シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#154 萩から下関、北九州へ

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◎令和元年 8月30日
 そんなに眠れていないはずなのに朝7時半に目が覚めた。昨日は二段ベッドの中でラジオを聴きながら眠りについた。岡村隆史オールナイトニッポン劇団ひとりがゲストで来ていた。劇団ひとりビートたけしのモノマネをやるコーナーがあって面白かった。YouTubeに落ちている、昔のコント番組、リチャードホールの映像を高校生の時よく見ていたけれど、一番好きなのは劇団ひとりだった。劇団ひとりが扮するのはビートたけしに憧れる尾藤武という男で、引っ込み思案な彼は窮地に立つとビートたけしのモノマネをして、自己を表現する。それがカッコよくて、面白かった。たけしメモを模して書かれた下ネタいっぱいのリスナーのメールを、劇団ひとりがモノマネしながら読んでいくのをニヤニヤしながら聴いていた。それが萩2日目の夜。

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 萩を後にする前に散歩に出かけた。菊ヶ浜には目つきの悪いカモメがいた。羽が毛羽立っているのでなんだか凍えているようにも見えた。見島、相島、大島へ向かう定期船の乗り場を見て、昨日のあのきょうだいとサッカーをした駐車場を通ってゲストハウスに帰った。歯を磨いて、レインコートと服にリセッシュをして(この旅行は原付で走ってばかりだったので洗濯をできるタイミングが限られていた。リセッシュを重宝していた)出かける準備をする。起き出してきた獣医学部の女の子4人と喋る。今日は元乃隅神社と角島を見て、下関に行こうとしていた。可能なら北九州まで行って、そこで宿を探そうと思っていた。ネットカフェかジョイフルがあればそれでよかった。旅の予定を話すと、西都出身の人は「昨日は角島大橋は綺麗じゃなかった」と言っていた。けれど昨日と違って今日は晴れそうだった。8時になって彼女たちは車に乗って出て行った。マクドナルドで朝食を食べるらしい。
 私は読みかけの林芙美子を読み(芙美子は1ヶ月のロンドン滞在を経て、パリへと戻るところだった)、日記を書いた。旅の日記というのは難しい。書きたいことがたくさんあるけれど、時間は有限だ。書くのに気を取られて現実の景色を見なければ本末転倒だ。バランスが難しい。オーナーのSさんが本格的に起きて、昨日長門で買った食パンを1枚くれた。これで元気はつらつ。角島までお腹が持ちそうだった。Googleマップを見ながら道順を確認する。元乃隅神社までは44キロ、そこから角島までは30キロ程度だった。角島から下関までは60キロなので、これは頑張れば夕方には下関に着けるかも知れなかった。一昨日に一緒に温泉に入った時、「津和野に行きたい」という話をしていたのでオーナーのSさんと「また来るので、今度は津和野に行きましょう」と約束してゲストハウスをでた。
 いい天気だった。国道191号線は混んでおらず、萩から三隅までの間で、私を抜かしたのは車2台だけだった。雨や通行止めの影響はほとんどなく、快調だった。途中、曲がる箇所を間違えたおかげで、千畳敷という海のそばの丘から日本海を望むスポットに寄ることができた。地球が丸いことがわかるほど一面の青色だった。カモメのいる波打ち際もいいけれど、こうやって高いところから見る海もいいなと思った。風力発電の風車があって、キャンプ場があって、草原にはトンボがたくさんいた。小さなカフェもあった。やはり海が好きだと思った。都会育ちだけど、小さくても砂浜のある街で育った私は、何か考え事がある時は砂浜を歩くような子供だった。そのせいか今も旅に出る時はできるだけ海を見たいと思う。

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定期船乗り場
 狭い道なのに観光バスが走っていて、元乃隅神社に近づいているのがわかった。伏見稲荷と同じく、稲荷様を祀っていて、ずらりと鳥居が並んでいた。海の近くではあるけれど棚田もあるし、ここは農業の神様なのだと思う。観光地になっていて、駐車場を誘導する係の人がいた。鳥居は海側と山側のどちらから歩き始めたらいいのかわからなかったので、係の人に聞いた。一度海の近くの下の鳥居まで降りて、そこから上の大きな鳥居まで登るのが正式なのだと教わった。

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元乃隅神社
 ずらりと並ぶ赤い鳥居には奉納した人の名前と住所が書いているのだけれど、地元の人以外にも大阪や愛知、鹿児島の住所があった。明日あたりに行こうと思っている直方の誰かも奉納していた。4、5年以内に奉納されたものが多かった。一度下まで降りると海が近かった。海水の侵食によってユニークな崖の形が造られていて、面白い形の岩や凸凹があった。どういう由来かはわからないけれど、お地蔵さんのある祠が3つあった。
 鳥居の中を通って上まで行くと息が上がった。リュックサックを原付のところに置いておけばよかったと思った。一番上のベンチに座ってぼうっとした。その後で角島までの行き方を調べて、重い腰をあげた。

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角島大橋

 昨日の海は雨で濁っていたらしいけれど、角島大橋から見える海は綺麗だった。私が一番よく知る海は大阪湾なのだけど、日本海側は瀬戸内海と何かが決定的に違うように思う。CMの撮影によく使われる2キロ弱の端は結構長かった。景色が変わらなくて、角島に着く頃には飽きてしまった。せっかくだからと思って島の中をうろうろしたけれど、嵐の後だったので海岸はゴミが多かった。昼下がりのアスファルトの上で寝転んでいた猫が、目やにの溜まった目でこちらを見つめ返していた。

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唐戸市場

 お腹が空いていた。しかしどうせご飯を食べるなら下関まで行こうと思ってまた原付にまたがった。191号線は途中通行止めになっていて、迂回しなければならなかった。途中で迷ったりして、結局3時前に下関に着いた。唐戸市場はもう店じまいが進められていて、乾物しか売られてなかった。結局近くの小さなお店でフグの天ぷらが乗った丼を食べた。フグ刺しを看板に掲げる店がたくさんあったけれど、どの店も値段が高くて入れなかった。今までほとんどフグを食べたことがないので、自分がフグを好きかどうかわからなかった。フグの唐揚げも、美味しかったけれど、他の魚との違いがいまいちわからなかった。誰か、私をてっちりに連れて行って欲しい。ちゃんとしたやつを一度食べてみたい。
 対岸の門司港旧門司三井倶楽部という建物にあって、その2階に林芙美子記念室があった。17時に閉館する前にそこに行きたかった。フェリー代400円をケチって歩くことにした。関門海峡の下のトンネルを通って歩く1時間ほどの散歩。リュックサックが重かった。壇ノ浦の義経像の前を通り過ぎて、エレベーターを降りて、海面下のトンネルを歩く。地元の人がウォーキングやランニングをしていたり、なかなか活気があった。夏休み終盤の子供たちがはしゃいでいた。下関側と門司側でスタンプを押せるようになっていて、楽しみながらノートの裏表紙にスタンプを押した。

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トンネル。意外と人がいます
 疲れていたのか時間がかかって、旧門司三井倶楽部に着いたのは4時半を回っていた。ギリギリだったので、アインシュタイン夫妻が滞在したという部屋は素通りして林芙美子の展示に直行した。既に知っていることがほとんどだけど、新たに知ることもあった。例えば彼女の出生地をめぐる問題。下関で生まれたと林芙美子自身は『放浪記』の中で書いているけれど、門司で生まれたと主張する人もいるらしい。パリ滞在中の交友関係や、文壇での立場について書いたところも面白かった。ペン部隊として従軍時の写真や、彼女の日用品、描いた絵があった。没頭して見ているうちに閉館時間が来てしまった。後ろ髪を引かれる思いで階下に降り、建物を出た。素敵なレトロの建物なので、次来る時は1階のカフェで名物の焼きカレーでも食べたいと思う。それまでに少しはリッチになれているといいけれど。

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旧門司三井倶楽部。古い建物
 門司港は、2年前にサークルの後輩と来た時とほとんど変わっていないように思えた。港に浮かぶ船上レストランがなくなっていたぐらいだった。門司港駅の写真を撮ったり広場で少年たちがしている野球を見た後で下関に戻るフェリーに乗った。徒歩で1時間の道のりはフェリーだとすぐだった。関門海峡はひっきりなしに船が通っていて、船の通り道を横切るフェリーは結構運転が大変そうだった。

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門司港

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JR門司港駅

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フェリーの上から
 本日2度目の下関は、金子みすゞ林芙美子の足跡を追うことで始まった。上山文英堂の跡にも金子みすゞが死ぬ前の日に写真を撮った写真館の跡にも記念碑があった。ロシアと比べると、日本の国語教育で詩はあまり大切にされていないと思うけれど、それでも金子みすゞの詩はほとんどみんなが知っているんじゃないだろうか。死後半世紀を経て発見された金子みすゞの作品は、特に平成生まれには馴染みが深いと思う。
 林芙美子は小学校1年生から4年生までを下関で過ごした。田中町の五穀神社横には林芙美子の生誕地を示す石碑が何の説明もなく置かれてあった。この神社の近くのブリキ屋の2階で生まれたというのが有力な説の一つである。彼女の通った名池小学校にも一応行った。もちろん普通の小学校だった。女の子が一輪車を一生懸命練習していて、それをお母さんらしき人が見ていた。

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名池小学校
 歩き疲れた後は、亀山八幡宮に登った。そこにも二人の文章と詩を刻んだ石碑があった。夕暮れの境内から、行き交う船を眺めてぼうっとした。長い一日中だったけれどまだ終わっていなかった。今日は小倉のジョイフルに泊まることになりそうだった。唐戸市場に停めていた原付に乗ってまた走り出し、人工トンネルを原付を押して歩き、ヘトヘトになって地上にでた。少し休もうと思って、銭湯に入った。きく湯というところ。かなり古い外観で中はどうなのだろうと思うとワクワクした。外観の写真を撮っていると散歩中のおばあさんに話しかけられた。おばあさんは「ここは古いお風呂だからねー」と行ってニコニコしながら歩いて行った。浴槽のタイルはとても古くて、目を瞑って開けると、タイムスリップしてしまうんじゃないかと思うほどだった。疲れた体に水風呂が気持ちよくて、何度も熱い湯と冷たい湯を往復した。生き返る心地がした。

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亀山八幡宮の夕暮れ

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亀山八幡宮から

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きく湯

 また原付に乗って走る。今日は走ってばかりだ。国道3号線は一本道で走りやすかった。小倉の中心街に着いて、いつかのテレビでロバートが紹介していた丸和のラーメンを食べた。最初は美味しく食べていたのだけれど、途中から豚骨の匂いが気になって、しんどくなった。もう次は食べられないかも。
 近くのジョイフルに行くのだけど、精神的にも疲れていて、もう動きたくなかった。原付に跨ったままスマホを触っていると動けなくなった。駐輪場でダラダラ過ごして、深夜になってジョイフルに行った。疲れすぎていた。頼んだメニューを食べてすぐに寝てしまった。

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ジョイフル到津店
 
 
【今日の音楽】
 
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