シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#224 フェンネルのスープ

 フェンネルのスープだっけ。それともフェンネルとプロッコリーのスープだっけ。あれどっちだろう。そう思ってMさんに連絡する。なぜか今回はすぐに返事が来る。きっと、簡単に返事できる内容だったんだ。正しくは「フェンネルブロッコリーのスープ」
 去年の夏から秋にかけて、たった4ヶ月間だったけれどホテルで働いていた。朝食で出していたのがその「フェンネルとプロッコリーのスープ」だった。

日本語を話せないお客さんのために英語でメニューを作っていた

 昨日、八百屋で初めてフェンネルを見た。フェンネルはドイツ語では「der Fenchel」らしい。和名はウイキョウと言って、漢字では「茴香」と書く。フェンネルを使うことで、悪くなった肉の香りが良くなるかららしい。「回復」とか「回想」のように、「回」という漢字には「戻る」という意味がある。中国語でもそうだったはず。ちなみに「ヒメウイキョウ」というのもあってドイツ語では「der Kümmel」という。英語ではcaraway。『華麗なるギャッツビー』の語り手と同じ名前だと思って調べたけど、小説の方はNick Carrawayで「r」が2つあるようだった。

箱根登山電車宮ノ下駅
フェンネルって何ですか?」って朝食の時に訊いてきた女の人がいたなと思う。咄嗟のことだったので「アスパラガスに似たようなものです」なんて適当に言って誤魔化したのだけど、その後で嘘はダメだなって反省した。インターネットで調べるとフェンネルはなかなか面白い野菜だった。フェンネルの歴史は古く、フェニキア人によってヨーロッパに持ち込まれたらしい。整腸作用や、呼吸器官を整える作用があるらしく、体に良い食べ物のようだ。インド料理屋で会計を済ました後、時々口直しとしてカラフルな種を勧められることがあるけれど、あれもフェンネルの種らしい。

箱根湯本駅。ここでみんな乗り換える
 女の人は夫婦でホテルに来ていた。チェックインの時に担当したTさんから聞いた情報がよくなかったので、少し緊張しながら夕食の配膳をした。夕食中に彼らは自分の娘に電話していた。娘は結婚式を控えているらしく、リーガロイヤルホテルとニューオータニと、あといくつかの高級ホテルの名前が電話の中で出てきて、何だかイライラしたのを覚えている。高い食事、高いホテル、ステータスとしての時間。自分の人生には全く関係がないと感じ、金持ちの会話はつまらないと思っていた。今もそうだけど家族ができるとか結婚とかってもう自分には全く関係のないことだなと思っていて、だからなんか複雑な感覚でその電話を聞いていた。電話に配慮した風を装って食事の紹介を短く切り上げて部屋を出た。
「あいつがもう結婚かあ」なんて父親がため息をついて、私は乾いた笑い声をあげそうになった。私が結婚してもそんな風に言ってくれる父親がいないと言うこと。それからそんな風に言う人が自分の家族にはいないこと。そういった文化が私の家族にはなくて、テレビドラマでしか知らないありふれたセリフすぎたこと。そうした全部がいっぺんに押し寄せてきて、だから笑えてくる。もちろん我慢するし、別にバックヤードで笑ったりもしない。後で少し悲しくなっただけだ。

箱根は坂が多い。宮ノ下駅も坂の途中にある
 Mさんは、今度結婚するって言っていた。お腹に赤ちゃんもいるらしい。びっくりした。自分だけが同じところをぐるぐるしている気がする。別にそれは自分の良さでもあるのだけれど、でも時々悲しくなる。私はいまだにどこにも行けずどこにも行かず、ただただ親が稼いだお金を使い続けている。ただただ積み重ねたこの文章があるだけで、でもこの文章がお金になるとは思えない。
 それぞれに夢があって、それぞれにできることとできないことがある。私はそろそろ自分の限界を感じ始めていて、自分がずっと抱えて来た精神の問題がいよいよ重荷になってきたと考えている。これから大きなチャレンジをする気にはなれなくて、せっかく私はこの場所まで来れたけれど、もう色々諦めた方がいいのかもしれないと思っている。夢も希望も大きなことは考えない方がいいのかも知れない。大きな夢を見て、それと離れた現実に失望するなら、諦めた方がいい。できることを一つひとつ積み重ねていって、その先に夢があると思わないと。夢は夢のままでいいのだから、夢の前に目標を持って、現実的なステップをクリアしていかないと。そうじゃないといつまで経っても自信は身につかない。何かを積み上げて、自分もできていく。関係性も学業も生活も。

「料理長って、絵心があるというか、芸術家肌の人なんです」初日の面談でそう言った支配人の言葉がかっこよかった。問題を抱えていても、互いに対するリスペクトを感じたからだ。
「シゲさんって、みんなが通り過ぎた場所にいて、そこで書いてますよね」後輩の言葉。正しくて何も言えなかった。
 私は祖母の言葉に苦しみ続けていて、父親が私に何も言わずに会ってくれもせずに死んだことをいまだに許せなくて、高校の時に言われた言葉をいまだに思い出して悲しくなる。
「子どもらしく明るく振る舞いなさい」って祖母は言ったけれど、私が子どもでいられた時間はどれくらいあったのだろう。父親に会えなくなった悲しさも、母親に捨てられるという恐怖も、祖父の冷たさも、人生に対する無力感ゆえに激しく燃え上がる祖母の負の感情も、どうして自分が経験しないといけなかったのだろう。どうして誰も助けてくれなかったのだろう。

宮ノ下は用事がなければ通過するような駅だ。駅前の足湯のあるカフェでよく本を読んだ。
 それもきっと諦めた方がいいのだと思う。その人たちに理解してほしいと思うけれど、もう無理だ。祖母と父親はもう会えないし、言っても意味がなかったかもしれない。私はみんなに対してもう何も言わないし、謝ってほしいとももう思わない。ただ色々諦めようと思う。もう無理はしない。あの頃のような大それたことは自分にはもう望まない。あの頃に考えていた生きる意味なんてのは間違いだった。きっと生きる意味なんてのは初めからなくて、作り上げていくものだった。
 適当に生きていいのかどうかは自分次第だ。自分で決められるうちはできるだけ自分で決めれるようにしたい。まだ自分で決められるというのは、きっと幸せなことなのだから。

小田原駅。登山鉄道の終着駅。下界に降りたことを感じていたあの頃。
 
【Aufsatz012】
„Weil liebe ich schreiben②"
Worüber schrieb ich?
Ich schrieb darüber, was in meinem Leben passiert ist, wie sie mich angesprochen haben, wie ich mich gefühlt habe, woran ich dachte.
Auf dem Papier konnte ich ausdrücken, dass ich nicht sprechen konnte. Wenn ich etwas mich äußern möchte, versuche ich es jener meinen Gefühlen entsprechend zu tun. Das ist sehr schwierig und brauchst viel Zeit. Niemand wertet auf mich in der Schule, auf der Straße oder in der Party. Das ist leider eine Wahrheit im Leben.
Nach en paar habe ich Jahren meinen Blog angefangen. Das war im Januar 2017 und ich hatte bereits zehn Notizbücher mit strömenden Wörtern. Jede Seite war von Wörter bedeckt. Und ich fühlte mich nicht gut alles auf Papier schreiben.
Dann fand ich den Blog besser als das Notizbuch und informiere mich Mare Freunde über den Blog.
Sie waren  darüber überrascht, dass ich einen Blog geschrieben hatte und haben mir gesagt dass, ich Schriftsteller werden sollte.
In der Zukunft Schreibe ich ein Buch über mich. Nach dem Buch möchte ich in Hamburg die Ausbildung zum Krankenpfleger machen und dort viel Neues erfahren.
 
【今日の音楽】
 
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