シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#160 ラーメンで大学生活を振り返ろう(5)

 ラーメン。前回は大学生活3年目、2018年に食べたラーメンのことを書いた。休学から復学したのはいいものの、やはり夏が終わる頃からしんどくなって、11月のロシア語の授業でプレゼンテーションを大失敗してから結局また大学には行けなくなった。正直プレゼンもロシア語もそこまで悪いものではなかったのだと思うけれど、自身とか自己肯定感というものが低くて、ちょっとしたことですぐに落ち込んでしまう。損だとは思うけれど、過去には戻れないし、これからどうにかするしかない。
 
 
2019年
03/20
Japanese Ramen 麺や琥張玖(ロシア ウラジオストク市)

f:id:shige_taro:20220225190913j:plain

f:id:shige_taro:20220225191101j:plain

 Googleマップが正しければ、ウラジオストクには4つラーメン屋があるらしい。その一つが、麺や琥張玖。「琥張玖 ウラジオストク」で調べたらわかると思うけれど、日本とロシアの経済協力の一環で作られたお店らしい。札幌のラーメン屋さん「琥張玖」が関わっていて、材料も味も同じらしい。ウラジオストクに行った当時は何も知らずに食べた。「ロシアのラーメンなんて、どんなもんじゃい」という感じで入ったけれど、日本で食べたことのあるような味だった。それまでの数日、レトルト麺をシベリア鉄道の中で食べていたのもあって、ちょっと感動した。海外によくある日本料理店みたいに、嘘くさい「日本」を打ち出しているわけでもなく、本当に普通のありふれた雰囲気。お水が無料で出るのも日本と一緒。「日本」すぎてちょっとガッカリしたくらいだ。メニューには色々あったけれど確か味噌ラーメンを食べた。
 ウラジオストクに留学した友達で札幌出身の友達がいて、彼女も琥張玖が美味しいと言っていた。Googleマップ上での評価も高かったし、ウラジオストクにいる日本人には有名な店なのかもしれない。ウラジオストクに行く用事があればぜひ寄ってほしい。
 
 
08/24
太陽軒 米子角盤店(鳥取県米子市

f:id:shige_taro:20220225191145j:plain

 角盤は「かくばん」と読むらしい。太陽軒は米子を中心に3店舗展開しているローカルチェーンらしい。「米子ラーメン」という豚骨と鶏ガラを煮詰めたスープに、醤油ダレを加えたものが人気らしい。旅行中にふらっと立ち寄った店なので、そんなのは知らなかった。だから普通に醤油ラーメンを食べた。お店に入った時点で夜の11時だった。疲れていたので味はほとんど覚えていない。ただめちゃくちゃ安かったのと、お店の雰囲気がよくて、良いバイト先だろうなと思った。
 その日は倉敷のジョイフルで起きて(旅費を浮かすために24時間営業のファミレスで寝ていたのだ)、美観地区を観光し、大原美術館で念願のエルグレコを観て、高梁川沿いに原付で北上して真庭まで走り、湯原温泉に入った。山の中の湯原温泉に泊まってはお金がかかるので、その後中国山地を抜けて米子まで行ったのだ。湯原温泉で風呂上がりにコーヒー牛乳を飲んだのが夜の9時とかなので、心細い思いで暗い道を走った。
 湯原温泉で父親と一緒にお風呂に入っている女の子がバービー人形をたらいで洗ってあげていたこととか、風呂上がりにスギさんというおじさんと結構長い時間話したこととか、夜の山道に急に墓地が現れて怖かったこととかは覚えているけれど、肝心の太陽軒の味は思い出せない。なんかもったいない。せっかく食べたのに。
 その夜はオードリーのラジオを聴きながらコインランドリーでぼうっと座り、ガストで寝た。ラジオのオープニングトークは、サングラスをしていた春日が、若林に会うと、何も言わずにスッとサングラスを外した話だった。「ラストスパートの高橋尚子みたい」だということで「LOVE 2000」のイントロが何度もかけられていた。

f:id:shige_taro:20220225191549j:plain

コインロッカー。誰かのバッグ

f:id:shige_taro:20220225192126j:plain

ガストで寝る
 
08/31
千成や(福岡県直方市

f:id:shige_taro:20220225191718j:plain

この肉みそが美味しいのだ

f:id:shige_taro:20220225192038j:plain

国道沿いにある
 2019年は8月22日から9月5日まで西日本を旅行した。丸谷才一の『笹まくら』の舞台となっている場所を巡り、金子みすゞ林芙美子のゆかりの場所を訪ねるのがその目的だった。2週間の旅行の間に食べた料理で千成やの肉みそラーメンが一番美味しかった。残っている写真はそれほど美味しそうには見えないかもしれないけれど、私はこの味を知っているので、写真を見ると3年経った現在でも唾が出てしまう。それほど美味しいのだ。
 この日もタフだった。北九州のジョイフルで起きて、旦過市場を歩き、林芙美子の資料がある北九州市立文学館で彼女の原稿を見た。2016年に彼女を知ってから5年ほどはずっと彼女を崇拝しきっていた。休学中の2017年11月に札幌の道立文学館で初めて彼女の直筆原稿を読んだ時は感動で涙が出たくらいだった。
 千也やは北九州から直方に向かう国道200号線沿いにある。林芙美子が幼少期を過ごした直方市に入る前に、腹ごしらえが必要だったので寄った。肉みそがめちゃくちゃ美味しかった。味も濃くなくて、なんだか懐かしい味。
 直方は炭鉱で栄えた街だ。『放浪記』にも朝鮮人の住む長屋のことや、鉱夫になることを夢見る芙美子の友人のことが出てくる。『放浪記』の中で直方について書かれたページはそれほど多くなくて、冒頭にチラリと出てくるだけだけれど、こうして実際の街に来て、石炭記念館で展示を見たり話を聞いたりすると、色々なことが立体的になって
面白い。紙の上で知っていた知識が経験になるのだ。本当に面白い。幼い日の芙美子と母親がものを売ったという多賀神社に登って、「たくさん売れますように」とお願いをした馬の像を見た。その後駅前をぶらぶら歩いて、九州でしか売っていないというブラックモンブランのアイスを食べて、太宰府に向かった。駅前には地元出身の力士、魁皇の像があった。顔はあまり似ていなかった。
 次の日は太宰府だったから、また山道を原付で走って、知り合いのキリさんが働いているゲストハウスに泊まった。
 
 
10/14
ねぎっこ 名取店(宮城県名取市

f:id:shige_taro:20220225193820j:plain

ペーパードライバーでも停められる駐車場

f:id:shige_taro:20220225194130j:plain

うまい
 10月の東北。山形国際ドキュメンタリー映画祭のために、土日を利用して東北へ行った。2年前と比べると自分自身がほとんど成長していないように思えて、悲しかったのを覚えている。休学を始めた2年前の2017年は何にでもなれるように思っていたけれど、2年経ても私は何にもなれていなかった。
 車は運転できるようになっていた。関西から山形までどうやっていけば安くできるのかを考えた結果、関空から仙台空港まで行き、そこからレンタカーを借りることにした。台風が来ていたけれど、それほど大変な目には遭わず、奥羽山脈を超えて山形まで来れた。その日は香味庵での打ち上げだけ参加して、車中泊をした。次の日は映画を朝から観た。夕方になって、いよいよ台風が近き、いくつかの映画の上映が中止になったと思う。その日は台風が怖いので急遽ゲストハウスミンタロハットに泊まった。大丈夫だとは思っても、ここ数年の土砂災害のニュースを見ていると、怖かった。実際、この時の台風で、宮城県丸森町福島県いわき市では被害を受けた。
 映画祭で心に残っているのは、『さらば我が愛、北朝鮮』という映画である。1952年に北朝鮮からソ連へ映画を勉強しに来たものの、両国の関係悪化によって北朝鮮に帰れなくなり、そのままソ連で生きざるを得なくなった8人を追ったドキュメンタリーだった。とても面白かった。当時は、カザフスタンウズベキスタンなど中央アジアに暮らす朝鮮系の人々について興味があった。1930年代の終わりに、ロシア極東地域に住む朝鮮人スターリンによって強制移住させられたのは知っていたけれど、北朝鮮からソ連に留学して帰られなくなった人がいるのは知らなかった。もうちょっと色んなことを勉強したいなと思うけれど、時間が足りなかった。
 山形から仙台空港までは高速道路を通って帰った。一人で高速に乗るのは初めてだったけれど、なんとかうまくいった。ラーメンでも食べようと思って高速を降りてから空港まで間でねぎっこラーメンを食べた。もっと大きな人間になりたいなあと思った。やるべき事を絞れずにいた。色々な映画を観て、たくさんの刺激を受けたけれど、それをどうやってアウトプットに繋げればいいのかがわからなくて、困った。内面にエネルギーがどんどん溜まるだけで、それを何にぶつければいいのかわからなかった。ただ目の前にはロシア語の試験と授業があるだけで、それは大きくのしかかってくるけれど、それらは時々、取るに足らないちっぽけなものに思えるのだった。なりたい自分がたくさんあって、そのどれも中途半端で、結局何にもなれずに私の人生は終わってしまうのだと思う。小さくてもいいから何か一つでも残したいと思う。

f:id:shige_taro:20220225194158j:plain

空港で色々考えてしまった
 
 
11/19
麺屋 優光(京都市中京区)

f:id:shige_taro:20220225193437j:plain

大胆な見た目

f:id:shige_taro:20220225193647j:plain

「自転車で京都まで行こう」というりょうちゃんの発案で、学校の授業の後、二人で京都まで自転車で走った。私はクロスバイクだからいいけれどりょうちゃんはママチャリで大変そうだった。寒いしお尻が痛いし、でも二人で国道沿いを走るのは楽しかった。冬がやってきているんだなと思った。風が強くて、車も多いから、叫ばないと会話ができなかった。叫びながらの会話なんて、COVID19が来る前は普通だったんだなと、2022年の私は思うけれど、当時はそんなのが普通だなんて、意識することもなかった。ここ2年で色々変わってしまった。この前友達の家で半沢直樹を観たけれど、香川照之片岡愛之助堺雅人も、大事なシーンでは顔を近づけて喋るので、撮影現場の感染対策はどうだったんだろうとか変なことを考えてしまった。
 箕面から茨木、高槻を経て、水瀬神宮で水を汲んだ時点で既にめちゃくちゃ寒かったのだけれど、そこから北上するともっと寒くなった。なんとか四条まで行って、りょうちゃんの知り合いがやっているというラーメン屋で食べた。メンマが長くて甘かった。食べたことのないメンマだった。自転車でやってきて自転車で帰ったという思い出があるから、味も美味しく感じられたのかもしれないけれど、実際めちゃくちゃ美味しかったと思う。現在は烏丸御池に店舗があるけれど、当時はプレハブと屋台の中間のような店舗で、四条と五条の間の高瀬川沿いにあった。現在の烏丸御池の店舗はGoogleマップの写真を見る限り、立派な店のようだ。また行きたい。りょうちゃんとは、浪人時代から一緒で、一時期はかなりの頻度で会っていたけれど、彼が就職したり、私がLINEの返信を忘れたりで最近は連絡を取らなくなってしまった。また会いたいのだけれど、何と連絡すれば良いだろう。

f:id:shige_taro:20220225193718j:plain

 
12/24
鶏そば Ayam-Ya 烏丸店(京都市中京区)

f:id:shige_taro:20220225193137j:plain

Adam-Yaはコロナ禍で臨時休業している
 エジプト人の友達がいた。アリア。母の友達に大学の先生をしている人がいて、その人の紹介でアリアとは出会った。彼女は日本の大学で博士課程をとって、この前の10月に帰って行ったのだけれど、一緒に色々なところに行った。斑鳩や奈良にも行ったし、神戸で一緒にモスクの中にも入った。彼女と一緒にどこかへ行くときは、必然的にハラルレストランを探さないといけないので、ハラルに少し詳しくなった。寿司屋とインド・ネパール料理店を別にすると、ハラルレストランはかなり少ない。外国人観光客が多く利用する京都駅でさえほとんどない。偉い人が「観光客」とか「インバウンド」とか言う時に、イスラム教徒の食文化についてまでは考えが及ばないのかもしれない。他の文化について考えや想像が及ばないのは日本のよくない部分だと思う。それは、海外に目を向けている日本人が少ないということでもある。「インバウンド」とか言う時、どうしても中国人や台湾人、韓国人、アメリカ人しか見ていないのではないかと思うこともある。
 この日のAyam-Yaにはロシア語専攻の友達2人とアリアと4人で入った。大学に入って知り合いやら友達が増えているのを実感した頃だった。その人達を繋ぐことができたら、自分の世界も広がるような気がした。みんなはこの日のことを覚えているかな。

f:id:shige_taro:20220225193307j:plain

ラーメンの後はみんなでコメダに行った
【今日の音楽】
この記事を読んだ人にオススメ

shige-taro.hatenablog.com

shige-taro.hatenablog.com  

 
シェアしてください。よろしくお願いします。

#159 ラーメンで大学生活を振り返ろう(4)

 ラーメン。あってもなくてもいい。毎日でなくても時々食べるだけでいい。行き詰まったように感じる人生も、暖簾をくぐって美味しいラーメンを啜れば、大丈夫。もしそれが「合わない」ラーメンだとしても心配無用。人生の問題はすぐに味覚の問題にすり替わるから。
 
 
2018年
06/22
麺や六三六 茶屋町

f:id:shige_taro:20220221035724j:plain

このピースする手はTのものなのか、あるいは他の誰かなのか
 麺屋六三六は私の好きなラーメンチェーンの一つなのだけど、もう梅田駅周辺には一つも無くなってしまった。私がパッと行ける範囲では江坂と、それから箕面キューズモールの近くにあるだけだ。初めて私を六三六に連れて行ってくれたのは浪人時代の友達、Tだと思うのだけど、定かではない。写真フォルダは、私がこの日、誰かと一緒に茶屋町の麺屋六三六に行って、NU茶屋町プラスにあったスタンダードブックストアに行ったことを教えてくれるだけだ。スタンダードブックストアは私が初めて多和田葉子の本を買った場所。なのだけれど、六三六と同じくいつの間にか無くなってしまった。ドイツ語を勉強していたTに借りたトマス・マンはまだ借りたまま部屋にある。彼は彼で、私の須賀敦子を持っているはず。もしかしたらもう売ってしまったかも。
 麺屋六三六、野菜の甘みがたくさん感じられるスープはとても優しい味。つけ麺は、途中ですだちを入れて味を変えるのが美味しい。
 
 
08/09
松竹号当帰鴨(台湾台南市

f:id:shige_taro:20220221035903j:plain

鴨スープ。きっとあなたの想像以上に美味しい

f:id:shige_taro:20220221040215j:plain

何の変哲もないこれがすごく美味しい
 ここもめちゃ美味しい。でも場所は台南。なので正直「ラーメン」の枠からは出てしまうかも。写真でも伝わると思うけれど、モチモチの麺の上に鴨肉が乗り、スープと絡まっている。シンプルだけどすごく美味しい。生ぬるい台南の通りで、生ぬるい風に吹かれて友達とわいわい食べた。
 味もさることながら、このお店で友達と一瞬ギクシャクしたことも思い出である。2017年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で台湾の友達ができて以来、台湾にハマっていた私は夏休み、台南でのサマースクールに参加した。勉強というより、遊んでばかりの2週間だった。ゼーランディア城に行ったり、友達と小籠包を食べたり、球場で野球を観たり、本当に人生の夏休みという感じだった。どうしてだか忘れたけど、ベトナム人の友達と晩御飯の間に変な感じになってしまった。喧嘩みたいになったのだけれど、でも次の日には元通りになって、寮の一室でまた一緒に騒いだ。それもまた思い出。思い出の上にまた思い出。
 
 
09/02
まんねん 梅田本

f:id:shige_taro:20220221040519j:plain

ボリュームも申し分ない

f:id:shige_taro:20220221040606j:plain

Jとまんねん
 梅田、東通にあるラーメン屋さん。Jに教えてもらった。大学生活を通じて、というか人生を通じて、Jとはずっと散歩している。浪人時代も高校時代も、何だかずっと一緒にいた気がする。会う時は大抵大阪の街を歩いて、目につく古本屋に入ったりすることが多いのだけれど、いつしかよくラーメンも食べるようになった。この大学で見つけたラーメン屋のリストの中にはJと一緒に「発見」したお店がたくさんある。
 まんねんは、旨くて安くて、しかも深夜でも開いている。いつかの高校の同窓会の時も、二次会のカラオケ後、明け方にみんなでラーメンを食べた。Jに倣って私はいつもチャーハンセットを頼む。
 
 
09/08
武蔵坊 上八丁掘店(広島市中区

f:id:shige_taro:20220221040649j:plain

それほど辛くはない
  2018年は広島に3回も出かけた。3月の自転車旅行、9月のインターン 。秋にも母親との自動車旅行で寄った。この時のインターン福山市の主催のもので、Facebookで福山出身の先輩がシェアしていて知った。福山に2日間滞在した後、インターン終わりに広島まで足を伸ばした。同じインターンの人と一緒に新幹線に乗ったのだった。初対面からビビビがあって、いつまでも話していたかった。今は連絡を取ってないけれど、コロナ禍になるくらいまでは時々LINEをしたりしていた。今は広島の銀行で働いているらしい。元気だろうか。また話したいな。
 1泊2日のインターンに参加した3人で福山城の門の下で話した。缶のお酒を飲んで「何してるんだろねー」と言った私に「青春ごっこだよ」と言い放った彼女。
 広島ではその人に教えてもらった「ゲストハウス縁」というところに泊まった。出会いとか別れとか、人がすれ違って行くことを考えていたら寝れなくて、音楽を聴きながらずっと日記を書いていた。案の定次の日は起きれず、行こうと思っていたジブリ大博覧会は長蛇の列だった。戦争の次に行列が嫌いな私は、県立美術館でのジブリを諦め、お昼なので近くにあるお店に入った。広島名物の汁なし坦々麺。胡麻の風味が効いて美味しかった。山椒をかけると味が変わって面白かった。
 すぐ近くの広島城には池田勇人の像と被曝したユーカリの木があった。「ジブリの代わりに」と思って入ったひろしま美術館はピカソローランサンの絵があって、結構長い時間いた。一番気に入ったのはユトリロの絵で、街も建物も構図はありきたりに思えるのに、どうしてこんなに見入ってしまうのだろうと不思議に思ったのを覚えている。

f:id:shige_taro:20220221040740j:plain

広島城近く

f:id:shige_taro:20220221040936j:plain

ジブリ大博覧会
 
 
09/14
洛二神(大阪市北区

f:id:shige_taro:20220221041032j:plain

商店街の端にあります

f:id:shige_taro:20220221041121j:plain

やや少ない
「これまでの人生で一緒に散歩したランキング」を作るとしたら1位と2位はもう決まっている。Jと、それからイチさんとは数えきれないほど散歩をした。この日もイチさんと一緒に梅田とその周辺を歩き回った。レトロ印刷に行って、中崎町を歩いて、天五中崎通商店街を歩いて、提灯に書かれた「魚系」の文字に惹かれて入った。つけ麺を食べて、とても美味しかったのを覚えている。お互いの夏休みのことを話したり、イチさんの進路のことを聞いたりしたと思う。お笑いとか映画とか音楽とか、いつものようにそういうのを話したのだと思う。
 洛二神、その後リピートはしていないのだけど、それは値段の割に量が物足りなく感じたからだと思う。つけ麺はラーメンよりも値段を高く設定されていることが多いので、50円ほどの差でリピートできたりできなかったりする。

f:id:shige_taro:20220221041319j:plain

レトロ印刷JAM。大阪で好きな場所の一つ
 
 
10/26
麩にかけろ 中崎壱丁(大阪市北区

f:id:shige_taro:20220221041621j:plain

肉厚のチャーシューの美しさよ
 これもまた中崎町。しかも同じ天五中崎通商店街。東の天神橋筋商店街に突き当たるところに洛二神があって、西の端にはこのお店「麩にかけろ」がある。いやあった。この前通ったらいつの間にか無くなっていた。キワタという珍しい名字の友達と行った。大学1年生の時によく喋っていたサークルの友達。彼はいつまでもウダウダ言っている甘ちゃんな私よりもはるかに大人で、プログラマーとしてインターンに参加してお金を稼ぎ、回らない寿司を食べていた。そんな彼が教えてくれるラーメン屋が美味しくないはずがなかった。ラーメンは器の上に海苔がかぶさった状態で出てくるのだけど、まずその海苔がとても美味しかった。噛めば味があり、スープに溶かしてもよく合うのだ。ネギも何種類かのチャーシューも絶品だった。キワタは大学で初めて出来た友達の一人なのだけれど、この時を最後にずっと会っていない。休学する前に相談するくらいは仲がよかったと思うし、このブログを始めた時も、最初の方に彼がコメントをしてくれていた。元気でいてくれてたらいいなと思う。

f:id:shige_taro:20220221041600j:plain

海苔が被さった状態で出てきます
 
 
11/16
麺や六三六 大阪総本店

f:id:shige_taro:20220221041814j:plain

この味が恋しい
 これまた閉店したお店。この日はユージンとJ、それからYと一緒に舞台を観に行った。ラーメンは劇の後で食べた。めがねこと、渡邉みなが梅田のHEP HALLで初めて舞台に出るというので3人を誘って観に行ったのだけど、久しぶりに観た舞台の余韻に浸って、高揚した気持ちで色々話しながら麺を啜った。
 めがねは、ひょんなことから知り合ったYouTuberの友達なんだけど、忘れずに舞台のことをLINEで教えてくれたのも嬉しかったし、知っている人が少しずつ有名になって活躍しているのは、そもそもそれ自体嬉しいことだ。勇気をもらえるのだ。遠くからだけど、YouTubeも少ししか見ていないけれど、でも活躍してるのは知ってるし、刺激をもらってます。機会があったらまた会おう(届け!)。
 ちなみに、ユージンは浪人時代からの付き合いで同じ大学の同じ学部に入った友達である。中学時代からの仲であるJとYは、ユージンとは初対面だったのだけど、同じ劇を観て同じラーメンを食べたからか、ずっといい雰囲気だった。友人を繋げるという面白さを初めて感じたのはこの日である。

f:id:shige_taro:20220221041911j:plain

めがね(渡邉みな)の舞台初主演、悪い芝居「メロメロたち」
 
 
【今日の音楽】

Sunday - YouTube

 

#158 ラーメンで大学生活を振り返ろう(3)

 ラーメン。前の記事で米沢での免許合宿について書いた。合宿で同室だったラーメン好きのAのおかげでラーメンが本格的に好きになり、よく食べるようになった。米沢から帰ってきた私は、復学までの春休みを大いに遊んで過ごしたのだが、同時に大いにラーメンも食べた。今回はその時に食べたラーメンが中心である。
 
 
2018年02/10
らーめん久保田(京都市下京区

f:id:shige_taro:20220209060437j:plain

京都駅北側。歩いて10分ほど

f:id:shige_taro:20220209060538j:plain

また食べたいので誰か一緒に行きましょう
 京都駅で父親の家族と会う約束だった。夕方の予定なのに時間を勘違いしていてなぜか10時に着いた。緊張していたのだと思う。京都駅の周りを歩いても時間が余るから西本願寺にも東本願寺にも行った。それでも時間が余るのでラーメンを食べた。いつも食べる三豊麺とは少し違って、つけ汁の味噌と魚介バランスがとてもよかった。緊張のせいで、その日はずっと全ての感覚が薄くて変な感じだったけれど、このつけ麺はとても美味しくてホッとしたのだった。美味しさに感動して、ネットで調べたら割と有名なお店らしかった。麺が白くて少し縮れていて、うどんのようだなと思った覚えがある。
 その後、父親の家族はハイブランドのロゴを見せつけるような服で来て、高い紅茶を飲み、優しい言葉と態度で私に絶縁を告げた。空気が読めない私は、その時は絶縁だとは思っていなかった。また会えると思っていた。もらったDari Kのチョコレートの箱をまだ捨てられていない。

f:id:shige_taro:20220209062202j:plain

西本願寺。美しい大銀杏がある
 
03/11
極鶏(京都市左京区

f:id:shige_taro:20220209061028j:plain

行列ができるお店

f:id:shige_taro:20220209061056j:plain

ほぼポタージュスープ
 またこれも京都。でも今度は中学以来の友人と一緒だった。旅好きのKとN。伏見稲荷で待ち合わせた。コロナ禍の今では信じられないほどの外国からの観光客がいた。千本鳥居をくぐって山頂まで登り、食通のNの導きで藤岡酒造に行った。彼ら2人はお酒を飲み、利き酒のようなことをしていた。下戸の私は日本酒シャーベットを食べたのだけど、アルコールがきつくて眠くなった。
 その後一乗寺で食べたのがこの極鶏のラーメン。人気店なので結構並んだと思う。鶏だくラーメンを頼んだ。スープがもうほとんどポタージュスープで、濃厚だった。ラーメンを食べているのにラーメンではないみたいで不思議な体験だった。酔っていたからか、濃すぎたのか、途中で飽きてしまった気もする。

f:id:shige_taro:20220209061713j:plain

千本鳥居

f:id:shige_taro:20220209060850j:plain

伏見稲荷の御手水

f:id:shige_taro:20220209060918j:plain

藤岡酒造

f:id:shige_taro:20220209060943j:plain

シャーベットとはいえ酒である
 
03/18
尾道ラーメン壱番館 本店(広島県尾道市

f:id:shige_taro:20220209061238j:plain

お皿がかっこいい

f:id:shige_taro:20220209061323j:plain

メニュー
 また懲りずに自転車で旅行に出かけた。前回の福井旅行の反省を活かして、今度は山道が少ないと思われる山陽に出かけることにした。国道2号線沿いにずっと行ったのだけど、結局山道はあった。ヒイヒイ良いながら県境を越えて赤穂から備前市に入った。岡山を経て尾道に着き、向島にある老夫婦のゲストハウスに泊まった。次の日は一日尾道を歩いた。大好きな作家、林芙美子のゆかりの地が至る所にあって、大きな街ではないのに歩いても歩いてもきりがなかった。坂の上から見る海が綺麗であちこちに猫がいて、自由気ままに寝そべっていた。最後に尾道ラーメンを食べた。背脂が浮いているのが尾道ラーメンの特徴らしいけれど、背脂の良さはわからなかった。あっても無くてもいいと思っている。
 ちなみにこの日は、やめたサークルの飲み会の日で、グループラインが動いていた。サークルのグループラインは「本質」と「非本質」の2つがあって、私はサークルを辞めても「非本質」からは抜けていなかった。グループラインのやりとりを見ながら、みんな休学もせず、サークルも勉強も続けていて偉いなと思った。復学したらサークルの人と学内で出くわすだろうけど、その時は後ろめたく思うのだろうと思った。
 尾道には同じ年の11月にも母親と行った。

f:id:shige_taro:20220209061846j:plain

海と坂、あるいは風琴と魚の町
 
03/21
我馬 紙屋町店(広島市中区

f:id:shige_taro:20220209062021j:plain

f:id:shige_taro:20220209062051j:plain

立派な餃子
 尾道の後は呉に行き『この世界の片隅に』の舞台の街を歩いた。また自転車を漕いで広島に着いた。広島には3日間滞在して、結構いろんな所に行った。同じゲストハウスに泊まった人と一緒に厳島神社に行ったり、おりづるタワーに登ったりした。
 我馬は、広島出身のインドネシア語専攻の後輩に教えてもらった。後輩がおすすめしてくれた焼きラーメンと餃子を頼んだ。焼きラーメンは野菜たっぷりで、細麺にスープがよく絡んでいた。見た目は皿うどんに似ているけれど味は違った。また食べたい味だ。
 ちなみに紙屋町という地名は、ズッコケ三人組に出てくる。作者の那須正幹が広島出身なのだ。紙屋町に行くと、特に路面電車で紙屋町を通る時、いつもズッコケ三人組を思い出す。

f:id:shige_taro:20220209062129j:plain

f:id:shige_taro:20220209062547j:plain

雨の厳島神社

f:id:shige_taro:20220209062612j:plain

おりづるタワーから
 
 
03/22
本格つけ麺 わかば亭(広島市中区

f:id:shige_taro:20220209062806j:plain

商店街の中にある

f:id:shige_taro:20220209062836j:plain

ネギもたっぷり
 広島には名物がたくさんある。お好み焼き、もみじ饅頭、牡蠣。あなごめしに坦々麺、ホルモン天ぷらだって忘れちゃいけない。でも広島つけ麺というのはこの時初めて聞いた。「たっぷりの茹で野菜とゴマの浮いた赤いつけ汁」が広島つけ麺の特徴らしい。写真で見る限り見た目はほとんど冷麺みたいだ。わかば亭はつけ汁の辛さを100倍まで選べるみたいで、100倍を食べきった歴代の猛者たちの名前が店内にずらりと並んでいた。普通の辛さを美味しく食べた。甘いキャベツとピリ辛の汁がよく合っていた。辛みがあるだけで、味も昔祖母がよく作ってくれた冷麺と似ていると、やっぱり思った。トイレに新聞から切り取った羽生弓弦の写真があってギョッとした。平昌オリンピックの後だった。
 広島の後はJRで尾道まで引き返し、そこからしまなみ街道を走った。大島のゲストハウスで一泊し、今治まで行った。西条市東予港からオレンジフェリーに乗って大阪に戻った。当時のオレンジフェリーのこの路線は雑魚寝で乗船できたのだけど、次の年から船が変わって、ツインかシングルの部屋を予約しなくては乗船できなくなった。24時間営業のファミレスも年々少なくなるし、貧乏旅行はますますできなくなる。世の中はそれで良いのかと思う。

f:id:shige_taro:20220209062922j:plain

トイレにこれである
 
 
04/04
麺屋 和人 天王寺北口本店(大阪市天王寺区

f:id:shige_taro:20220209063257j:plain

「わびと」と読むらしい。めいちゃんと行った。漫才劇場で漫才を見て、新世界を歩いて、最後天王寺でラーメンを食べるという大阪を満喫するような一日だった。出汁が美味しくて、あっさりしたラーメンだったと思うけど、実はあまり覚えていない。より重要なのは、めいちゃんと1日歩いて、前よりずっと仲良くなれたことである。めいちゃんが好きだという宮本輝は結局まだ読めていない。

f:id:shige_taro:20220209063324j:plain

通天閣
 
 
【今日の音楽】
 
この記事を読んだ人にオススメ

#157 ラーメンで大学生活を振り返ろう(2)

 ラーメン。東北、特に山形県のラーメンは美味しい。もちろん個人の見解である。前の記事で書いたように、大学2年目の2017年の夏に大学を休学した。半ば投げやりな気持ちで旅行に行き、その後、京丹波の農場で1月働いた。貯めたお金で免許合宿に行った。合宿所は山形県米沢市だった。関空から仙台空港に行き、仙台から仙山線で山形に入った。今回はその免許合宿中とその前後で食べたラーメンを振り返る。2018年の年始はすごく雪が降っていた。読んでいる人にその雰囲気が少しでも伝わるといいなと思う。
 
 
2018年01/22
食事処 里味(山形市

f:id:shige_taro:20220209005949j:plain

食欲をそそる色
 山形市には大学生活の間、3回行った。毎回ミンタロハットというゲストハウスに泊まる。ミンタロハットに最後に行ったのは2019年の秋だけど、またいつか戻りたい。庭があって猫がいて、まるで田舎のおじいちゃん家のような場所だ。里味には、ミンタロの常連客、まるちゃんの車に乗せられて一緒に行った。めちゃくちゃ美味しかった。ちなみにミンタロのオーナーさんがいつかの私が朝寝坊した時に出してくれたラーメンも美味しかった。私にとって山形はラーメン王国だ。

f:id:shige_taro:20220209010030j:plain

まるちゃん、車に乗せてくれてありがとう
 
 
01/22〜02/05
米沢ドライビングスクール(山形県米沢市

f:id:shige_taro:20220209010126j:plain

味噌ラーメン

f:id:shige_taro:20220209010156j:plain

餃子ラーメン
 里味でご飯を食べた後で、まるちゃんが山形駅まで送ってくれた。「また会おうね」と言って実際また会うことになった。食通のまるちゃんに大阪の美味しいお店もいくつか教えてもらった。
 奥羽本線を南下して1時間ほどで米沢。駅前のロータリーに小さなバスが停まっていて、「米沢ドライビングスクール」と書いた紙を持って男の人が立っている。挨拶してそれに乗り込む。昨日の朝までいた仙台は全く雪が降っていなかったのに、米沢は何から何まで白色だった。こんな場所で運転なんてできるのだろうかと不安になった。実際路上教習では、路面に書かれた標示は読めなかったし、雪のせいで車線もあってないようなものだった。全部助手席の教官に従った。ホテルで出る食事が全部美味しかった。ご飯がおかわりできたので、朝たらふく食べるために早起きしていたほどだった。土曜日には米沢牛まで出た。
 美味しいのはドライビングスクールでの昼ご飯も同じだった。教習を終えて友達と食堂に行きご飯を食べる。ただそれだけなのに楽しかった。だんだん友達もできた。ミートスパや豚の角煮丼など、美味しかったご飯はたくさんあるのだけれど、合宿が始まった頃に出た味噌ラーメンが優しい味で美味しかったのが忘れられない。それから揚げ餃子の載ったラーメンが出てきたこともあって、それも忘れられない。ワンタンメンの派生だと思うけれど、関西ではワンタンメン自体があまりメジャーでないのでびっくりした。

f:id:shige_taro:20220209013518j:plain

ホテルで出してもらった米沢牛
 
 
01/28
赤湯ラーメン 龍上海本店(山形県南陽市

f:id:shige_taro:20220209010553j:plain

モチモチの縮れ麺

f:id:shige_taro:20220209010734j:plain

外観
 相部屋だった。3人部屋で、他の2人とも東京の大学だった。一人は東京外大の中国語の人で、同じ外国語学部ということで盛り上がった。4年生の彼は銀行に就職が決まっていて、後は卒業だけだった。彼はラーメン好きで、ラーメンについての本を持ってきていた。ラーメンの食材で最も手間がかかるのがメンマだと教えてもらった。米沢にいる間はラーメンを食べたは彼に報告していたと思う。時々ラーメンを食べながら彼のことを思い出す。
 教習のない日曜日に、彼と赤湯までラーメンを食べに行った。赤湯のある南陽市は小さな市なのだけれど、人口と比べるとラーメン屋の数がとても多いらしい。駅にはラーメンの写真がたくさんあって、ラーメンで町おこしをしているようだった。龍上海は、商標登録にもなっている、からみそラーメンが有名で、麺はうどんのようにもちもちした縮れ麺。でも、赤湯や南陽市一帯の他のラーメンも同じ味というわけでもないらしい。同じ地域にたくさんの味があるというのは面白い。
 龍上海のラーメンを食べた後で、別のラーメン屋に行く彼とは別れ、赤湯温泉に行った。入湯料が100円でびっくりした。地元の雪焼けしたおじさんが、私にはわからない言葉で話していた。硫黄臭が強いお風呂だったけれど、人生で初めて湯の花を見つけて、一人で感動していた。雪道を歩いて帰った。
 ちなみに南陽市というのは、元々あった地名ではなく「南陽の菊水」という中国の故事に基づいて名付けられたらしい。それもあって、中国の南陽市姉妹都市協定を結んでいる。

f:id:shige_taro:20220209010636j:plain

赤湯駅

f:id:shige_taro:20220209011122j:plain

銭湯
 
01/30
支那そば 熊文(山形県米沢市

f:id:shige_taro:20220209011556j:plain

市街の中でも少し北の方にある

f:id:shige_taro:20220209011626j:plain

スープが絶品
 指導教官は高橋さんという人だった。大人の男の人と一緒に車に乗るなんて緊張した。でも仮免が取れて雪まみれの市内を走る頃には慣れてきて、世間話をするようになった。
「ここら辺で高橋さんのオススメのラーメン屋さんありますか?」
「あっさりか? こってりか?」
「あっさりの方が好きですね」
「なら、くまぶんは美味しいぞ」
「くまぶん、くまぶんってどういう意味ですか?」
また新しい置賜弁の言葉が出てきたのかと思ったのだけど、なんてことはない。「熊文」という名前のラーメン屋が市内にあるのだった。
次の日は朝と夕方に教習があって、お昼は時間があったので、お昼を熊文で食べた。スープがびっくりするくらい美味しくて、気がつくと全部飲んでいた。米沢で多いと言う縮れ麺もよかった。
 まだ時間があったので、戻ったドライビングスクールでもお昼を食べた。その日の献立は餃子ラーメンだった。それも美味しかった。夕方の教習で熊文に行ったことを話すと「もう食べてきたのか。早いなあ」と高橋さんは驚いていた。
 高橋さんとの思い出はいくつかあって、前のパソコンにもいくつか下書きがあるのだけど、結局書ききれないままでいる。除雪車は路面に積もった雪を路肩に積み上げていくのだけど、車があまり通らない道はどこも真っ白で、どこまでが路面に積もった雪で、どこからが路肩なのかわからないのだ。銀世界と言えばロマンチックだけど、ハンドルを握る私の心の中は恐怖と不安でいっぱいだった。おっかなびっくり走ってる私は「もっと、スピード出す!」と高橋さんに言われ、泣きそうになりながら走った。2コマ続けての路上教習だったので、その後市内に戻って、上杉神社の駐車場で休憩した。高橋さんは自販機のコーヒーを奢ってくれて、私は生き返った。雪国で生きる人はすごいと、雪道を全く知らない阪神間出身の学生は思った。

f:id:shige_taro:20220209012312j:plain

雪の上杉神社

f:id:shige_taro:20220209012404j:plain

上杉鷹山公以外の像は雪のせいで誰が誰やら判明できなかった
 
02/02
福留軒(山形県米沢市

f:id:shige_taro:20220209012539j:plain

ワンタンの美しさよ

f:id:shige_taro:20220209012633j:plain

外観
 ここも教習の合間を縫って行った。私は旅行中とにかく歩くのだけど、この時はとにかく雪道を歩くのが楽しくてずっと歩いていた。信号が縦向きだとか、針葉樹が多いとか、雪の降る昼の空が明るくも暗くもなくなんだか物悲しいとか、たくさん発見があった。米沢ドライビングスクールは最上川沿いにあるのだけれど、河原は雪ばかりで、果たしてどれくらい大きいのかわからなかった。やはり雪の解ける春には水量が増えるのだろうかなどと考えていた。「モーゼスレイク通り」という名前の東西に抜ける通りがあって、「変な名前だなあ」と思っていた。モーゼスレイクという名前のアメリカの街と姉妹都市協定を結んでいることに由来するらしい。ということはアメリカのどこかに「米沢通り」があるのか。
「初めての方はワンタンメンをお食べください」とメニューに書いているので迷わずそれにする。優柔不断なので助かる。「極薄の皮で包んだワンタンと中太の縮れ麺が半々に入っている」というようなことが書いていた。本当に極薄ふわふわのワンタンでびっくりした。関西ではワンタンメンをほとんど食べたことがなかったので挽肉の美味しさや皮の薄さに感動しているうちに食べきっていた。小さいお店だけれど、竹を使った椅子や雪見障子があって、優しい雰囲気だった。

f:id:shige_taro:20220209012015j:plain

モーゼスレイク通り

f:id:shige_taro:20220209012703j:plain

ドライビングスクールから橋を渡るとすぐ市役所があった

f:id:shige_taro:20220209013918j:plain

米沢駅
 
02/05
麺屋くさび 郡山本店(福島県郡山市

f:id:shige_taro:20220209012849j:plain

ツバメノートをずっと持ち歩いていた

 免許合宿が終わる時は変な感じだった。試験に合格した人の番号がロビーの画面に出て、友達と喜んだ。大学の合格発表みたいだったけれど、ほとんどが合格しているところが違った。ホテルとドライビングスクールを何度も往復したバスに乗って駅に向かった。同室の2人は私より遅く来たのでまだ残りがあった。友達の1人は銀山温泉に向かい、残りの友達は新幹線で帰っていった。私は郡山に出て、そこから夜行バスで帰ることにしていた。電車の時刻が来て、バイバイをして、ホームに向かった。郡山は全然雪が降ってなくて拍子抜けした。

 市街の西にある開成山公園というところまで歩いた。別に意味もなく歩いたけれど、おしゃれな古着屋があったりガソリンスタンドの跡地に違う店が入っていたりして、楽しかった。公園には「開拓者の群像」という名のシンボルがあって、その説明書きによって、安積疏水の工事に代表される明治期の開拓で郡山は発展したことを初めてを知った。開拓のために集められた各地の士族をまとめるために、開成山大神宮が設置されたらしい。
 またとぼとぼと歩いて駅前のラーメン屋に入った。やっぱり縮れ麺が美味しかった。色々と考えていることや楽しかった思い出をどうやってノートに書こうと思っていた。バスまで時間があったからラーメンの後ミスドに入ってずっとノートを書いた。

f:id:shige_taro:20220209013108j:plain

開成山公園。桜の名所でもあるらしい

f:id:shige_taro:20220209014745j:plain

開拓者の群像。少しソ連っぽい

f:id:shige_taro:20220209013152j:plain

元々ガソリンスタンドだったと思われるお店

f:id:shige_taro:20220209015809j:plain

この頃のミスドは鎧塚シェフとコラボしていた

f:id:shige_taro:20220209013249j:plain

夜行バスに乗る時はいつも心が揺れる

 

 
【今日の音楽】
 
この記事を読んだ人にオススメ
ぜひシェアしてください。よろしくお願いします。

#156 ラーメンで大学生活を振り返ろう(1)

 ラーメン。国民食なのかどうかは正直わからない。カレーの方がメジャーだと思う。昔から我が家ではあまりラーメンは食べなかった。家の前に雑誌で取り上げられるようなラーメン屋さんがあるけれど、店主が無愛想だったり、食べ方や箸の持ち方にあーだこーだうるさかったりするので嫌いだった。鍋の最後に入れるしめのラーメンが、長らく、私にとっての唯一のラーメンだった。大学生になると少しずつラーメンを食べるようになった。ラーメンを食べることが友達と会う理由になったりするようになった。国内を旅行していても、ラーメンはどこでも安く食べられる。場所によって少しずつラーメンの文化が違うのは面白い。
 今回はラーメンと共に大学生活を振り返る。といってもGoogleフォトから写真を引っ張ってきて、思い出を書くだけなので、味については食べログなどを参考にしてほしい。
 最初のきりん寺と三豊麺は何度もリピートしたけれど、それ以外は旅先で行ったお店である。
 
2016年〜

きりん寺 阪大前店

f:id:shige_taro:20220207001419j:plain

かき混ぜて食べます

 在学中の阪大生なら多分ほとんどの人が知っていると思う。豊中キャンパスを石橋方面へ降りた坂の下にあるお店。油そばが看板メニューで、油そば以外を食べた記憶がない。阪大坂下のお店は在学中に、いくつか入れ替わった。不動産屋のところに別のお店が入ったり、バナナジュースの店ができたり、家系のラーメンができたりした。その中できりん寺は6年間ずっとあった。味や量が変わった気もするけれど、それをわかるほど通い詰めたわけではない。

 汁のない麺に酢と油を注いで混ぜて食べるのだけれど、パンチがあって結構美味しい。けれどコンディションによっては途中で飽きが来たりもする。「冷めちゃえば美味しく無くなる」とは友人ゴビゴビ砂漠の弁。
 22歳を超えると食べるのがしんどくなって、次第に行かなくなった。大学2年目まで所属していたサークルの人とよく行った気がする。
 
 
三豊麺 十三店

f:id:shige_taro:20220207001530j:plain

十三の夜はテカテカしてます

f:id:shige_taro:20220207001648j:plain

昔は追加料金なしで900gまで増量できました
 これも、大学在学中に何度も行った店。安くたくさんつけ麺を食べたい時、よく三豊麺に行く。全粒粉の茶色い麺と、魚介系のスープが美味しい。全部忘れてひたすら食べるのが良い。きりん寺もそうなのだけど、貧乏性なので、麺の量を無料で増やすことができるお店をリピートする傾向にある。昔は900gまで麺の量を増やせたと思うけれど、今は750gまでしか増やせない。不況なのかなと思う。でもお店で働いている技能実習生のように見える人たちが、正しい額のお給料を受け取っているのかどうか気になってもいる。
 浪人時代の友達に教えてもらったお店だけど、サークルを辞めるときに後輩と一緒に行ったり、卒論執筆で追い込まれている時にスープを飲んで落ち着いたり、色々思い出があるお店。落ち込んだ時によく救ってもらった。多分卒業しても行く。
 きりん寺と三豊麺には大学生活を通じて何回も行った。
 
 
2017年〜
8/17

一風堂 博多駅

f:id:shige_taro:20220207001825j:plain

f:id:shige_taro:20220207001848j:plain

これを食べながら自分は何を考えていたのだろう

 サークルの後輩と行った。災害ボランティアの帰りだった。大分の日田市や福岡の朝倉市などで被害が出た、平成29年7月の九州北部豪雨。夜行バスで博多駅まで行って、バスに乗り、朝倉市に行った。NPOの拠点に入って、3日ぐらい滞在して、泥をひたすら運んだ。骨組みだけになったビニールハウス、ところどころ禿げた山、何もかける言葉がなくてもどかしい気持ち。悔しいなあと思い、もっと色々なところに行きたいと思い、シャベルや一輪車で土を運ぶという単純作業なのいに頭はフル回転だった。夜も寝れなくて、ボランティアが雑魚寝する部屋で、天井を見ながら大学を休学しようと決めた。割とショッキングな事件だった。悶々と考えていたけれど、もっと考えていることを周りに言えていればよかったなと思う。

 朝倉から博多に戻って、駅ビルの一風堂で、野菜が多いラーメンを食べた。疲れた体に熱いスープが美味しかったけれど、少し味が濃いと思った気がする。この年の暮れに、高校時代の友達と梅田で初めて一蘭のラーメンを食べたけれど、お腹を壊してしまったし、2年後の北九州で食べたラーメンも美味しくなかったので、多分豚骨との相性は悪い。
 
 
11/06
我流麺舞 飛燕(札幌市豊平区)

f:id:shige_taro:20220207002146j:plain

f:id:shige_taro:20220207002245j:plain

 休学して北海道に行った。初めて北の大地。初めての新千歳空港。ずっとワクワクしていた。白樺の風景も人工的な街も、全てが真新しかった。駅ビルで最初に食べた味噌ラーメンが私には味が濃すぎたので、もっぱらスープカレーを食べていた。ジンギスカンは高すぎたし一人で食べる気にならなかったので食べていない。
 札幌には3日間いた。2日目はレンタサイクルでモエレ沼公園に行ったり、豊平川沿いを走ったり、道立文学館でチェーホフの展示を見たりした。その時にお昼を飛燕のラーメンにした。鶏白湯だったと思う。味噌ラーメンの本拠地で鶏白湯を食べるのは変な感じだなと思ったけれど、とても美味しかった。2種類のチャーシューがあって、鶏胸肉のものが美味しかった。また行きたい。やや行きにくい場所にあるけれど、豊平川沿いはいい道だったし。
 
11/09
麺房大喜(仙台市太白区

f:id:shige_taro:20220207002628j:plain

長町のIKEA

f:id:shige_taro:20220207002649j:plain

ワンタンメンは関西ではメジャーじゃない気がする
 札幌に3日いた後、苫小牧からフェリーに乗って仙台に行った。鹽竈神社に行き、友達と会った。友達の部屋で起きた後は、ヒッチハイクで関西まで帰るつもりだった。車を拾うため、拾ってもらうために、長町インターの近くまで行き、ネットで調べた場所に4時間ぐらい立ったけれど車は捕まらなかった。寒い日で、雪も降ってきて、だんだんと心が折れてきた。辛くなったところで、近くにあったラーメンに入った。それが大喜で、塩ワンタンメンを食べた。あんまり味は覚えていなくて、ただただホッとしたことを覚えている。ヒッチハイクは、結局いわきまでしか行けなかった。車に乗せてくれた人は東京電力の社員で、その人と一緒に常磐自動車道を南下した。まだ戻ることのできない土地が道の両側に広がっていた。
 関西に戻る夜行バスは郡山からしか出ていないので、いわき駅から郡山まで高速バスで移動し、そこから夜行バスで関西に帰った。余計に疲れた。

f:id:shige_taro:20220207002732j:plain

常磐道から
 
11/24
麺屋勝木(福井県越前市

f:id:shige_taro:20220207002839j:plain

赤とか白とかキラキラして綺麗だなと思いながら食べた
 友達の住む福井まで自転車で走ろう。そんな風に考えた自分は馬鹿だったし若かった。200㎞程度なら1日で行けるだろうとも思っていた。やはりお馬鹿だった。実際は琵琶湖で雨に打たれて動けなくなりゲストハウスに駆け込み、次の日は山道だった。芥川の「芋粥」に出てくるであろう琵琶湖のほとりの高島を越えて、敦賀についてもまだ山道があった。国道8号の山道を走って越前に着くと、福井までは平地だった。落ち着いたところでゆっくりとラーメンを食べた。やはり鶏白湯で、水菜が入っているのがユニークで美味しかった。その後はいわさきちひろの生家に行き、大学の先輩の母校に寄り、福井で銭湯に入った。福井の銭湯の爺さん達は「福井なんて来ても何もないから、金沢まで行きなさい」と言ったけれどもう走れなかった。友人を訪ねて何回か福井に行ったけれど、福井はいつも雨が降っている気がする。

f:id:shige_taro:20220207002939j:plain

サークルの先輩がいた街

f:id:shige_taro:20220207003009j:plain

帰りは電車で帰った
 
【今日の音楽】

youtu.be

 

 

この記事を読んだ人にオススメ
 
よかったらシェアしてください。よろしくお願いします。

【お知らせ】

知り合いがやっているフラスコ飯店というwebマガジンに、記事を書きました。

大好きな映画『スタンド・バイ・ミー』に影響を受けた男の子が、青春時代を通じて友達を探す話です。ぜひ読んでみてください。 よかったら感想とかもください。


コロナ禍ですが、頑張りすぎずぼちぼちやっていきましょう。

frasco-htn.com

#155 2月と3月は、人間が好きになる。

 

f:id:shige_taro:20220205014839j:plain


 どう考えても人間が好きなのだと思う。生きる意味とか、やりたいこととか、そういうのは明確にはわかっていないし、これから理解できるのかも未知数だけど、人間が好きだということは変わらないと思う。人間が好きで、それだから生きているとまで思う。もちろん苦手な人も嫌いな人もいる。好きな人の中にも嫌いな面がある。それさえも大きく含んで、人間が好きだ。それはきっと、卒業を控えたこの時期だから思うことなのだろう。事故で入院していた去年の7月や、大学に行けなかった
2018年には、きっと思っていなかったことだろう。2月だから、3月だから、心がぶらぶらする。できるだけ多くの人と喋りたいとまで思う。日本全国すべてのまちを回って、全ての道を歩いて全ての人と会いたい。ちびっ子と共に公園で遊んで、お婆さんやお爺さんの昔話を聴きたいと思う。将来に対して、なんとなくの見通しができて、卒業もまだ確定じゃないけど近いところまでこれて、すこし自信もついた。だからそんな風に思うのだろう。卒業が近づいたからといってこんな風に「人間が好きだ」とタイトルに書いてしまうのは、不安定な自分を如実に表している気もする。でもいいや。今は人間が好きです。それは嘘じゃない。

f:id:shige_taro:20220205015746j:plain

ビルに隠れて新キャンパスからは夕陽が見れない

 毎年、卒業シーズンになると心が揺れる。「エモく」なる。なんと言えばいいかわからないからこの言葉を使うけれど、他に言いようがない。小学校を卒業して地元を離れる時、考えていたのは、もっと色んなことをしたかったということ。大好きな映画『スタンド・バイ・ミー』の最後のシーンに「あの12歳の時のような友達はもうできない」という言葉がある。映画の中の4人の少年の物語を半ば崇拝していた私は、いつからか「親友は12歳になるまで作らないといけない」と思い込んでいた。小学校を卒業するまでに親友を見つけないといけなかったし、たくさん思い出を作らないといけなかった。死体を探しに線路を伝って森の中を歩くとかはできなくても、秘密基地で遊ぶとか、自転車で隣の町まで走るとか、そういうことをしたかった。でもできなかった。

 ずっとそうだ。夏休みの終わりになって「もっと遊びたかった」と思うし、バイト先の人が辞める時は「もっと話したかった」と思う。今も卒業の時期になって「もっとたくさんの人と話したかった」と思っている。思えば、中学受験の勉強を始めた小学校の高学年以降ずっと忙しかったような気がする。中学時代は塾と学校の勉強。勉強から一旦解放された高校時代も、今度は部活で忙しかった。浪人はひたすら勉強で、大学生になってからもサークルとか勉強とかバイトで忙しかった。私の人生、忙しいことだらけだ。単に要領が悪いと言われればそれまでだし、何も反論できないけれど。他の人もそんなに変わらないと思う。

f:id:shige_taro:20220205015215j:plain

大学生協。よくビスケットを買った

 時々立ち止まって考える。この忙しさに何の意味があるのだろうかと。私を忙しくさせている目の前の課題、勉強、人間関係。どれもそれほど大きな意味は持っていないように思える。なのに、取るに足らないようなそれらが私を急き立てる。不思議だ。この宿題の提出が遅れたとして、何が変わるのだろう。今日予備校に行かなかったとして、何かが変わるのだろうか。きっと大きくは変わりやしない。

 でも、今日の授業に出たら、先生が何か素敵なことを教えてくれるかもしれない。誰かがとってもおしゃれな服を着てくるかもしれない。友達が面白い話題を持ってくるかもしれない。そういうのがあるなら授業に出たい。学校に行って、何か新しい今日の出来事を探したい。外に出ることで、何かが生まれるかもしれない。今日友達と話すことが、その先のことに繋がるかもしれない。それなら着替えて部屋を出ないと。こんな風に考えるなんて、ロマンチストだなあと笑う人もいるかもしれない。でも私はだいたいこんな風な考え方をしている。そうでも考えないと毎日つまらなすぎる。

f:id:shige_taro:20220205015507j:plain

キャンパス間移動バス。いろんな話が聞こえる

 コロナ禍ということもあると思う。2020年の春からこっち、人と会えること自体が貴重になった。この2年間今まで以上に「一期一会」という言葉を意識した。もちろん、全ての場面を大事にできたわけではない。ひどいやり方で物事を投げ出したりもしたし、精神的に不安定になって引きこもったりもした。何もしない「無の一週間」があったりした。謝りたいこともたくさんある。この2年、次にいつ会えるかわからないようなことが増えた。最初はCOVID19の感染力と強さがどのようなものなのかわからなかった。これから先も、もっと強い変異株が生まれる可能性だってある。移動もしにくいし、会食もしにくい。そうなると会う用事が無くなる。今まで「今度、ご飯一緒にたべよう!」とメッセージを送っていたのが、何と言えばいいのかわからなくなる。

f:id:shige_taro:20220205014941j:plain

「段々、人に会うのはエナジーが必要になってくるよな」

高校時代の部活のチームメイトがこんなことを言った。久しぶりに会って、西北のサイゼリヤで話していた。2021年の春休み。医学部の彼は、卒業のタイミングで私に会ってくれた。「集まろうと思えば、頑張れば、みんな集まることはできる」と言う彼は、その言葉通りに部活の面々を集めた。人望があるのだ。エアビで見つけた東京スカイツリーのふもとの部屋で、みんなで騒いで、お菓子を食べて銭湯に行って寝た。次に会えるのはいつだかわからないけれど、会える時に会わないといけないと思った。もしかしたら、大人になったらそんなことばかりなのかもしれない。大人は、他の人は、そういうことにどうやって区切りをつけているのだろう。

 正月やらお盆やらは、人と人がまた顔を合わせる理由にうってつけだと思う。法事や結婚式もそう。お葬式にまでそういう側面がある。医学部の彼は今度結婚する。同じ部活の面々は招待されると思う。また彼らと会う理由ができる。でもその次に会うのはいつになるだろう。もしかしたら、次の誰かの結婚式まで待たないといけないかもしれない。そうやってみんなと少しづつ離れていく。高校時代、あんなに近くにいたのに。

f:id:shige_taro:20220205015056j:plain

 6年いた大学を卒業する。正確には卒業する見込み。最後の授業があって、別れる。ロシア語専攻というちっぽけな枠。その枠内にいたというだけで一緒にいた人たち。彼ら一人ひとりの人生と私の人生が重なり、また離れていく。ずっと一緒にいる人なんてそうそういない。そんなこともうわかっている。なのに、卒業によって、彼らとの関係性が、切れてしまわないにしても薄くなってしまうのが、惜しいとさえ思ってしまう。そこまで思うなら、卒業までにもっと仲良くなっておけば良かったじゃん、そんな風に言うもう一人の自分。でもこの時期だからこそ、もっと人と話したくなる。私も結局、卒業を理由にして、人と会っている。卒業を理由にして人と会う方が、使うエナジーは少なくて済むから。

f:id:shige_taro:20220205015329j:plain

新キャンパス近くの団地

 会わなくとも、一緒にいられる方法はないのだろうかと時々思う。きっとSNSはその一つで、Twitterでは誰かのつぶやきに共感できるし、昔の友達が何をして何を考えているのか瞬時に知れる。Instagramでは彼らの旅行や食べているごはんについて知れる。FBでは誰かの頑張りを知れる。すごいことだと思う。でもだからといってインスタもTwitterも毎日もりもり投稿しようとはならない。

 私は文章の力を信じているから、この文章が——あるいはこのブログが——誰かのそばにあって、誰かの力になればいいなと思う。これがポジティブな感情かどうかはちょっと微妙だ。想いが強い元恋人みたいに、誰かの心の中に棲みつきたいと思うわけではない。ただ少しの間一緒にいたいだけだ。読む人が、一瞬だけあの頃に戻って、少しだけ安心できる、そんな文章を書きたい。文章の中に自分を落とし込むことができるとすれば、誰かが私の文章を読む時、少しの時間だけ私はその人と一緒にいることができる。本気でそう思っているので、私はやはりロマンチックすぎるかもしれない。

f:id:shige_taro:20220205015125j:plain

年末に行った淡路島の植物園

 

 

【今日の音楽】

youtu.be

 

 

この記事を読んだ人にオススメ

shige-taro.hatenablog.com

shige-taro.hatenablog.com

shige-taro.hatenablog.com

shige-taro.hatenablog.com