シゲブログ ~避役的放浪記~

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#124【映画紹介】『長い見送り』(1971)キラ・ムラートワ監督

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 映画監督セルゲイ・ロズニツァは全ロシア映画大学(以下VGIK)の映像編集の授業でКороткие встречи(『Brief Encounter』)』と『Долгие проводы(英題『Long Farewell』日本語題『長い見送り』)』を解説する教授の言葉を覚えている。

 

「こんなやり方はありえない。こんな風に編集してはいけないし、明らかにルールから逸脱している。上手くいくはずがないのに、見てごらん。完全に上手くいっている」

 

 その授業で学んだことは、自分のルールを持つことが映画監督にとっていかに大事であるかということだったと彼は回想する。ムラートワのスタイルはといえば、よく言われるのは、登場人物たちの不可解な言動、奇怪な筋書き、ブラックユーモアや不条理である。

 

 ムラートワのキャリアは、長い検閲との戦いと言っても過言ではない。彼女が国際的に脚光を浴びるのは89年製作の『Астенический Синдром(英題『The Asthenic Syndrome』)』がベルリン映画祭で銀熊賞を受賞した時である。グラスノスチ(情報公開)が進められ、言論の自由が認められるようになったた時期にも関わらず、当初『The Asthenic Syndrome』は卑猥であることを理由に公開禁止になっており、銀熊賞の受賞の後に国内で公開された。

 

 映画監督キラ・ムラートワは1934105日にルーマニア(現在はモルドバ領)のソロカという町で生まれた。母親はユダヤ人の産婦人科医であり、父親はロシア人の技師であった。彼女自身はソ連崩壊後をウクライナ人として過ごした。両親は共産党員であった。戦中、父親は反ファシストの抵抗運動に加わり、ルーマニア当局によって尋問の後銃殺された。2014年のユーロマイダンの時のインタビュー記事などを読むと、戦争体験が彼女に影響を与えたことは間違いないと思うが、これについてはいずれ時間が空いた時に調べてみたい。

 59年にVGIKを卒業したムラートワはオデッサ映画スタジオで働き始め、67年に『Brief Encounter』、71年に『長い見送り』を製作する。どちらもフランスのヌーヴェルヴァーグの影響を色濃く受け、そして2本とも検閲に引っかかり、ペレストロイカの時代まで長らく上映を禁じられていた。『Brief Encounter』はセックスと不倫の描写とニヒリズム的態度が問題となり、『長い見送り』はエリート的な手法が問題となった。その後70年代の大半を監督として活動しないまま過し、83年の『(英題『Among Grey Stones』)』ではクレジットに偽名を使った。しかし、ペレストロイカの時代に検閲がゆるくなり、ソ連崩壊によって気兼ねなく映画を撮れるようになったことは、彼女の製作活動にとって追い風となった。1987年から2012年の25年間に彼女は14本の映画を撮り、2018年の6月に83歳で亡くなった。

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  映画『長い見送り』の主人公は16歳になるサーシャと、やや過保護気味の母親のエフゲーニャである。エフゲーニャとサーシャの父親は10数年前に別れ、以降彼女は英語翻訳の仕事で生計を立て、サーシャを育てて来た。思春期——そんな言葉に縛られたくなかったし、今でも大嫌いな言葉だけど、なにせ便利なので使うことにする!——のサーシャにとって、愛情過多で世話焼きな母親を疎ましく、父親に会いに行きたいと考えている。

冒頭のお墓参りの場面から母子のすれ違いは決定的である。楽しい音楽とともに笑顔で話すエフゲーニャとは対照的にサーシャは終始テンションが低く、明らかに母と話すことに気分が乗っていない。母の別荘に向かう電車の中でも二人は向かい合って座らず、背もたれ越しに言葉を交わす。母との会話に気分を害したサーシャは席を立ち、残された母親は息子を見つめるが彼は目を合わせずに外の景色を眺めている。

 笑ってしまう。大人になる前の時期、親が疎ましく感じられるのは別に珍しいことではないだろう。最初に映画を観た時の私は20歳になったばかりで、ついこないだまで反抗期だった——反抗期にまだ片足突っ込んでいたかもしれない——。ロシアの男の子も自分と同じように母親に反抗し、自暴自棄になり、同じ年ごろの女の子にあこがれを抱いていることを知って、安堵した。そして息子の変化に戸惑う母親の姿も、見慣れないものではなかった。

  別荘のみんなが集まった食卓での母子のやりとり。体育の授業で高跳びに失敗する息子を校庭の隅で見ている母。彼女はサーシャのことを知ろうと父親が息子に送った手紙を読み、元夫に向けて電報を書こうとするも何枚も書き損じ、さらにはサーシャと父親の長距離電話を盗み聞く。「お父さん、3分しかないんだって!」

息子が自分から離れていく不安と迷いの中、エフゲーニャは男に手紙の代筆を頼まれる。明らかに乗り気でなかった彼女だったが、男が手紙の内容を語るうちに、手紙の出し手と受け取り手の間にある関係や愛に触れ、最後にはエフゲーニャは笑顔になる。

 そうはいっても、楽しげな映画音楽とは裏腹にエフゲーニャの気持は晴れない。サーシャがどこかに行ってしまうのではないかという不安が拭い去れないからだ。職場の懇親パーティーで音楽に合わせてみんながダンスする時もエフゲーニャは女の子と踊るサーシャを見ている。せっかくおしゃれな手袋をしているのに爪を噛んでしまっている。パントマイムの観覧席でもめ事を起こしてしまったエフゲーニャをサーシャは手を取って引っ張っていき、噴水の側で「お母さん、僕はどこにも行かないから」と言う。最後のシーン、サーシャが母を見る目は映画前半とは違って温かい。彼は自分の成長を実感し、疎ましく思っていた母親が支えるべき存在に変わったことに気づいたのだ。

  映画館で『長い見送り』を観た際、なぜこれが検閲に引っかかり、公開禁止処分になったのかわからなかった。当時の私は、ソビエト時代の検閲についてよく知らなかったから、よほど反体制的な描写がない限り公開禁止にはならないのだろうと思っていた。だから腑に落ちなくて、地下鉄に乗ってもずっと考え込んでいた。65年のゲオルギー・ダネリヤ監督の映画『33』では幼児を腕に抱えたスターリンガガーリンのパレードをパロディにしたことで映画の上映が禁じられたが、『長い見送り』の中にそうしたパロディはないように思えた。逆に墓参りの場面のように、ソビエトの赤い星のカットが差し込んだことで、戦争で犠牲になった兵士を想起させるようなシーンもある。

 死んだカモメのカットや、一方的に話し続ける母を見つめるサーシャのうんざりした顔、外国のポップ音楽。それらは確かに受け取り方によっては退廃的であり、それが当局に「エリート的」と考えられたのだろうか。あるいはヌーヴェルヴァーグの手法——ジャンプカットの多用、実際の街や場所で録音した音と映像——そのものが「エリート的」だったのだろうか。

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  同じブレジネフ政権下の70年代に撮られた、ダネリヤの『アフォーニャ』や『ミミノ』でも、仕事をせずお酒を飲み続ける労働者や、計画経済の中で起きた物不足など退廃的とも受け取れる描写はあるが、『ミミノ』の主人公がイスラエル——当時ソ連イスラエルの間には国交がなかった——に電話をかけるシーンが差し替えられた以外は検閲の被害を受けていない。ただ、この2作が明らかなハッピーエンドであった一方で、『長い見送り』はわかりにくい。私はハッピーエンドだと思うが、みんながみんなそう思うかどうかはわからない。物語にしっかりとした起承転結があるわけではなく、現実なのか妄想なのか観客に十分な説明があるわけでもない。突然エンディングが来たように感じる人もいるだろう。

 一言で言うなればこの映画は母と子の絆を描いた物語である。映画の前にも後にも二人の生活は延々と続いている。ただ、この映画の中で、サーシャは成長して、母親が自分を必要としていることを知る。エフゲーニャは息子の成長と自分を取巻く状況を受け入れるようになる。こうして、息子が母親を必要としていた一つの時代が終わる。観客は題名の意味を知る。

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〈表記に関して〉

1: よりロシア語の発音に近い「ムラートヴァ」ではなく、日本語表記でより多く見受けられる表記「ムラートワ」で統一して書いた。

2: 映画を表記する際は初出のみ『ロシア語の題(英題)』とし、その後は英題で統一した。ただし、この文章の主題である『長い見送り』に関しては、日本語題である『長い見送り』で統一し、冒頭でのみロシア語と英語の題を併記した。

 

 

〈映画のURL

megogo.net


 

〈参考文献〉

Film Comment

In Memoriam: Kira Muratova

https://www.filmcomment.com/article/memoriam-kira-muratova/

最終確認日:202125

 

The Gurdian

Kira Muratova obituary

https://www.theguardian.com/film/2018/jun/21/kira-muratova-obituary

最終確認日:202125

 

 

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