シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいる者です

#108 どうにもならない

 私は記憶力がいい方である。最も古い記憶は父親の実家で洗濯籠を被って遊んでいた記憶である。たぶん2歳になる前だと思う。「そんなことしたら大きくなられへんよ」と父方のおばあちゃんが言って、その言葉通り私は身長が伸びなかった。よくL'Arc〜en〜CielのボーカルのHydeが低身長男子の代名詞のように使われるけれど、私は彼よりさらに一回り小さい。生まれたのが1930年代のソ連ならボストーク1号に乗れて人類のヒーローになれたかもしれないけれど、私が生まれたのは20世紀末の京都であった。「男の子の身長は後から伸びる」とか「私だって高校の時に身長が伸びたのよ」とかみんな言ってくれたけれど、結局私の身長は伸びず、病院に通ったりもしたけれど無駄足になった。

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ガガーリン

 ある日の帰り道、自分が社会的に去勢された存在であるという考えに陥った。自分なんて必要のないような、誰からも捨てられたような感じ。そのイメージは頭の中にこびりついてなかなか消えなかった。背が低い故に誰も私のことを恋愛対象として見ていない気がした。恋愛対象として見られたかった。いわゆる「男らしさ」から外れている私は、これからの人生を、社会の中で大手を振って歩いてはいけないように感じた。母子家庭に生まれたからこそ、母親も祖母も私が「男らしく」なれるように気にしてくれたけれど、うまくいかなかった。もう21世紀だから「男らしさ」とか「女らしさ」のような規範は以前のように厳しいものではないと思うけれど、それでもまだ苦しんでいる人はいる。

「シゲ、身長何センチなんだっけ?」

「え、152センチだけど」

「ほな152センチより低い女の子と付き合わないといけないね」

 大学生になって同じ学部の女の子に言われた言葉。

 多分私は怒るべきだった。でも私の口から出たのは「いや、おれはバレーボール選手と結婚することに決めているから」なんていう斜に構えた嫌な言葉だった。できるだけユーモラスになればいいと言ったけれど。たぶん伝わらなかった。正面から彼女に私が傷ついたことを伝え、そんなことを言うべきではないと伝えるべきだった。でも「いや、おれはバレーボール選手と結婚することに決めているから」がその時の私にとっては精一杯だった。気まずい一瞬の後に彼女は何か言ってくれたけれど、忘れてしまった。それ以来私は彼女のことを避けるようにしたけれど、彼女は私がどうして避けるのかわからなかっただろう。だからちゃんと言うべきだったのだ。怒りを見せるべきだった。

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「男の子なら強くないといけない」

「男ならスポーツができないといけない」

「男ならかっこよくないといけない」

「男なら身長が高くないといけない」

「男なら勉強ができないといけない」

「男なら収入が高くないといけない」

「男なら」

「男なら」

「男なら」

くそくらえ。

 長い間父親に会いたかった。母子家庭の子供の幼少期。母親と祖母が私にとって唯一の世界である時期が長かった。世界は狭かった。一年間の入院と転校の後はますます面白くなくなった。本ばかり読んでいた。祖母が褒めるから勉強をした。母が嫌うからテレビは見なかった。よく理不尽な理由で怒られた後で、私は毎回自分がダメな人間だと思っていた。自分の中に荒れ狂う怒りの渦をどうにかこうにか落ち着かせようと思うのだけど、うまくいかなかった。負の感情に対処する術を覚えないまま大人になってしまった。

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 かなり長い間、自分の不完全さの原点を全て父親の不在に求めていた。父親がいないからこうなってしまったのだと漠然と考えていた。父親がいないから不完全なのだ。父親がいないから私はいつまでも足りないのだ。

「シゲにはおばあちゃん一人しかいないけど、おれには二人おるもんな!」

7歳の従弟がそんなことを言って、10歳の私はボコボコに殴った。ずっとコンプレックスだった。

 中学受験をしていい学校に入れば、もっと楽しくなるのだろうと思っていた。自分の辛さを理解してくれるような人がいるかもしれない、そうでなくても地元の友達よりも話が分かるような人が多いだろう。そう思っていた。実際地元の友達よりも、学習塾の友達の方が喋っていて楽しかった。でも中学生は所詮中学生で、それなりの精神年齢なのだった。私自身の精神年齢が他より高かったとは全く思わないし、みんな一長一短なのだけれど、それにしても楽しくなさすぎた。

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 小学校も併設されている国立の学校だった。同級生の家庭にある文化的資産やお金の使い方に驚いた。どの子も幸せそうな家庭で育っていて、そもそも母子家庭で育った子がほとんどいないように思えた。私は僻みと妬みがひどくなってしまって、現実から逃避するように問題集を解いた。私は、彼らが関心を抱くことに興味を持っていないように振舞い、とりあえず勉強をしていた。そう、とりあえず勉強したのだ! 友達の好きな音楽を聴いたり、サッカーの知識を増やしたりしたけれど、いつまでたっても空虚感は消えなかった。そんな私を見て馬鹿にする同級生もいて、確かに自分でも滑稽だとは思っていたけれど、どうすればいいかわからなかった。毎日毎日欲求不満を抱えていた。勉強さえしていれば褒められた。

 段々、全部母子家庭のせいだとはっきり思うようになっていた。とにかく父親に会いたかった。父親に会いさえすれば私の中のモヤモヤは全て解決されるのだと思っていた。父親がいないから私の世界はこんなにも満たされないのだと思った。父親がいればあったはずの人間関係、家族、友達、価値観の多様性。そういうものがないから私の世界は狭くて、クラスの友達とどこか「違う」のだろうと思っていた。両親の話や家族の話を友達の口から聴く度に、落ち込む日々があった。

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 父親が会いに来てくれるシチュエーションを私は日々夢想した。私は父親の顔を忘れてしまっていたから街行く男の人が全て父親に思えた。父が寝ころんだ私の顔を覗き込んでいるのは覚えているのだけれど、肝心の顔はいつまでものっぺらぼうだ。18歳の時に父親の顔をインターネットで見つけた時は拍子抜けした。僅かに鼻が似ているだけで、全く私とは似ていない。宣伝用の写真なのににこりともしていない無表情は怖かった。名前も職業も確かに父なのだけど、その男が父親だとは思えなかった。父親のことが知りたくて調べていたのに、急に知らない人の顔が現れるとそれはそれで怖かった。時間が経って私は全てを悟った。

 そうなることもありえた過去、そうならなかった未来のことを考えて、時間を費やすのはきっと愚かなことなのだ。妄想の中に人は生きて行くことはできない。頭の中の世界と現実の世界、そのバランスをとらないといけないのだ。悩むことも考えることもそればっかりしていると死んでしまう。

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 誰かを好きになった時、その人と関係を結びたいと思った時、私は両親のことを考えてしまう。自分の辛かった時期を思い出して、その時の怒りや恥ずかしさで今でも震えてしまう。当時も感じていた妬みや僻みが蘇って、やっぱり自分には無理かもなあと思う。自己を肯定することが出来ないことがこんなにも尾を引くとは思わなかった。

 

 

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