シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#190 忘れること。忘れたことを気にすること。

 母も私も、物をよくなくす。家の鍵、物差し、お気に入りのお皿、鰯の缶詰。コンパスと分度器。
「物を探している時間が人生で一番無駄」といつか母が言って、それは今でも真実だと思う。
 ホテルで働き始めた時、毎日のように物をなくした。お気に入りだった1本のボールペンは結局戻らなかったけれど、それ以外は戻ってきた。サラサの青のボールペン、赤い300ミリリットル入る魔法瓶、仕事用のメモ帳。無くしたはずの物は様々な場所で発見される。コーヒーメーカーの横や、あるいはバーのカウンター。同僚や社員さんが、私の忘れ物を見つけて、次の日に渡してくれることもあった。ゲストハウスに住んでいる今も同じだ。保湿液やメガネ、イヤホン、日々様々な場所に忘れては取り戻している。

「忘れていく」のイメージ
 自分が一度確認したはずの場所や、自分の部屋から無くしたはずのものが出てくる。そんな時、大きな存在のことを思う。何か神様だったり死んだ祖先だったり、そういった存在が私を助けてくれているのではないかと思う。きっとそういうのが信仰の始まりだったのだ。

イメージ図「信仰」
 ホテルには、私よりもっと物をなくす社員さんがいる。制服だったり、夕食の配膳時に腰に巻くサロンだったり。飲みかけのコーラならいいけれど、財布もバーカウンターに置き忘れてしまうのは大変だろうなと思う。箱根を離れる時、お世話になった人たちにプレゼントを渡そうと思っているが、彼にあげるべきものがなかなか見つからない。簡単に無くしてもいいものかつ、心に残るもの。それってなんだろう。

ある日の忘れ物
 ロンドンからやってきたレミーが共用スペースのソファーのところにスリッパを忘れていった。ゲストハウスHAKONE TENTでは玄関先で靴からスリッパに履き替えてもらう。でも旅館だった建物をリノベーションして作ったゲストハウスには段差があったり、畳があったり、トイレがあったりでスリッパを脱ぐ箇所が多い。ソファーでピザを食べ、くつろいでいる間にスリッパを脱いでしまったレミーのようにいろんな場所にスリッパが置かれている。
「いつもものを置き忘れてしまうんだよなあ」そう言って笑ったレミーは、母や私や、ホテルの社員さんと同じ種類の人間なのだろうと思う。

 大事なものを忘れてしまうのは怖い。昔、耳鼻科からの帰り道に、おばあちゃんからもらったニュージーランド土産の帽子を忘れてしまったことがあった。私と母で必死に元の道を引き返し、暗いアスファルトの上を必死で探した。帽子は道の真ん中で発見され、二人で寒い中を凍えながら帰った。
 こういったことが私の子供時代には結構あった。アトピーが酷かったせいで、学童保育で出されるおやつが食べられなかった私は、いつも家からおやつを持参していた。それは煎餅だったり、スルメだったり、メザシだったりしたのだが、私は健気にいつも食べていた。今でこそアトピーは治りこそせずとも、ましになったが、当時は毎晩お風呂の後に塗り薬を塗っていた。ステロイドを使ったせいか、今でも痕が残っている。みんなでプールに入るのが今も昔も嫌いだ。

雨の日の車窓は記憶の中の風景と似ている
 毎日、学童保育に行くために、ブリキの箱に入れたおやつを持参していた。ある時、家に帰ってブリキの箱を洗おうとしたら、手提げ鞄に入っているはずのそれが無かった。その時も母親と一緒に通学路を戻って学校まで行き、ツツジの植え込みの中を探したり、公園のベンチの方に懐中電灯を向けたりした。無くしものに対して母は厳しかったような気がするが、それはどうしてだったのだろう。大人になって、あの頃の母の経済状態や心理状態について考えたりするけれど、未だによくわからない。当の本人はきっとこんなこと忘れているだろうから、訊いても意味がなさそうだ。もしかしたら、自分のように忘れ物や探し物で時間を無駄にして欲しくないと、母は私に対して思っていたのかもしれない。
 そんな記憶がいくつか積み重なり、私は「忘れてしまうこと」や「無くしてしまうこと」をひどく恐れるようになった。いまだに、「忘れる」ということが怖い。

年末大掃除の前の日に見つけた死んだ鳥

 

 目に見える物なら、忘れても無くしても、まだ諦めることができる。でも目に見えないことは諦めても諦めきれない。
 例えば日常のちょっとしたコミュニケーション。
「ありがとう」
「こんにちは」
「ごめんなさい」
 さっきのAさんとの会話で私はしっかり感謝を伝えていただろうか。小さなことでもごめんなさいと謝れていただろうか。初めに挨拶をちゃんとしていただろうか?
 メンタルが安定していない時、こういう些細なことが気になって仕方がない。
 言い忘れているかもしれない何かが気になって電話を切れない。私が相手を大事に思っていることが伝わっているのかどうか不安で中々見送ることができない。同級生と久しぶりに会って別れる時まだ大事なことを言ってないんじゃないかと思ってダラダラと過ごしてしまう。などなど。

 そこには「間違いを犯すこと」に対する恐れもあるような気がする。それは中学受験のために勉強しはじめた10歳以来、ずっと持ち続けている強迫観念かもしれない。いずれ、これについても書きたい。「間違えたくない」という強迫観念に苛まれながら成長した結果、自分の人生を「間違い」とも「正解」とも評価されないために足掻いている、そんな人生。

 
 最近、忘れることを恐れるあまり、知ること自体が怖くなってきた。
「知る」というプロセスには同時に「感じる」や「考える」ということも必要で、それって面倒だし、いちいち感受性を刺激してくる。毎日いろんな人が来て去っていくゲストハウスでは、せっかくゲストと仲良くなれてもすぐに別れないといけない。それぞれの人のそれぞれの物語に向き合い、それぞれの人生について考えたいのに、時間が足りなくて困る。会話を反芻し、メモし、忘れないように書き残す。その会話について考えたことをまた思い出し、また書く。そういった作業は忙しい毎日の中でこそ大事にしたいと思う。でも次から次へとゲストは来て去っていく。その中で一人一人との時間を私の中で大事にしようというのは不可能で、そんなことこの世が始まった頃から分かりきっていたのだろうけれど、私はまだ諦め切れない。

小田原駅前の再開発に負けず、一軒だけ残った不動産屋
 日々の中で話すこと聞くこと感じること。思い出してまた考えること。記憶と記憶が繋がり、現実では他人同士のはずの誰かと誰かが、私の脳内で繋がること。連鎖が連鎖を引き起こし情報が脳内でパンパンに膨れ上がるのに、それを誰とも共有できないという虚しさ。
 
 レミーは今はロンドンに住んでいるけれど、パスポートを4つ持っていると言っていた。フランスとイギリスとシリア。もう一つは忘れてしまった。どのゲストと同じように彼にも彼の物語がある。彼のパスポートについて私は尋ねてみたいと思ったけれど訊きはしなかった。それはその朝のシフトが一人しかいなくて忙しかったこともあるし、チェックアウトの時間が迫る時間で、その話を十分に聞くには時間が足りないように思えたからでもあった。レミーのパートナーもスロバキアと英国のパスポートを持っていて、そのことも気になった。彼ら(とその家族が)どういった物語の後にイギリスに住むようになり、どういった未来の中に生きていくのか。
 その話を聞いても、どうせ私は考え込んでしまうのだろう。何かを感じ、物思いに耽ったりするのだろう。そうしたところで、結局は彼らのストーリーも忘れてしまうのだろう。聞いても聞かなくても、何も変わることはなく人生は続くのだ。そういう未来が既にもう見えているのなら、聞いても聞かなくても結局は同じことだとその時は思ってしまったのだ。

イメージ図「未来」
 そろそろ箱根から場所を移した方が良さそうだ。少し疲れている。
 
 
 
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