シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#126 記憶たち

 

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 わりと根に持つタイプである。記憶がいいのもあると思う。私が2歳の時に母親が妊娠したことも、妹か弟かわかる前におなかの中で死んでしまったことも覚えている。病院の椅子に座る母に「どうして? どうしておなかの赤ちゃんはいなくなっちゃったの?」と尋ねていたことも覚えている。あの頃は毎週京都のマンションから、奈良にある父親の実家に帰っていた。夜の高速道路は楽しいものだったのだけれど、一度だけひどい雷の中帰る時があって、その時は泣きわめいた。全部を全部覚えているわけじゃないけれど、結婚と同時に専業主婦になった母は私をよくドライブに連れて行ってくれた。そんな記憶が助手席や後部座席に乗るときに急に記憶の淵からふわりと浮かびあがって来て、私はついつい一人の世界でうっとりしてしまう。もちろんそんな自分の中の感動を誰かに伝えてもヘンな感じになってしまうだけだから、誰にも言ったりはしない。だから一人でこうやって文章に書いている。でもたまには、たまには誰かに理解してほしいと思う。ただ誰に話しても結局は同じで、「共感」を求めても求めても「分かりあえた」という確信を持つことができなくて、むしろ自分は独りで生きていくしかないのだという絶望がちょうど汐が満ちていく時のようにじわじわと足元を浸していく。振り返ると、干潟だったのが消えてひざ下まで水があって、ズボンがもうだいぶ濡れている。早くあの松林のところまで戻らないと。でももう疲れて走れない。足がうまく動かせない。

 中学時代の同級生からインスタグラムをフォローされた。嫌だった。彼が私に投げた言葉を私はまだ覚えているからだ。彼はいじめっ子だった。少なくとも私の中では。箕面の高級住宅街に住む彼は明らかに私の服装や持ち物を見下していた。それなのに私のSNSをフォローしようなんてどういった心境なのだろう。もう忘れていたのに私の人生にひょっこり顔を出して嫌な気持ちにさせて。その上SNSを覗こうなんて虫が良すぎるのではないだろうか。まあでも、本人は忘れているのだろう。そうに違いない。私が彼をブロックしても彼はどうしてだかわからないだろう。

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 時々気になること。一体全体、教師と言うものは、生徒にかけた言葉をどれだけ覚えているのだろう。彼らは毎年毎年違う生徒たちの前に立ち、同じようなシチュエーションで同じような言葉を投げかけ続ける。彼らはいったい生徒のことをどれくらい、自分がかけた言葉をどれくらい覚えているのだろう。

 中学高校時代には想像もできなかったことだけれど、当時と今とで印象が大きく異なる先生がいる。例えばサッカーをしている時、顧問の言うことは絶対で、彼の言葉や存在をありがたく聴いていたものだけど、今考えるとわりと無茶苦茶だった。最も悲惨だったのが中学の顧問で、ありえないことにサッカーの上手い下手に成績を持ち込んだりしていた。先生が思う「若者らしさ」を押しつけて、個々の性格を認めようとはしていなかった。はっきりいってひどいものだった。悪目立ちするチームメイトは怒られる一方で目立たない私は遅刻しても気づかれなかった。私たちにはみな複雑な背景と複雑な感性と複雑な思考があるのに、「中学生」という単純なレッテルでしか私たちを見ないような顧問だったから頑張る前に先にシラけてしまっていた。あの顧問はまだ令和になっても2020年代になっても同じことをしているのだろうか。勝ち負けではなくて、もっとサッカーを楽しみたかったと今なら思う。そんな考え方は軟弱なのだと彼らは言うかもしれないけれど。

 医者を目指していたある友達は、生活態度を咎められた時に、担任に「あなたには医者になってほしくありません」と言われたらしい。彼は簡単なことではへこたれないキャラクターのだけど、数年以上経ったその時でも結構な熱量で怒っていた。今彼は医学部に入っていて、その先生が診察室に来る日を楽しみにしているらしい。彼のその根性は見習いたいものである。

 保健の授業で自己同一性障害について勉強した時、教室を見回したあとに教師はこう言った。

「まあ、このクラスの人は心の病気にはそんなに気をつけなくていいと思うよ」その後私をちらっと見た。「シゲ以外はね」

 ユーモアがあって笑わせてくれる人気の先生だった。何人かが笑った。私は頭が真っ白になった。何しろ数カ月前まで学校を辞めるかどうか悩んでいたのだ。何かを言わないといけないけれど言えなかった。笑ったクラスメイトがかなりの人数いて悲しくなった。これは年に3回ぐらい思い出す××みたいな思い出だ。そんなこと絶対に言うべきではなかったと思うし、言ったからには責任持って対話するべきだったと思う。でも彼はそんなこともう覚えていないだろう。むしろ覚えていないで欲しい。覚えていたら尚更ひどい。

 随分前に会った高校時代のチームメイトは、サッカー部の思い出も文化祭の思い出もすっかり忘れてしまっていた。清々しいくらいきれいさっぱりと忘れていて、同学年の生徒も部活の後輩の名前もかなり怪しかった。一緒になってあんなに笑ったりしたのに、思い出を共有しているはずなのに、と思うと悲しかった。16歳の時に学校にも部活にも行けなくなった私は、彼の言葉や思いやりにとても救われたのだけど、彼はもうそういうことを覚えていないのだろうなと思ったら帰り道とてつもなく寂しくなった。

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 彼みたいに思い出のために割く脳の容積やパワーを、今目の前にある現実のために使えば楽なのかもしれないと思う。少なくとも今のような気難し屋にはなっていないように思える。それが私にとって幸せかどうかは別として。辛い時に思い出すのは、やはり辛い思い出が多いけれど、その中でも時々クスリと笑ってしまうような思い出やうっとりするようなやつがたまにあって、そういうのがあるから生きていけるのだろうとも思う。

  

 

 

【ひとこと】

忘れてください。でも意外と覚えていますからね。

 

 

【今日の音楽】

youtu.be

 

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