シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#206 希死念慮に勝ち続けてきたけれど、そろそろダメかもしれない

 死にたい気持ちに勝ち続けてここまで来た。希死念慮とはかれこれ20年来の付き合いだ。私はまだ26歳なのに。
 ちょっと最近もうダメかもしれないなって思うことが増えた。何をやっても希死念慮に対処できない。というか、今まできちんと対処できなかったツケが回ってきたような気がする。
 記憶にある範囲で、この10年は自傷行為をしたことはないと思う。小学生や中学生の時にせいぜい頭を壁に打ちつけたりしたぐらいで、別に大したことはやってないと思う。
 
 間接的な自己破壊行動は結構多くて、例えば、就活をしなかったことはそうだと思う。できるだけの余裕と力があるのにやらなかった。大学に行かずに留年し続けたのもそうだ。死にたい。消えたい。なくなりたい。そればかり考えてぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐる。ぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるぐるグルコサミン。
 ドラッグも犯罪行為もしていないだけ偉いと思うけれど、何より戦い続けて死んでいない自分は本当に偉いと思う。死んだら誰かが悲しむっていうのは本当にそう。よく言われるし自分でもそうだと思う。でも本当に死にたい時、頭に浮かぶのはごめんなさいという気持ちであって、自分が生き続けるせいで迷惑をかけてしまうことの負い目であって、そこにあるのは結局どうしようもなく低い自己肯定感。自己肯定感が低く育ってしまった原因を過去に求め、憎しみと諦めでショートする思考回路。現実逃避としての睡眠、惰眠。
 
 この2月だって。ずっと家に引きこもっていた。頭の中にあるのは死にたいという気持ちだけ。死ぬだけの勇気もないくせに。ベッドの中にいてずっと雨の音を聴いていた。カーテンを開けたら晴れ間が広がっていて、雨が降っているのは頭の中だけだったのだと知り悲しくなった。
 好きでもないYouTubeを流していた。音楽も文学も映画も、私の味方だったはずなのに、もう何にも楽しめない。楽しめないのは今だけだと思うけれど、もしかしたら一生なのかもしれない。シャワーを浴びて鏡を見て「お前はできる。大丈夫だから」って言いたいのに、口から出るのは悪態とか暗い言葉。14歳の時もそうだった。16歳の時も18歳の時もそう。20歳以降はずっとそう。この前銭湯に行った時、間違って「死にたい」って声に出してしまって一瞬変な空気になった。
 
 6年前祖母が死んで、去年父が死んだ。二人とも、見返したいと心の中でずっと思っていた。直接的に、あるいは間接的に、自分の自己肯定感をボロボロにした二人だ。憎い。今でもずっと。
 祖母がどうしてあんなに酷いことを私に言ったのかやっぱり理解できないし、周りが助けてくれなかったのもよくわからない。祖母が死んで6年経って、やっと彼女の呪縛が解けてきた。完全に解放されるまでにはきっと長い時間がかかるのだと思う。私はきっと結婚も子育てもしない。祖母の呪縛を引きづった私に育てられる子はきっと不幸になる気がするから。
 私がしっかりとした言葉を獲得して、反論できる前に、祖母が死んだのは本当に残念。反論できればあんなにも傷つき続けることはなかったから。そんなに嘆くばかりの人生でもないはずなのに、他人を顧みずに最後まで恨み言を言って死んだあなたのことを私はずっと反面教師にします。
 
 父は結局一度も連絡をとってくれなかった。私は望まれずに生まれてしまったのだとずっと思い込んでいた。今となっては彼の心を確かめる術はない。それが悔しい。勝手に死にやがって。気持ちをぶつける場所がない。ずっとない。偶像のような父親像を抱えて救いを求めていたあの頃の方がまだ幸せだったのかも知れない。家にいるのが辛くて、父が私を訪ねて来ることを切望していたあの頃。
 
 父親の家族から遺産分割協議書が送られてきた。印鑑を押したら、自分が負債を抱えることになるような巧妙な書き方だった。父の銀行口座を調べる。過去の出入金。家賃、ガス代、給料、保険金、医療費。銀行からもらった書類を見ながら、お金の出し入れでしか父の人生を想像できないことに悲しくなった。全く人間らしいところが見えてこない。暴力を振るう人間でもいいから、一度でも会いに来て欲しかった。ずるい男でもいいから電話の一つでも入れて欲しかった。あなたはどうして結婚して、どうして子供を作りたいと思ったんですか?
 でもきっと父の人生も十分にスポイルされている。遺産分割協議書を送ってきた父の姉と父の母が彼の人生を滅茶苦茶にしたのだきっと。全員大嫌いだ。全員だよ全員。
 
 そう。みんなが言うようにそこまで状況は悪くない。友達が言うように未来は変えられる。過去がどれほど追い縋ってこようが、もう関係ない。解放されていいはずだ。これからこの社会でまだ生きていたいと思うなら、私はトレーニングを積んで、自分の未来を変えられるようにしないといけない。
 自信もお金も余裕もない私には、文章を書きたいという気持ちと弱い者への優しさしか残っていない。それでこの世の中をサバイブするには誰かに縋りつかないといけなくて、でもそれはまた誰かを傷つけることに繋がるような気がする。自分の足で立って歩いて行かないことには、幸せは掴めないような気がするから。
 でも。やっぱり思ってしまう。もしかしたら、もう自分はダメかもしれない。この文章を書きながら私はずっと泣いている。今日だけでなくこの1週間ずっと泣いている。思えばこの1年ずっと泣いているような気がする。弱い人間だと思う。ずるい人間だとも思う。
 そろそろダメかもしれない。別に今日や明日ダメになるわけじゃないと思う。でも来年とか再来年。5年後にみんなに会える気がしない。ごめん。
 
 
 
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