シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

【お知らせ】フリーペーパー「ミカン」を作ります

未達成に終わったみんなのエピソードを集めて、フリーペーパー「ミカン」を発刊したいと思います。文末にあるURLから文章を投稿できます。このブログを読んで興味を持った人、ぜひGoogleフォームから文章を送ってください。
 
◎概要
「ミカン」をテーマにしたフリーペーパーを作ります。
未完、あるいは未刊に終わったままの、中途半端に終わったままの物語をGoogleフォームから募集し、集まった文章でフリーペーパーを作りたいと思います。
従来のフリーペーパーのように何枚も刷るのではなく、執筆者と希望する人にのみ郵送するシステムを取り、卒業文集のようなクローズドなものにしたいと思っています。vol01は、作ること自体を目標にして、家のプリンターで印刷します。vol02以降は変わるかも知れません。
 
◎投稿について
「あなたにとってのミカン」を教えてください。字数は自由です。「ミカン」に関わるテーマであれば、短くても長くてもかまいません。詩も大丈夫です。
絵や写真で「ミカン」を表現したい方は、メールに添付して eivomagie@gmail.com に直接送ってください。その際件名は「ミカンの絵・写真」としてください。(ただし、モノクロで印刷することを考えています。そこのところをご了承ください)
 
一応参考として、こんなのがあればいいかなと思うものを下に列挙します。
 
・変な感じで終わってしまった誰かとの関係。
・中途半端に止めてしまった趣味、お稽古、勉強。
・書きたいけれど、どこにどう書いたらいいのかわからなくて困っているアイディア、思い。
・あれだけ強く追い求めていたはずなのに、いつの間にか忘れてしまったあの頃の夢、希望。
・どこにも書き残せていない旅行の思い出。
・未送信のまま溜まっているツイート。
 
もちろんあくまでも例です。大事なのは、あなたの「ミカン」です。Googleフォームにてお待ちしています。奮って投稿してください。
 
◎コンセプト
生きていると後悔ばかりです。いくつかの選択肢が目の前にあっても、その全てを選ぶのは不可能です。あれもこれもと選んでも、体力と時間とお金は有限です。でも時々、人生を振り返って思います。あの時、違う道を選んでいたらよかったのではないのか。あの時、あの人ともっと話せば何か違っていたのではないか。買ったものの積んだだけで読まずにある本。最後まで話しかけずじまいだったクラスメイト。書きかけのままの手紙。諦めざるを得なかった勉強、留学etc。
 
我々は、過去の決断と選択が積み重なって結果、現在に生きています。過去において「あれがしたかった」「これがしたかった」と願っても、それは妄想や空想の枠から出ることはありません。そして過去に「あれ」や「これ」をしていたら現在の私は違う存在になっているはずです。
それでも、後悔や妄想は後から後から湧いてきます。そうした私たちの「ミカン」をフリーペーパー上の文章にすることで昇華させ、供養し、次に進むことがこのフリーペーパーの目的です。
 
GoogleフォームのURLはこちらです。どんなものでもよいので、ぜひあなたの文章を送ってみてください!
 

#168 人が交差する。この大都会で

 今いるゲストハウスは7泊で9000円しない。わお。東京にそんなところがあるなんて。いや、東京だから安いのかも。今日で3日目だけど色々な人がいる。ゲストハウスの出会いは一期一会で、最初に話し始める時からして、すでに切ない。オンラインの面接で毎日のように違う人と話しているからそんな風に思うのかもしれない。
 
 東京には就活で来ている。第一志望の御社の試験は会場にてオフライン。午前9時30集合なら前泊しようと思って前日はホテルに泊まった。一泊5000円弱、汐留と新橋の間にある12㎡の空間。COVID19が酷かった頃の東京で、感染者を受け入れていたという狭いスペースで、ほとんど眠れずに過ごした。一般常識と作文だけなので、ほとんど予習することもないからすぐに寝ても良さそうなものなのに、寝坊するのが怖くて寝れなかった。おかしな話だ。大事な予定の前日は、寝坊することが怖くて寝れない。負のスパイラルに入ってしまう。

 早稲田大学にいる。友達の大学。一緒に講義を受けようと思ったのだけれど、直前に休講になったらしい。大隈重信銅像銅像の周りに大学生がたくさん。私の大学とはかなり雰囲気が違う。みんな楽しそうに見える。ベンチの数が多い大学はいい大学。ベンチの多い街も。私の大学ではないのに道を聞かれる。ノルウェーからの留学生2人。日本語センターのような場所に行きたいらしい。地図で探す。案内する。北門を出て右手にあるオレンジ色の建物。22号館。私は適当に見つけた自習スペースで友達と待ち合わせる。文章を書く。周りにいる大学生は自分より少し年下なのだろうと思う。同じように就活をしている人もいるのだろうと思う。

 ゲストハウスを出る。歩く。少し雨模様。緑が綺麗。昔は川であっただろう水路を見る。花一つ二つまだ咲いている桜の木。生い茂る薄緑の葉。駅の反対側に出る。オンライン面接のためだけに滞在するネットカフェ。面接の5分前になってzoomを起動して、待機室に入る。緊張。画面の写りを確かめて、カメラの高さを調整したりネクタイを綺麗にしたり。緊張する。でも普段話せないような人と話せるのは貴重な経験だから、と言い聞かせる。画面が切り替わる。怖い。でも頑張らないと。もう決めたことなのだ。

 オンライン面接の後は、いつも変な高揚感がある。話したいことを話せたと思うけれど、伝わったかどうかは別の問題だ。今回もまたロシア語専攻であること、ロシアの留学について訊かれた。「もしロシアに留学できるとしたら行きますか?」「ロシアの大学院でジャーナリスト学部に入りたかったようですが、ロシアと私たちのローカル局の間にギャップのようなものはありませんか?」
「お金が必要なんです。そしてまだ興味のあるような仕事をしていたいです。したくもない仕事をして疲弊したくないです。将来についていつも希望を持っていたいのです」
 お祈りメール3通。今週もまた増えるだろう。シゲ様の今後のご活躍をお祈りします云々。絶対活躍したるねん。なんならもう活躍しとるわ。メールをごみ箱に入れる。
 
 また今日もオンライン面接。思っている以上に和気藹々とした15分になった。ウクライナの問題について訊かれたし、大学に6年もいたことについても質問された。今までの面接ではそこまで訊いてくれなかったから、私自身に興味を持ってもらえている感じがした。嬉しかった。ただ、地方ローカル局の面接にそのような会話が必要だとも思えないから、多分落ちているのだと思う。
 就活しながらよく思い出すのは『千と千尋の神隠し』の序盤。ボイラー室を出た千尋が湯婆婆のところを訪ねるシーン。「ここで働かせてほしいんです」って言うシーン。私がこれからもらえるどんな仕事も、八百万の神々をもてなす油屋の仕事と比べたら遥かに楽だろうけれど、背に腹を変えられなくなっているのは千尋と同じ。

 友達と会う。中学の同級生たち。大学構内から高田馬場まで歩く。緩やかな下り坂。中華料理とラーメン屋と日本語学校がたくさん。色と光もたくさん。夕暮れ時の空の色。高田馬場のロータリーには待ち合わせしている人がたくさんいた。区画に押し込められたスモーカーたちと、区画外で吸う人を区画内に入れるおじいちゃん。「シルバー人材派遣」という文字が背中に見える。

 3人が揃って、残り1人を待つ。中々来ない。もう電車から降りたものの迷っているらしい。見えているものを教えてもらう。タリーズ、ロフト、自遊空間。たくさんの看板。出口の番号。見覚えのある人影が見えて自信はないけど思い切って手を振る。向こうも振り返す。なんだほとんど変わってないじゃん。
 山手線の下をくぐって駅の西側へ。前の方から電話をしながら走ってくる人とぶつかりそうになる。西側と東側で少し雰囲気が違う。ベトナム料理とミャンマー料理の看板が見える。今度友達と行く中央アジア料理はここら辺だったなと思う。
 焼きとん。なんて関西じゃ聞いたことのない料理だ。豚のホルモンが串焼きになって出てくる。友達が慣れた手つきで串から肉を皿に移す。玉ねぎと胡麻油と豚のレバー。美味しい。すごく美味しい。昔のことをいくつか振り返って、何年生の時に誰が同じクラスだったかで盛り上がる。担任が今何してるとか、三者面談がどうだったかとか、友人の近況とか。
 今から来れそうな友人と電話。電話がつながって、また一人増える。ついでに場所を変えることにする。今度はくら寿司。お茶の粉を入れる人、水を持ってくれる人。トイレに行く人。タッチパネルに戸惑う。選べない。みんなはどうなんだろ。いつかと同じようにねぎま軍艦を食べる。醤油を垂らして食べる。美味しい。
 
 くら寿司のみかんジュースが美味しいと言って一人が選ぶ。もう一人もそれがいいと言ってみかんジュースが2杯運ばれてくる。回転寿司のレーンに近い子が結構食べる。私も食べる。コーンの軍艦を取ろうとしてやめにする。親友が回転寿司に行く度にコーンの寿司を食べることを思い出す。彼も東京にいる。西の方。今回の滞在ではまだ会ってない。最近連絡が途切れがちで少し気になっている。
 
 もう一人、別の友達と私は会う予定で、あと30分で席を抜けることにすると言う。その友達もこの席に呼べばいいじゃんって誰かが言って、私は彼に訊いてみる。彼がエレベーターから降りてこっちに来る。不思議な感じ。座る。一人づつ紹介する。みんなのことを改めて口にするとなんだか恥ずかしい感じがする。私の中学の同級生と、また別の友達が同席しているのはなんか変な感じ。でも面白い。

 第一志望の御社の試験は無事に寝坊せず受けれた。一般常識と作文と適性検査。対面で試験をする会社は今時珍しいと思うけれど、私としてはその方がありがたい。筆跡や鉛筆の勢いで伝わるものもあると思っているから。結果は来月の頭に郵送で送られるらしい。落ちた人にも結果が通知されるのかは知らない。
 
 都電荒川線で本を開く。路面電車。東京にもトラムがあるなんて。驚く。前から乗って後ろから降りるスタイル。坂の多い東京をスイスイ進む。時々揺れる。意外と人が多い。本を閉じる。黄色い表紙の本。ベンガル系の両親の元、アメリカで生まれた主人公。彼が生まれる前の両親のエピソード。幼少期のベンガル人コミュニティとパーティー。時々帰るカルカッタ。大人になるにつれて感じるアイデンティティの葛藤、両親とのずれ。彼の人生を通り過ぎる人。人。

 大学構内を案内したノルウェーからの留学生のことを考える。一人はポーランドにルーツがあって、もう一人は中国からの養子だった。彼らも少なからず何かしら抱えているのだろう。生きていたら付随する面倒なことの数々。別に国籍とかルーツとかだけでなく。外見とかわかりやすいことだけでなく。
 新宿駅東口。金曜日の夜。近くでプロ野球の試合でもあったのかというほど人がいる。地元の甲子園駅を思い出す。タイガースの試合の後は黄色い服を着た人で駅が埋め尽くされるのだけれど、今構内を歩く人の服装はバラバラだ。それぞれに乗るべき電車があって、帰る街がある。待っている人がいる人、いない人。明日の予定がある人、ない人。
 駅のホームにバラの花が一輪落ちていた。誰も気にも留めず通り過ぎて行く。電車が来てまた発車する。降りる人乗る人。バラはまだ踏まれていない。人混みが大方消えて、老夫婦だけが歩く。ホームの向こうにあるエレベーターを目指しているようだ。二人はバラの花を見て何か言う。また歩き出す。ようやくエレベーターに辿り着き改札へ向かうボタンを押す。

 
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#167 恋愛と就活

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 もしこの会社に入ったらどうなるだろう。就活をしていてよく思う。
 ビルの管理会社。広告代理店。飲食チェーン。別に前から気になっている会社でもない。知り合いが働いているわけでもない。本社もどこか遠い、私の知らない街にある。リクナビマイナビも、条件を入れると、私に合いそうな会社を教えてくれる。何百何千の会社たち。どのボタンを押しても、どのリンクを辿っても、誰かの人生に行き着く。その扉を開かないと会えないような人たち。その存在を感じて、でも自分の時間もお金も体力も有限だから、その扉は開けない。see you. いつかまたどこかで。
 
 小学校に入学した頃、6年生が大きく見えた。あんなに大きくなれるのだろうかと思った。「ほとんど大人じゃん!」って6年生の教室の前を通る度思っていた。自分が6年生になれる日が来るなんて想像もつかなかった。卒業までの6年という時間は永遠と等しかった。逆に、そんなにも時間があるのなら、卒業までに図書室にある本は全部読めると思っていた。学年の全員とも友達になれると思っていた。でもそんなことはなかった。
 1年生の終わりに、アズサちゃんが引っ越すことになった。学童保育に行っていた私は、放課後に遊べる時間が少なくて、だから学校が終わったらすぐに家に帰るようなアズサちゃんとはあまり遊べなかった。引っ越してどこかに行くらしいというのを知って、急に寂しくなった。寂しいのはなぜだろうと思って、私は彼女のことを好きなのだろうと思った。日焼けした顔とか、笑ったらできるエクボとか、音楽会で小太鼓を叩いていた姿とか。学級会みたいなのが開かれて、彼女を送り出した。「好き」と彼女に言ったけど、それは現在の大人が言う「好き」と必ずしもイコールではなかった。もっと話したかったとか、もっと遊びたかったとか、そういうのであって、愛でも恋でもなかった。「好き」と思えば簡単に「好き」と言えた7歳の感覚の方が25歳よりも進んでいたし自由だったと思う。「好き」と言う言葉の意味が今と違って軽かった。いつから「好き」はこんなにも大袈裟になったのだろう。

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 それ以前にも、保育所の友達サガラリョウタが引っ越したり、保育所を出て違う小学校に通うみんなと別れないといけなくなったり、そういうのの積み重ねで、永遠などないらしいというのを知った。そうじゃないと保育所の卒園式であんなに泣くわけがないと思う。ちなみにサガラリョウタは4歳の時点で力こぶを作れる唯一の園児だった。それを見てみんなですげーと言っていた。今でも小さい子が力こぶを作っているのを見ると、彼を思い出す。現在の彼のことを何も知らないのに。当時の彼の映像が鮮明に蘇る。

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 小学校低学年の頃、好きな子がたくさんいた。恋とか愛とかじゃなくて、ただ単純な「好き」だった。1番目に好きな人は誰々で、2番目は誰々。そんなことを平気で言ってた。「選べないし、みんな好きに決まってるじゃん」と思ってた。1番目に好きな子は足が早くて、短距離走長距離走もめちゃくちゃ早かった。ただ唯一許せないのが巨人ファンということだった。当時の私は熱狂的な阪神ファンだった。尼崎に育てば阪神ファンになるのが普通だろうと思うけど、その子の一家は家族全員巨人ファンで、同じクラスにいたその子の従妹も巨人ファンだった。当時の巨人は堀内恒夫が監督をしている低迷期で、応援する理由が見つけられない私は、ずっと首を傾げていた。ただ、二岡と高橋由伸はかっこよかったし、タフィー・ローズとすごい選手だなあと思っていた。あと売り出し中の若手だった矢野謙次も男前だと思っていた。ちなみにその子は中学時代にソフトボールで活躍し、スポーツ推薦で高校に入った。大学卒業後はどこかの強豪校でコーチをしているらしい。5年くらい前に会って、それっきりだけど、彼女の名前を検索したら何年か前のインターハイの試合結果や、バッターボックスに立つ写真が出てくる。

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 変な子だったと、自分の幼少期を振り返って思う。4歳にして、「今という一瞬が今しかない」ことに気づいてトイレで号泣し、7歳で『火の鳥』シリーズに熱中して考え込んでいた。年齢に不釣り合いな考えをしていたと自分でも思う。教科書に出てくる、金子みすゞの詩が好きで、みんなちがってみんないいと信じていた。流行っているSMAPの「世界で一人だけの花」を聴いて「ナンバーワンじゃなくてオンリーワン」と言うメッセージに深々と頷いていた。これもきっと現在の私に関係があるだろうと思う。農民の暮らしを向上させようとした宮沢賢治の伝記も好きだった。そういうのが全部合わさったキメラ的な博愛主義を胸の中に抱えながら育った。
 
 永遠などないとわかっていたし、いつか6年が過ぎて中学校に行くだろうとは思っていた。でも後から振り返ると本当に一瞬だった。短かすぎた。気がつくと私は病院に入院する羽目になり、瞬きする間に退院し、尼崎から引っ越すことになった。中学受験の勉強が始まり、荒れ始めた教室を尻目に塾に通うようになった。全部読めるだろうと思っていた図書室の本は結局読めずじまいだったし、遊んだことのない友達も卒業アルバムを開けばたくさんいる。行ったことのない場所がまだ、校区内のあちこちに残っている。

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 幼少期に大人びていたからといって、順調に育つわけではない。「雨ニモ負ケズ」を暗唱していたかつての7歳は、18年経っても定職につかずぶらぶらしている。このままだと牛丼を単品のまま食べ、いつまでも定食にできない人生を送らないといけなくなる。なんてくだらないことを言ってる暇はない。就活をしないと。でも焦って自分を失っても意味がないから自分のペースで行かないと。なんだか自分に課すルールが多い。勝手にルールを作って勝手に縛られる。なんてバカなのだ。笑ってしまう。
 
 素敵な人と会った時に、もしこの人とずっと一緒にいられるとしたらどうなるだろう、みたいに妄想することがある。自転車で走る時によく思う。廃車になる前の原付に乗って学校に通っていた頃も、そういうことを考えていた。国道のバイパスを走りながら。信号を待ちながら。一緒に行きたい場所、観たい映画。聴きたい音楽。キャッチボールとかもしたいし、カラオケにも行きたい。カラオケでは中島みゆきのモノマネをして、ボンジョビの「It's My Life」を英語でちゃんと歌って、時々くるりジッタリンジンとラッキーオールドサンを挟みながら、コーヒーを何回かおかわりして、フロントからの電話がプルルルルと鳴って、30分くらい延長して解散。天気がいい日には山登りも行きたいし、散歩もしたい。歩きながら見つけたよくわからない神社にお参りして、コーヒー屋さんに入って、さっきの神社が、何かしらの有名な場所であったことをそこでスマホで調べて知って、2人で驚く。みたいな。まあ全部絵空事なんですけど。
 何が悲しいって、これら全てが私の頭の中でほぼ完結していること。ほんとにそう。気持ち悪いと感じた人がいたら、申し訳ない。でも私は想像の中に、自分の世界を作り上げて生きている、そんな人間です。ロマンチストと言ってくれたら嬉しいけれど、人生の中でロマンチストで居られる時間は限られていて、もうその時期ではない。早く出たい。「俺にはまだ夢がある」なんて言いながらテレビの青い薄明かりの中でビールを飲んでいるような40代にはなりたくない。

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 恋人を誰か一人に絞るとか、御社を一つに絞るとか、そういうのが私はすごく苦手。どの道を選んでもその向こうには楽しい未来があるように思うから。もちろん悲しい未来も、等しい確率で待ち受けているだろうけれど、それでもどの人生を選んでも楽しいものがあるように思える。そしてどの人生を選んでもきっと後悔する。「もしあの時違う道を進んでたら」なんて40歳を過ぎたら絶対に思う。優柔不断なのだ。別に恋愛と就活に限ったことではない。コーヒーの銘柄を選ぶのも、シーブリーズの匂いを選ぶのも同じように苦手だ。初めてワックスを買った時も、30分以上悩みに悩んだ。安くてカラフルな、ギャッツビーのラインナップから選ぶのはもう確定していたのに。紫にするかピンクにするか、はたまた水色か。決めれなかった。結局グレーを買って、未だに使い切らずに洗面台のどこかにある。マンダム社のムービングラバーシリーズ。
 
 選択肢を手元に残したままでずっと暮らしたい。俺にはまだあれにもなれる。これにもなれる。そう思いながら生きていたい。でもそれは虚しい。とても虚しい。可能性をキープしているだけで、決められない毎日を続けた結果、25歳にして未だに何にもなれていないのではないのか。書き続けたブログだけがネットの中にあるだけで、自分には何もないのではないのか。不安だ。春の陽気の中にいるのに寒い。

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 この会社に入ったらどんな未来があるだろう。この人と一緒に人生を共にしたらどんなことが起きるだろう。そういうことに思いを巡らし、ひとしきり想像の世界で楽しんだ後、現実にひき戻される。エントリーシートの締切日、物理的な距離、オンラインでの面接とzoomのリンク、帰ってこないチャット、シャツについたシワ。「好き」の中身を確かめる作業。一次審査をくぐり抜けたというメールにある「面接はスーツでお越しください」の文字。
 想像の世界に比べると現実の世界は死ぬほどつまらない。想像の世界で十分に満足してしまった私は御社へのエントリーシートを出さないでもいいかなと思い始める。LINEの通知が来て既読をつける。返信を考えている間に面倒くさくなる。小一時間前はあんなに返信を待ち望んでいたのに、あんなにウキウキしていたのに。自分の熱の冷め方にびっくりする。御社での未来を、その人との未来を、あれこれ想像するうちにすっかり疲れてしまったらしい。想像だけで飽きてしまった自分にがっかりする。
 現実から逃避するための想像だったのが、私が暗い場所にいた間に、想像の世界はすでに現実を追い越してしまった。怖い。私はまだこの世界と関わっていたい。この世界の中で普通に生きたい。
 
 
 
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#166 郵送

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◎令和4年 4月××日
 多分就活をしている人は、行きたい会社にも、そんなに行きたくない会社にもESを書いている。受かっても行かないような会社を受けるなんて意味のないことだと数年前までは思っていた。でも、練習していた方が本番でうまく行く。最初の面接が第一志望の御社で、いきなりの面接に面食らって撃沈!となるよりは、経験値をつけてから臨んだ方がいい。人生の経験にもなる。普段話せない人と話せる。だから、ESを書いてもいいかなと思うくらいに気になるならとりあえず出す。とりあえず受けてみる。
 
 中学受験を思い出す。とりあえず受ける。落ちる。受かる。そして行くことになった中学、高校。大学受験は最低限のところしか受けなかった。そもそも1年目は公立しか受けさせてもらえなかったと思う。浪人した時はいくつか私立も受けた。それでも、周りと比べたら、受験してないようなもんだったと思う。
 
 書いていて思う。就活と受験を同等に考えている自分の思考は問題かもしれない。中学受験と同じメンタルでやっていてはいけない気がする。「とりあえず偏差値の高い学校を受験しよう」みたいな意識で就活をやっていては、心を削ってしまう。受験や就活の結果だけで失敗と成功が決まるわけではないし。でもお金の重要性を今嫌というほど感じている。人を助けたい。お金があったら人を助けることができる。ウクライナの人もミャンマーの人も。子ども食堂を使わないといけない人のことも、ハンディキャップを抱える家族のために孤独な人も。全員を助けたい。今までは、人を救えるような文章を書きたいと思っていたけれど、限界があるように思えてきた。大体そんな文章がいつに完成するのか。文章の世界に居続ける限り、自意識からは抜け出せないままなのではないかという不安もある。それよりも自分が生きる手段とお金が必要だ。
 
 就活。まだESや試験の段階ならいい。文章なら書くことはある。試験も問題集を買ってまで練習することはないと思っている。問題は面接。画面の中にある誰かと話す。あるいは対面で。話し過ぎてしまう。質問されて、返す。ただそれだけなのに、容量の得ない話をしてしまう。相手の顔を見て愕然とする。「あれ、元々の質問ってなんだっけ? 私今何話してるんだろ」現実に戻って自分を責める。自分を責めているうちに次の質問。怖い。逃げずにたっぷりイメージトレーニングしないと。来そうな質問を絞って、答える練習が必要だ。
 

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 今日が私にとって行きたい会社のESの提出日。「あなたの短所と長所」「挫折の経験とそこからどう立ち直ったか」「会社に入ってやりたい仕事」「学生時代に力を入れたこと」blur blur blur blur
 別に気を抜いて適当に書いているわけではないのに、薄っぺらい文章しか書けてない気がする。焦る。そのままの自分自身を見て欲しいと思うけれど、アピールをしないといけないという気持ちもある。気持ちが先走って空回りしてないか不安になる。自信が無いのに有るふりをしないといけない。いやいつかは自信をつかまないと。自信が有るふりをしているうちに、芽生えたりするものだろうか。わからない。
 
 履歴書とESと、数枚の紙を封筒に入れて郵便局に行く。直筆で書いたら、書き損じばかりで笑う。途中から笑えない量になって、顔が引き攣る。詳細は書かないけれど10枚近く無駄にした。私の時代にインターネットがあって良かったと思う。ボタン一つで修正ができる時代。
 西暦での生年を記入する欄に、平成と勘違いして「○年」と書いてしまう。「反面」を「半面」と書き間違える。今年度が終わる時点での年齢を書かなければならないのに、現在の年齢を書いてしまう。「しんにょう」が汚い。字の癖で「る」と「な」が同じに見える。気になる。書き損じてもう一部印刷する。またもう一部。もう一部。
 
 封筒も色々ルールがある。「御中」と「様」の違い。朱色で「志望所在中」などと書かなくてはならないこと。書類を封筒に入れる向き。裏に私の情報も書く。ルールが多すぎるけど、完璧な人間なんていないのだと言い聞かせて、リクルートのページを閉じる。郵便局に行く。速達は380円。うまくいきますように。
 午後の桜が綺麗。
 
 
【今日の音楽】

Sunday Bloody Sunday (Remastered 2008) - YouTube

 
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#165 企業説明会

◎令和4年 3月××日
 企業説明会だけのために東京まで。実は少し楽しみ。留学の予定が無くなりそうなのは悲しいけど、もう背に腹は変えられない。だって就活することにしたから。そう、私は就活をしている。自分が。あのシゲが。ちょっと信じられない。
 NPOインターンとか、フリーターすることとかも考えた。ロシアに留学することが難しいならカザフスタンに留学すればいいのではないかとも思った。でも、色々考えて、やっぱり就活することにした。3、4年前と違って時間がなくなっていた。今からの数年でいくらかお金を稼いだ方が、自分の中にある不安というのは少し軽減されるのではないかと思った。不安が故に何もできない日があったり、やる気が無い日があったり嫌だった。母親が老いていくのを見て、10年後の自分を想像して、ゾッとした。不安が故に無為な時間を過ごしてしまうこと、そういうのを少しずつ無くしたいと思った。だから、そう、私は就活をすることにする。これはもう宣言みたいなものだ。

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大量消費と大量生産の社会

 火曜日、親と一緒にコストコに行った。コストコでたくさんお金を使った。700g 1800円のコーヒーを私はカートに入れた。申し訳なくなった。そして、勿体無いと思った。自分の時間も、能力も、無駄遣いをしているように思った。ジャケットを着てシャツを着た。そして駅前のカメラ屋で写真を撮ってもらった。でもよくよく調べたら就活用の証明写真に必要なのはネクタイとスーツで、ジャケットではなかった。考えたらわかる話だった。カメラ屋に交渉して撮り直しをしてもらう。家まで帰ってネクタイを結ぶ。家をまた出る。ネクタイを結ぶのが久しぶりすぎて、とても時間がかかった。2017年の暮れ以降、ネクタイを一回もつけたことがない。入学後に所属していたサークルは、良くも悪くも、大人になる手助けをしてくれるような場所だったのに、私はそれを飛び出して「大人」の世界を拒否してしまった。その選択を否定するつもりはないけれど、でも今の私ならもう少し上手くやっただろうなと思う。
 カメラマンの人は嫌な顔一つせずに撮り直してくれた。ES(エントリーシート)に貼るサイズの写真はわからなかったが、適当に選んだ。ブルーライトをカットするメガネだから、首の角度によって、私のメガネは青く光る。プレーンノットが上手くできなくて、ウィンザーノットでタイを結ぶ。写真の中にある私の顔はなんとなく不自然であるように思える。いつもの自撮りとはやはり違う。口角の上がり方が不自然。目が細い。なんだか下膨れの輪郭。セルフィーで撮る私の顔の方がうんと好きだ。
 革靴もセカンドハンドだけど買う。リーガルの高いやつ。定価の1/3程度で帰るとは言え、高い気がする。でもこういうのを一つ一つ揃えた方が自信にもなる。そういう性格なのだから買った方がいい。時計も迷っているけれど、当分はなくてもいいかなと思っている。汗っかきなので汗疹になると嫌だ。

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鍛冶橋駐車場で高速バスを降りてすぐに見る景色、東京
 ESを書く。1日に書くESはできれば2つ。1つは真剣なやつ。2つ目は練習用で、気楽に書く。火曜日には初めてのESをうんうんと唸りながら書いた。地方のとあるテレビ局。雑誌を扱う出版社。書く作業は楽しかった。特にテレビ番組や雑誌記事の企画を考えるのに時間を使った。限りある文字数でいかにして私を伝えるのか。面白そうなのはどんな企画だろうか。大きい企業ほど向いていないと思っている。人数が多いのはしんどい。部活でもサークルでもそうなのだけど、私は時々、疑心暗鬼に陥ってしまうことがあって、そういう時周りの人を誰も信じられなくなる。誰もが自分の悪口、陰口を言っているように思い込んでしまうのだ。どうしてなのかわからない。今度、心療内科の先生に聞いてみよう。
 今まで就活をしなかった理由は色々あるけれど、最大の理由は「卒業単位も取り切ってないのに就活まですると体が持たなくなる」からだったと思う。あと、普通に就活をやりたくなかった。自分の頑張りや魅力は就活では伝わらないだろうと思っていた。
 16歳からこっち、胸を張って生きることが出来なくなっている。自身無い態度なんて多分就活シーンではダメだろう。面接やESで評価され、切り捨てられ、落第のハンコを押されるのが嫌だった。そういうことが積み重ねられたら、自分は耐えきれない気がした。
 

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夜の国道2号線
「本当に自分は就活をしなくてはいけないのかもしれない」はっきり感じたのは3月8日。東広島に向かって走る夜明けの国道2号線だった。友達の住む大学のある町に行こうとしていた。「特殊作戦」とロシア政府が呼ぶ忌々しい戦争さえなければ、秋からロシアの大学院にいるはずだった。でも情勢を見るに難しそうだった。悪化することはあっても好転することはなさそうだった。加古川、姫路、たつの、相生、走るにつれて、どんどん落ち込んだ。移動している時というのはどうしてか頭がよく働く。「ああ、本当に自分は就活をしなくてはならないんだ」そう思ったのが上旬の終わり。でもそこからちゃんと動き出すまでに時間がかかってしまった。出版社も新聞社も、大手の会社はエントリーがもう締め切られてしまった。
 
 リクナビマイナビに登録する。行きたい企業を探す。ESを書く。出す。説明会を予約する。IDとパスワードがいろんなページで要求されて頭がおかしくなりそうになる。この会社も気になる。あの会社も気になる。と思ったらこの会社はエントリーが締め切られている。惜しいと思う。とっても良い選択肢であったような気がする。束の間、その会社に入ったらあり得たかも知れない将来を思い浮かべてうっとりする。くそだ。全てが××。あちらからこちらへ、このサイトから次のサイトへ。同時に開かれているタブの数がえげつない量になる。60とか70とかそんなん。イライラする。不安になる。エントリー漏れはないか。ちゃんとESは出せているのか。
 

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早朝の東京
 不安不安不安。確認確認確認。不安不安不安。確認確認確認。JR尼崎駅前の公営住宅に住んでいた頃を思い出す。鍵っ子の私は、一人で鍵を閉める。12階からエレベーターを使って降りる。地上を歩き出す。パンジーやチューリップが咲く広い花壇がある。信号まで歩く。鍵を閉めたか不安になる。不安で歩けなくなる。引き返す。エレベーターのボタンを連打する。「早く来い。早く降りて来い」と叫ぶ。ゆっくりと降りてきた鉄製の箱に飛び乗り、12を押す。ドアが開いて、降りる。3番目の部屋まで走る。ドアの施錠を確認する。もちろんドアは閉まっている。心配は杞憂に終わって私は学校に遅刻する。
 
 地方新聞が面白そうだと思って見ている。出来たら東の方に就職をしたい。東京か東北、あるは北陸。とはいっても、文章にまつわる仕事ならどこでもいい。ただ関西からは出たい。ちょっと飽きた。同じところをぐるぐる何周もしている人生は嫌だ。大学在学中、大阪や神戸を歩き回ったけれど、いつも同じところにしか行かなかった。
 見た感じ、地方新聞は紙でESを出さないといけないところが多い。エントリーできる会社がもうすでに限られているから、もしかしたら、エントリー時期が遅い会社ほど紙媒体なのかも知れない。今日の説明会は東北の新聞社だったのだけれど、郵送でESを提出しなくてはならないということだった。面倒だ。でもその分本気度が試される。読んでくれる人が確かにいるという安心感もある。昔に比べれば平等だと思う。ネットで情報が集められて、どこにでもESを出すことができる。リクナビマイナビもシステマチックすぎて嫌になるけれど、そのシステムによって救われる人もいるはずだと思う。日常の、そして住む地域の便利さを当然だと思っては、目が曇ってしまう。
 

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どこかのサービスエリア
 土曜日の夜高速バスに乗りこんで日曜に東京。ネカフェで少し寝てスーツに着替える。結局説明会に着いたのはいつものようにギリギリだった。しかも建物の入り口がわからなくて、部屋に入ったのは開始予定時刻きっかりだった。私と同じように迷子になっている人が数人いて助かった。地方新聞とは言え、有名な会社だから説明会に来る人の数もたくさんいると思っていたのに、5人しか居なくて拍子抜けした。新聞社の歴史、部署、営業、SNSやオンラインでの新聞の発信。震災時の報道について、震災後、地域の住民に対して防災や減災を呼びかけるようになったことについて。社員さんは2人いた。東京出身の人と宮城県出身の人。2人の雰囲気のおかげでリラックスして説明を聞くことができた。企業説明会も就活も、色々なことを今まで食わず嫌いしていたけれど、想像と実際とはやはり違うなと思った。私に必要なのは対話と、世界を知ることだ。不安の種は尽きないけれど。今日は東京に来て説明会を受けてよかったなと思った。

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説明会近くでは桜が咲いていた
 
 
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#164 アブラモビッチのチェルシーFC売却に思うこと

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 日本時間3月3日の未明、チェルシーFCのサイト上でロマン・アブラモビッチが声明を出した。クラブにとっての最善を考えた上で、彼は所有するチェルシーを売却することを決めたという。
 フットボールファンとして、また外国語学部でロシア語を学ぶ人間として思うところがあるので書いていきます。
 
 この1週間ウクライナの問題を世界中が注視している。国が国に侵攻し、でもそれを誰も止められずにいる。Instagramのチャットでキエフの友達と連絡をとりながら歯痒い思いをしている。武器を送る以外のことをほとんどの国はできていない。戦争が拡大するのが怖いから、下手に手出しできない。この時間にも人は死んでいく。何もできないならせめてという感じで、あるいはそう決まっているからという感じで、経済制裁が行われている。影響が出るのは政治家ではなくて市井の人々だろう。それでも制裁が行われて、留学している友達が帰国を余儀なくされている。悲しい。
 
 チェルシーのオーナーであるアブラモビッチも、資産が凍結されそうになっている。現在の彼とプーチンの関係がどの程度のものなのかはわからないけれど、彼も経済制裁の対象になるかもしれない。一方でウクライナが探している和平交渉の仲介者として彼が名乗り出てたというニュースもあった。この数日間チェルシーの今後についてネットでは色々言われていたけれど、彼が売却の意思を明らかにしたことでひとまずこの問題はひと段落しそうだ。チェルシーが経営破綻するようなこともなさそうだし、サッカーファンとしては安心。でもロシアのウクライナ侵攻がスポーツにまで影響を与えている現状がとても悲しい。チェルシー公式HPに掲載されたロマン・アブラモビッチの声明は以下の通り。
 
私の持つチェルシーFCの所有権に、この数日、メディアで憶測されていることに対して、私は明らかにしたいと思います。以前にも言っているように、私は常にクラブにとって最善の利益を念頭に置いて決定を行ってきました。それゆえ、現在の状況を見て、私はクラブを売却することを決定しました。これが、クラブ、ファン、従業員にとって、またスポンサーやパートナーにとって、最善の手段であると信じての決定です。
 
クラブの売却は、手順を省略することなく、プロセスに沿って進められます。私はクラブに貸しているローンの返済などは求めません。これは私にとってビジネスやお金ではなく、クラブと試合への純粋な情熱によるものでした。
 
さらに、クラブ売却の純利益が寄付されるように慈善財団を立ち上げるように私のスタッフに指示しました。この財団はウクライナにおける戦争の全ての被害者のためになるものです。
ここには、被害を受けている人の緊急で差し迫ったニーズを満たす重要な資金の提供と、長期的な復旧のための支援も含まれます。
 
この決定が非常に難しい決断であり、このようなやり方でクラブと別れを告げることが私にとって苦痛であることを、どうかわかってください。しかしやはりこれがクラブにとって最善策であると信じています。
 
全ての人にお別れを告げるために、再びスタンフォードブリッジ(チェルシーの本拠地)を訪れることができればいいなと思います。チェルシーFCの一部となれたのは私の人生における特権であり、クラブと共に成し遂げたことを誇りに思います。チェルシーFCとサポーターはいつも私の心の中にあります。
 
ありがとう。
ロマン
 
 やはり悲しい。イングランドサッカープレミアリーグを見始めた時、最初に好きになったチームがチェルシーだった。2009/10シーズンにプレミアリーグFAカップの2冠を獲得したチームが好きだった。ランパードドログバ、ミケルとエッシェンバラック。サッカーのおかげで様々な国を知った。フランス語を話すことができれば色々な場所に行けるらしいと知ったのは、この頃だった。フランス以外の国にルーツのあるマルーダアネルカドログバがどうやらフランス語で会話をしているらしいというのが、中学生ながら解ったからだ。中学からずっと地理の勉強が好きなのだけど、フットボールファンだから知ったことはかなり多くある。
 
 大学では外国語学部に入った。フランス語ではなくロシア語を勉強することになった。ロシア語専攻の1年生が受講することになっているロシア経済の授業があった。その授業のレジュメにアブラモビッチが出てきた。ロシア語の発音に忠実に書くと「アブラモーヴィチ」といった感じ。
 
 ソ連崩壊後に急成長した他の新興財閥(オリガルヒ)と同じように、彼もロシアの石油企業の中で頭角を表した。財閥の影響力を削ろうとするプーチンによって、国外逃亡を余儀なくされたり、逮捕されたりするオリガルヒがいる中で、彼は極東で政治家をやったり、プーチンと適切な距離を取りながら生き残った。私の知っているチェルシーアブラモビッチとは全く違っていた。
 
 それまで、私にとってのアブラモビッチは、弱小だったチェルシーを買収し、世界有数の金満チームにした億万長者だった。チェルシーが資金力に物を言わせて有名選手を獲得しまくっているのを、他チームのサポーターは、最初、指を咥えて見ているしかなかった。
 彼の成功を見て多くの投資家がサッカーにチャンスを見出し、サッカーを取り巻く環境が大きく変わった。グレイザー一家がマンチェスターユナイテッドのオーナーとなり、マンチェスターシティはUAE資本が入った。ここ10年のレスターの躍進は間違いなくタイ人のスリヴァッダナプラバ親子のお陰だ。間違いなくプレミアリーグの競争力は上がり、世界で最もエキサイティングなリーグになった。その先鞭をつけたのはアブラモビッチである。フットボールファンとして彼に感謝したい。
 
 大学に入った2016年、私はすでにアーセナルファンになっていた。アーセナルは00年代には優勝争いに食い込むチームだったのに、辛酸をなめさせられていた。チェルシーマンチェスターシティが成長したせいだった。アーセナルが下位に沈むここ数年、時々、チェルシーアーセナルのオーナーを比べることがあった。上の声明にもあるけれど、アブラモビッチのサッカー愛は本物だと思う。スタジアムに行き、試合の動きに一喜一憂する彼の姿は私と同じサッカーファンのそれだった。一方で我がアーセナルのオーナー、スタン・クロエンケからは情熱を全く感じられなかった。
 
 この10年で多くの投資家がフットボール市場に目を向けている一方、ビジネスとしてしか捉えていないオーナーもたくさんいる。残念ながらクロエンケもその一人だ。彼はスタジアムにめったに足を運ばず、お金のために欧州スーパーリーグ構想を主導し、失敗した。グーナー(アーセナルファンの愛称)の反対運動によって、スタンは構想から手を引き、彼の息子ジョシュがファンと対話するようになった。そして段々と選手獲得やチーム環境に投資がなされるようになってきている。
 
 アブラモビッチがいなくなるチェルシーファンには同情するけれど、彼のスタッフはチェルシーにとどまる。クラブ土壌はそう簡単に変わらないだろう。世界規模のチームだから売却が進まないということもないだろうし、売る相手アブラモビッチはしっかり選ぶだろうし。だからチェルシーは大丈夫だと思う。
 
 話は変わるが、グーナーだってチェルシーファンと同じ状況に陥っていた可能性もある。2018年にクロエンケはアーセナルの株を100%手に入れたのだけど、最後に彼に株を売ったのはウズベク系ロシア人の大富豪ウスマノフなのだ。ロシアの通信会社MegaFonを所有するウスマノフもやはり経済制裁の対象になっていて、ハンブルグ港に停泊する彼が巨大な船がドイツ当局に差し抑えられたりしている。

www.forbes.com

 

 2018年にアーセナルの株を売った彼は、現在エヴァートンFCに資金を注いでいる。天然ガス会社USMでビジネスパートナーとなった、イラン人実業家モシリと共に、2016年エヴァートンを買収した。USM、MegaFon、MegaFonの子会社Yota一昨日までエヴァートンのスポンサーだったのだけれど、3月1日にエヴァートンFCから出た声明によって、スポンサー関係は停止されることになった。「アーセナルファンで良かった」ということではない。一人のサッカーファンとして私は悲しい。これは、サッカーを通じて可能だったつながりが消えてしまったということだと思うので。 
 
 ロシア語を勉強するものとして悲しいのは、「ロシア=悪」と変換する人がSNSにちらほら散見されることだ。まだ現実の世界で会ったことはないけれど、自己紹介で「大学でロシア語を勉強しています」と言った時に相手から返ってくる反応が私はすでに怖い。
 
 その中で、チェルシーのオーナーとして世界から振る舞い方を注視されているアブラモビッチがこのような声明を出したことにホッとした。ロシア人だからといって全員が悪者というわけではない。当たり前のことだ。
 
 また彼は声明の中でプーチンやロシア政府が使っている「ウクライナにおける特殊作戦」という言葉ではなく「ウクライナにおける戦争(the war in Ukraine)」という言葉を使っていた。彼の生命と、これからの人生に大きく関わるだろうから、声高にプーチンを批判することはできないけれど、できる限りの声明だと思う。もちろん、既に指摘されているように「ウクライナにおける被害者」が誰を指すのか、「net proceeds(純利益と訳したが解釈の余地はありそう)」とは何のことなのか、声明の中身は少し曖昧だ。それでも声明を出さないよりもだいぶマシだと思う。
 
 これから、チェルシーの慈善財団がウクライナを支援する。チェルシーのオーナーがアブラモビッチだったからこそ、この交流が可能になった。尊敬する。サッカーを取り巻く文化は国境を越えるはずだ。というかそうあって欲しい。今回のアブラモビッチの声明で少しでも状況が良くなるように願う。
 
 
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#163 ラーメンで大学生活を振り返ろう(8)

 ラーメン。拉麺と書くのが多いけれど老麺と書く場合もあるらしい。ラテン文字表記だとRamen。キリル文字だとРамэнかな。アニメやサブカルには詳しくない私でも、寿司とラーメンの話はできる。日本車の勉強もこれからしようと思う。これから大学を出てどうなるかわからないけれど、ラーメンを食べ続ける限り、会話の種は尽きないだろう。
 
 
2021年
04/15
九州らーめん亀王 箕面船場店(大阪府箕面市

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貧乏性なので無料ならば増量して食べる
 2020年と同じく2021年の前期もオンライン授業だったのだけど、感染者の少なかった最初の1週目だけは対面授業だった。最初の週の木曜日、悪友たちに久しぶりに会った。一緒に留年を共にした3人で授業に出て、会わずに過ごした年月のことを話し合った。話すのが久しぶりで、COVIDが流行ってからほとんど人と喋っていないような友人がいて、気にはなっていたけど無事でいて何よりだった。外国語学部のキャンパスは、彩都西の山奥から移転して、新しくなっていた。もの珍しさから、キャンパス内を探検して回った。2020年度はまる1年間キャンパスライフというものが存在しなかったので大学の活気というのも久しぶりで、なんだか懐かしかった。そんな風に懐かしさを感じてしまうこの状況自体もちょっと嫌だった。文法のH先生教室を出て積もる話をした後で、キャンパスから一番近いラーメン屋に行った。亀王は関西にあるラーメンチェーンで、豚骨と鶏ガラのスープが基本らしい。身近な場所でよく見かけるものの、全く行ったことがなかったので、この時が初めてだった。九州にも色々なラーメンがあるだろうに「九州らーめん」という名前はかなり大胆だと思う。コッテリで、部活帰りに食べるラーメンという感じだった。3人とも大食いの方なのでペロリと食べたと思う。
 
 
07/14
「なんだよ結局2021年も去年とおんなじじゃん」そう思って家に引きこもっていた。母親が体調を崩して、それが自分にも移って、ますます嫌になった。オンラインをいいことに授業をサボり続け、バイト先では社員さんの言動に傷つき、精神的な不調がピークに達して心療内科に行き、次の週に交通事故に遭った。トラックに追突された私はそれから40日間の入院生活に入るのだけれど、最後のシャバの飯が台湾ラーメンだった。
 台湾ラーメン、いつもどの辺が「台湾」なのか不思議なのだけど、ニラが大量に入っていて、細麺で、香りがあって、とかそういうのが「台湾」なのかもしれない。そういうのを抜きにしてとても美味しい店で、新キャンパスからも近いし、国道171号沿いにあるから車でも行きやすいかも。大学時代何回も行った。
 事故にあった時、パニックから色々考えた。「もし、大学の後で寄ったラーメン屋が、台湾ラーメンGではなくて亀王だったら、事故に遭わなかったかも」なんて冗談半分で思った。バタフライ効果みたいな。
 ちなみに台湾ラーメンGとキューズモールの間に「麺や六三六 別邸 箕面」というのがあるのだけれど、六三六とは少し味が違う。味が違って悲しくなってしまったことがあって、結局そこには数回しか行ってない。
 
 
10/30
ラーメン人生JET(大阪市福島区

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ラーメンとつけ麺どちらも美味しい
 どんな店名だよって思いながら入った。今のところ人生で最初で最後の就活試験を受けた日のことである。その日は筆記試験だったのだけれど一応ジャケットで行った。スーツとネクタイは面倒なのでやめた。そんなんだから落ちたのかもしれない。前日にSPIの問題集とかやったけど、変な感じだった。就職活動している人は偉いなあと感心した記憶。いや感心している場合じゃないんだけどね。
 福島周辺はラーメン好きにはおすすめの場所です。これだけ書いていて、私はそんなにラーメンには詳しくないんですが、でも散歩中に福島で食べたラーメンは美味しいのが多いです。この前行った「烈志笑魚油 麺香房 三く」という新福島の南側にあるお店はすごい美味しかったです。
 JETではラーメンとつけ麺を食べたことがあるのですが、どちらもおすすめです。行列ができていることが多いですが、回転が速いのですぐに入れると思います。

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福島周辺は歩いているだけで楽しい

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最近、大阪を歩くうちに高架が好きになった
 
 
11/19
島田製麺食堂 総本店(大阪府豊中市

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つけ汁は熱い石の容器に入っています
 2021年の後期は豊中駅を経由して大学に行く定期券だった。歩きたい時、豊中から園田まで歩いた。空港近くを通って猪名川を越えて、全部で1時間くらい歩く。歩いているとアイデアが湧いたり、考え事がまとまったりする。豊中から南西に歩くと北摂と大阪を繋ぐ大きな道に出るのだけれど、その角にあるのがこの島田製麺。近くにドンキホーテとかある。
 つけ麺を押し出しているのだけれど、正直、ここのつけ麺は、つけ麺の完成形だと思う。魚介形の濃いつけ汁が美味しいのはもちろんなのだが、つけ汁の熱さが逃げないように、石でできた容器が熱せられた状態で出てくるのだ。麺を無料で増量することができるのもポイントが高い。ただ、麺を増量するとつけ汁が足りなくなるので、200円追加してつけ汁も足してもらうことになる。それでも美味しい。つけ汁が本当にすごい。
 
 
12/19
ラーメン盛太郎 神田店(千代田区

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初めての二郎系
 Jとメイちゃんとラーメンを食べた。東京で。この「ラーメンで大学生活を振り返ろう」シリーズもここまで来たと思うと感無量である。大親友のJが大学を出て東京に行き、大学で東京に出たメイちゃん。ふらっと卒論もせずに東京旅行に来た私。3人とも「ゴーイングマイウェイ」な感じなので話していると楽しい。3人の中で東京が一番長いメイちゃんが色々教えてくれた。私は二郎系を初めて食べた。野菜とニンニクと油を聞かれるのが、なんか嬉しかった。油とニンニクを少なめ、野菜は多めにした。美味しいけれど重たく感じた。でもモチモチの麺は気に行った。次東京に行く時も、3人でラーメンか何かを食べられたらいいなと思う。神田は千代田区らしい。そんなのこれを書くまで知らなかった。

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ラーメンの後で行った浅草寺
 
 
2022年
01/20
麺や 輝 中津店(大阪市北区

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魚介系のつけ汁が美味しい
 この日は、卒論を提出した日だった。悪友とネットカフェで朝まで粘ってようやく提出した。清々しい朝だった。私は留学のために作らないといけない書類があって、友達と大学で合流することにして中津に出た。用事を済ませてからここでつけ麺を食べた。久しぶりの輝だった。お昼時だったので割と混んでいた。
 中津では浪人時代を過ごした。予備校の近くの輝にもよく行った。浪人時代に食べた味を卒論提出の日に食べるのは変な感じだった。アレクシェービチについて書いた卒論。もっとうまく書けたら良かったなと思いながら、食べた。寝不足でも美味しいつけ麺だった。風がすごい強い日で、地下鉄中津駅の構内に風の音が響いていた。

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地下鉄中津駅
 
 
 以上が私が大学生活で思い出に残っているラーメンである。味やお店の外観などよりも、結局私の思い出などをメインに書いた。このブログは食べログではないので、色々間違えたことも書いているかもしれないが、それは大目に見てほしいと思う。
 書けなかったお店も結構ある。散歩の途中で見つけてふらっと寄ったのはいいものの記録するのを忘れた店や、Jに教えてもらった大阪のお店など、書きたいけれどうまく書けなかった場所はいくつもある。
 またこれからもラーメンを食べるし、ラーメンを食べながら色々考えたりするだろう。というわけでこれを読んでいる人は私を誘ってください。私はコッテリよりはあっさりの方が好きです。

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一緒にラーメンを食べてくれた人、ありがとうございました
 
 
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