シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#122 部屋の整理(2)

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 子供向けの国旗の本。保育所に通っていた時、国旗の本をおばあちゃんに買ってもらった。たしかクリスマスプレゼントだったと思う。朝起きたら枕元に一目見ただけで中身が本だとわかる包みがあって、開けると色とりどりの国旗の絵が入った表紙が目に入った。ちなみに今も昔も私はプレゼントの包装紙が破れてしまうのがイヤで、セロテープをきれいに剥がすことに一生懸命になるタイプである。保育所の遊戯室には自由に使っていい画用紙があって、毎日国旗を色鉛筆で描いていた。そのうちに、どうやらどの国にも「しゅと」というものがあるらしいということが解ってきた。日本の首都は東京。韓国の首都はソウル。中国の首都はペキン。覚えることがたくさんあった。今も昔も我が家のトイレには地元の銀行が年末に配る大きなカレンダーがあって、メルカトル図法の周りに12カ月が配置されていた。

 

 中学校の国語便覧。あんなによく読んだのに、読み返すと、あまり良いものではなかった。夏目漱石芥川龍之介以外にも日本には良い作家がいるのに、彼らのことしか書いていない。評価され過ぎて権威的な文学になってるのだとしたら作家にとっても読者にとってもよくないと思う。また便覧には、ことわざや四字熟語、日本語の細かい文法のルールも載っていた。海外で日本語教師をするときに便利だろうと思ったけれど、そんな日が実際に来るとは思えないので捨てることにした。

 

 高校1年生の時の生徒会報と文化祭実行委員会から配布されたプリント。私の高校は各学級で劇をする伝統があった。当時の私は劇を仕切る係をしていた。今となっては考えられないけど。劇の小道具を学校から借りるための申請書が出て来た。担任のハンコと署名。文化祭実行委員の署名。顔と名前だけは知っている先輩。今何してるんだろ。何してるんだろ自分。

 

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 世界史についてまとめたノート。表紙は三国時代の中国の地図があって、曹操劉備孔明孫権のイラストも添えられてある。同時代の朝鮮半島の勢力図も色分けされている。その時代の朝鮮半島中南部には馬韓弁韓辰韓があったと考えられている。受験生だったころ、教科書を読む気になれない時は図書館で世界史に関する本を借りて世界史の知識を得ていた。ノートは主に中国史について書かれている。『鄧小平』と『中国反逆者列伝』という2冊の内容にそって大学入試に必要な知識がまとめられている。

『鄧小平』は戦時下における鄧小平の下積みと、中国共産党の権力闘争の話が主で、中国の現代史について18歳の私はまとめていた。特に毛沢東の死と共に終わった文化大革命、その後の改革経済。ノートによれば鄧小平は客家出身らしい。「客家とは、南方の『本地人』に対して、よそから来た人の意。その多くは非漢民族華北を支配した東晋、唐代末、南宋、明代末、清朝末の5つの時代南方へ移住した。南の文化に同化せず、固有の文化を保ち続けた彼らは結束が強く排他的で、また勤勉で賢いと言われる。現地人から山間のやせた土地しか与えられず、しばしば土地争いが起きた」ノートにはそんなことまで書いている。

 ちなみに、台湾に漢人が移住するようになるのはオランダの統治が終わる17世紀からで、多くの客家も華南から海峡を渡って台湾に移住した。そして大陸でそうであったように土地争いも起きた。いつか読んだ台湾の本にそんなことが書いてあった。

 余談になるけれど、鄧小平は89年の64日に天安門広場でデモ隊に対して武力弾圧を行った人である。今でも天安門事件は中国ではタブーとなっていて、インターネットでも検索できないらしい。中国からの留学生と香港やウイグルの問題について話した時に、なかなか話がかみ合わないことがあった。私は天安門事件のことを思った。武力行使を鄧小平が命じなかったら、香港やチベットウイグルにおける現在の人権侵害はもしかしたら起きていなかったかもしれない。

 高校3年生の当時、いかにして勉強に対するモチベーションを上げられるかということを考えていた私は、ノートの表紙に絵を描いていた。世界史の勉強と地理の勉強を組み合わせたノートを作ったり、現代史に関わる英語の記事を読んだりしていた。次第に、好きな分野の勉強ばかりしてしまい、数学の勉強はほとんどやらなくなってしまった。

 

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 浪人時代の河合塾のテキストが出てくる。

 多和田葉子のことを初めて知ったのは現代文のテキストの中だった。アライという名の現代文の教師が「正直、多和田葉子村上春樹よりもノーベル文学賞に近い」ということを言って、『エクソフォニー 母語の外へ出る旅』という文章を読んで問題の解説をした。

「ここに傍線Aを引く! ぴしっ」

「ぴしっ」をわざわざ発音する先生が面白くてクラスで何人もが真似していた。

 ページをめくるとよく覚えている文章がたくさん出てくる。リービ英雄『「there」のないカリフォルニア』、姜尚中『悩む力』須賀敦子「クレールという女」。

リービ英雄は台湾のことが好きになって調べていた時に『模範郷』という本を読んだ。幼年期に台湾で過ごした作者が大人になってから台中に帰って、昔住んでいた場所を探すというお話だ。烏丸の大垣書店若林正恭の『社会人大学人見知り学部卒業見込み』と一緒に買った。2019年の5月。M先輩と京都を一日歩いた後だった。

『悩む力』は結局買った。天神橋筋の天牛書店。読んだけれど内容は忘れてしまった。須賀敦子の「クレールという女」は『遠い朝の本たち』に収録されている。買ったけれどまだ最後まで読めていない。読むと泣いてしまって進められないのだ。私の本だなにはそうした本が何冊かあって、今年こそは読もうと毎年思うのだが結局読めない。困る。

 大学受験のための授業だったのにアライ先生のことはなぜかかなり記憶に残っている。酒を飲んで留置場で泊まった話や、文学を研究していた学生時代の話など、授業の合間に挟まれる話を毎回楽しみにしていた。同時に先生の人生を諦めたような言動に哀愁を感じたりした。授業後に質問に行くと、酒の匂いがしたりもした。今元気でおられるだろうか。まだ予備校教師をしているのだろうか。テキストで詩が出た週には穂村弘の短歌をプリントに刷って配ったりしていた。

 

 数学のテキスト。名前も忘れてしまった予備校教師たち。まだうっすら顔は思い出すことができる。数学が苦手だから文系にしたのに、文学部の合否を分けるのは数学の点数だと知ってやるせない気持ちになったのを覚えている。結局本番の試験でも数学は5問中1問しか解くことができなかった。

 

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 ミャンマーのパガンで買った砂絵。あまりいいものではない。捨てるかどうかまだ迷っている。パガンは観光地である。パゴダと呼ばれる仏塔が見渡す限り一面にあるのだ。電動バイクや自転車で仏塔をめぐり、写真を撮り、水辺で船から荷物を運ぶ人を見た。子どもにお金を要求され、ある9歳ぐらいの子どもは腕時計が欲しいと言われた。誰かを断罪することも、説教をすることもまっぴらだった。ただ悲しかった。観光が彼らの子ども時代をスポイルしてるように思った。観光客といて楽しんでいるだけの自分もその片棒を担いでいた。

 

 丸谷才一『笹まくら』のストーリーを時系列にまとめたメモ。2019年の夏、『笹まくら』の舞台となる西日本の街を巡る旅をした。杉浦健次が阿貴子と出会った皆生温泉近くの日野川の河口。出雲大社、そして杉浦健次が終戦を迎える宇和島の城山。天赦園の由来となった伊達政宗の晩年の漢詩。赦すとは赦されるとはどういうことなのだろうか。映画よりも映画的な小説。でも映画ではどうしても表現できないだろう。杉浦と阿貴子が結婚していたらどうなっていたのだろうと時々思う。存在しない人物のことを考えて現実にいる人たちのことをないがしろにしている。よくない。

 また今度は、芥川龍之介の「偸盗」に出てくる登場人物の相関図のメモ。もうかなり忘れてしまったけれど阿濃のところが気に入った覚えがある。

 

 全部捨てることにした。そう全部捨てる。

 

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