シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#114 何でもない日々(1)

 

私の寝起きの悪さは7つの海と5つの大陸の津々浦々にまで轟くほど有名で、もし第三次世界大戦が起こるならそれは私の寝起きの悪さによって引き起こされるでしょう。あるシンクタンクの報告によれば、私の寝起きの良しあしが株価に影響を与えていることはほぼ間違いないそうです *1 

 

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冬の朝と鉄塔の街

 

 泊まりの勤務だった。障がいを持った人が利用するショートステイ。市が委託した社会福祉法人の運営する施設で私は働いている。働き始めて3年目がもう終わろうとしている。その朝は低血圧がひどくて、身体がうまく動かなくて使い物にならなかった。コロナの影響なのか利用者の数は普段よりも少なくて、さらには自立度の高い人ばかりだった。つまりいつもより「楽」なシフトなのだった。その日、朝にすることといえば、食事の配膳や食器洗い、見守りぐらいで、食事介助やトイレや着替えの手助けなどはなかった。そんな日に低血圧だったのは不幸中の幸いだったかもしれない。とにかく熱いコーヒーかホットミルクが飲みたかった。もちろん勤務中に飲めるはずもなく、代わりに私を待ちうけていたのは原付バイクで実家に帰る1時間の道のりだった。寒かった。家に帰ってもなかなか回復せず、結局日曜日は一日中寝て過ごした。夜に少しだけ本を読んだ。1週間前に読んだ時には好きになれなかった筆者の語りが、なぜか気にならなくなっていた。

 月曜日も起きれなかった。ずっと体温が低かった。昼過ぎに布団から這い出し、街に出た。クーポンがあったからマクドナルドでビッグマックを食べて、勉強をした。久しぶりに食べたからか、体調が悪いからか気分が悪くなって、勉強は全く進まなかった。マクドナルドから出た私は文房具屋とスーパーで買い物をして家に帰った。母親が帰ってきていた。ありがたいことにキッチンから美味しい匂いがした。カレーと豚汁だった。

 月曜日は5時間目だけ授業がある。時間が来て私はパソコンでzoomを起動させてパスワードを入力してバーチャル上の部屋に入った。M先生は若い先生なのだけど授業はとてもスムーズで、話も上手である。ロシアに関する知識も豊富でいろいろなことを教えてくれる。今学期に授業で使うのはロシア語の慣用表現を紹介するテクストと、YouTubeにあるロシアのドキュメンタリー番組の映像でどちらも興味深い。ただ、私は先週の授業まで丸々1カ月も月曜5限の授業をサボり散らかしていた。zoomの授業は一度休むと、次の授業に出席しにくくなる。私のような友達のいない生徒にとってはそれが難点だ。

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 1ヶ月間、毎週毎週、月曜日が近づく度に次の授業からはちゃんと出席しようと思っていた。でも予習の箇所がわからなかったり、テクストが難しかったり、自意識が邪魔したりして出席できなかった。月曜5限が来るたびにふて寝して、起きて自己嫌悪に陥るというのを繰り返していた。よくよく考えると私の人生はそんなことばかりだった。いろんなことがやりたいと思いながら一つのことができないと落ち込んでしまう。少しの失敗が尾を引いて、雪だるま式に膨れ上がり、やがて留年しなくてはならないほどになってしまう。今日やらなくてはいけないノルマが明日に引き継がれ、明後日に持ち越され、来週、来月、来年。そうやって物事を先延ばしにしてきた結果が現在である。やりたかったのにできなかったのか、できたのにやらなかったのか。不可能か怠惰か。中学受験、部活、大学受験、浪人、休学を決めて留年が確定した時、2回目の留年。フラッシュバックに次ぐフラッシュバック。

 

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母校

 一度は辞めようと思った部活に戻ると決めた後、毎日が新鮮だった。生き返ったような気分だった。もちろんしんどかったけれど、自分がまた部活に戻れたこと、周りが受け入れてくれたことが嬉しくて、走るのも筋トレも苦にならなかった。2カ月も経てば新鮮だった部活は日常になって、つらいことのほうが多くなってしまったけれど、それでもモチベーション次第で難易度が変わるというのは発見だった。

 話は少し変わるけれど、最後の大会となる公式戦まで1ヶ月を切った頃、自分が強いシュートを打てるようになったことに気付いた。パスを受けてドリブルで運びシュート。コースは甘かったけれどスピードがあったからキーパーは一歩も動けなかった。ゴールの中からボールを回収してまた列に並ぶ。パスを出し、パスを受けてシュート。今度も強いシュートがネットに突き刺さった。私のシュートが強くなったことに誰も気付いていなかった。嬉しくて、全員に言って回りたかったけれど、みんなは元々私より強いシュートが打てるのでそんなことはしなかった。その日の練習はたしか二部練とかで辛い日だったと思うけれど、面白いことにその日の練習は全く苦にならなかった。ただ、その日に掴んだ感覚は、次の日にはわからなくなっていた。何度打っても昨日のようなシュートは打てなかった。がっかりした。結局公式戦には最後まで出られなかった。

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従兄弟の家族と

 久しぶりの実家は温かくて、少しだけ泣きそうになった。隣に住む従兄弟の家族と食べる晩ご飯。食後のケーキと紅茶。いつものようにケーキをじゃんけんで勝った順で獲りあった。親たちは確実に老いているし、私も従兄弟も大人になっている。数年後にこの食卓に残っているのは一番下の従妹だけだろう。母と伯母は祖父の家と庭の今後について話し合っていた。「俺のお墓を守ってくれるか?」と事あるごとに私に訊く祖父は、死後も家を壊さないでほしいと願っている。でも築50年の家はもう修復できないほどに傷んでいる。年末になれば母と二人で祖父を訪ね、三人で新年を迎えるのだろうけれど、また祖母の不在を感じる年末年始になる。従兄弟たちが来ることがあっても2017年以前のように長居はしないだろう。おばあちゃんがいなくなってわが家の正月から会話も喧騒も同時に消えた。廊下に空いた穴や破れた網戸が目立つようになった。

 今から考えても新年は少し憂鬱である。しかし、そんな2021年の正月も2030年ぐらいになれば懐かしく思い出しているのだろう。幸か不幸か私はそういう人間である。

 

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踊り場と冬の夕日

 

【ひとこと】

(2)に続きます。時間がないです。

 

【今日の音楽】

youtu.be

 

 

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*1:

ユーリー・イシドロビチ・シュクスコイ『ロシア語学習者に送る9つの手紙』シベリア出版,2008,127

 

#113 Welcome to melancholic December

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 猫の声がした。確かにしたのだけれど暗がりの中に目を凝らしても何も見えなかった。もしかしたら誰かを乗せた自転車が軋む音だったのかもしれないし、どこかのフラットで誰かが椅子を引く音だったのかもしれない。でも私が聴いたのは確かに猫の鳴き声で、だから、私の脳内には「2020年の123日午後8時前、石橋の就活カフェ『HELLO, VISITSを出た後に猫の鳴き声を聴いた」と記憶された。

 いつの間にか12月になっていた。2020年も残すところあとひと月、もない。121日は「映画の日」でシネコンでは映画料金が安くなるから映画を観に行こうかなんて思ってたけれど、日々忙しく色々考えていると結局忘れてしまって行けなかった。別にずっと独りでいるわけではなくて、割合人と話しているし、チャットもしているはずなのに、なぜか寂しくて、誰かに電話をかけたいと思うけれど、こんな夜に誰かに重い話を聞いてもらうなんて申し訳なさすぎるなと思って、それならインスタライブやってみるかーとか夜中にパスタをゆがきながら考えたけれど、ミートスパを食べたら眠くなって寝てしまった。

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キャンパス。やだっちの自転車

 友達から久しぶりの電話があって、3時間も電話した。楽しい電話だった。それをまるで昨日のことのように思いながら毎日過ごしていたけれど、計算したらもう10日も前のことだった。その電話の4日前には前所属していたサークルの後輩のTと一緒に篠山に紅葉を見に行った。広島出身の彼は「ささやま」ではなくて「しのやま」と読んでいた。昔から兵庫に住んでいる自分にとって「篠山」は今も昔も当然のように「ささやま」なのだけれど、確かに初見では難しいなと思った。お城は意外と小さくて、でも立派な堀があった。調べると築城は1609年。藤堂高虎の設計らしい。城の種類としては「平山城」に分類されるようだ。平山城は戦国末期から江戸時代にかけて多く作られたもので、有名なものには松江城彦根城、姫路城、高知城宇和島城などがあるらしい。戦国時代まで長らく、防御のために有利な山城が多かったのが、次第に統治機能も兼ね備えた平山城が増え、戦乱の世が終わる頃になると名古屋城大阪城、二条城といった平城が建築されるようになる。去年も今年もよく城に行ったな、と遠くの山を見ながら思う。海外ではなく国内を旅行したのだから当たり前なのかもしれないけれど、それにしても私は城好きなのだと思う。春休みはやだっち青春18きっぷで姫路城に行った。商店街を歩いたり城下町を歩いたりして、その後には赤穂の坂越に移動して牡蠣を食べて、最後は岡山でまたお城を見た。本格的にCOVID19が問題になっていて、電車の中の空気はすでに以前のものではなかった。岡山から西宮に帰る頃は丁度帰宅ラッシュに差し掛かかる頃で、私は息を殺して窓の外を眺めていた。神戸の病院に入院していた時、隣りの病棟に上郡町の子がいたなとか、浪人時代、梅田の予備校まで兵庫と岡山の県境から通ってる友達がいたなとか色々考えていたらすぐに西宮だった。

 ちなみに最近行った城は熊本城でその前は津山城。来年の春休みには社会人になるゴビゴビ砂漠高知城に行ってみたいけれど、この分だと来年は予想よりも早くに来そうだ。20歳を過ぎてから、時間が過ぎていくスピードがとてつもなく速い。ゴビゴビ砂漠と、『海がきこえる』の舞台となった高知でお城を見たり商店街を歩いたり、防波堤の上を歩いたりしたいけど全部はできないだろう。時間はそんなにないだろうから。

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宇和島城

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萩城

 あと5分で橋本愛のラジオが始まる。最近買ったiPhoneがそれを教えてくれる。私はまだ国道沿いにあるカフェでこの文章を書いていてリアルタイムで聴けそうにはない。初回の放送なのに。AM2時まで座れるからと思って来たけど、コロナの影響で閉店は23時になっていた。仕方がない全部仕方がない。ともかく篠山の城下町で私はTと一緒に定食を食べて、私は栗を買った。車でしか行けないようなカフェに行ってテラス席でケーキを食べながら話した。サークルにいた時のこと、サークルの後輩たちが今どうしているか、これから進学するのか働くのか。風が強かったけれど、2週間前はまだ今ほど寒くなくて、日中は暖かかった。目の前に広がるのは畑と山々と、空と雲。夕日が見える時間になってから帰った。車の中で好きな音楽をかけた。後輩を下宿まで送った後、私は中国人留学生のユエと古着屋に行ってダウンジャケットとコートを買った。篠山の栗をいくつかユエが食べて、家に帰ってからは母が食べた。盛りだくさんだったその日の最後は友人5人とのテレビ電話で、ああだこうだみんなで近況を報告したり、いつ行けるかわからないようなキャンプの予定を立てたりした。電話の後、眠る気になれなくて意味もなくスマホをいじってボーっとしていた。

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篠山城

 今年で役割を終えるキャンパス。イチョウが黄色になる頃をしっかり見届けようと思っていたのに気付いた頃には葉っぱは散って茶色くなり、空に枝だけが残っていた。次の日曜日にはキャンパスのシンボルだった世界時計が撤去されて新キャンパスに移転するらしい。全く現実感がわかない。COVID19もキャンパスの移転も、友達の卒業も。

 2248分。あと10分ほどでこのカフェから出ないといけない。誰もいないテーブル。とっくの昔に掃除を済ました床。壁にかかったそれっぽい絵。書き終えたいのに終わらない。時間がない時間がない。本当に時間がない。あれもこれもしたいのに。

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時間がない

 この時期、原付に乗る時にリュックサックを前に抱えるか後ろに背負うか迷う。前に抱えると風よけになるけれど、背中の熱は逃げていく。ドン・キホーテでは卵が108円で売っていた。雄であると判明した瞬間に残酷な方法で殺されるひよこたちのことを考えながら私は10個入りパックをかごに入れた。後ろめたさを感じないのかって? そりゃ心が痛むさ。けれどもう疲れた。500グラム600円弱のフェアトレードマークのついてないコーヒー豆だってベトナムやブラジル、コロンビアの誰かを搾取して作られたものに違いないのだし、マクドナルドでもコンビニでも技能実習生の人ばかり働いているように思える。たったの8円と充電の切れたスマホしか持たずにバス停で寝起きしていた人が「邪魔だから」という理由だけで殺されて母親に付き添われた46歳の職を持たない人が出頭して、果たしてそんな世の中で本当にいいんですか? って思うけど、それでいいと思ってる人ってけっこういるんだろうなって思う。私も多分同じだ。そのままかごをレジまでもっていくような私は、PASONAのロゴが付いた幕を使っているからといって私は天満天神繁盛亭にいくのをやめたりなどしないのだから。資本主義経済の中で生きるということは誰かを搾取しながら素知らぬふりして生きて行くということなのだろうか。そうだとしたら絶望でしかない。パトラッシュ、僕はもう疲れたよ。

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驚安(そんな言葉はない)の殿堂

 ユニットバスの縁に腰かけて本を読んでいる。足だけ湯に浸かりながら難解なページをめくる。ウラジミール・ソローキン『青い脂』。2068年にクローン文学者から精製された「青い脂」は遺伝研究所からシベリアの地下に広がる宗教組織の神殿、そしてパラレルワールド1954年のモスクワへと移動し、支離滅裂なストーリーはいきなりのフィナーレを迎える。正直最初から最後まで全く理解できなかった。苦行に近い読書は土曜日のシフトの後にようやく終わっり、次に控えているのはブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』。これは上下巻で計800ページもあるのでまた苦行になるかもしれない。その後できれば年内に『罪と罰』に再チャレンジしたいけどこれもまた難解だろう。強豪校のクリーンナップに対峙するピッチャーの気分である。

 同期と久しぶりに連絡をとった。彼はまだエントリーシートESを書いていないと言っていた。少しほっとしたけれど、ほっとしていいのかとも思った。私はみんなに仕事が向いていないと言われる。たぶん当たっていると思う。そもそも私が満足できて、雇用主も私に満足できるであろう仕事はかなり限られていると思う。出版社とかどうだろうって考えているけれど、まだ調べていない。というかずっと調べていない。

 篠山からの帰り道、Tは留学中の出来事を語る流れで、今考えている将来のことを話してくれた。院に進むかもしれない彼は着実に情報を集めているようであった。就活の情報集めも並行して行っているようだった。

 私は——大方の予想通り何もやっていない——どうすればいいだろう。ゼミの先生は院進を進めてくれた。留学にも行きたいなんて思っているけれどCOVID19が邪魔をしてくる。また休学するのも少し怖くて、早めに卒業したいと思うし、そろそろ高校の同級生のように働き始めないといけないとも思う。ああどうすればいいんだろう。わからないまま12月が来てしまった。2020年がもう終わるなんて信じられない。まだ何もしていない。

 世界時計が撤去される日は延期になったらしい。また猫の声が聴こる。 

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キャンパスのシンボル世界時計。10月。

【今日の音楽】

youtu.be

 

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#112 重力のない○○

 

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重力のない○○

 

トンネルを抜けていく路線バスとオレンジ色のライト

レンジの中で火花を散らすステンレスカップ

芝生でネコと遊んだ後のムズムズする鼻

大講義室を我が物顔で歩いていたネコ

プールの後の教室の気だるい感じ

お気に入りなのにクラスメイトに笑われていた可哀想な服たち

ブラインドの隙間からクラスメイトの背中を照らす光

逆光の中を進むフロントガラス

集まった罪のない烏と国道の真ん中で倒れていた鹿

それを眺めながら食べたリッツのビスケット

食べきれないほどバケツに詰められた不格好な牡蠣たち

深夜のマクドナルドのコーヒーと書きかけの文章

その年に初めて降ったみぞれのような雪

初めて見る単線の電鉄

誰もいない駅のプラットホームと赤いポスト

冬の朝のココアと帰っても誰もいないフラット

冬なのに暑いトマトのビニルハウス

腕の点滴を認識する朦朧とした脳みそ

誰かのお土産の甘すぎるお菓子と眼鏡の奥の笑っている目

鴨居に手が届くことに気がついた日

最寄りのスーパーマーケットまで40分も歩いた冬の日

銭湯で薬湯からなかなか離れない老人

盲いた老婆に顔を触らせる母親似の孫

お尻のやぶれたジーンズとカモメ

不明瞭で聞きとれない教官の声

I love youが言えない人たち

ごめんねが言えない祖父

ソフホーズは国営、コルホーズは民間だと口を酸っぱくして言った世界史の教師

繋がらない電話、やっと繋がっても本音と建て前。今切ったら次にかけるのはいつかはわからない。でももう切らないといけない。モザイク状に積みあがった記憶はまとまりのないまま流れてふとした時に顔を出す。瞳を閉じた布団の中、風呂掃除の手を休める一瞬、公園を横切って歩く帰り道。そもそもがまとまりのないものだからまたどこかに消えて、私はそれらを自由に蘇らせる術を持たない。いくつかの記憶は二度と蘇らなくて、同時にその記憶の中にいた誰かも私の中で死んでいく。忘れた記憶は宇宙の塵となって漂い、ほうき星によって掃き集められる。死んだ人だけがそれらの記憶を取り出していつでも眺めることができる。お空の高いところにあるその図書館で「ああ、あの時はこうだったね」と「こういうこともあったね」と死んだ人たちが確認して、また忘れる。そうしたことが何回も繰り返されてまた私が生まれる。

  

【ひとこと】

みなさんなら○○の中に何をいれますか?

 

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【今日の音楽】

youtu.be

 

 

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#111 気まずい?

 

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気まずい?

 

あなたが踊っていた日はちょうど従妹の誕生日で、だから私はしばらくは忘れない。

あなたはすぐに忘れても私は思い出し続けるでしょう。

あなたが踊っていた時、月は隠れていて、夏なのに涼しかった。

 

あなたが気まずいなんて思うなんてなんかもうがっかり。

そういった感情とは無縁の人だと思っていたから近づいたのに。

勝手に勘違いして勝手に裏切られた気になって、お馬鹿だったのはわたくし。

 

あなたは避けられるだけ避けて私の見えないところまで行くだろう。

人間関係を次から次へとポイ捨てしてこの海をどこまでも泳いでいけばいい。

あなたの世界にはガラスの天井なんてなくて、地平線にも終わりはないから。

 

あなたは自由で、だからあなたに惹かれた。

あなたにはずっと遠くまで行ってほしかった。

あなたには妬みも嫉みも見えないままでいてほしかった。

なのにあなたが気まずさに気付いているなんて。

 

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【ひとこと】

人間は多面体なので、私が見えている範囲がその人の全てではありません。一つのコミュニティにしか所属していないような人はもうほとんどいないので、人によってその人の評価が違うのも当たり前なのです。少々混乱しますけど、黒と白、善と悪で割り切れることなどそもそも少ないのです。なのに勝手に思い詰めて勝手に勘違いして勝手に裏切られて、人間は馬鹿です。

 

【今日の音楽】

youtu.be

 

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#110 めちゃくちゃな一週間 中編

 ジャンパーをクローゼットから出した。おしゃれな24歳が羽織る上着は「コート」なのだろうけれど、私が着るのは「ジャンパー」である。そう。まごうことなきジャンパー。

 ポケットに手を入れると、去年のレシートが出て来た。チョコレートと映画館のレシート。しばらく考えた後で私はポケットから出て来たそのレシート達をゴミ箱に捨てた。めちゃくちゃな一週間だった。

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 日曜日は寝ていた。やらないといけない課題はあるのだけれど最近肌が痒くて痒くてたまらない。全てのことに集中できないから一日中寝ていた。受験の時も大変だった「大人になれば治るよ」って多くの人が言ってたけれど、未だに痒い。そして醜い。肌を気にするあまり小学生の頃は半袖のシャツを着れなかった。肌の汚さを見られると嫌われると考えていた。プールの授業をいつまでも好きになれなかった。毎日ジーンズをロールアップして履いていた。

 夜遅くに家を出て京都に着いた。木屋町にはたくさんの客引きがいて鬱陶しかった。「お兄さんキャバクラどうですか?」だって。私はお兄さんでもないし、お金をもってないし、お金を払ってよいしょしてもらうなんて気持ちが悪くてできない。仕方ないけれど無視をすることにした。

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 昔は高瀬川沿いに立誠小学校だった建物があって、その中に映画館があった。『さよならも出来ない』という素敵な映画を観たのがその映画館だった。私は俳優ワークショップのプログラムとして作られたその映画がひどく気に行って、一時期本気で俳優ワークショップに参加しようと思っていた。大学を休学しようとしていた時で、映画を作りたいと思っていた時期だった。結局映画を作ることも俳優のトレーニングを受けることもしていないけれど、それでも木屋町を歩く時、映画鑑賞後の感動や当時の悶々とした感情を時々思い出す。立誠小学校の跡地には今はホテルが立っていた。

youtu.be

 川沿いを歩いて三条まで行き、バーに入った。パブ、ハイベリー。今夜は1:30からアーセナルの試合があるのだ。パブに入るのはいつも緊張するけれど、今日はそれほど緊張しなかった。アーセナルの一つ前の試合が、まだ行われていてニューカッスルサポーターの男の人が一人でテレビの前にいた。ニューカッスルFCのホーム、セントジェームズパークで行われたエバートン戦は2-1でもうロスタイムだった。前節終了時に首位だったエバートンニューカッスルが勝てそうなので男の人は固唾をのんでテレビを見ていた。私もリュックサックを置いてその試合を観た。間もなく笛が鳴ってニューカッスルが勝った。嬉しそうな男の人と少し話した。私はその昔2011/12シーズンのニューカッスルユナイテッドが大好きで応援していた。シュートブロックが多いチームで、センターバックにいたのはスティーブン・テーラーコロッチーニだったけれど、とにかくずっとスライディングをしていた印象である。ゴールマウスを守るのはティム・クルルで、毎試合ワクワクするようなセービングを披露していた。ライアン・テーラーコーナーキックを蹴って、キャバイエがフリーキックを決めていた。前線にはデンバ・バパピス・シセセネガル人コンビがめちゃくちゃ点を獲っていた。私のお気に入りはベン・アルファとダニー・シンプソンだった。左足のテクニックだけを武器に進んでいくベン・アルファのドリブルは観ていて楽しかった。現在はボルドーにいるみたいだけれど、エキセントリックな性格とファンタジスタを必要としない潮流のために期待されていた才能を大成できずにキャリアを終えそうである。シンプソンはその後レスターシティの一員として奇跡の優勝を成し遂げ、岡崎と共に退団した。それからシェイク・ティオテアーセナルニューカッスル戦で4点差を追いつかれた時、最後のゴールは彼のボレーシュートだった。彼の魂よ安らかに。

youtu.be

 キックオフの時刻が迫るにつれてアーセナルファンが段々増えてきた。私は早くから近くに座っていた男の子と話した。Mと名乗った彼は大学1年生で、私よりも5歳も年下だった。彼と一緒に最近のアーセナルや、アーセナルの所属するイングランドプレミアリーグの話題を話した。チームから干されてるエジルはこれからどうなるんだろうとか、新加入のパーティはどんな活躍をするだろうとか同好の士ならではの会話。とても楽しかった。その中でアーセナルを好きになるきっかけをお互いに話したのだけれどさすがに5年のギャップは大きくて、なんだかおじいさんになってしまった気分だった。当の試合結果はというとマンチェスターユナイテッドのホームに乗り込んだアーセナル1-0で勝った。PKによる得点だけだったけれど点差以上にアーセナルが優位に試合を進めていて、ロブ・ホールディングが試合後のインタビューで語っていたように、別の日なら4-0で勝っていたかもしれない。大好きなエルネニーがファーストチョイスになっていてピッチ上を走り回っていたのがよかった。守備的ミッドフィルダーの彼の持ち味はセイフティなパス捌きで、悪意あるファンからは横パスしかしないと揶揄されることが多い。でも今日の彼は自信満々でどんどん前にボールを進めていた。アーセナルの最初の決定機はベジェリンのクロスだったけれど、彼がウィリアンに出したパスから生まれたものだった。前半の最後に、パスを予想してなかったであろうラッシュフォードとポグバの間を通してベジェリンに出したパスなどため息が出てしまった。

 クランベリージュースを飲んで、フィッシュアンドチップスを食べて、けっこうお金を使ってしまった。フィッシュアンドチップスを食べながら昔イギリスで食べたことを思い出した。英語を勉強しながら週末になるとパブでサッカーばかり見ていた。みんな元気にしているだろうか。最近そんなことばかり考えている。みんなに会いたい。

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トルコ人がやってる店で。450円くらいの昼ごはん

 試合が終わると河原町マクドナルドでM君と二人で始発を待った。せっかく大学に入れたのに人と会うことができないから大学生らしい生活ができていないみたいだった。今日も昼にサークルの集まりがあったけれど、大人数のサークルだからまだあまり仲良くなれていないのだという。自分が大学生になった時のことを思い出したりして感慨深く思った。何人かの友達が卒業して、もうすぐ卒業する友達もいる。コロナだからと言って実家に帰った人もいるし、そもそも人を誘って遊びに行くのが難しくなってしまったというのもある。いや前から人を誘うのには勇気が必要だったか。

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誰もいない河原町駅

 始発の阪急に乗って動き始める街を窓から見ていた。こんなに早いのに梅田駅にはたくさんの人がいた。午後には起きてzoomで授業を受けるつもりだったのだけれど起きたらもう夜になっていた。時計を見て驚いたなにしろ12時間もぶっ続けで寝ていたのだから。時間を無駄にした気分だった。色々文章を書いたり本を読もうと思ったけれどまだ眠り足りない気がして困った。オードリーのラジオをradikoで聴いたりして勉強してみたけれど集中できずに、無為に時間をつぶしてしまった。明日は文化の日でこれまた休みである。映画を観に行こうなどと思った。でも結局火曜日も寝て過ごしてしまった。昔滞在したイングランドの街と語学学校の夢を見た。

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Eastbourne

 

 

【今日の音楽】

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#109 めちゃくちゃな一週間 前編

 ジャンパーをクローゼットから出した。おしゃれな24歳が羽織る上着は「コート」なのだろうけれど、私が着るのはジャンパーである。そう、まごうことなきジャンパー。

 ポケットに手を入れると、去年のレシートが出て来た。ガソリンスタンドとミスタードーナツのレシート。しばらく考えた後で私はポケットから出て来たそのレシート達をゴミ箱に捨てた。めちゃくちゃな一週間だった。

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 木曜日髪の毛を染めた。ブリーチというやつをして青色を入れた。首元がひりひりした。ブリーチの白い泡は抜けた髪の色で段々黒くなるのだろうと思っていたけれど最初から最後まで白いままだった。脱色した後で青色を入れる前にシャンプーをしてもらったら気づいたら寝てしまった。昨日も一昨日もゼミの発表のためにたくさん論文を読んでいたのだ。論文を読んで、発表に必要そうなところを抜き出しているうちに収集がつかなくなって、でも論文を探すのも文章を書くのも楽しいから、テンションが上がって寝れなかったのだ。

気がついたら髪を乾かしてもらうところだった。やけに長いシャンプーだと思っていたけど私が仰向けになって気持ちよく寝ている間にカラーも終わっていたみたいだった。光に透かして見ると確かに青い色が入っていた。テンションがあがった。毛先だけだけど、なにしろ髪を染めるのが初めてのことだったから。髪を染めた状態で服飾史の教室に入るのはとても緊張していて、そんなのを24歳になっても感じている自分のが愛らしいと思った。でもトイレで髪をセットする時の手は震えていた。

 授業の後はゴビゴビ砂漠と一緒に珈琲を飲みながらゼミの課題をした。ゴビゴビも内定先に提出する自己紹介を書いていた。仲の良かった人たちは春がくるとどこかへ行ってしまうのだなと思った。

 簡単な発表なのに私は10枚もレジュメを書いてしまった。明日の発表に戦々恐々としながら寝た。

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A棟。このキャンパスは来年には取り壊される

 金曜日の朝、原付に乗って下宿から実家に帰った。金曜日の授業は全てzoomになっていたので帰ることにしたのだ。2限のマリーナ先生は体調が悪いらしく、最近はずっとオンラインだ。

 母は私が髪を染めたことに驚いていた。確かに私は自分の髪の色も質も気に入っていたけれど、でも一度は染めてみたかったのだ。今となってはどうして染めようと思い立ったのか忘れたけれど、私の人生ってだいたいそんな感じだ。伯母には髪色は高評だった。

 ありきたりな茶色や金色は嫌だったし、最初のカラーだから髪の毛全体を染めるのではなくて、一部だけ染めてオシャレにしたかった。スウェーデン語専攻の友達がオレンジのインナーカラーをいれてて、火曜日に同じ授業を受けている人が赤系の髪で、緑は自分に似合わないだろうから青色にした。一週間は鏡を見るのが楽しいだろうと思い、実際楽しかった。

 マリーナ先生の授業はzoomでも楽しかった。楽しかったけれどロシア語の聴き取りが難しくて、でも留学帰りの人は私よりうんとわかっていて、私もがんばらないといけないなあと思うけどなかなかうまくいかない。日揮がヤマル半島の天然ガスプロジェクトに関わっていることを今日の授業で初めて知った。天然ガスプロジェクトはネネツなどの先住民のトナカイの牧畜に影響を及ぼしているのだろうと思うけれど経済の授業ではそうした人たちのことまでは掬いあげてはくれない。

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黄緑の丸の中にあるのがヤマル半島

 そして実家は寒かった。下宿の18家賃27000円なら空気が温まるのは早いけれど実家ではすぐに空気が循環して冷えてしまう。手が震えてフルーツグラノーラを盛大にこぼしてしまった。震えたのは寒さのせいだけじゃなかった。発表の前で緊張していた。オンラインだから緊張することなんてなさそうなのに。情けないとは思い、一方で自分のそんな未熟さに笑ってしまった。

 案の定ゼミの発表はだめだめだった。『ロシア文化事典』の2章にある各項目を当てられた人が調べて輪読形式で発表していく授業で、私が担当したのは「狩猟・漁労・牧畜」という箇所だった。持ち時間は大体10分ほどで、長くても15分。なのに私はCiNiiで論文を片っ端から探して気づいたら15本も読んでいた。15本を15分に凝縮できるはずなどなく大失敗だった。私はこの効率化の時代に生きていけるのだろうか。

 オランダやイギリスが北米大陸に毛皮を求めて進出したように、ロシア人はシベリアを東へ東へと進み、17世紀中葉にはユーラシアの東の端へと到達してしまう。さらには露米会社という国策の会社がアラスカまで行くのだけれど、私はシベリアの民族がロシア人と出会い、世界システムの中に組み込まれていく過程が面白くて、本来語るべき「狩猟・漁労・牧畜」の内容からかなり逸脱して話してしまった。本質が掴めていない、とまでは思わないけれど要領が得ず歯切れが悪い説明だった。聴く方はつまらなかったと思う。なにより、交通整理の手間を先生にかけてしまった。

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レジュメの一部

 ロシア人、というかヨーロッパ人にとっての毛皮はもっぱら換金材料だと私は思っていたのだけれど、先生によればそれだけでは不完全だということだった。確かにクロテンやオコジョの毛皮は高い値で取引されたけれど、そもそも日本と比べて寒冷な気候のヨーロッパでは、冬には毛皮を着て寒さをしのがないといけなかったのだという。なるほど。

 発表の後で私は落ち込んでしまった。とっくの昔に克服できたと思っていた上がり症が、まだまだ全然治っていないことを知らしめられたからだ。がっかりだった。こんなに手が震えて頭が真っ白になるとは思わなかった。「もっとできたかもしれない」とか「元々ダメだったのだから」とかが頭の中に渦巻いておかしくなりそうだった。とにかく自己嫌悪がひどくて、早く家に帰りたいと思ったけれど既にリビングに座っているのだった。こういうモヤモヤは本来であれば学校から家に帰る間に整理がつくものなのだろうけれど、オンライン授業だと仕事や授業のテンションと家でのテンションをうまく切り替えることができなくて困る。家から出る前に服を着るとか、歯を磨くとか髪をキレイにするとか、そういうのは結構大事なのだたぶん。コロナ禍でたくさんのことに気づかされたけれどこれもその一つ。

 なんにせよこのまま家にいたらよくないことばかり考えてしまいそうだった。とにかく家を出てどこかに行こうと思った。図書館で本を借りてミスタードーナツに行った。半額のクーポンがあったので期間限定のドーナツを注文して席に着いた。金曜日の18時のミスタードーナツは商談をする人やラップトップで仕事をする人、資格の勉強をする人がいて、まだまだ週末の雰囲気ではなかった。私は疲れがどっと来て本を開きながら寝てしまった。モスクワのフォークロアの本は全然進まなかった。

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日本とロシアの口承文芸を研究している斎藤君子さんの本

 今年もロシア語のスピーチコンテストに出ようと思っていたけれどこの分だと無理かもしれないと思った。体がすっかり冷えていて、発表はもう終わったというのに息がまだ上がっていた。2年前に授業のプレゼンで大失敗した記憶がよみがえる。あの時は最悪だった。

 土曜日、バイトの後石橋でH君とご飯を食べた。土曜日の中環が混んでいることを忘れてバイト先でのんびりしていたら、待ち合わせに遅れてしまった。

 何食べようかと迷って、結局ガンガマハルに行った。ガンガマハルはこの街に住む大学生ならば一度は行ったことがあるであろう鉄板の店である。あ、鉄板というのは言葉の綾で、お好み焼ではなくインドカレーの店である。私が社会人になって——そんな日が来るとは想像もできないけれど——大学時代の味が何かと聞かれたらガンガの味を思い出すのだと思う。あるいはピノキオのナポリタンとコロッケか。

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私のスマートフォンにはガンガマハルの写真がいっぱい

 そういえばH君も髪を染めている。ピンク色だった時もあったし、今は色が抜けて金色みたいになっている。初めて会った時以来彼はずっと長髪である。クイズも大喜利もいろいろやってる彼は思想史や政治史に詳しくて色々教えてもらった。楽しかった。ご飯を食べ終わっても話すのが楽しいから散歩することにした。宝塚線に沿って歩いて、蛍池の近くにある業務スーパーでアイスを買ってまた石橋に帰った。そういえば今日はハロウィンだったけど、仮装するでもなくいつもと同じ日常だった。月がきれいだった。彼が教えてくれたDos Monosの音楽は家に帰ってから聴いたらとてもよかった。オードリーのオールナイトニッポンを聴きながら寝た。

 

【ひとこと】

中編に続きます。

 

 

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#108 どうにもならない

 私は記憶力がいい方である。最も古い記憶は父親の実家で洗濯籠を被って遊んでいた記憶である。たぶん2歳になる前だと思う。「そんなことしたら大きくなられへんよ」と父方のおばあちゃんが言って、その言葉通り私は身長が伸びなかった。よくL'Arc〜en〜CielのボーカルのHydeが低身長男子の代名詞のように使われるけれど、私は彼よりさらに一回り小さい。生まれたのが1930年代のソ連ならボストーク1号に乗れて人類のヒーローになれたかもしれないけれど、私が生まれたのは20世紀末の京都であった。「男の子の身長は後から伸びる」とか「私だって高校の時に身長が伸びたのよ」とかみんな言ってくれたけれど、結局私の身長は伸びず、病院に通ったりもしたけれど無駄足になった。

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ガガーリン

 ある日の帰り道、自分が社会的に去勢された存在であるという考えに陥った。自分なんて必要のないような、誰からも捨てられたような感じ。そのイメージは頭の中にこびりついてなかなか消えなかった。背が低い故に誰も私のことを恋愛対象として見ていない気がした。恋愛対象として見られたかった。いわゆる「男らしさ」から外れている私は、これからの人生を、社会の中で大手を振って歩いてはいけないように感じた。母子家庭に生まれたからこそ、母親も祖母も私が「男らしく」なれるように気にしてくれたけれど、うまくいかなかった。もう21世紀だから「男らしさ」とか「女らしさ」のような規範は以前のように厳しいものではないと思うけれど、それでもまだ苦しんでいる人はいる。

「シゲ、身長何センチなんだっけ?」

「え、152センチだけど」

「ほな152センチより低い女の子と付き合わないといけないね」

 大学生になって同じ学部の女の子に言われた言葉。

 多分私は怒るべきだった。でも私の口から出たのは「いや、おれはバレーボール選手と結婚することに決めているから」なんていう斜に構えた嫌な言葉だった。できるだけユーモラスになればいいと言ったけれど。たぶん伝わらなかった。正面から彼女に私が傷ついたことを伝え、そんなことを言うべきではないと伝えるべきだった。でも「いや、おれはバレーボール選手と結婚することに決めているから」がその時の私にとっては精一杯だった。気まずい一瞬の後に彼女は何か言ってくれたけれど、忘れてしまった。それ以来私は彼女のことを避けるようにしたけれど、彼女は私がどうして避けるのかわからなかっただろう。だからちゃんと言うべきだったのだ。怒りを見せるべきだった。

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「男の子なら強くないといけない」

「男ならスポーツができないといけない」

「男ならかっこよくないといけない」

「男なら身長が高くないといけない」

「男なら勉強ができないといけない」

「男なら収入が高くないといけない」

「男なら」

「男なら」

「男なら」

くそくらえ。

 長い間父親に会いたかった。母子家庭の子供の幼少期。母親と祖母が私にとって唯一の世界である時期が長かった。世界は狭かった。一年間の入院と転校の後はますます面白くなくなった。本ばかり読んでいた。祖母が褒めるから勉強をした。母が嫌うからテレビは見なかった。よく理不尽な理由で怒られた後で、私は毎回自分がダメな人間だと思っていた。自分の中に荒れ狂う怒りの渦をどうにかこうにか落ち着かせようと思うのだけど、うまくいかなかった。負の感情に対処する術を覚えないまま大人になってしまった。

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 かなり長い間、自分の不完全さの原点を全て父親の不在に求めていた。父親がいないからこうなってしまったのだと漠然と考えていた。父親がいないから不完全なのだ。父親がいないから私はいつまでも足りないのだ。

「シゲにはおばあちゃん一人しかいないけど、おれには二人おるもんな!」

7歳の従弟がそんなことを言って、10歳の私はボコボコに殴った。ずっとコンプレックスだった。

 中学受験をしていい学校に入れば、もっと楽しくなるのだろうと思っていた。自分の辛さを理解してくれるような人がいるかもしれない、そうでなくても地元の友達よりも話が分かるような人が多いだろう。そう思っていた。実際地元の友達よりも、学習塾の友達の方が喋っていて楽しかった。でも中学生は所詮中学生で、それなりの精神年齢なのだった。私自身の精神年齢が他より高かったとは全く思わないし、みんな一長一短なのだけれど、それにしても楽しくなさすぎた。

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 小学校も併設されている国立の学校だった。同級生の家庭にある文化的資産やお金の使い方に驚いた。どの子も幸せそうな家庭で育っていて、そもそも母子家庭で育った子がほとんどいないように思えた。私は僻みと妬みがひどくなってしまって、現実から逃避するように問題集を解いた。私は、彼らが関心を抱くことに興味を持っていないように振舞い、とりあえず勉強をしていた。そう、とりあえず勉強したのだ! 友達の好きな音楽を聴いたり、サッカーの知識を増やしたりしたけれど、いつまでたっても空虚感は消えなかった。そんな私を見て馬鹿にする同級生もいて、確かに自分でも滑稽だとは思っていたけれど、どうすればいいかわからなかった。毎日毎日欲求不満を抱えていた。勉強さえしていれば褒められた。

 段々、全部母子家庭のせいだとはっきり思うようになっていた。とにかく父親に会いたかった。父親に会いさえすれば私の中のモヤモヤは全て解決されるのだと思っていた。父親がいないから私の世界はこんなにも満たされないのだと思った。父親がいればあったはずの人間関係、家族、友達、価値観の多様性。そういうものがないから私の世界は狭くて、クラスの友達とどこか「違う」のだろうと思っていた。両親の話や家族の話を友達の口から聴く度に、落ち込む日々があった。

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 父親が会いに来てくれるシチュエーションを私は日々夢想した。私は父親の顔を忘れてしまっていたから街行く男の人が全て父親に思えた。父が寝ころんだ私の顔を覗き込んでいるのは覚えているのだけれど、肝心の顔はいつまでものっぺらぼうだ。18歳の時に父親の顔をインターネットで見つけた時は拍子抜けした。僅かに鼻が似ているだけで、全く私とは似ていない。宣伝用の写真なのににこりともしていない無表情は怖かった。名前も職業も確かに父なのだけど、その男が父親だとは思えなかった。父親のことが知りたくて調べていたのに、急に知らない人の顔が現れるとそれはそれで怖かった。時間が経って私は全てを悟った。

 そうなることもありえた過去、そうならなかった未来のことを考えて、時間を費やすのはきっと愚かなことなのだ。妄想の中に人は生きて行くことはできない。頭の中の世界と現実の世界、そのバランスをとらないといけないのだ。悩むことも考えることもそればっかりしていると死んでしまう。

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 誰かを好きになった時、その人と関係を結びたいと思った時、私は両親のことを考えてしまう。自分の辛かった時期を思い出して、その時の怒りや恥ずかしさで今でも震えてしまう。当時も感じていた妬みや僻みが蘇って、やっぱり自分には無理かもなあと思う。自己を肯定することが出来ないことがこんなにも尾を引くとは思わなかった。

 

 

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