シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#185 Fujimi Cafe・ラリック美術館

Fujimi Cafe
 うん。とてもストロングなコーヒー。美味しい。最初は砂糖無しで。途中から砂糖とミルクを入れよう。
「富士山が見えるカフェ」という触れ込みの峠のカフェ。バスに乗ってカーブを登っていく。トンネルを抜けると県が変わって静岡県。富士山が見えた。でも全貌は見えない。8合目まで見えて、その上には雲がかかっている。

乙女峠のバス停
 6月。箱根で働き始めた。最初の休みに芦ノ湖に行った。晴れていたのに午後から雲が出て、富士山は見れなかった。関西から出て、小田原までの新幹線でも、富士山は雨で見えなかった。このカフェから見る富士山が、今年になって初めての富士山。関西にいる時と比べて、箱根は富士山に近い。だからいつでも富士山など見られるのだと思っていたけれど、そんなことは全然なかった。今いるホテルからは山に隠れて富士山は見えない。大涌谷芦ノ湖でも、晴れていないと富士山は見えない。そして箱根の夏は晴れの日が少ない。

箱根の第一印象に、紫陽花が綺麗だというのがあった。
 でもがっかりすることはない。今ここにいるという事実自体が奇跡みたいなものだ。去年の7月は病院にいた。トラックに追突されて50日も入院したのだ。「死んでもおかしくなかった」と警察の人が言っていて、実際ガードレールがあったら死んでいたと思う。たまたま橋の上で、縁石の上にガードレールがなくて、原付から歩道に倒れ込むことができた。だから偶然生き延びた。別に、それが運命とも、何かしらの超自然的な力が働いたとも思わなかった。ただ、気をつけないとすぐに死んでしまうなと思った。でも死んでも生きていても一緒では? とも思う。この苦しみや悲しみを何回も経験しないといけないのなら、その度に落ち込まないといけないとしたら、なんで生き続ける必要がある? 生きる意味とは?

事故現場の橋。自宅から車で10分の距離だった。
 このカフェにも次にいつ来れるかわからない。もしかしたらもう来れないかもしれない。だから私は忘れないように味について書く。濃い味。苦味とコク。後から来る酸味。でも味覚を表現するのに言葉は不十分すぎる。メモをどれだけ取っても味は再現できない。匂いも、音も、思い出も。
 
 そもそも今日早起きしていたらここにはいなかったかもしれない。たまたま遅く起きたから山に登るのをやめて、美術館に行って、目星をつけていたカフェが休みだったから、急遽プランにはなかったこのカフェにやってきた。仙石でバスに乗って御殿場方面へ向かい、乙女峠で降りる。そしてバス停の向かいにあるこのカフェへ。富士山が見えるからFujimi Cafe。シンプルでわかりやすいネーミング。テラスがあって、富士山に向かって座るカウンター席もある。気持ちのいい初夏。焼ける二の腕。

 
 カフェの前にラリックの美術館に行った。ルネ・ラリック1860年に生まれて1945年に死んだ人。ガラス職人でありデザイナーであった人。彼のガラス作品が美術館の至る所にあって、産業社会における芸術としてのガラスが展示されていた。青い香水の瓶がとてもよかった。
 
 昨日まで名前も知らなかった人が、今日から知っている人になる。未知から既知へ。既知の分野がどれほど広がってもそれに比例して未知の分野はどんどん広がる。それもまた不思議。私の尽きない好奇心を持ってしてもこの世は結局食べきれないのだろう。それって人生がとても楽しいってことなのだと思う。
 
 いつの日かそんな道のりに疲れて、好奇心を失う日がやってくるのだろうか。気力や体力が好奇心に追いつかなくなって、知ることをやめる日が来るのだろうか。今はまだ想像できないけれど、祖父母や伯父伯母の様子を見ていると、そんな日も来そうである。知らないのではなくて知ろうとしない姿勢。10年後の自分は? 20年後の自分は? 40歳の私は元気にしていますか? 毎日新しい発見をし続けていますか? 生きることについて、生きていることに対しての感動を忘れないでいて欲しいなあ。

ラリック美術館は写真撮影厳禁だった
 もしラリックが日本に生まれていたら何をしていただろうと考えた。アール・ヌーヴォーアール・デコの時代を生きた彼の作品は、新しい産業社会におけるアートだった。そういった時代に相当するものが日本にあるのか考えたけれど思いつかなかった。日本の陶芸の世界でも、明治時代や大正時代に、生活様式の変化に合わせて、何か革新的な出来事があっただろうと推測できるけど、それが具体的に何か私は知らなかった。服飾史のS先生の授業を思い出した。一つひとつの服を手作りしていた時代と、ファストファッションの時代。親から子へ服が代々受け継がれ何度も修繕をしていた時代と、穴が空いたり糸がほつれたりしたらすぐ捨てるようになった時代。少し飛躍しすぎか。ファストファッションの時代だからこそ活躍できている服飾関係の人もいるのだろうと思う。全く知らないので具体例こそ出せないけれど。

美術館の入り口
 
 もし「何でも好きな家を作っていいよ!」ともし言われたとして、ラリックの作品を自分の家に置苦かどうか、正直わからない。香水の瓶などはとても綺麗だったから、玄関とかに飾ればいい感じになるかもしれないけれど、繊細な七宝焼きなどは、私が住む空間にはそぐわないだろうなと思った。
 
 一人の作家をテーマにした展覧会や美術館に行くと、その作家が実際以上に持ち上げられすぎていて、モヤモヤすることが多い。彫刻の森美術館のピカソ館も、ピカソの負の側面には触れていなかった。去年行った宮沢賢治記念館も、賢治の人生の良いところしか紹介していなかった。失敗や苦悩をも含めた宮沢賢治の人生が好きなので、幾許の物足りなさを感じながら駐車場に戻ったのを覚えている。
 
 ラリック自身がフランス国内でどのような評価を受けているのかは知らない。ただ、美術館の最後の部屋では、肺結核根絶や戦費調達、傷痍軍人のためのチャリティーのために仕事をしたことが紹介されていた。メディアを通じて国全体が団結できる様になり、大量に人を殺せる兵器が出現した20世紀。その中で芸術家が担う様になった新しい役割。
 
 で、今私は乙女峠から宮城野まで戻ってきて、またカフェにいる。喫茶くるみの実。マデラ風ハンバーグとコーヒー。親しみのある洋食屋さんの味。コーヒーも、さっきのコーヒーと違って、ほどよい苦味とコクがあった。また書く。さっき富士山を見ながらラリックについての感想を書いていた様に。先週湘南を歩いた時の感想を書いたように。昨日のことその前のこと。知らない土地にいて書きたいことが山ほどある。書いても書いても、書きたいことは無くならない。自分の中にあるこの焦燥感はなんなのだろうと思う。情熱なのか、それとも強迫観念か。自分でもわからない。箱根に来て3週間、行きたいことがたくさんある。書きたいこともたくさんある。時間が足りない。できる限り全部見てやろうと思う。

くるみの実を出る時、厨房に差す日の光が綺麗だった
 
 
 
【ひとこと】
箱根で働き始めてもうすぐ5ヶ月です。これは箱根に来て3週目に行ったFujimi Cafeと箱根ラリック美術館について書いた日記を再構成した文章です。誰かにとってこの文章が意味あるものであればいいなあと思います。感想とかコメントとかあれば送ってください。結局このカフェはまだ一度しか行けていません。
 
 
 
【今日の音楽】

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