シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#105 寿司・ドーナツ・ドライブ

 

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 九州からゴビゴビ砂漠が帰って来た。一緒に夕食を食べに行った。大学から一番近いところにある回る寿司。彼が留学から帰ってきて以来1年半ちゃんと喋っていなかったから少し緊張していて、久しぶりに会ってどんな話をしようかと思った。

 あんまり大きな声で言いたくない話なのだが、最近昔の友達と会うと、その変わりようや、人間としての軽さにがっかりして帰ることが多い。「昔はあんなに面白かったのにどうして?」「あいつ、就活始めてから面白くなくなったな」「会社入って、完全に大人の遊びしてるやん。しょうもない。よくそんなんできるな」

そう思った後で必ず愕然とする。彼らが人生を歩き始めている間にお前は何をしている? 私は、私は同じところをグルグル回っているだけだ。他人は変えることができないのに勝手に期待して勝手に失望して。いい身分だなお前は。お前は彼らに映るお前自身を観ているだけなんだよ。私は私に言葉を投げかけて、過ぎてしまった日々を思う。イライラする。焦る。帰り道に見つけた小石を蹴飛ばしながら帰ってもつま先が痛くなるだけなのに。わかっているのにまた考え込んでしまう。もちろん誰も悪くない。自分は自分のペースでやるしかない。でも不安だ。不安で不安でたまらない。

 まだ10月なのに12月のような風が吹いて、ラコステの半そでのシャツを着たゴビゴビ砂漠は寒そうだった。水曜日の夜なのにくら寿司は混んでいた。カウンターに座って、私はしばらくメニューを端から端まで眺めたりお茶を入れたりしていた。ゴビゴビ砂漠は早速ネギトロを二つ注文して、片方を私にくれた。久しぶりの回転寿司で、私は醤油と間違えてあまだれをかけてしまった。

 選択肢が多すぎると選ぶのが難しくなる。回転寿司くらいならまだいいけれど、大型スーパーやドン・キホーテなんかにいるとしんどくなる。情報量が多すぎて疲れてしまうのだ。私は「選択肢の中から必要なものを取捨選択して決定を下す」という行為が苦手なのだたぶん。寿司屋に来たときはたいていイカを先に食べるのだけれどくら寿司のメニューにはイカだけで何種類もあって、迷った挙句南高梅イカに乗ったネタを頼んだ。

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大きなスーパーマーケット。たぶん台北で撮った写真

「機械が使えないと生きていけなくなるな」ということをゴビゴビ砂漠は言った。GoToキャンペーンもオンライン授業もテイクアウトのアプリも結局は使える人だけが使うのだろう。スマホを使いこなせない人は置いてきぼりをくらうのだろう。社会に住む人の大半が「使える」人になれば「使えない」人は黙って従うしかないのだろうか。結局自分で自分を強くしてアップデートしていかないといけないのだ。考え始めるとそれは途方もないように思えた。

 九州旅行の間、高校時代の友人との間に感じたギャップについて彼は話してくれた。友人の選ぶ言葉やふるまいが、彼の基準では看過できなくてがっかりしたらしい。諫めた彼は、友人にノリが悪いとか、自分の意見を曲げない頑固な奴だと言われて暗い気分になったという話だった。自分が最近考えていたことと似ていた。仲の良かった友達が言う心のない言葉で虚しい気持ちになるのはよくわかったし、幻滅とか寂しさも経験したことがあるものだったし、おそらくこれからも経験していくであろうものだった。

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 誰かと話した帰り道に「今日のあいつとはもう二度と会わないな」なんて考えることが最近増えた。一緒にいてもその人の言葉に傷付いてしまうなら無理に会わなくてもいい。一緒にいてもデリカシーがない言葉を聴かなければいけなくて、その言葉を咎めようとする気さえ起きないのならどうして話す必要があるだろう? 議論を始める面倒さと、その人が自分にとってどれだけ重要かを天秤にかけている自分の思考がひどく浅ましく思える。そんな風にいちいち難しく考えている自分が滑稽だとも思う。こんなこと本当は書きたくないし書いたところでなにも変わらないのだけれど、考えていない人や感じない人が私は時々羨ましい。その羨ましさは妬ましさと紙一重で、軽蔑と表裏をなしている。また別のところで私は、彼らの感受性の乏しさや思考の軽薄さを見下しているのだ。羨ましく思うけれど、じゃあ彼らのようになりたいかと言われると別にそんなことはないと頭の中で反駁し、彼らに対して自分が抱いている冷たく暗い感情にぞっとする。こんな風に考えていたら、大事な人もいつか失ってしまうのではないかと思う。極端な私は誰とも理解し合うことは出来ないのかもしれないと思って、自分だけが暗い井戸の底に取り残されているような想像に至る。同窓会でもサークルの追いコンでも久しぶりに会って楽しかったけれど、同時に幻滅も感じていた。今は何人かが少しだけでもわかってくれたらそれでいいとも思うけど、よくわからない。でも引きこもっていてもいいことはないというのは分かり始めた。 

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最近毎週のようにミスドに行ってる

 

 くら寿司の後でミスタードーナツに行った。明日のS先生の授業の話になった。「あれ、しげ知らない? 明日は休講だよ?」って言うから掲示板をみたら確かに休講になっていた。となると明日は学校に行かなくてもいいのことになる。S先生は体調が悪いらしい。コロナの影響で体温をチェックするとか、店に入る時にアルコールを手につけるとかみんな衛生面に気をつけるようになったのはいいけれど、いちいち気を張らなくてはいけなくて大変だなあと思った。マスクが必需品になったし、簡単に人に話しかけられなくなってしまった。食事に誘うのも遠慮してしまう。S先生の講義は代わりに課題が出ていた。期限は今日までだった。「あちゃー」と思いながらもゴビゴビ砂漠と話すのは楽しいからまだ帰りたくなかった。話すことがたくさんあった。有線でThe Weekndが流れていた。 

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 コロナの影響で閉店時間が早くなっていて、1時間もいないうちにミスタードーナツから追い出された。とりあえず辺りを散歩することにした。昔彼の下宿に遊びに行った時もこうして散歩をしたなあと思った。ロシア人も散歩が好きだというから、留学先でも彼はこうして誰かと散歩をしていたのかなあと思った。話し足りないなあと思っていたところ、「車でどこか行く?」とか言うから、冗談だと思った私は「そうやね、ブラジルまで運転頼むわ」とか適当に答えていた。そしたら本当に彼はカーシェアリング用の車が置いてある駐車場を調べて、本当に日産ノートに乗ることになった。そんな簡単に車に乗れるとは思っていなかったから驚いた。「機械を使えないと生きていけなくなるな」というさっきの言葉が頭に浮かんだけど、機械——というかこの場合はタイムズの会員になってアプリを使いこなすとかそんなんだけど——を使えたほうが楽しいこともあるのだ絶対に。私がレジュメを印刷して臨んでいる授業で、彼は机の上にiPadとタッチペンしか出してないのを思い出した。

 走るのが楽しいからという理由で新御堂筋に行くことにした。万博のところから中環に入って、千里中央のところから新御堂へ。桃山台、江坂と北大阪急行の横を走るのは助手席にいてもワクワクした。ずーっと走って難波まで行き、そこで引き返した。彼は夏休みにロシア語専攻の友達と和歌山や福井に行ったことを話してくれた。Bluetoothで繋いでステレオからかけてくれた音楽もよかった。スピッツЗемфира、Мумий Тролль、あいみょん、などなど。

 また戻って車を停めて、少し歩いて、「それじゃ」って言って別れた。私は家に帰ってS先生の課題に取り掛かった。

 

皆さんが人生の大部分を過ごしてきた直近の15年間は、大きなファッションの流行が無かった時代と言われています。それでも、皆さんは何かしらの流行の影響を受けてきたのではないでしょうか?皆さんがこれまで服飾(メイクや髪型、ネイル、靴や装飾品なども含む)において体験してきた流行について書いてください。服のデザインや色、着こなし方など、地域や仲間内といったローカルな範囲でも良いです(授業中に紹介した制服の変形や崩した着方、ジャージの着こなし方などはその一例です)。自分はやっていなくても周りがしていた、というものでも大丈夫です。

 

 S先生の課題はこんな言葉から始まっていた。長くなると思った。

 結局私はその課題を一日遅れて出した。 

 

 

【今日の音楽】

youtu.be 

 

 

 

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