしたのは車2台だけだった。雨や通行止めの影響はほとんどなく、快調だった。途中、曲がる箇所を間違えたおかげで、千畳敷という海のそばの丘から日本海を望むスポットに寄ることができた。地球が丸いことがわかるほど一面の青色だった。カモメのいる波打ち際もいいけれど、こうやって高いところから見る海もいいなと思った。風力発電の風車があって、キャンプ場があって、草原にはトンボがたくさんいた。小さなカフェもあった。やはり海が好きだと思った。都会育ちだけど、小さくても砂浜のある街で育った私は、何か考え事がある時は砂浜を歩くような子供だった。そのせいか今も旅に出る時はできるだけ海を見たいと思う。

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定期船乗り場
 狭い道なのに観光バスが走っていて、元乃隅神社に近づいているのがわかった。伏見稲荷と同じく、稲荷様を祀っていて、ずらりと鳥居が並んでいた。海の近くではあるけれど棚田もあるし、ここは農業の神様なのだと思う。観光地になっていて、駐車場を誘導する係の人がいた。鳥居は海側と山側のどちらから歩き始めたらいいのかわからなかったので、係の人に聞いた。一度海の近くの下の鳥居まで降りて、そこから上の大きな鳥居まで登るのが正式なのだと教わった。

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元乃隅神社
 ずらりと並ぶ赤い鳥居には奉納した人の名前と住所が書いているのだけれど、地元の人以外にも大阪や愛知、鹿児島の住所があった。明日あたりに行こうと思っている直方の誰かも奉納していた。4、5年以内に奉納されたものが多かった。一度下まで降りると海が近かった。海水の侵食によってユニークな崖の形が造られていて、面白い形の岩や凸凹があった。どういう由来かはわからないけれど、お地蔵さんのある祠が3つあった。
 鳥居の中を通って上まで行くと息が上がった。リュックサックを原付のところに置いておけばよかったと思った。一番上のベンチに座ってぼうっとした。その後で角島までの行き方を調べて、重い腰をあげた。

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角島大橋

 昨日の海は雨で濁っていたらしいけれど、角島大橋から見える海は綺麗だった。私が一番よく知る海は大阪湾なのだけど、日本海側は瀬戸内海と何かが決定的に違うように思う。CMの撮影によく使われる2キロ弱の端は結構長かった。景色が変わらなくて、角島に着く頃には飽きてしまった。せっかくだからと思って島の中をうろうろしたけれど、嵐の後だったので海岸はゴミが多かった。昼下がりのアスファルトの上で寝転んでいた猫が、目やにの溜まった目でこちらを見つめ返していた。

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唐戸市場

 お腹が空いていた。しかしどうせご飯を食べるなら下関まで行こうと思ってまた原付にまたがった。191号線は途中通行止めになっていて、迂回しなければならなかった。途中で迷ったりして、結局3時前に下関に着いた。唐戸市場はもう店じまいが進められていて、乾物しか売られてなかった。結局近くの小さなお店でフグの天ぷらが乗った丼を食べた。フグ刺しを看板に掲げる店がたくさんあったけれど、どの店も値段が高くて入れなかった。今までほとんどフグを食べたことがないので、自分がフグを好きかどうかわからなかった。フグの唐揚げも、美味しかったけれど、他の魚との違いがいまいちわからなかった。誰か、私をてっちりに連れて行って欲しい。ちゃんとしたやつを一度食べてみたい。
 対岸の門司港旧門司三井倶楽部という建物にあって、その2階に林芙美子記念室があった。17時に閉館する前にそこに行きたかった。フェリー代400円をケチって歩くことにした。関門海峡の下のトンネルを通って歩く1時間ほどの散歩。リュックサックが重かった。壇ノ浦の義経像の前を通り過ぎて、エレベーターを降りて、海面下のトンネルを歩く。地元の人がウォーキングやランニングをしていたり、なかなか活気があった。夏休み終盤の子供たちがはしゃいでいた。下関側と門司側でスタンプを押せるようになっていて、楽しみながらノートの裏表紙にスタンプを押した。

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トンネル。意外と人がいます
 疲れていたのか時間がかかって、旧門司三井倶楽部に着いたのは4時半を回っていた。ギリギリだったので、アインシュタイン夫妻が滞在したという部屋は素通りして林芙美子の展示に直行した。既に知っていることがほとんどだけど、新たに知ることもあった。例えば彼女の出生地をめぐる問題。下関で生まれたと林芙美子自身は『放浪記』の中で書いているけれど、門司で生まれたと主張する人もいるらしい。パリ滞在中の交友関係や、文壇での立場について書いたところも面白かった。ペン部隊として従軍時の写真や、彼女の日用品、描いた絵があった。没頭して見ているうちに閉館時間が来てしまった。後ろ髪を引かれる思いで階下に降り、建物を出た。素敵なレトロの建物なので、次来る時は1階のカフェで名物の焼きカレーでも食べたいと思う。それまでに少しはリッチになれているといいけれど。

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旧門司三井倶楽部。古い建物
 門司港は、2年前にサークルの後輩と来た時とほとんど変わっていないように思えた。港に浮かぶ船上レストランがなくなっていたぐらいだった。門司港駅の写真を撮ったり広場で少年たちがしている野球を見た後で下関に戻るフェリーに乗った。徒歩で1時間の道のりはフェリーだとすぐだった。関門海峡はひっきりなしに船が通っていて、船の通り道を横切るフェリーは結構運転が大変そうだった。

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門司港

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JR門司港駅

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フェリーの上から
 本日2度目の下関は、金子みすゞ林芙美子の足跡を追うことで始まった。上山文英堂の跡にも金子みすゞが死ぬ前の日に写真を撮った写真館の跡にも記念碑があった。ロシアと比べると、日本の国語教育で詩はあまり大切にされていないと思うけれど、それでも金子みすゞの詩はほとんどみんなが知っているんじゃないだろうか。死後半世紀を経て発見された金子みすゞの作品は、特に平成生まれには馴染みが深いと思う。
 林芙美子は小学校1年生から4年生までを下関で過ごした。田中町の五穀神社横には林芙美子の生誕地を示す石碑が何の説明もなく置かれてあった。この神社の近くのブリキ屋の2階で生まれたというのが有力な説の一つである。彼女の通った名池小学校にも一応行った。もちろん普通の小学校だった。女の子が一輪車を一生懸命練習していて、それをお母さんらしき人が見ていた。

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名池小学校
 歩き疲れた後は、亀山八幡宮に登った。そこにも二人の文章と詩を刻んだ石碑があった。夕暮れの境内から、行き交う船を眺めてぼうっとした。長い一日中だったけれどまだ終わっていなかった。今日は小倉のジョイフルに泊まることになりそうだった。唐戸市場に停めていた原付に乗ってまた走り出し、人工トンネルを原付を押して歩き、ヘトヘトになって地上にでた。少し休もうと思って、銭湯に入った。きく湯というところ。かなり古い外観で中はどうなのだろうと思うとワクワクした。外観の写真を撮っていると散歩中のおばあさんに話しかけられた。おばあさんは「ここは古いお風呂だからねー」と行ってニコニコしながら歩いて行った。浴槽のタイルはとても古くて、目を瞑って開けると、タイムスリップしてしまうんじゃないかと思うほどだった。疲れた体に水風呂が気持ちよくて、何度も熱い湯と冷たい湯を往復した。生き返る心地がした。

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亀山八幡宮の夕暮れ

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亀山八幡宮から

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きく湯

 また原付に乗って走る。今日は走ってばかりだ。国道3号線は一本道で走りやすかった。小倉の中心街に着いて、いつかのテレビでロバートが紹介していた丸和のラーメンを食べた。最初は美味しく食べていたのだけれど、途中から豚骨の匂いが気になって、しんどくなった。もう次は食べられないかも。
 近くのジョイフルに行くのだけど、精神的にも疲れていて、もう動きたくなかった。原付に跨ったままスマホを触っていると動けなくなった。駐輪場でダラダラ過ごして、深夜になってジョイフルに行った。疲れすぎていた。頼んだメニューを食べてすぐに寝てしまった。

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ジョイフル到津店
 
 
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#153 今日の出来事

 今日はいくつも良いことがあった。
 早起きをした。コーヒー豆とミル、コーヒーポット、ドリッパーを持って学校に行った。
 コーヒーを淹れるようになってから、コーヒーを友達に淹れる、というのをいつかやりたいと思っていた。それが今日できた。卒業前にできてよかった。コロナ禍のコーヒーパーティー。詳細は書かないけれど、楽しかった。いつか将来の私が、大学卒業について振り返る時、必ず思い出すであろう大切な時間。

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 昼休み、卒業論文を印刷する。我らがロシア語専攻は「卒業論文はPDFファイルでオンライン提出」ということだった。提出期限は先週木曜日で、私は必死に「こしらえた」文章をWordファイルからPDFにして、早朝のネットカフェで提出した。隣には一緒に学部の6年間を過ごした悪友がいて、提出した論文について教授とメールのやりとりをしていた。論文を提出して清々しい朝になるはずが、友人の卒業に暗雲が垂れ込め始め、二人で不安な気持ちで新御堂筋沿いを歩いた。徹夜した脳と目に、日光が眩しかった。卒業がまた一つ現実味を帯びて、私にとっての世界は少し変わっていた。友人は晴れない顔をしていたが、その日のうちに救済措置があって彼の卒業論文は提出が認められた。どうやら一緒に卒業できそうだ。新御堂を走る車の音。誰もいないネットカフェのオープンスペース。冬なのにボタンを押し間違えて出てきたアイスコーヒー。彼と食べた王将の餃子。それが先週20日の木曜日。

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 オンラインでの提出とは別に、紙媒体でも提出しなくてはならなかった。専攻語の研究室に保管するためらしい。今年の卒業生は、外国語学部が新しいキャンパスに移ってから最初の卒業生になる。私たちの論文が新しい研究室に保管される。なんだか歴史の1ページ目になったような気がする。旧キャンパスにあった過去の卒業生の論文も移されて、まだ研究室にあるのだろうか。その上に私の論文も積み重なっていくのだろうか。外国語学部ロシア語専攻という枠を通り過ぎて行った過去の人たち。これからの人たち。みんな研究室の中で図らずとも歴史になってしまう。
 他の人の論文がどのようなものか知らないけれど、私の書いた文章は「論文」というよりも「エッセイ」や「調べ学習」に分類されるもので、正直、残って欲しくない。これは結果論だけど、私にとっての卒業論文は「書くこと」自体が大事であって「書く内容」は大事にならなかった。悔しい。悔しいけどもう提出してしまった。提出してしまった論文を4階のパソコン室で印刷している。パソコン室の雰囲気が好きだ。みんな何かしら勉強したり授業の資料を印刷したりしている。「大きな声を出してはいけない」という暗黙のルールがコロナ禍の前からあって、だから友人同士で座っていても喋っている人はあまりいない。一人でいても許される場所という感じがして、旧キャンパスでも新キャンパスでもよくパソコン室にいた。TSUTAYAで借りた映画をパソコン室で観たりしていた。ポール・ダノダニエル・ラドクリフの『スイス・アーミー・マン』や知り合いが出演した阪元裕吾監督作『ファミリー☆ウォーズ』なんかはパソコン室で観た。なんだか変な思い出。

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旧キャンパスの紅葉 学生寮近く

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世界時計と中庭、図書館

 
 生協に行って、卒業論文の表紙を買った。青い表紙。220円。去年卒業した友達がインスタに上げていた写真で見たやつだ。「卒論提出しました!」という文字と友人。その後ろの旧キャンパスの世界時計。階段から見下ろす大阪の街。エキスポシティの観覧車。山の上のキャンパスに吹く冷たい風。
 生協を出るところで見覚えがある人がいるのに気づいた。マスクをしていたり、髪型が変わっていたりで、友達なのかどうか確信が無くてジロジロ見てしまった。目が合ってようやく確信を持って話しかけられた。友人は博士課程になっていた。いわゆる「D1」だった。私が浪人し学部生をえっちらおっちら6年もやっている間に、ちゃんとしている人はちゃんと進んでいるのだ。彼女がブログを読んでくれているのを知ってびっくりした。後で調べたらFBでシェアもしてくれていた。嬉しかった。最近、ようやく反響が届くようになって、ブログを続けていてよかったなと思うことが増えた。わかりにくいことをうだうだ書いている、はっきりしないブログですが、これからもよろしくお願いします。感想とか頂けるととても嬉しいです。あ、あと、遠慮などせず、シェアもどんどんして下さい。お願いします。
 別々の高校だったのだけれど、課外活動で知り合って、大学の学祭でまた出会い直した。同じ学部なら、これからまた会えるなあと思っていたけれど、自分が大学に行かない時間があり、2020年からはCOVIDが流行ってしまった。でもまた今日会えた。今度もまたどこかで会えるはず。だからお互い元気でいましょう。

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新キャンパスのおしゃれなデッキ


 午後のゼミで卒論の試問があった。散々だった。卒論自体から目を背けるわけには行かなくて、できるだけ堂々としていたかった。でも、ゼミの教室の前でマイクを握ると、私の体はどんどん輪郭が歪んでいくような気がした。自分が喋っているのに自分が喋っていないような気分。ふにゃふにゃしてしまう。
 先生は優しかった。内容についての質問に加えて、「少し、エンジンがかかるのが遅かったですね」とか「誤字が多いので気をつけてください」とこれからのことも言ってくれた。感謝である。どうしてだか、私は卒論を書くのが怖くて、先生にもほとんど見せられずに済ませてしまったのだけど、今日もう一度反省した。自分も人も、もっと信じられるようになった方が楽なのに。

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 留学生のチューターの報告をしに、日本語教育の先生の部屋に行った。少しだけの報告が1時間半ほど話すことになった。新しく誰かと話す時はいつも楽しい。卒論を書きながら、私は卒論を書く「意味」について考えていたけれど、「人生は意味づけの連続」と言う先生の持論は面白かった。先生が日本語教師をしていた時の話や、ライフストーリー研究について聞くうちに時間はすぐに過ぎて、再履バス(キャンパス間移動バスの通称)の時間が来た。エモーショナルかつロジカルな人はいつも刺激をくれる。

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再履バス


 バスに乗る頃には、今日のことを書き残さないといけないと思っていた。どこから書こうと頭の中で色々考えていた。5限後のバスは混んでいて、満員だった。近くに立っているアラビア語専攻の2年生が期末レポートのことを話していた。「ロシア語は期末10000字らしいよ。それに比べたらアラビア語は楽っちゃ楽よね」
誰かの声に似ている気がしてちらりと見た。もちろん知らない人だった。
 始めは乗るのが嫌だった再履バスも、今では愛着が湧いている。卒業が近づいているからだと思う。もっとやりたかったこととか、話したかったこととかあったような気がする。でもいいや。こうやって日々が過ぎていく。

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普段見ない教室の天井もまじまじと見てしまう


 外国語学部のキャンパスから、メインキャンパスに着いた。思いつきで食堂で天津麻婆丼を食べることにした。図書館下食堂、通称「館下」の名物、天津麻婆丼は、天津飯に麻婆豆腐が載っているという高カロリーなメニューなのだけど、運動部や遅くまで学内に残って研究を続ける人を中心に、根強い人気を誇っている。大学一年目の頃に、キタくんという友達が、天津麻婆丼をどれだけ食べられるか競うサークルを立ち上げていたのを思い出す。同様の同好会、サークルの類は学内にいくつもあると思う。大学に行くのがしんどかった時に天津麻婆丼に助けられた時の記憶が不意に浮き上がる。6年も大学生をしているとキャンパスのあちこちに思い出が転がっていて、汲めども汲めども尽きない。天津麻婆の味にも、食堂の音にも、夜の学内の暗い道にも、ダンスサークルが活動するピロティにも、駅へと続く坂道にも、書くべき物語がまだまだある。たくさんの人とすれ違って、たくさんの人生と交差した。SNSを開くとそこにはまだ確実に「繋がり」がある。けれど、過ぎた時間も関係も、そうそう簡単に復元できるものではないと私は知っている。だからこそ思い出は大事だと思う。たくさんのかけらたち。胃もたれがするのは天津麻婆のせいだけじゃなさそうだった。

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 6年間本当に色んなことがあった。幾つかの切れ端。弱くても確かな繋がり。切れたと思っていた糸が浮かび上がる瞬間。相手のことを知れたと思う一瞬。もっと知りたいと思う気持ち、心の揺れ。そういうのを覚えている限り、私は大丈夫だと思う。私は生きていけると思う。生きている限りまた会える。ありがたい。

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大講義室。昔猫がいた
 
【今日の音楽】
 
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#152 萩、2日目


◎令和元年 8月29日
 眠い。すごく眠い。二度寝した。起きて9時。また寝て11時。「まずいチェックアウトしないと!」そう思い当たりガバッと起きる。そこにオーナーさんがやってくる。
「今日は無理やねー。通行止めで下関までは行けんね。もう1泊していき」
 そんなに昨日の雨は酷かったのか。ネットで調べたら通行止めのマークばかりだった。下関に行くにはどの道を通っても行けなかった。中国山地を突っ切って行く道も、あることにはあるが、雨の次の日の山道は怖いのでやめた。もう1泊することにしたと伝えると、オーナーのSさんは優しくて、今日の宿代をただにしてくれた。ありがたかった。私は旅程を調整する必要に迫られ、しばし地図アプリと睨めっこをした。下関、北九州、太宰府、別府、宇和島、松山、高松。できるだけ多く巡りたかった。一昨年に災害ボランティアで行った朝倉市にも行きたかったし、できることなら八女市の岩戸山古墳と、ちょっと足を伸ばして吉野ヶ里遺跡にも行きたい。別府で温泉に浸かる前に湯布院も探検したいし、大分の磨崖も見たい。行きたい場所がたくさんあるけれど時間は有限。だからしっかり考えないと。この西日本旅行が終わったら友達と韓国旅行に行く予定だった。釜山、慶州、ソウル、全州を周るつもりだけど、まだ移動手段やゲストハウスを調べられていない。あと、当然ながらロシア語もやらないといけない。休暇明けに運動動詞のテストを受けないといけない。うーん、頭が痛い。
 私は自分のキャパシティや疲労度を考えずに予定を組んで、いつも失敗している。2日くらい寝ないで平気だけれど、3日目と4日目が大変になる。でもあと先を考えずにいつも徹夜をしてしまう。よくない。迷惑をかけている人がたくさんいる。本当にすいません。
 一昨日も徹夜のようなことをした。出雲で友人と別れた私は、雨の中の9号線を走り浜田にあるジョイフルに入った。ジョイフル浜田周布店。そこで文章を書いたり寝たりして過ごし、また朝になって走り始めたのだ。けれども雨がどんどん厳しくなるのをみて、走るのをやめ、萩のゲストハウス「暁屋」に駆け込んだ。それが昨日の昼過ぎ。長髪で髭を伸ばした痩身の人が布団を運んでいて、それがオーナーのSさんだった。「この雨だからいつくるのかと思っていたよー!」と言われて、予約するだけではなく、電話もすれば親切だったなと思った。三田さんはずぶ濡れの私に、昼ごはんとして玉ねぎとゴーヤのパスタを振舞ってくれた。「シゲくんはいくつ?」と訊かれて、23歳だと答えた、「まだ10代に見えるね」と言われた。Sさんは柔らかな口調とイントネーションの人だった。聞くと郡上八幡の出身で、大学は姫路だと言う。案外近いところにいたのだと知ってなんか安心した。

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出雲大社

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ジョイフルで一夜を共にしたカエル
 昨日はゲストハウスに泊まるのは私しかいなくて、Sさんは私を萩の市内から離れた山の方にある阿武川温泉まで連れて行ってくれた。
 
 今日、2日目の萩の朝ご飯は、冷蔵庫から昨日買ったコロッケを2つ、それから土鍋のご飯。美味しい。Sさんは最後に「これ食べ」と言って塩昆布をくれた。潮風に吹かれる塩こん部長のイラスト。今日は山口から女の子4人が来るみたいだ。Sさんは電話で通行止めされていない道を教えてあげていた。一日、暇だなあと思った。宿にある漫画とか本とか読んで、日記を書いて過ごすことになりそうだ。つまらないなあ、と思っていたところにSさんが、金子みすゞ記念館に行かないかと誘ってくれた。12時になる頃に岐阜ナンバーのダイハツに乗って萩よりも10キロ西の仙崎に向かった。
 
 文学作品の舞台を巡るのがこの2019年の夏の旅行の目的だった。丸谷才一の『笹まくら』の舞台を巡り、林芙美子が生まれ育った北九州、直方を訪ね、仙崎と下関で金子みすゞにゆかりのある場所を訪ねようと思っていた。だからこのSさんのお誘いはとても嬉しかった。
 

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 山陰道を通れば仙崎まで一瞬だった。萩と仙崎を結ぶ国道191号線は土砂崩れで通行止めで、原付では仙崎にたどり着けないけれど、自動車なら山陰道を通れる。「美味しいパン屋があるから」と言ってSさんは仙崎の道の駅で車を停めた。海藻由来の酵母を使っているパンで、値段は張るが美味しいのだという。私はSさんに塩パンを買ってもらった。噛むほどに味が増えて美味しかった。ただ、連日、原付の運転中にガムを噛んでいたので顎が痛かった。パン以外にも、蜂蜜やジビエ、鯨やフグが売られていて、見ているだけで楽しかった。萩の暁屋の周辺と同じように、仙崎も漁師町で道が狭かった。仙崎駅から続く中心街は道幅がまだ広くて、そこに金子みすゞ記念館があった。   「金子文英堂」という看板があって、彼女の実家の文房具屋が再現されていた。
 不思議な感じだった。大体こういう場所にくる時は一人なのだけど、今回はSさんがいる。いつもなら目的地に向かいながらあれこれ想像したりして来るのだけれど、今日はSさんと笑いながらやって来た。なんだか目の前に金子みすゞが急に現れたような気がして、心の準備ができていなかった。

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 受付の女性と話し、文房具屋に並ぶ昔の雑誌や万年筆を見るうちに、ゆっくりと実感が湧いてきた。トーストの上でバターが溶けるようだった。色々と思い出した。尼崎の小学校にいた小学校低学年の時、お気に入りだったのは宮沢賢治金子みすゞだった。小学校5年生の時、クラスの前で選んだ詩を発表するという課題があって、私の好きな女の子が金子みすゞの詩を読んでいたこと。中学からは彼女の作品は子供っぽいと思っていたけれど、でも今こうして読み直してみると、すごいなあと思う。大人になってからも、子供の頃の感性を失わずに、虫や花、魚に愛情を注げるということ、それができるのはすごいと思う。記念館の展示では彼女の人生が詳細に記されていた。女学生時代のことや少し複雑な家庭環境、そして自死に至るまでの経緯が説明されていた。だいぶ長い時間展示を見ていて、Sさんを待たせてしまったかなと思ったけれど、Sさんも順路の最後にある、金子みすゞに関わった人のインタビュー映像を見ていた。
金子みすゞは感性が強いよなー」とSさんがハンドルを握りながら言って、二人でまた色々話した。一年後に迫ったオリンピックが話題に上った。ゲストハウスに泊まった誰かから聞いたというオリンピックに関する陰謀論が興味深かった。その誰かによると、東京オリンピックの中止は既に想定されていて、ロンドンで代替開催する準備が隠密に進んでいるらしい。「オカルトな話だけど、もし本当なら、何かしら大変なことが起きるってことよね」とSさんは言ったが、私はこのセリフを半年後に思い出すことになる。
 萩でたこ焼きを買い、ゲストハウスで2人で6個ずつ食べた。ゆるめで熱々だった。「大阪人っぽく一口で食べたいよね」なんてSさんが言って、二人で頬張った。コーヒーを入れてもらって日記を書くとあっという間に時間が経った。
 
 今日泊まる予定の女の子4人がやってきて、一気に賑やかになった。私は散歩がてら夕食の食材を買いに出た。浜辺の近くで子供が3人サッカーをしていた。誰かがこっちのボールを蹴って、蹴って返した。またボールが戻って来て、お互いの目配せがあって、一緒に遊ぶことになった。9歳、6歳、4歳のきょうだいだった。一番上のお姉ちゃんはバスケットボールをやっていて、バスケットボールのフェイントを教えてくれた。6歳の弟は髪が長くて毛先がパーマになっていた。「かわいいね」と言うとふくれっつらを作っていた。自分も誰かから「かわいい」と言われたらムスッとしていたのを思い出した。4歳は仮面ライダーのかっこいいおもちゃを見せてくれた。

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 突然かけっこが始まったり、おんぶをせがまれたり、久しぶりに「カンチョー」をされたりした。楽しかったけれど、子供の予想外の動きに疲れてしまった。日も暮れてしまって、別れる時に「また遊ぼうね」と言ったら6歳の男の子がぎゅっと抱きしめてくれた。なんだか泣きそうになった。
 3人のお母さんがおすすめしてくれたキヌヤというスーパーで買い物をして帰る。もやし、ピーマン、エノキ、胸肉で、蒸し野菜とピカタを作ることにした。ピカタは、卵と片栗粉の順番を間違えて、なんだかヘンテコなものができた。Sさんは玉ねぎを水にさらして鰹節と醤油をかけたやつと、そうめん、それに蒸し野菜を作って下さった。暁屋にいる時はずっとお世話になっている。
 海鮮を食べた4人組が帰ってきて、またみんなでわいわい話した。4人のは東京の大学で獣医になる勉強をしているのだった。山口大学での学会に出るついでに、県内をまわって旅行しているらしい。大学の同級生での旅行、羨ましい。
 宮崎県西都市出身の人がいた。大学に入るまで電車に乗ったことがなかった彼女は、上京した当初、切符を自分で買えなかったらしい。本当にそういうことって本当にあるんだ。ちなみに西都市には、この1年後古墳を見に行くことになる。
 本棚にあった古谷守の「わにとかげぎす」を途中まで読んで、お開きの時間が来ると2段ベッドに入って寝た。radikoのタイムフリーでオードリーのラジオを聴いた。

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菊ヶ浜
 
 
【今日の音楽】
 
 

#151 髭と長髪と私

 あいつが伸びてきている。気持ち悪い。この気持ち悪いブツブツが明日にはまた伸びる。憂鬱だ。明日の夜にはもっと伸びる。明後日もその次もどんどん伸びる。

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 月に一度でも剃ればそれでOKだったのが、段々頻度が多くなり、今では週に3回も手入れをしないといけない。面倒だ。まだ少ない方だと思うけれどそれでも面倒だ。お金持ちになったら脱毛したい。髭も髭なりの役割があって何かを守るために生えているのだと思うけれど、口と顎を守らねばならないほどの状況は日常生活にそうそうやってこない。顎も口の下も、確かに急所ではあると思うが、もし深夜の帰り道、高架下のトンネルや歩道橋で、暴漢に顎と口の下を狙われたとして、髭があることに一体どれほどの意味があるというのだろう。「一体、君たちは何を守ろうというのだい?」なんて4枚刃の上で散り散りになった彼らに尋ねても、何も返してはくれない。おお、神よ。どうしてあなたは私をお造りになったのでしょう。そして、どうして私に髭を生やそうと思いついたのでしょう?
 腹が立つのは、怪我をしている時や風邪を引いている時である。切り傷や瘡蓋が治りきっていないのに、髭は伸びてくる。もったいないと思う。髭を伸ばすのに使っているエネルギーを、怪我の治療に充ててほしい。ノロウイルスでお腹が痛くてたまらないような緊急事態が続いているのだから、いつも通り髭を伸ばそうなんて思わないでほしい。これだから融通が効かないやつは困る。全く身体というやつは。やれやれ、笑っちゃうぜ。
 私は身体の成長が遅かった。実年齢と精神年齢と身体年齢が好き勝手にバラバラに増えた。背が低くなかった時代がなくて、例えば中学校に入学した時の身長は131㎝しかなかった。中学時代、クラスメイトが伸びる髭の話をしていても何もピンと来なかった。
「最近、髭伸びて困るわ」
「わかる。めっちゃ気持ち悪いよな」
TとJの会話をポカンと口を開けて聴いている私は中学3年生の教室にいる。私の中学校では、各クラスにゴミ箱としてドラム缶が置かれていて、思い出の中では大抵誰かがドラム缶のヘリに腰かけている。
 高校でも、髭は伸びなかった。精神年齢が急成長した一方で身長も伸びなかった。ある日陸上部の友達と帰ることになった。吊り革を掴めない私は、吊り革を難なく掴む友達と話していた。部活のこととか進路のこととか、勉強のこととか多分そんなことを話していた。次第に彼はうつらうつらとなって、返事がないのを変だと思った私が見上げるともう寝ていた。まじまじと見た友人の寝顔にはニキビと髭があった。ちょっとだけ羨ましかった。同い年だけど、〇〇はもう大人なんだ、と思った阪急電車今津線。8年も前の思い出。

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青春時代の思い出は大体いつも阪急電車と共にある


 サッカー部だった。部活で筋トレをすればするほど、身長が伸びない気がした。元々筋肉質の自分は部活を通じてさらに筋肉がついてしまった。そのせいなのか身長は伸びず、周りが続々と成長期を迎えるのに私の身長は伸びるそぶりさえ見せず、そして今に至る。一応、現在も、私は成長期が来ることを待ち続けている。いつか来てくれるだろうか。数年前のある雪の降る夜、鶴が鶴のままやって来て「助けてもらったので恩返しをしたい」と言ってきたことはあったけれど、助けた覚えがないので丁重にお断りをして帰ってもらった。もしかして、あれが成長期だったのだろうか。だとするともったいないことをした。
 いずれにしても成長期は来ず、だから髭もいつまでも伸びないだろうと思っていた。しかし数年前にやつらは私の人生にようやく登場し、存在感は年々濃くなっている。髭だけに。

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高松港


 先週、2022年になって初めて髭を剃った。「卒論が終わるまで髭を剃らない」という願掛けのようなルールをつくって卒論を書いていたけれど、限界だった。痒くなったし外に行くのが恥ずかしくなっていた。剃れば、卒論はすぐに終わった。スッキリしたのか筆がどんどん進んだのだ。なんだ、変な願掛けなんて最初からしなければよかった。変に考えすぎず自然に振る舞えばいいのだ。伸びれば剃る。それでいいのだ。 
 最初に髪の毛を伸ばしていた時のことを思い出す。あの時も髪を伸ばすうちに変な考えに至っていた。袋小路だった。2017年の秋、旅行に行ったミャンマーから帰ってきた私は、髪の毛を伸ばすことに決めた。休学して、住み込みで働いた南丹の農場でも、米沢の免許合宿でも伸ばしたままの髪で過ごした。2018年になって、復学する4月になっても長い髪でいた。髪を赤いバンダナで留めて学校に行った。同じ年のロシア語専攻に入学し、今では一つ上の学年になった人たちが私のことを、陰で笑っていた。笑うなら笑えという強い気持ちでいないといけなかった。陰で笑うくらいなら、話しかけてから笑えばいいのに。冷笑する人間が近くにいるというのは、もしかしたら一番嫌なことかもしれない。

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米沢の自動車学校


 昔から、自分のことを「普通」とは思えなかった。家族のことがあるために、自分は「変」なのだと思っていた。でも母親のこととか、エキセントリックな祖母とか、父親がいないこととか、そんなの誰も知ったことがないだろうし、こっちから話す機会もなかった。それなら、内面の「変」が伝わるように、外見も「変」にすればいいのだ。そう思って伸ばしていた。無理しなくていいのに、と今なら思う。自然に振る舞って、好きなように生きれば、それでいいのだ。認めてもらおうとか、こういう風に生きないいけないとか、そんなの思わなくていいのに、頑張ってしまう。力が入ってしまう。難しい。もっと自由に生きたいんだけどな。

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 髪を伸ばすと色々気がついた。長い髪を手入れするのは大変だということ。リュックサックは肩ひもに髪が挟まって面倒だということ。リンスはちゃんとしたのを選んだ方がいいが、自分に合うものに辿り着くまでに意外と時間がかかること、等々。
 外見も「変」にすることで、内面の「変」をカムフラージュし、周りからの目線をも跳ね返すという作戦は、全然うまくいかなかった。くるりの「青い空」の歌詞みたいに、伸ばした髪が目や耳を塞いで、自分が自分の考えばかりに固執しているような気がした。孤独がますます深まる気がして、段々、自分の外見に自信が持てなくなった。汚いと思われていないだろうか、とか、変なやつと思われていないか、とか気にするようになった。変な自分を他人に認めさせるために伸ばし始めたのに。自分の意思で髪を伸ばしている以上、切るわけにもいかなくて、どうすればいいのかわからなくなった。考えるのが面倒になって部屋に閉じこもった。授業には出ない分、本はたくさん読んで、映画を観て、賢くなったような気になっていた。ロシア語のプレゼンテーションがトラウマになって大学に行けなくなった。2018年は本当によくなかった。やり直したい。やり直しても同じことをする気がするけれど。

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大学の旧キャンパス



 結局、2018年が終わる頃に髪の毛は切った。大学にも行けなくなり、一緒に住んでいたお爺ちゃんと反りが合わなくなり、むしゃくしゃした私はむしゃくしゃしたまま美容院に行き、髪を半分くらい切ってもらい、むしゃくしゃしたまま一番強いパーマを頼んだ。ランボーみたいになった。
 ロシアに行けばロシア語を勉強するモチベーションも湧くだろうと思ってビザを取った。ビザを取るのはめちゃくちゃ面倒だった。モスクワと極東の2回行った。どちらでも髪が長いせいでよく女の子に間違われた。「あなたの顔、綺麗ねえ」なんておばあさんにモスクワのメトロで言われた。ハバロフスクの鉄道で同じコンパートメントになったおばあさんは「あなたは男の子なの? 女の子なの?」なんて訊いてきたし、ウラジオストクのゲストハウスでは気づかないうちに女性用のドミトリーに入れられていた。3日目になってようやくオーナーが「あなた、今日で出て行くのよね?」と笑いながら確かめてきた。モスクワも、極東の鉄道旅行も、どちらも10日ほどの旅程だった。髭剃りは持っていかなかったと思う。という事はその頃はそんなに髭は伸びなかったのか。
 19年になって、また大学に行くようになった。前年度の反省を踏まえて、髪をしっかり切るようになった。その年はちゃんと大学にいけた。そういう、外見に対する自信って自分にとって意外と大事なんだと知った。その年の夏に、山陰から九州、四国を原付でグルリと周る2週間くらいの旅行に出たけれど、その時は髭剃りを持っていかなかったことを後悔した。岡山、鳥取、島根、山口、福岡、一瞬だけ入った熊本、大分、愛媛、香川の9県を周る旅行。香川でうどんを食べる頃には髭が伸びて気持ち悪かったので、それからは、1週間以上の旅行には髭剃りを持っていくことにした。

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関門海峡

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秋月城 福岡県朝倉市

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岩戸山古墳 福岡県八女市


 髪の毛はもう一度伸ばした。COVID19が流行ったのもあるけれど、もう一度挑戦してみたかった。髪を極限まで伸ばすようなことも、人生を通して何回もできるものではないのだから。将来禿げるかも知れないし。2回目は、髪のケアも少しは慣れて簡単だった。ヘアゴムのストックもあったし、色々と前よりも楽だった。去年の10月、ヘアドネーションをできる長さになってようやく切った。今もまた伸ばしている。美容院の予約をとるのも髪型を決めるのも面倒だから、結局また伸ばすことになりそうだ。

 


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#150 音楽について言葉にできないのが悔しい

f:id:shige_taro:20220111152523j:image  多くの天才が、初めは誰にも理解されないのと同じように、プロコフィエフの音楽とショスタコービチの音楽も、最初は奇妙で難解だと思われていたらしい。2人とも20世紀の前半に活躍したロシアの作曲家だ。私は素人なので、別に当時だけでなく、今聴いても奇妙だし難解だと思う。

f:id:shige_taro:20220111170316p:imageショスタコービチ

 火曜日4限はロシア語の授業。M先生は大体いつもロシア文化史の教科書をコピーして学生に配る。今期分の教材は20世紀の文化人についての文章。ここ何週かは20世紀のロシアの音楽家について読んでいる。

  プロコフィエフの音楽についてどう思う? みたいなことを不意に先生に訊かれた。「変わっていると思う」と答えた。ロシア語で使える語彙を駆使してたくさん話したけれど、話した割には、うまく答えられなかった。私が子供時代に(自分ではまだ子供時代にいると時々思うけれども)母と聴いた音楽、モーツァルトショパンチャイコフスキー、とは違う気がする。みたいなことしか言えなかった。

  じゃあ、と言って「日本語でもいいよ」って先生は言ってくれたけれど、でも私が持っている日本語の語彙でもプロコフィエフの音楽は到底説明できず、一瞬黙り込んでしまった。結局「無理です」と言ってしまった。ニマグーアビャスニーチ。

 映画は、映画なら、まだ語れる言葉はあるけれど、音楽について私は語れる言葉はほとんどない。うるさい、いい感じ、心地よいリズム、汚い音、いい音、悪い音。そんなに難しいことは言えない。突き詰めたら「好き」と「嫌い」しかない。でも、例えばクラッシュの曲「Lost In The Supermarket」も、いきものがかりの「うるわしきひと」もジッタリンジンの「夏まつり」も、全部私の好きな音楽ではあるけれど、もちろんその「好き」は全部同じなわけではない。どの「好き」も違う。その違いを言い表せないからもどかしい。

  友達のライブを見にいった時のことをいつかブログに書いた。音楽をどう言葉にしていいのかわからなくて、ライブを見てから文章を書き終えるまで1ヶ月もかかった。ライブのレポートなんて、鮮度が大事なんだろうけど、出来るだけ正しいことを書きたいと思うとなかなか言葉に出来なかった。彼らの音を、私の感動を正確に言い表したかった。できるだけ上手い表現で言い当てたかった。友達のバンド、リラクシンズも、たまたま同じライブで知ったSEAPOOLもとっても良くて、YouTubeで何度も聴いた。f:id:shige_taro:20220111170811j:image   友達のバンド、リラクシンズ

 SEAPOOLの「CHELSEA GIRL'S ESCAPE」の冒頭がアークティックモンキーズの「Brianstorm」の冒頭にとんでもなく似ていると思うけど、多分みんなが同じように感じるかはわからない。多分志向する音楽のジャンルも違うと思う。何せ音楽のことは知らないことが多すぎる。

  よく3大ロンドンパンクとして、クラッシュとピストルズ、ダムドが挙げられる。私はクラッシュが大好きだけど、他の2つはあまり知らない。パンクバンドの代表格として挙げられるクラッシュだけど、実際パンク以外のジャンルに含まれるであろう曲やアルバムも多いと思う。「Magnificent Seven」とか多分パンクじゃないと思う。まあ何をパンクと呼ぶのか私もはっきりとは定義づけしてないんだけど。そもそも音楽をジャンルに分けてそれぞれを定義づけるなんて不可能なんじゃあないか、なんて思う。 でもジャンルがあるからこそ同志は集まりやすいし、音楽も探しやすい。私はどうやらドリームポップ、シューゲイザー、ポストパンクといった辺りが好きみたいだ。(私に音楽をオススメしてくれる人は参考にしてください。)

f:id:shige_taro:20220111171518j:imageティーポップのイメージ

  シティーポップも好きだけどsuchmosみたいなスタイリッシュなものより、「懐かしいサウンド」と形容されるバンドを好んで聴くことが多い。Homecomings とラッキーオールドサンはかれこれ6年くらいずっと好きだ。ちゃんと聴いてはないけれどnever young beachとかも多分好きだ。ジッタリンジンも懐かしい感じがして大好きだけど、シティーポップかはわからない。どのジャンルに入るのだろう。f:id:shige_taro:20220111171206j:image年末に行った植物園

 今はShazamみたいなアプリがあって、カフェで流れている曲も映画で使われてる曲も、すぐに名前を知ることができる。スマートホンを持つ前は、街中でよい音楽に巡り合っても、名前を知る術を持たなかった。だから、鼻歌で歌えても名前を知らない曲がいくつもあって、それが普通だった。

 昔から私はフィギュアスケートが大好きで、スケーターが踊った曲を時々鼻歌で歌う。でも曲名を私は知らない。「その曲なに?」なんて訊かれても「コストナーショートプログラムの曲」とか、「鈴木明子が3回転3回転のコンビネーションジャンプを成功させた時のやつ」とかしか言えない。映画を観始めると、音楽はスケートだけでなく映画とも繋がるようになった。お気に入りの映画を通してRamonesやベルベット、Talking Headsを知った。f:id:shige_taro:20220111170928j:image浪人時代よく行った予備校近くの公園

  浪人している時、予備校の自習室でウォークマンでFMラジオを聴きながら勉強していた。 「この曲いいな」と思っても、曲名やアーティスト名を聞き逃すと、次にその曲と出会えるのはいつになるかわからなかった。そんな世界だった。インターネットとかスマホが無かった時代のことを私達は少しずつ忘れていくけど、あの時必死でノートの端にアーティスト名をメモしたことや、その時に知った音楽のいくつかが今まで私を支えてくれたことは出来るだけ長く覚えておきたいと思う。

 言葉にできることは思った以上に少なくて、音楽雑誌も映画雑誌も、よく読めば、同じようなフレーズが使いまわされていることに気づく。サッカー選手に対する評論もそうだ。プレースタイルを言い当てるための表現は数通りしかない。f:id:shige_taro:20220111171027j:image寄せては返す波のように言い表せなさは尽きない

 心に浮かんだ印象や感動の輪郭をはっきりと表現したい。音についてもっと自由に語りたい。でも口をついて出るのは陳腐な表現ばかりだ。プロコフィエフを語りたいのに他の音楽家を引き合いに出さないといけない。SEAPOOLの話なのにアークティックモンキーの名前を出さないと言い表せない。それって凄く悔しい。表現も言葉ももっと自由なはずなのだ。

 今日もまた、音楽を話しているつもりが、音楽自体ではなくて、スケーターや映画やその他のこと話している。それらの話題に出さないと音楽の話をできない。それは確実に豊かなことだ。でも時々もどかしくなる。 「好き!」「嫌い!」だけで本来はいいのだけどもうちょっと言葉が欲しい。欲張ってしまう。

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#149 ロシアプレミアリーグのすすめ

 

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 ロシア語を勉強するのなら、せっかくならロシアブレミアリーグを知っておきたい。そんな風に思っていた時期もあった。そんな風に「○○なら、○○しないといけない」なんていう考え方はもう古いし、視野を狭めてしまうことに繋がるのだけど、時々そんな風に考えに陥ってしまう。「ロシア語を学ぶならモスクワに行かないと」とか「ロシア語専攻ならドストエフスキーを読まないと」なんていう風なことを他人から言われたりもする。「中央アジアポーランドが好きでロシア語を選んだんだけど」と心の中で思いながら聞き流す。今はそうじゃないけど、最初はトルストイドストエフスキーも興味を持てなかった。

www.youtube.com

 ロシアプレミアリーグを見るのは、2022年1月現在なら簡単である。YouTubeを開けて「russian premier liga」と検索するだけ。試合が全部観れる。ちゃんと調べたわけじゃないけど、本当に全部観れると思う。リアルタイムの試合はメンバーシップにならないといけないらしいが、アーカイブで観るなら無料だ。これはかなりすごい。イングランドやスペイン、イタリアのリーグを観たいなら、ダゾーン(DAZN)に契約しないといけないけれど、ロシアプレミアリーグはただで観れる。最高だ。でも誰も観ない。ロストフにはA代表でも出場経験のある日本人の橋本拳人が所属しているのに、身の回りでもSNSでもロシアプレミアリーグのことは誰も話していない。私も服飾史の授業でS先生と話す以外にロシアサッカーの話をしていない。YouTubeの再生回数も全然伸びていない。もし本田圭佑CSKAに所属していた頃なら日本人はこぞって観ていたとも思う。ちなみに本田と共にプレーしていたCSKAゴールキーパーアキンフェエフ35歳となった今も健在である。昔よりもいい日本人選手は増えたけれど、でも本田と香川と長友と内田がチャンピオンズリーグに出ていたあの時代もすごかったと思う。

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 TransferMarktというサッカーを扱うドイツのサイトがある。そこではリーグごとの価値を比べられるページがある。そこではロシアリーグは欧州各国リーグの中で7番目の価値があるらしい。1位はイングランドで、スペイン、イタリア、ドイツ、フランスと続く。ドイツまでを欧州4大リーグ、フランスを入れて5大リーグと言ったりする。続いて、少し離れてポルトガルのプリメイラ・リーガがあって、その次がロシアプレミアリーグ。ちなみに8位はオランダリーグ「エールディビジ」。ダゾーンで見られるのは、イングランドプレミアリーグ、スペインのリーガエスパニョーラ、イタリアセリエA、あとスコットランドやベルギーのリーグも観れるはず。ちなみにブンデスリーガを観たい人はスカパーと契約しないといけないし、UEFA主催のチャンピオンズリーグヨーロッパリーグといった大会を観たい人は、WOWOWと契約しないといけない。観られるサッカーの試合は増えたけれど、その分お金がかかるようになっている。ネイションリーグみたいな、商業主義の亡者が作ったような大会が増えてきてげんなりする。高校時代にテレビで放送しているEURO2012を観れるだけ観ていたあの頃が懐かしい。ポーランドウクライナの共催で、シェフチェンコがユニフォームを脱いだ大会。バロテッリカッサーノディナターレディアマンティといったユニークな選手が活躍してイタリアが準優勝になった大会。両サイドでマッジョジャッケリーニがめちゃくちゃ走って、中盤のピルロモントリーヴォから息をのむようなパスが出ていた。優勝したスペイン代表にはセスクとかフェルナンド・トーレスとかがいたとと思う。スペイン代表は強かったんだけど2014年のワールドカップでは初戦でオランダのファンペルシーとロッベンにやられてしまって、グループステージで敗退した。

 EURO2020はわざわざWOWOWに加入して全試合観たけれど、多分もうしない。体力的にしんどかった。楽しかったけど、寝不足学校に行くのがつらかったのでもうやらないと思う。それに何度も書くようにスポーツも結局お金なのだ。好きなチームへの情熱、フットボールへの愛は純粋なものであるべきなのになあ。

 東京オリンピックは放映権が高すぎて、国内で放送できないような国もあったらしい。スポーツがお金持ちの遊びでしかないように思えてしまう今日この頃であるが、他方、YouTubeで全部観られるロシアプレミアリーグはお財布に優しい。新しい年はロシアプレミアリーグを観ることにしよう、そう決めてロシアプレミアリーグを調べたものの、応援するチームを決めるのに時間がかかった。

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授業のパワーポイントから。ロシアのサッカー協会は1912年に成立、FIFAに加入した

 どの国にも名門と呼ばれるサッカーチームがある。直近の3シーズンはゼニト・サンクトペテルブルクというチームが連覇している。今年も18節が終わった時点で1位だ。だから、ゼニトを応援するのはちょっと捻りがないというか、面白くないと思った。S先生は、サッカー雑誌にコラムを書くほどのフットボールファンなのだけど、ゼニトファンだ。先生と応援するチームが被るのは嫌だったので、ゼニトはやめることにした。

 今年躍進しているディナモ・モスクワは、才能ある若手が多くて見ていて楽しい。が、いかんせんチームロゴがださい。いかにも元共産圏のチームという感じするので、除外することにする。ここら辺に、世界のマーケットを意識していないロシアサッカーの風潮がある気がする。

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右上から時計回りに、ロコモティフ、ディナモ、CSKA、スパルタク


 ロシアプレミアリーグで戦うチームの中でモスクワをホームとするチームは4つ。ディナモの他に3チームある。
CSKA、スパルタク、そしてロコモティフ。

 本田圭佑が所属していたことでおなじみのCSKAモスクワも強いチームだ。ロシア国内で結果を出し続け、ヨーロッパリーグチャンピオンズリーグにも20年に渡って出場している。若干19歳でEURO2020に出場していたムーヒンや10番のジャゴエフ、ブラジル出身でロシアに帰化した右サイドバックのマリオ・フェルナンデスなど好きな選手は多いけれど、赤青のユニフォームが昔からあまり好きじゃなくて、自分がユニフォームを着ているところとかは想像できなかった。ロゴはそれなりにかっこいいと思う。

 ロコモティフは、あまり知っている選手がいなかった。ポーランド代表のクリフォビアクがいると思っていたけれど、彼はいつのまにかクラスノダールに移籍していた。ブラジルから帰化したゴールキーパー、ギェレルメや、2018年のワールドカップでロシアのスタメンFWだったスモロフがいた。意外なことにクロアチア人のイェドバイがいた。ローマで期待の若手と呼ばれていた彼がロシアに流れ着いているのは知らなかった。サイドバックとして彼しか知らなかったけれど、ロコモティフでの起用は主にセンターバックのようだ。調べたらレヴァークーゼンにいた頃から、最終ラインならどこでもできるような選手になったみたいだ。彼のような選手がチームにいると、怪我人が出た時に心強い。スタメンが発表されても、試合が始まるまではどこで起用されるのかわからないのも面白い。元リヴァプールマスチェラーノとか、元ユベントスのパドインとかはそんな選手だ。アーセナルのナイルズもそんな風になってほしかったけれど、彼は退団するらしい。ローマに期限付きで移籍してしまった。

 ロコモティフ、2013年に刷新されたというクラブロゴもめちゃかっこいいし、ユニフォームのデザインもいいし、ホームページのデザインもかっこいいのだけど、知っている選手が少ないのと、プレースタイルがあまり好きじゃなくて、応援するほどではないとなってしまった。

 結局、「赤色が好き」「ユニフォームがかっこいい」「知っている選手がいる」という理由でスパルタクを応援することにした。ロシアプレミアリーグの中でも資金面ではトップにいるけれど、今シーズンは低迷していて現在9位。ウィンターブレーク前の試合でも退場者を出したソチに0-3で負けていた。ロシア代表でキャプテンマークを巻くことが多いジキヤや、元チェルシーのモーゼス、オランダ代表のプロメスといった選手を揃えているのに、勝てていない。ポルトガル人監督のルイ・ヴィトーリアは年末に解任されてしまった。ヨーロッパリーグではナポリやレスターとった強豪を抑えてグループステージを首位で通過しているので、今シーズンは当面ヨーロッパリーグにプライオリティを置くのだと思う。新しく来たイタリア人コーチ、パオロ・ヴァノーロも、監督経験こそ少ないが、育成年代のイタリア代表でコーチをしていて、A代表のアシスタントを務めた後は、チェルシーインテルでも働いているので、経歴は十分そうだ。これからウィンターブレーク明けの2月末までにチーム作りをどれだけできるだろうか。シーズン後半戦のスパルタクに期待である。

 2022年も色々あるだろうが、サッカーに関しては、アーセナルとスパルタクモスクワを応援していきたいと思う。

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2021年の記事

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なんとなく年末感のある写真

2021年もお疲れ様でした。

お世話になった方は本当にありがとうございました。これからもよろしくお願いします。

COVID19や忙しさのために中々会えなかったりしますが、生きている限りいつかは会えるので、お互い健康に気をつけていきましょう。

 

 

今年一年に書いたブログの記事をまとめたので、よかったらポチっとクリックしてみてください。

2022年はブログ以外で文章を書く機会を増やしたいと思っています。来年もその次もその次の次もよろしくお願いします。

 

 

〈年始の部屋の整理〉

#120 固執 

年始にずっと部屋の整理をしていました。たくさんのもの、主に書類を捨てました。

いくつかは、捨てるのが惜しくて写真を撮ったり、スクラップブックに貼ったりしました。これはその時に作った詩です。好きな詩です。友達がみんな社会人になって、まるで自分だけが取り残されているように最近思うのですが、それは多分これからずっと消えないだろうなと思います。いつまでも過去に浸るのではなくて前を見ていかないといけないなあとも思います。

 

#121 部屋の整理(1)

#122 部屋の整理(2)

これは捨てた書類たちです。新しい試みです。よくわからないなあと思ったら無視してください。

#123 松山から高松

これは、部屋の隅から出てきた昔の日記を書き起こしたものです。2019年の夏に原付で松山から香川まで旅行した話です。写真にある筆箱は韓国で無くしてまいましたし、原付は7月の事故で大破しました。

 

 

 

〈映画と書籍の紹介〉

#124【映画紹介】『長い見送り』

#127【映画紹介】『コーヒーをめぐる冒険』

#128【書籍紹介】『あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる』瀬尾夏美

#138 『LA LA LAND』いつかたどり着く場所

映画と書籍の紹介です。

ムラートワの監督作でソビエト映画で一番大好きな『長い見送り』、大学に入ってから何度も観ているトム・シリング主演の『コーヒーをめぐる冒険』、瀬尾夏美さんが書いた『あわいゆくころ』、みんな知ってる『ララランド』について書きました。気になる人はぜひ読んでみてください。ネタバレが嫌な人はもちろん読まない方がよいでしょう。

 

 

青春18きっぷ

#131 青春18きっぷの旅(1)

#135 青春18きっぷの旅(2)

春に旅行をしたときの話です。この間の出来事や、この後の旅行がどうなったかについてもっと書きたかったなあと思います。

 

 

〈漫才のネタ〉

#129【ネタ】待ち合わせ 

#130【ネタ】逆走 

#132【ネタ】運命の人 

#133【ネタ】復讐 

#134【ネタ】悪口をわざわざ伝えてくる人

漫才のネタとして書いたものです。面白いかどうかは個人差があります。

 

 

〈手紙〉

#137 13歳の私へ 

#139 3歳の私へ 

#144 9歳の私へ 

これは昔の自分に宛てて手紙を書く、というコンセプト先行型の文章です。先走るコンセプトに私が追い付いていないので、書いていても読んでいても難しさがあります。来年ももしかしたら書くかもしれません。

 

 

〈スポーツ、というかサッカー〉

#140 EURO2020開幕 

#141 グループA第1節ウェールズ-スイス 

#142 グループE第1節 ポーランド-スロバキア 

#147 10年後のサッカーは - シゲブログ 

サッカー大好きです。

 

 

〈掃き溜め〉

以下、掃き溜めです。暗い内容が多いです。心して読んでください。

#125 裏切り 

#126 記憶たち

#136 うにょうにょうにょーん 

 

 

〈よく気に入っているで賞〉

#145 そこにいたこと 

#146 永遠の入り口 

#148 ヘアドネーションをしました 

 

個人的にとても好きな文章です。読んだ人もこの文章を気に入ってくれたら嬉しいです。よかったらこの記事だけでもシェアしてください。喜びます。

 

 

〈番外編〉

#143 病棟の日々 

事故で入院したのが2021年で最も大きな出来事でした。生きてて良かったです。血とか苦手な人は読まない方がいいかも。

 

 

よいお年を!