シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#98 情けない話

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 いつから死にたいと思うようになったのだろう。4歳? 5歳? 始まりはかなり早かった。父と母が言い争っているのを聴きながら、自分がいなければこんな言い合いも起こらないのだろうと思っていた。自分が悪いと責めていた。悲しかった。非力な自分が許せなくて、早く大人になりたかった。家族のことだから詳しいことを書くのは本当はあんまりよくないけれど、このブログ自体壮大な自傷行為なのだから今さらもう遅い。もうすぐ閉鎖するブログなのだし、8月ももう終わるしどうにでもなれという感じである。父と母は言い争っているだけに見えたけれど、今から考えてみるとあれは家ぐるみのいじめだった。DVでもあった。あからさまな暴力はなかったけれど、3歳児の目線から見ても違和感があった。母親にはつらくあたるのに私には優しい人たち。すごく怖かった。母を助けたかったけれどどうすればいいのかわからなかった。今でも他人を簡単に信じられないのはそういう記憶があるから。

 4歳になろうとする6月、母は私を連れて夜逃げした。ほどなく尼崎の街に住むようになった。いっぺんに世界が変わった。父親がまだ触れる距離の所にいた時代、記憶はかなり曖昧で、でもその中にはいくつもの地雷が埋まっているように思える。思い出したいけれど思い出したら確実に落ち込んでしまう。そういうのがたくさんある。父親がいた日々はそれ自体が大きなブラックボックスで、私がこんな風になってしまった原因はその中にあるような気がしてならない。確かめられないからこそ惹かれてしまう。3歳の自分がどのように日々を生きていたのか。母と二人で住むようになったことをどのように受け入れたのか。

 夏が来るたびに私は落ち込んで、そしてその度に私は自分の人生を振り返る。過去に答えを探そうとする。過去は変えられないのに。どうしてこうなってしまったのか、片親でなかったらこんな風にならなかったのか、もっと自己肯定感が高く育つためにはどうすればよかったのか。

 

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 自己肯定感。そんな言葉を知らずに30歳までいけたらよかった。自己肯定感に問題がない人間ならそんな言葉を知らずに過ごせただろうし、苦しまずにも過ごせただろう。いやそんなことはないか。どのみちを進んでも結局苦しかっただろうか。というかみんな苦しいのか。私は、私だけが苦しんでいるように思っているが、これは思い込みで、神様は全ての人に等しく同じ試練を与えているのだろうか。でも私は納得できない。彼彼女の苦しみと私の苦しみが同じなんて。

 自己肯定感。意識すらしたくないのに意識してしまう。私の人生がうまくいかないのも全て自己肯定感のせいにしてしまう。言い訳ばかりしている。いつか強くなって言い訳なんて必要ないほどのポジティブなメンタリティーを持ちたいけれど、そんな日はくるのだろうか。死ぬまで付き合わないといけないのだろうか。安住できる場所はあるだろうか。

 もちろん、自己肯定感の問題の原因を全て家庭に求めるのは危険がある。母子家庭、父子家庭で育ったからといって、全ての子どもがメンタルに問題を抱えるとは思わない。そのように論じてしまうのは差別につながる可能性もある。「あの子は片親だからかわいそう」というような言葉が社会に溢れてしまうのは私の望むところではない。分かってほしいのは、これは父親がいればあったかもしれない人生を私が感傷的に妄想している文章であることだ。現在の自分が抱える問題全てを父親の不在のせいにしようとする私の態度は褒められたものではないし、そんな風に考え続けていてはいつまで経っても前向きにはなれない。とはいえ、何年も解決策が見つけられないのも事実なのだ。大学生になって父親に会いに行ったけれどうまくいかなかった。病気を理由に会わせてもらえず、来ないでほしいと婉曲的に言われた。たぶん父親が死んでも連絡は来ないだろう。いつか自分の戸籍を見て父親の死を知るであろう私はずっと捨てられた子どものままだ。会おうと思えば会えたのに本当に一度も会ってくれなかった。ちょっと信じられない。

 

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 友達の家にいた。ずっと話すのにも疲れてテレビを見ていた。深夜の音楽番組だった。新しく出た音楽が紹介されていて名前の知らないようなバンドやアイドルが楽器を弾いて歌っていた。おしゃれなミュージックビデオが午前3時とか4時のテレビに映し出されていて、食べかけのポテチの袋が目の前にあって、テレビをみながらコーラを飲んでた。ぬるいコーラを飲みながら、カラフルな画面を見て友達が言った言葉が私は忘れられない。

「こういうMVとかおしゃれなのって自己肯定感高くないと作れへんよな。結局」

そんなことないと言いたかった。そんな悲しいことを言わないでよ。その気になればなんだってできるんだよ俺たち。でも言えなかった。友人は詳しいことは言わなかったけれど、言わんとすることはなんとなくわかった。クリエイターはありあまるほどの正方向のパワーを持っていないといけない。ポジティブなパワーを持っている彼らは自己肯定感や自信に問題を抱えていないだろう。自身に疑いを持つことも少ないだろう。なぜなら生い立ちが違うから。安定した環境で愛されて育ったから。自分を責めずに育ったであろうから。

 私たちはもう考えすぎてしまう。感じすぎてしまう。誰かに遠慮してしまうし、悪口や批判があれば傷ついてしまう。自分に自信を持てないからアイデンティティはいつまでも固まらない。強い人に会うと自分を卑下してしまう。必要以上に影響は受けてしまう。だから一貫性もない。友達と私、状況は色々違うからここに書いたことが友達に当てはまるとは思わないけれど、少なくとも私はそうだ。

 世の中を見わたすと強い人が目立つ。クリエイター、大学教授、コメンテーター、批評家、芸能人、モデル。入学した国立大学や中学受験した学校で出会った人だってそうだ。みんな強い。みんな私が一生かけても獲得できないものを持っている。私がなりたい職業も夢も、実現するには自信が必要で、それを手にするにはかなりの時間がかかりそうだ。一生かけても自分を認められるようになれないかもしれない。とても不安だ。そしてとても悲しい。まだ20代なのだし下を向いてばかりじゃいけないのはわかっているけれど、上を向いているのが段々とつらくなってきてしまった。憎しみとか嫉妬に支配されそうで最近の私はとても怖い。自分が簡単にモンスターになってしまうような気がする。誰にも彼にも当たり散らして、誰も愛さず誰からも愛されないモンスター。そんな生き物になってしまったら、みんなとは簡単に会えなくなるだろう。自分の情けない姿を友達に見せることが恥ずかしくてたまらないだろう。でもこのまま死ぬのはいやだし、できるならば、大事な人とのつながりを保ったまま生きていきたい。でも今はちょっとしんどい。

 

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〈あとがき〉

最近ヒップホップにはまっているので韻を踏んだあとがきにします。OutKastATCQが今のところのお気に入りです。

 

Yo, of course, this is a fiction.

Including big memory distortion

Problem with self-affirmation

Causes my suicidal ideation

It's clear, it's my mission

So, I'm writing my depression

With magical blue FRIXION

Made by PILOT corporation

 

うーん。あんまりですね。

 

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2017年に色々しんどかった話です。

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