シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#77 同窓会に行ったら

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 最寄り駅の改札を出て数歩。じーんとした。どうして涙腺がこうも緩むのだろうと思って考えた。答えは簡単だった。私にあるものと同じようなさびしさや諦めを、今日出会った何人かの中に感じたからだった。

 卒業して5年。同窓会には100人近くもの人が集まった。その分情報量が多くてちょっと疲れた。みんなひっきりなしに動いて喋っていた。移り気な私も回遊魚よろしくウロウロと動き回ったけれど、私が喋りたい人はみな誰かと話し込んでいた。その会話を邪魔するのも嫌だし、そもそも会話に割って入るだけの勇気もなくて、だから手頃な場所にいる誰かと話していた。

  じっくり腰を落ち着けて動かないようなグループや2人組3人組もあったけれど、私はじっとしてはいられない性質である。ドリンクを取りに行ったり、遅れてきた友人を迎えに行ったり、余っているご飯を一杯食べてみようと試みたり、来なかった人に電話をかけたり忙しかった。忙しいフリをして自分を騙していた。同じ水槽の中をぐるぐる回る水族館のイワシのようにひと時も休まらなかった。やっと場に慣れたのは残り時間が1時間を切ってからで随分と長いこと時間を無駄にしてしまった気がした。

「浪人して、休学して、留年した」なんて言ったら心配されたりする。私は強がってついつい偉そうに夢とかを語ってしまう。勉強しているロシア語のこととか、言語学のうんちくとかそれはもうベラベラベラベラ。そして話しながら自分のちっぽけな虚栄心を感じている。そういう時、大抵脳内に再生されているのはblur——90年代を代表するイギリスのバンド。オアシスとブリットポップ戦争を繰り広げた——のCharmless Manである。歌詞に出てくるのは題名通りつまらない男で自分の教養や血筋を鼻にかける本当にイヤな奴である。自分をより大きく見せるために「大物の自分はどこにでも無料で入れる」とか「セレブと自分は知り合いだ」なんて大声で言ってしまう。彼の声にみんな耳を傾けているようでいて、実際のところは誰も彼の話なんて聞いていない。それでも自分の話を聞いて欲しくて、彼はとめどない自分語りをするのだけれど、段々早口になり、ついには興奮で鼻血まで出してしまう。パーティーで自分のことを語る時、時々そんな悲しい男の歌を思い出す。「よく思われたい」という浅はかで安易な虚栄心が出過ぎてしまわないように気をつけたいと思う。

 

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  そもそも難しいことを考えずにその場その場で思いついたことをペラペラ話すだけで楽しいのだ。「思慮深い大人」にいつかはなりたいと思うけれど自分の本質はそう簡単には変わってくれない。自分に理想を要求するあまり自分を縛ってしまうくらいなら、好き勝手に振る舞う方がいい。幸せや満足は主観的なものであって誰かに評価されるものではないのだ。存在するかもわからない「誰か」の視線をおそれて何もできないなんてのは楽しくない。たとえその行動が本能や思いつきによるものだとしても自分らしくあるのが一番だ。なんて最近そんな風に考えるようになった。(そして縮こまってばかりだった中学高校時代の自分を愛おしく思えるようにもなった)

 

 同窓会に来る前、「話したい人」を頭の中にリストアップしていたけれど、実際会場にいるとめちゃくちゃでじっくり話せたのは数人だけだった。でもそれでもいいやと思った。かつて過ごした時間について考え、当時と同じように笑い、今日は来れなかった人に思いを馳せた。それぞれの顔を見ているとそれぞれの思い出が記憶の淵からゆらりと浮かび上がってくるのだ。とりわけ仲の良かった人でなくとも、一緒にやった調理実習とか、文化祭や体育祭でのその人の演技とか、その人の書いた作文とか細かい思い出がたくさん蘇るのだ。それはとてもウキウキする時間だ。記憶力が良いとこういう時とても楽しい。

 煩わしいのは、ある種の社交辞令を抜きにして会話を始めることができないことだった。

「元気にしとる?」

「まだ学生なんやっけ?」

「もう社会人なんやっけ?」

「えーと、、、今は関西おるん?」

こんな定型文をその夜の私は多用した。

 逆に私がかけられた言葉には

「今はちゃんと大学にいっとるん?」

「シゲ、色々なところに行ってるよねー」

というのが多かった。それから素晴らしく優しい数人が「シゲブログたまに読んどるよ」と教えてくれて嬉しかった。それはとても嬉しいのだけれど、自分が書いた文章を、それもかなり開けっぴろげに自分語りしている文章を「見られている」——もちろんこの表現はズルい。本当は私が「見せている」のだから——というのはやっぱり恥ずかしくて、ドギマギしてヘンな感じになってしまった。話す時まともに目を見て話せていたかどうか自信がない。ごめんなさい。

 

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 会場を借りた3時間は飛ぶように過ぎた。みんなで写真を撮ってそれで一次会はとりあえずお開きになった。パーティー会場の座席から解放されて自由に歩き回ることができるようになった私達は二次会へ向かうまでのしばらくの間、会場の外の舗道の上でたむろしていた。

 5年のブランクがあったからこそ、かつての部活やクラス、グループ(あるいはヒエラルキー?)に関係なくごちゃ混ぜで話すことができたのだけれど、この3時間で当時の感覚が段々と思い出して、なんとなく当時のグループで固まっていくような気がした。そしてみんなそれぞれの場所へと向かうのだった。当時から離れたからこそ話せることがあり、また当時に戻ったからこそ話せることがあるのだ。楽しかったらもうなんでもアリだなと思った。二次会も三次会も、懐かしい面々の中で私は何も考えずにずっと笑っていた。

 この時間が終わって欲しくないと本気で思ったし、もっと色んなことを話したかった。沢山の話を聞きたかった。でも時間はやっぱり過ぎていった。

 最後まで残った9人で夜明け前の梅田の街を歩きラーメン屋に入った。

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 久しぶりに会う人、春から働く人、まだまだ遊べる人、研究が忙しい人、就活中の人。それぞれの人生が交差して今同じ屋根の下でラーメンをすすっている。これは奇跡に近いことなのだろうと寝不足で半ばおかしくなった頭で考えていた。

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 空はもう明るくなっていた。梅田駅で三々五々別れた。

 最後まで一緒だったのは隣町に住むMだった。仲が良い彼と最後の最後に少し真面目な話をした。「最近は、会える時に会おうって努力するようになったな」と彼が言った。私は一次会を締める際にHが言った冗談半分の「次会う時は、誰かの結婚式かもしれません!」というセリフやカラオケボックスでKがボソッと漏らした「40になってもこうしてカラオケで騒いだりしてるんかな」という言葉を思い出していた。頭の中がぐわーーーんとなっている間に電車は駅について私とMはバイバイをした。

 いつの日か病院で観たドラえもんの映画のエンディングテーマが流れた。

ああ僕はどうして大人になるんだろう

ああ僕はいつごろ大人になるんだろう 

  冬の朝は空気が綺麗で太陽はキラキラ輝いていた。今日のことを出来るだけ覚えておきたいと思った。書かないといけないことがたくさんあった。私はその足でミスタードーナツへと向かった。

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【付録】この日頭の中で流れた音楽

Radiohead "Creep"

blur "Charmless Man"

Peter Bjorn and John "Young Folks"

武田鉄矢 "少年期"

JITTERINJINN "いつかどこかで"

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