子どもの頃、友達が欲しくて架空の友達を想像していましたか?
自分の葬式を想像して、自分の人生を虚しく思ったりしますか?
誰かと仲良くなりたいのにうまくいかなくて、自分は他人と一緒にいられないのだと諦めていませんか?
うまくいかないことを自分の生い立ちのせいにしていませんか?
映画を観るようになった頃、自分の中でランキングをつけていた。母親に誕生日に買ってもらった双葉十三郎の『外国映画ぼくのベストテン50年』みたいに、自分も批評家になったような気分でノートをつけたりしていた。定期テストの最終日、早めに家に帰った私は録画していた『アメリ』を観た。その日からジャン・ピエール・ジュネのその映画が私のベスト映画になった。
それからかなり長い間、オドレイ・トトゥの出世作がベストワンの映画であり続けた。他にベストテン入りを続けていた映画には、『レナードの朝』『リトルミスサンシャイン』『ロイヤルテネンバウムズ』『スタンドバイミー』などがあった。邦画はあんまり観なかった。『舞妓Haaaan!!!』だけがベストテンに入っていた。
ほどなくして私は映画に順位をつけることをやめた。点数をつけるのも訳知り顔で甲乙をつけるのも、段々嫌になったのだ。大学に入って友達に勧められてFilmarksを始めたけれど、長続きしなかった。友達の観た映画をチェックできたり、自分の観たい映画のレビューを見れるのはいいとは思ったけれど、続かなかった。映画に100点満点で点数をつけるのが苦手だった。おこがましく感じた。どの映画にもいいところと悪いところがあって、そういうディテール一つ一つを無視して点数化するのが苦痛だった。
『アメリ』を初めて観た時のことをはっきりと覚えている。その日、私は『アメリ』を観て、それから電車に乗って英語塾に行った。ずーっと夢見心地だった。授業中も映画のことを考えていた。フランス語を聴いた後だと、先生やクラスメイトが話す英語が変な感じに聞こえた。フランス語もいいなと思ってフランス映画を選んで観たりした。英語の次に訪れた、私にとって2つ目のインド・ヨーロッパ語族の言語だった。中国語の映画や韓国語の映画は観たことがあったけれど、電車やテレビで日常的に聴く言語なので何も思わなかった。でもフランス語はなかなか聴く機会がない。だからとっても変な感じだった。英語みたいなのに英語じゃない。これがフランス語なんだなあと私は思った。(陳腐だけど本当だから仕方ない)
塾の授業が終わって前にフランス映画を観たことを友達に話した。『アメリ』がどんなに素晴らしい映画だったか伝えようと思ったのに、うまく言葉にできなくて困った。友達は不思議な顔で私を見ていた。
また今年も『アメリ』を観た。今年は色がいいなと思った。赤と黄色。緑。アメリは緑色の服を着ていることが多い。隣人の家の屋上に上ってテレビの線を抜くときも、緑の色を着ている。緑色には「確実でないもの」や「よくわからないもの」というイメージがあるらしい。ウィキッドにもナルニア国物語の「銀のいす」にも緑色の魔女が出てくる。カジノでトランプのカードやダイスが置かれるのは決まって緑色の布を張ったテーブルの上だ。アメリが緑色の服をよく着ているのは彼女が「不思議ちゃん」のようなイメージを与えるのに役立っていると思う。
日韓ワールドカップの前に作られた映画なのにまだ全然新しい。間違いなく傑作だと思う。いくつか黎明期のCGが稚拙に感じられる場面もあるけれど、いつまでも色あせない。
長い間私は『アメリ』の世界に憧れていた。アメリのようにパリで暮らしたかった。運河で水きりをして、カフェで注文したクリームブリュレの表面をスプーンでたたいて割りたかった。地理の時間には地図帳をみてパリに住むアメリやニノ、リュシアンのことを考えていた。ドミニク・ブルトドーのように火曜の朝に市場で買ったチキンを丸焼きにして腰骨の肉を食べたかった。パリ市街の地図をみながらモンマルトルの公園を探したり、映画に出てくる運河がどこにあるのか考えたりしていた。
夏休みも終わりに迫ったある日、ブックオフで立ち読みしていたら松本人志が映画『アメリ』をこき下ろしていた。筆が走ったついでに彼はロケ地を巡る人たちにも「苦言を呈して」いて、そんなこと書かなくてもいいのになと思った。彼みたいに「ぶっちゃけ」れる人がもてはやされるのは良くないと思う。松本人志はテレンス・マリックの『シン・レッド・ライン』も同様にこき下ろしていて、「この映画見た後で、同じマンションの外人とリターンマッチしようかと思いましたよ」みたいなことも書いていた。色々と間違いの多い、配慮のない表現だなと今でも思うし、そんな人が日曜日の朝に時事問題を扱っているのはとても怖いことだ。私は松本人志が嫌いだ。彼は都知事選の投票に行かなかったことをテレビで堂々と語っていたらしい。
その夏の午後、私は自分が否定されたかのように感じて、沈んだ気持ちでブックオフを出て自転車にまたがった。自分の嗜好は私の人格とは関係のないはずなのに、私はいつもむきになってしまう。
「他人とうまく関係を築くことができない」
映画のヒロインが言うセリフならいい。でも私は別に主人公ではないし、見た目も美しくない。最近ヒゲもしっかり生えるようになってきたし、生え際も確実に後退してきた。そんな私が窓際に立って同じセリフを言っても絵にはならないし、「24歳にもなって、なに夢見てんだよ」とみんな思うだろう。それでもアメリが窓の外を見下ろしてこのセリフを言う時、私は自分がアメリになったような気分になる。未だにこのシーンで泣いてしまう。このシーンのアメリは私なのだ。こういったシーンがある映画が私は好きだ。『ムーンライト』も『桐島、部活やめるってよ』も『めぐりあう時間たち』も。
そういった映画はやっぱり安心するせいか、何度も観てしまう。
アメリのようになりたかった。
『紅の豚』でポルコ・ロッソのセリフに「いいやつは死んだやつらさ」というのがある。幼い私は金曜ロードショーで観たのだけれどなんのことかさっぱりわからなかった。おばあちゃんが死んでその言葉の意味がようやくわかった。おばあちゃんと過ごした日々について祖父は大幅に記憶を修正し、祖母の写真の前でまるで彼女が神であるかのように手を合わせた。おばあちゃんが夫婦関係を肯定的に私に語ったことはほとんどなかったので、私はそんな風に振舞える祖父が怖かった。身勝手な人だと思った。祖父以外がどんな風に過ごして来たのか、今どんな風に感じているのか、そんなことはスーパーポジティブな彼にとっては取るに足らないことだった。死んだ人なら後でいくらでも記憶を修正できる。記憶の中の彼らは優しくて素晴らしくて、そんな彼らと私たちはいつでもうまくやっていた。そんな風に信じ込むことができる。死んで思い出の中にしまわれるようになった人たちはあなたにいつも微笑みかける。過去にやった悪事をわざわざ追及されたりしない。もちろん謝罪を求められることもない。犯罪者にとっては死んでしまえばこっちのもんだ。
予備校の現代文の教師が「一方的な想像だけの恋愛。これが一番いいんです」と言って、私はなるほどと思った。
街で見かけたあの人と私が恋人同士になることを想像するのは甘美だし、誰にも邪魔されない。空想上の人々はいつだって私に優しい。恋人の存在や結婚がすべてを解決すると勘違いしている残念な人はたくさんいる。彼らは「恋人がいる」、あるいは「既婚である」というステータスに幸せの基準を置いていて、本当の幸せがそこにあるのに盲目だったりする。とってもとっても残念である。妻が美人女優であることや、持ってる車や着ている服でしか幸せが測れないなんて間違っている。幸せはもっと日常の言葉にならない一瞬一瞬にあるのだ。(わからない人はカズオイシグロを読んでくれ!!)
空想の世界に浸るのも、妄想的な片思いと同じである。自分で作り上げた世界では私を傷付ける人は誰もいない。空想の中で私は映画監督にも、遺跡を発掘する考古学者にも、授賞式でスピーチをするノーベル賞作家にもなれる。私を理解してくれる人たちが周りにいて、心の深いところで彼らと分かり合えるのだ。これはもう麻薬みたいなものである。(麻薬やったことないけど)
空想中毒なのはアメリも同じである。現実から逃避しているアメリに言うガラス男レイモンのセリフにいつもドキッとしてしまう。
「子供の頃 友達と遊んだことがなかったのかな おそらく一度も」
「つまり今そこにいない人間との関係を想像する方がよくて今いる人間との関係はどうでもいいと?」
アメリの少女時代は孤独だった。心臓が悪いと勘違いした父親はアメリが学校に通うことを禁じた。母親は厳格で、アメリは空想の世界に逃避した。ぬいぐるみのクマ、植物状態の隣人、飼っている金魚、自分の空想次第で彼らは話し相手になった。アメリと同じように子どもの頃友達が欲しかった。話し相手が欲しかった。学校での友達の幼稚さにうんざりしていた私は、本の中の世界に逃げた。夜眠れなくて、ベッドの中で空想していた。空想の中で私は架空の友人と共に冒険にでかけたりするのだった。
空想の世界に逃げ込んだ私たちは空想の世界では何でもできたけれど、現実世界の私たちはとても臆病だった。それでもアメリは部屋で見つけた一つの箱をきっかけに一歩ずつ踏み出していく。今まで向き合ってこなかった現実世界の中で生きようとするのだ。毎年『アメリ』を観る度、この点にとても救われる。
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