今年の桜は早かった。3月中旬から1週間ぐらい自転車旅行をしたけれど、私が広島にいた22日にもう開花宣言があった。広島冷麺を食べながら店のテレビでそんな地元のニュースをみた。
それから1週間もたたないうちに関西の桜も満開になった。京都の高野川も見ごろになって観光客でにぎわっていた。高校の同級生で集まって川沿いを歩いた。お互いの近況を話して、時事問題をあーだこーだと話して、友達の一人の下宿でご飯を食べた。みんなちょっとずつ変わっていた。たぶんこれが成長なのだろう。それでも時々、高校時代の顔がきらりと覗いてなんか懐かしい気持ちになった。それが3月の29日。幸せだった。
次の日、桜がきれいだったから久しぶりに家の周りを歩いた。川沿いを歩いて浜まで出て、海を見ながらぼーっとした。川沿いの公園は桜の名所として知られていて、花見に来ている人でにぎやかだった。海まで行くと風が強くなった。パーカーがぱたぱたと音を立てていた。堤防の上に座って、幸田文の「おとうと」の続きを読もうとしたけど風でページがめくれるからやめた。
地元を歩くのは久しぶりだったからいろいろ思い出した。
昔から川沿いを歩いたり自転車で走るのが大好きだった。川沿いの図書館で本を借りて、高揚感とともに夕暮れの中を自転車で帰るのだった。
転入してきた時から学校になじめなかった。友達とどう遊べばいいのかわからなかったから干潟の浜で石をひっくり返したりしていた。石の下にはカニやらヤドカリやらがたくさんいて楽しかった。河口で石を並べてダムを作るのに熱中した時期もあった。その時期は浜辺に行くたびに石を運んで水の流れをせき止めようとしていた。
案外一人でも楽しかった。少子化の時代に育ったからか、私は一人遊びができる子供だった。
去年、おととしと同じように今年も川沿いでは桜が咲き、花びらは川面を流れていく。川辺に集まったり、水面から顔を出した岩にへばりついたりしながら次第に下流の方へと流れてゆき、海に出る。段々と私たちの目には見えなくなってしまう。あんなにたくさんの木にたくさんの花が咲いていたのに、花びらは風に散ってどこかへ行ってしまう。不思議だ。
私が高校を出た時だったと思う。家族で夜桜を観に行ったことがある。二人の従兄弟もそれぞれ中学、小学校を卒業してみんなが落ち着いた時だった。自分もなんとなく心の区切りがついたころだった。
どうしてだったかその日はおばあちゃんが我が家に来ていて、近くに住む私の従兄弟の家族と集まって三世代で王将に行った。中華をたらふく食べたのだ。大食漢ばかりだからそうするのが安上がりなのだった。
帰り、誰かが「夜桜を観にいこう」と言いだして、家族みんなで川沿いの道を歩いた。昼間はあんなに人がいたのに夜は誰もいなくなっていた。何を話したのかまでは覚えていないけれど、幸せだなと思っていた。従兄弟たちは部活や新しい生活に目をキラキラさせていた。私も予備校が少しだけ楽しみだった。新しい季節がもう始まっていた。
みんながばらばらに海まで歩いて、また川沿いを歩いて帰った。おばあちゃんは「疲れるから」といって自分の靴を履かずに私のスリッポンをはいていた。
帰り道少しだけセンチメンタルな気分になった。おばあちゃんの病気の進行が進んだころだった。
去年、桜が咲く前におばあちゃんは死んだ。その後に咲いて散った桜がどうだったかは覚えていない。長い間私は落ち込んでいた。
もう4月も終わりにさしかかっている。桜はとうに散って花びらは見えないところに行ってしまった。おばあちゃんもまた見えなくなった。どこへ行ったのだろうと思う。