シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#136 うにょうにょうにょーん

 

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 自信がない。どうしてこんなに自信がないのか一週間ぐらい考えていて、ほら例年よりも大幅に早い梅雨入りとかなんとかで雨ばっかりだから、心もどんよりしている。今日はずっとオードリーのオールナイトニッポン真空ジェシカのラジオ父ちゃんを聴いていた。カフェにも行ったんだけど、雨だからかお客さんは私しかいなかった。モーニングを食べて、本を読んだ。寝不足だからか雨降りだからか空だけでなく頭の中までも曇っているような感じだった。眠いし雨音はうるさいし蛙も騒ぐし、「眠いな。死にたいな」なんて言葉を思わず呟いてしまって、雨音とコーヒーの匂いのあるその空間に日本語が浮遊して霧散していく。言葉が私の口から出て、それは発散と言い換えることもできるのに、心は軽くならずますます重くなる。うかうかしているとSNSによくない言葉を書き込んでしまいそうで怖い。誰かの声が聞きたくて思いつくままに電話するようなことはできなくて、だってみんなもう月曜日は仕事をしているような人たちばかりだから、自分だけが同じ場所で前にも後ろにも進めないまま身動きが取れずにずぶずぶと深い沼にはまり込んでいる気がして、やっぱりもう全部終りにしようかなんて16歳にも18歳にも21歳にも考えていたことと同じことが頭をよぎって、いろんな人に申し訳ないと思うし、いろんな人を傷つけてきたしでも、死んでも何も変わらないだろうと思うし、最後の最後に残るのはいつも絶望だけ。この世界にどうあがいても生き続けないといけないなんて××だ。。でも終わらせる勇気がない以上生きていかないといけない。自信がないっていうのは本当に××だけどそれでも生きないといけない。

 自分なりにセイフティーネットを張り巡らせていて、しんどい時に見るYouTubeの動画とか決めているし、毎週毎週好きなラジオが放送されるしアプリを使えば過去を遡ることもできる。音楽だってまだ味方だし、くるりを聴けばあの頃に戻れるしジッタリンジンを聴けば自転車をこぎたくなる。本当の本当に書いちゃいけないことはまだ書き込んでいないし、物理的な自傷行為もしたことはない。酒も飲まない。タバコもしない。でも時々いなくなりたいと思ってしまう。死にたいではなくて、なんというか消えたいという感じ。生まれたくなかったという感じ。こんなこと書くのも恥ずかしいけど。

 友達が教えてくれた詩にも書いてあったように、生まれるという行為はどの角度から見ても受動的で、「生まれてきたくなかった」なんてどれだけ叫んでも過去には戻れない。自己否定はそのまま両親を否定することなって、だから10代の終わりは酷いことをたくさん母親に言ってしまった。会おうと思った時には父親はもう2回目の脳出血で倒れた後だった。入院して退院して一人暮らしをしていることを父の姉が教えてくれたけれど、彼女はどこか嘘くさかった。建前ばかりの言葉を並べる彼女は、明らかに私の来訪を拒絶していた。小さいときの私は母と祖母と一緒にいるのが辛くて、父親がいつか迎えに来てくれる日のことを待ち望んだりしていたけれど、そんな日は来なかった。父親の顔も声も知らなかったから、街を行き交う男の人の顔を見ながら「お父さんはどんな顔をしているのだろう」なんて考えていた。結局実物の彼には会わないまま私の人生は終わる。訃報は届かないだろうし、私が死んでも彼にも彼の姉にも伝えてほしくない。彼らに悲しむ権利は無いような気がするから。そもそも脳出血で倒れた人は、悲しむことができるのかっていう話もあるし。脳出血の後の状態がどういった感じなのかさえ彼女は教えてくれない。お見舞いも拒んだし、リハビリの経過も教えてくれなかったし、ああもう! むかつくむかつくむかつく。思っていることを言葉にするのに時間がかかってしまった。父親の姉に言いたいことはたくさんあるのに言えなかった。お父さん、あなたはどうして結婚しようと思ったんですか? 子供が欲しいと本当に思っていましたか? どうしてずっと連絡さえとってくれなかったんですか? 自信がないっていうのは本当に××だって知ってます?

「あなたを母子家庭に育ったと思われるような人間にしたくない」と言い放った祖母の顔。自分が人と違うかもしれない、異常なのかもしれないと思うたびに浮かんでくる祖母の顔。「あんたおかしいよ」って人格を全否定するように言われたし、母に「育て方が悪い」なんて平気で言う人だった。同時にいろいろ映画や音楽を教えてくれる人でもあった。限りない矛盾をはらんでいて、一緒にいて楽しかった時もあるけれど、祖母いくつかのの言葉は明らかにトラウマになってしまって、私を苦しめる。自信がないのはきっと彼女のせいだと思う。なのにどうして遺影に手を合わせるのだろうとも思う。今なら思うことをきちんと言葉にして伝えることができるのに、祖母はもうこの世にいない。少し腹が立つ。ずるいと思う。ただ生きていたとして、言っても祖母には理解できないだろうとも思う。実際理解してなかったし。理解しようともしてなかった。

 私は自分のアトピー性皮膚炎の肌も、目つきが悪いと言われた釣り目も、身長の低さも結局心の底からは好きになれない。祖母に言われた言葉がまだ私を苦しめるからだ。もう全部なかったことになってほしい。疲れてしまった。楽しい記憶もあるのに辛い記憶ばかり反芻しているのも悲しい。きっと自分に自信があれば違ったのだろうと思う。でもそんな言葉を受けて育って、自尊心の問題を抱えていない自分を想像すること難しい。母子家庭で育ったことは別に後ろめたいことでもない。劣っているわけでもない。なのに祖母の言葉はずっと刺さったままで、私はいつまでも幸せになれないんじゃないかとさえ思う。

 祖母が死んだら今度は伯母がまた何か言ってくる。伯母の言葉が強すぎて私は過呼吸になってしまって、以来存在自体が怖くなってしまった。伯父と伯母の作った家庭が昔から羨ましかった。従兄弟と比較すると自分には何か足りないようにずっと感じていた。そういうのは彼らはわからないだろうと思うし、わかった気になってもらっても困る。伯父も伯母も家族ではないから、最後の最後までは心を許せなくて、最近では会話するのも少し怖く感じる。祖母が死ぬときに伯父伯母が私に言った言葉。母について伯父が言う言葉、私について伯母が言う言葉。積み重なったものを考えるに、もう手遅れなんだと思う。彼らは強すぎて、私は弱すぎる。わかりにくい甥で申し訳ないとも思う。

 記憶が正しければ先週父親は誕生日で、そういうのを思い出して勝手に落ち込んで勝手に寝込んで勝手に死にたくなって、でも強すぎる人たちにはきっとわからないだろう。もうわかってほしいとも思わないし、平行線のままでいいから。ただわかったような顔だけはするなよって思う。もう無理だし取り返しがつくはずなんかないので。

 がぶがぶコーヒーを飲んでいる。がぶがぶ牛乳を飲んでいる。時々おなかを下す。小腸も消化管も全部流れていかないかなあと便座の上で思う。私という概念すべてが下水に流れて最後に汚い肛門だけが残る、みたいな。

 オードリーの2人の声を聴きながら寝たのに、胸糞悪い夢で起きる。息が浅くなっている。2年前に過呼吸になったことを思い出して、頭が一瞬真っ白になるけれど手はちゃんと動くし深呼吸もできるし大丈夫だよーって自分に言い聞かせてまた寝ようと思うけれど、もう眠れなくなっていて、仕方なく体を起こす。何もやることはなくて、聴きたい音楽も観たい映画も読みたい本も連絡を取りたい人も実はもうないんじゃないかって思ってじゃあどうして生きているんだろうと思う。そういう感じになったらゲームオーバーだなあって思うけれど、ゲームなんてもうとっくの昔に終わっていて私の前にあるのはただただ終わりのない晩年のような気がして、ただ母にだけは申し訳なく思って、祖母にも伯父にも伯母にもありがとうとは思うのだからどうせ死ぬならありがとうを伝えてからだろうと手紙を書いてみるけれど選んでも選んでも言葉は嘘くさくて私が死んで誰かが悲しむのならやっぱり死ねなくてでも死なないとわからないこともあるだろうななんてまだ考えている。今日も明日も考えていることは去年も3年前も考えていたし死ぬまで考えているんだろうなと思う。もう全部なくなってくれないですかね。もう疲れたんですけど。

 記憶が正しければ父は今年で58になった。もっとも、彼が生きているかどうかさえ私は知らない。どうしてだか許してほしいという気持ちがある。自分でもよくわからない。

 

 

【今日の音楽】

youtu.be

 

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