シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#167 恋愛と就活

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 もしこの会社に入ったらどうなるだろう。就活をしていてよく思う。
 ビルの管理会社。広告代理店。飲食チェーン。別に前から気になっている会社でもない。知り合いが働いているわけでもない。本社もどこか遠い、私の知らない街にある。リクナビマイナビも、条件を入れると、私に合いそうな会社を教えてくれる。何百何千の会社たち。どのボタンを押しても、どのリンクを辿っても、誰かの人生に行き着く。その扉を開かないと会えないような人たち。その存在を感じて、でも自分の時間もお金も体力も有限だから、その扉は開けない。see you. いつかまたどこかで。
 
 小学校に入学した頃、6年生が大きく見えた。あんなに大きくなれるのだろうかと思った。「ほとんど大人じゃん!」って6年生の教室の前を通る度思っていた。自分が6年生になれる日が来るなんて想像もつかなかった。卒業までの6年という時間は永遠と等しかった。逆に、そんなにも時間があるのなら、卒業までに図書室にある本は全部読めると思っていた。学年の全員とも友達になれると思っていた。でもそんなことはなかった。
 1年生の終わりに、アズサちゃんが引っ越すことになった。学童保育に行っていた私は、放課後に遊べる時間が少なくて、だから学校が終わったらすぐに家に帰るようなアズサちゃんとはあまり遊べなかった。引っ越してどこかに行くらしいというのを知って、急に寂しくなった。寂しいのはなぜだろうと思って、私は彼女のことを好きなのだろうと思った。日焼けした顔とか、笑ったらできるエクボとか、音楽会で小太鼓を叩いていた姿とか。学級会みたいなのが開かれて、彼女を送り出した。「好き」と彼女に言ったけど、それは現在の大人が言う「好き」と必ずしもイコールではなかった。もっと話したかったとか、もっと遊びたかったとか、そういうのであって、愛でも恋でもなかった。「好き」と思えば簡単に「好き」と言えた7歳の感覚の方が25歳よりも進んでいたし自由だったと思う。「好き」と言う言葉の意味が今と違って軽かった。いつから「好き」はこんなにも大袈裟になったのだろう。

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 それ以前にも、保育所の友達サガラリョウタが引っ越したり、保育所を出て違う小学校に通うみんなと別れないといけなくなったり、そういうのの積み重ねで、永遠などないらしいというのを知った。そうじゃないと保育所の卒園式であんなに泣くわけがないと思う。ちなみにサガラリョウタは4歳の時点で力こぶを作れる唯一の園児だった。それを見てみんなですげーと言っていた。今でも小さい子が力こぶを作っているのを見ると、彼を思い出す。現在の彼のことを何も知らないのに。当時の彼の映像が鮮明に蘇る。

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 小学校低学年の頃、好きな子がたくさんいた。恋とか愛とかじゃなくて、ただ単純な「好き」だった。1番目に好きな人は誰々で、2番目は誰々。そんなことを平気で言ってた。「選べないし、みんな好きに決まってるじゃん」と思ってた。1番目に好きな子は足が早くて、短距離走長距離走もめちゃくちゃ早かった。ただ唯一許せないのが巨人ファンということだった。当時の私は熱狂的な阪神ファンだった。尼崎に育てば阪神ファンになるのが普通だろうと思うけど、その子の一家は家族全員巨人ファンで、同じクラスにいたその子の従妹も巨人ファンだった。当時の巨人は堀内恒夫が監督をしている低迷期で、応援する理由が見つけられない私は、ずっと首を傾げていた。ただ、二岡と高橋由伸はかっこよかったし、タフィー・ローズとすごい選手だなあと思っていた。あと売り出し中の若手だった矢野謙次も男前だと思っていた。ちなみにその子は中学時代にソフトボールで活躍し、スポーツ推薦で高校に入った。大学卒業後はどこかの強豪校でコーチをしているらしい。5年くらい前に会って、それっきりだけど、彼女の名前を検索したら何年か前のインターハイの試合結果や、バッターボックスに立つ写真が出てくる。

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 変な子だったと、自分の幼少期を振り返って思う。4歳にして、「今という一瞬が今しかない」ことに気づいてトイレで号泣し、7歳で『火の鳥』シリーズに熱中して考え込んでいた。年齢に不釣り合いな考えをしていたと自分でも思う。教科書に出てくる、金子みすゞの詩が好きで、みんなちがってみんないいと信じていた。流行っているSMAPの「世界で一人だけの花」を聴いて「ナンバーワンじゃなくてオンリーワン」と言うメッセージに深々と頷いていた。これもきっと現在の私に関係があるだろうと思う。農民の暮らしを向上させようとした宮沢賢治の伝記も好きだった。そういうのが全部合わさったキメラ的な博愛主義を胸の中に抱えながら育った。
 
 永遠などないとわかっていたし、いつか6年が過ぎて中学校に行くだろうとは思っていた。でも後から振り返ると本当に一瞬だった。短かすぎた。気がつくと私は病院に入院する羽目になり、瞬きする間に退院し、尼崎から引っ越すことになった。中学受験の勉強が始まり、荒れ始めた教室を尻目に塾に通うようになった。全部読めるだろうと思っていた図書室の本は結局読めずじまいだったし、遊んだことのない友達も卒業アルバムを開けばたくさんいる。行ったことのない場所がまだ、校区内のあちこちに残っている。

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 幼少期に大人びていたからといって、順調に育つわけではない。「雨ニモ負ケズ」を暗唱していたかつての7歳は、18年経っても定職につかずぶらぶらしている。このままだと牛丼を単品のまま食べ、いつまでも定食にできない人生を送らないといけなくなる。なんてくだらないことを言ってる暇はない。就活をしないと。でも焦って自分を失っても意味がないから自分のペースで行かないと。なんだか自分に課すルールが多い。勝手にルールを作って勝手に縛られる。なんてバカなのだ。笑ってしまう。
 
 素敵な人と会った時に、もしこの人とずっと一緒にいられるとしたらどうなるだろう、みたいに妄想することがある。自転車で走る時によく思う。廃車になる前の原付に乗って学校に通っていた頃も、そういうことを考えていた。国道のバイパスを走りながら。信号を待ちながら。一緒に行きたい場所、観たい映画。聴きたい音楽。キャッチボールとかもしたいし、カラオケにも行きたい。カラオケでは中島みゆきのモノマネをして、ボンジョビの「It's My Life」を英語でちゃんと歌って、時々くるりジッタリンジンとラッキーオールドサンを挟みながら、コーヒーを何回かおかわりして、フロントからの電話がプルルルルと鳴って、30分くらい延長して解散。天気がいい日には山登りも行きたいし、散歩もしたい。歩きながら見つけたよくわからない神社にお参りして、コーヒー屋さんに入って、さっきの神社が、何かしらの有名な場所であったことをそこでスマホで調べて知って、2人で驚く。みたいな。まあ全部絵空事なんですけど。
 何が悲しいって、これら全てが私の頭の中でほぼ完結していること。ほんとにそう。気持ち悪いと感じた人がいたら、申し訳ない。でも私は想像の中に、自分の世界を作り上げて生きている、そんな人間です。ロマンチストと言ってくれたら嬉しいけれど、人生の中でロマンチストで居られる時間は限られていて、もうその時期ではない。早く出たい。「俺にはまだ夢がある」なんて言いながらテレビの青い薄明かりの中でビールを飲んでいるような40代にはなりたくない。

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 恋人を誰か一人に絞るとか、御社を一つに絞るとか、そういうのが私はすごく苦手。どの道を選んでもその向こうには楽しい未来があるように思うから。もちろん悲しい未来も、等しい確率で待ち受けているだろうけれど、それでもどの人生を選んでも楽しいものがあるように思える。そしてどの人生を選んでもきっと後悔する。「もしあの時違う道を進んでたら」なんて40歳を過ぎたら絶対に思う。優柔不断なのだ。別に恋愛と就活に限ったことではない。コーヒーの銘柄を選ぶのも、シーブリーズの匂いを選ぶのも同じように苦手だ。初めてワックスを買った時も、30分以上悩みに悩んだ。安くてカラフルな、ギャッツビーのラインナップから選ぶのはもう確定していたのに。紫にするかピンクにするか、はたまた水色か。決めれなかった。結局グレーを買って、未だに使い切らずに洗面台のどこかにある。マンダム社のムービングラバーシリーズ。
 
 選択肢を手元に残したままでずっと暮らしたい。俺にはまだあれにもなれる。これにもなれる。そう思いながら生きていたい。でもそれは虚しい。とても虚しい。可能性をキープしているだけで、決められない毎日を続けた結果、25歳にして未だに何にもなれていないのではないのか。書き続けたブログだけがネットの中にあるだけで、自分には何もないのではないのか。不安だ。春の陽気の中にいるのに寒い。

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 この会社に入ったらどんな未来があるだろう。この人と一緒に人生を共にしたらどんなことが起きるだろう。そういうことに思いを巡らし、ひとしきり想像の世界で楽しんだ後、現実にひき戻される。エントリーシートの締切日、物理的な距離、オンラインでの面接とzoomのリンク、帰ってこないチャット、シャツについたシワ。「好き」の中身を確かめる作業。一次審査をくぐり抜けたというメールにある「面接はスーツでお越しください」の文字。
 想像の世界に比べると現実の世界は死ぬほどつまらない。想像の世界で十分に満足してしまった私は御社へのエントリーシートを出さないでもいいかなと思い始める。LINEの通知が来て既読をつける。返信を考えている間に面倒くさくなる。小一時間前はあんなに返信を待ち望んでいたのに、あんなにウキウキしていたのに。自分の熱の冷め方にびっくりする。御社での未来を、その人との未来を、あれこれ想像するうちにすっかり疲れてしまったらしい。想像だけで飽きてしまった自分にがっかりする。
 現実から逃避するための想像だったのが、私が暗い場所にいた間に、想像の世界はすでに現実を追い越してしまった。怖い。私はまだこの世界と関わっていたい。この世界の中で普通に生きたい。
 
 
 
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