シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#150 音楽について言葉にできないのが悔しい

f:id:shige_taro:20220111152523j:image  多くの天才が、初めは誰にも理解されないのと同じように、プロコフィエフの音楽とショスタコービチの音楽も、最初は奇妙で難解だと思われていたらしい。2人とも20世紀の前半に活躍したロシアの作曲家だ。私は素人なので、別に当時だけでなく、今聴いても奇妙だし難解だと思う。

f:id:shige_taro:20220111170316p:imageショスタコービチ

 火曜日4限はロシア語の授業。M先生は大体いつもロシア文化史の教科書をコピーして学生に配る。今期分の教材は20世紀の文化人についての文章。ここ何週かは20世紀のロシアの音楽家について読んでいる。

  プロコフィエフの音楽についてどう思う? みたいなことを不意に先生に訊かれた。「変わっていると思う」と答えた。ロシア語で使える語彙を駆使してたくさん話したけれど、話した割には、うまく答えられなかった。私が子供時代に(自分ではまだ子供時代にいると時々思うけれども)母と聴いた音楽、モーツァルトショパンチャイコフスキー、とは違う気がする。みたいなことしか言えなかった。

  じゃあ、と言って「日本語でもいいよ」って先生は言ってくれたけれど、でも私が持っている日本語の語彙でもプロコフィエフの音楽は到底説明できず、一瞬黙り込んでしまった。結局「無理です」と言ってしまった。ニマグーアビャスニーチ。

 映画は、映画なら、まだ語れる言葉はあるけれど、音楽について私は語れる言葉はほとんどない。うるさい、いい感じ、心地よいリズム、汚い音、いい音、悪い音。そんなに難しいことは言えない。突き詰めたら「好き」と「嫌い」しかない。でも、例えばクラッシュの曲「Lost In The Supermarket」も、いきものがかりの「うるわしきひと」もジッタリンジンの「夏まつり」も、全部私の好きな音楽ではあるけれど、もちろんその「好き」は全部同じなわけではない。どの「好き」も違う。その違いを言い表せないからもどかしい。

  友達のライブを見にいった時のことをいつかブログに書いた。音楽をどう言葉にしていいのかわからなくて、ライブを見てから文章を書き終えるまで1ヶ月もかかった。ライブのレポートなんて、鮮度が大事なんだろうけど、出来るだけ正しいことを書きたいと思うとなかなか言葉に出来なかった。彼らの音を、私の感動を正確に言い表したかった。できるだけ上手い表現で言い当てたかった。友達のバンド、リラクシンズも、たまたま同じライブで知ったSEAPOOLもとっても良くて、YouTubeで何度も聴いた。f:id:shige_taro:20220111170811j:image   友達のバンド、リラクシンズ

 SEAPOOLの「CHELSEA GIRL'S ESCAPE」の冒頭がアークティックモンキーズの「Brianstorm」の冒頭にとんでもなく似ていると思うけど、多分みんなが同じように感じるかはわからない。多分志向する音楽のジャンルも違うと思う。何せ音楽のことは知らないことが多すぎる。

  よく3大ロンドンパンクとして、クラッシュとピストルズ、ダムドが挙げられる。私はクラッシュが大好きだけど、他の2つはあまり知らない。パンクバンドの代表格として挙げられるクラッシュだけど、実際パンク以外のジャンルに含まれるであろう曲やアルバムも多いと思う。「Magnificent Seven」とか多分パンクじゃないと思う。まあ何をパンクと呼ぶのか私もはっきりとは定義づけしてないんだけど。そもそも音楽をジャンルに分けてそれぞれを定義づけるなんて不可能なんじゃあないか、なんて思う。 でもジャンルがあるからこそ同志は集まりやすいし、音楽も探しやすい。私はどうやらドリームポップ、シューゲイザー、ポストパンクといった辺りが好きみたいだ。(私に音楽をオススメしてくれる人は参考にしてください。)

f:id:shige_taro:20220111171518j:imageティーポップのイメージ

  シティーポップも好きだけどsuchmosみたいなスタイリッシュなものより、「懐かしいサウンド」と形容されるバンドを好んで聴くことが多い。Homecomings とラッキーオールドサンはかれこれ6年くらいずっと好きだ。ちゃんと聴いてはないけれどnever young beachとかも多分好きだ。ジッタリンジンも懐かしい感じがして大好きだけど、シティーポップかはわからない。どのジャンルに入るのだろう。f:id:shige_taro:20220111171206j:image年末に行った植物園

 今はShazamみたいなアプリがあって、カフェで流れている曲も映画で使われてる曲も、すぐに名前を知ることができる。スマートホンを持つ前は、街中でよい音楽に巡り合っても、名前を知る術を持たなかった。だから、鼻歌で歌えても名前を知らない曲がいくつもあって、それが普通だった。

 昔から私はフィギュアスケートが大好きで、スケーターが踊った曲を時々鼻歌で歌う。でも曲名を私は知らない。「その曲なに?」なんて訊かれても「コストナーショートプログラムの曲」とか、「鈴木明子が3回転3回転のコンビネーションジャンプを成功させた時のやつ」とかしか言えない。映画を観始めると、音楽はスケートだけでなく映画とも繋がるようになった。お気に入りの映画を通してRamonesやベルベット、Talking Headsを知った。f:id:shige_taro:20220111170928j:image浪人時代よく行った予備校近くの公園

  浪人している時、予備校の自習室でウォークマンでFMラジオを聴きながら勉強していた。 「この曲いいな」と思っても、曲名やアーティスト名を聞き逃すと、次にその曲と出会えるのはいつになるかわからなかった。そんな世界だった。インターネットとかスマホが無かった時代のことを私達は少しずつ忘れていくけど、あの時必死でノートの端にアーティスト名をメモしたことや、その時に知った音楽のいくつかが今まで私を支えてくれたことは出来るだけ長く覚えておきたいと思う。

 言葉にできることは思った以上に少なくて、音楽雑誌も映画雑誌も、よく読めば、同じようなフレーズが使いまわされていることに気づく。サッカー選手に対する評論もそうだ。プレースタイルを言い当てるための表現は数通りしかない。f:id:shige_taro:20220111171027j:image寄せては返す波のように言い表せなさは尽きない

 心に浮かんだ印象や感動の輪郭をはっきりと表現したい。音についてもっと自由に語りたい。でも口をついて出るのは陳腐な表現ばかりだ。プロコフィエフを語りたいのに他の音楽家を引き合いに出さないといけない。SEAPOOLの話なのにアークティックモンキーの名前を出さないと言い表せない。それって凄く悔しい。表現も言葉ももっと自由なはずなのだ。

 今日もまた、音楽を話しているつもりが、音楽自体ではなくて、スケーターや映画やその他のこと話している。それらの話題に出さないと音楽の話をできない。それは確実に豊かなことだ。でも時々もどかしくなる。 「好き!」「嫌い!」だけで本来はいいのだけどもうちょっと言葉が欲しい。欲張ってしまう。

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