シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#210 口角を上げろ!

 何もわからないからとりあえず口角を上げている。電車で目が合うと時々笑いかけてくれる人がいて、ここにあるそのコミュニケーションはいいなと思う。日本では目が合ったらすぐに目を逸らすけれど、ここでそれをやるのはなんだか良くないことのような気がする。
 自分の顔が怒り顔でないことも、自分の体が小さいこともあると思うけれど、何よりファッションやら顔つきやら自分の外見に興味津々っていう感じの人が多い気がする。列車に乗っていてもバスを待っていても、カフェで誰かの椅子の後ろを通る時も、通りの雑踏の中でも、なぜか微笑みかけられる。何歳に見えているのだろう。

フランクフルトの1週間はずっと料理をしていた。インディカ米で作ったキムチチャーハンみたいなやつと、茹で野菜を醤油と砂糖軽く炒めたやつ
 金銭的にも心理的にも余裕がなくても、口角を上げてさえいればなんとなく意味があるような気がする。それだけで果たしていいのかなあなんて思うけれど、それで良いこともあるのだと思う。その昔、口角を上げる練習を鏡の前でずっとしていた時期があった。どうしてそうしていたのかはもうわからないけれど、ただそうしないと自分がダメになるような気がしていたんだと思う。絶望の中にいたとしても笑顔ではいたい。鏡に向かって叫び出したくなるのを堪えて、ニッコリする練習をしていた。鏡の中の私は時々、いきものがかりの「Happy Smile Again」という曲のことを考えていた。私は私らしく歩いていきたいけれど、その私らしくみたいなのがどうしてもわからなくて、でもとりあえず笑えてるし、生きているし、だからまあ、このままでもいいか。そんな感じだったと思う。20歳とかそのへんの頃。平昌オリンピックの羽生結弦も演技の前にニッコリしてた。笑うことで不安を吹き飛ばしたかったのだと思う。後のインタビューでなんかそんなことを言っていた。羽生結弦はパーフェクトすぎて、スケートファンとしては応援しがいがないのだけれど、時々彼の考え方は生きる上で参考になる。彼のインタビューはいつも面白い。

これはドイツで初めて行ったスーパーマーケット。ティモが連れて行ってくれた
 言葉が通じない環境に来て、自分の表現力が3歳児よりも低くなった今、嫌われる行動は避けたい。その観点からしても口角を上げておくことは戦略的にも有効だ。赤ちゃんはよく笑うけれど、それは周囲に愛されるためらしい。生存本能としてそういう機能が備わっているみたい。家庭科の授業で杉本先生が言っていた。笑顔を絶やさないことはお守りにもなるけれど、同時に生存戦略としても有効なのだ。それは20代後半になっても有効なのかはわからないけれど、言語がわからない場所に来ている今の私にはすごく大事なことだ。
 
 気の弱い人間だと思われることは別になんとも思わないのだけど、気の弱さにつけこまれることは嫌だ。まだこっちに来てそんな風にはなっていないけれど、誰かと一緒にいることに重きを置きすぎて、自分のやりたいことができなくなっていたらよくないなと思う。主張しないといけないところは主張しないといけなくて、だからそのバランスが時々難しい。

ポン酢を作って焼いたナスビにかけて食べるというのを毎週やってる。ナスは安いときは1キロ1.5€(220円くらい)
 口角を上げて無害な人間であることをアピールするのは良いけれど、自分がもっと快適に過ごすには、言いたいことを言わないといけないわけで、その過程では自分の浅はかさや人間の小ささ、未熟さがバレることもある。いつも口角を上げて愛嬌で誤魔化すのはその場しのぎでしかなくて、真摯なコミュニケーションではない。愛嬌は大事だけれど、もっと仲良くなるには一歩二歩踏み出さないと。
これから言葉を段々獲得していけば、口角を上げるだけではダメな時がくる。その時、私は自分とも世界とも戦わなくてはならない。その戦う準備はいつまで経ってもできた気がしないけれど、それでもやっていかないといけない。いつも準備はできてないけれど外に出ないと始まらない。

いつものバス停

 

 
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