シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#170 ミスドで大学生活を振り返ろう(2)神戸編

 大学生になったらスタバに行こう。そう思ってはいたものの、大学時代も、高校時代と同じくミスドに入り浸っていた。スタバの方がおしゃれなイメージがあるけれど、おしゃれ過ぎる感じがしたり、大人が使う場所という感じがあって、結局私はミスドから卒業できずに居座り続けている。
 
 
JR住吉ショップ(ショップNo.0614)

 2018年末から19年の年始にかけて心療内科に通っていた。精神科医の先生は「君は大丈夫だよ」と最初の診察で言ってのけた。その時に受けた悪い印象を私はずっと引きずってしまい、最後まで先生との会話は噛み合わなかった。自信の無い時、私は相手の第一印象を最後まで引きずる傾向にあるようだ。
 2回目以降はほとんどカウンセラーの人と話した。自分としては病気だと思っていたし、少なくとも何かしら自分を定義してくれる言葉が欲しかった。何かしらの定義があれば少しは心が軽くなる気がしていた。そんなわけないのに。「理解してくれ!」って叫びながら、目に入る全てのドアをノックしては、拒絶されるような感じだった。
 その心療内科の最寄りがJR住吉で、カウンセリングの後によくここでコーヒーを飲んでいた。大きな窓があって、街を歩く人が見えるのだけれど、目に映る人全員が、人生がうまく行っているように感じられて嫌になった。本を読んでノートを書いていた。あんまり覚えていないけど、当時のノートはまだ残っている。読んでみたい気持ちはあるけれど、落ち込みそうなので今じゃなくていいやと思う。

 阪急御影から弓弦羽神社を通ってカウンセリングを受け、最後にJR住吉のミスドでコーヒーを飲みながらノートを書くというのが診察日の流れだった。散歩するにはいい場所なのだけど、憂鬱だった。雲ばかり見て、晴れ間を見ず、人生は曇り空だと思っていた。


 
 
三宮本通りショップ(ショップNo.0961)

三宮駅

古き良きミスドの象徴とも言える黄色のトレイ
 ミスドの多くのショップで内装がリニューアルされて、トイレや壁のデザインが新しくなったりしているのだけれど、ここは「古き良きミスド」という感じの雰囲気があって大好きな店である。再開発が進んで古い場所が消えている三宮にあって、昔風のミスドがあるのはなんだか嬉しくて、三宮を歩くときは意味もなく店の前を通ったりする。アーケードのある商店街に面していて、窓から日光が差さないので、冬は昼間でも暗くて寒い。2階の窓から商店街を見下ろせるのだけれど、それが結構好きで、よく人間観察をした。おしゃれな神戸の街でも、このミスドに集って話している人には、高級な感じもおしゃれな感じもあまりなくて、居心地が良かった。

中華街
 大学に入ってから三宮に行く機会は増えた。留学生や神戸以外の出身の人に街を案内したりしたし、通っていたドキュメンタリー映像の塾も元町だった。本当に素敵な街だ。神戸港で風に吹かれながら海を眺めるのも好きだし、ロープウェイで布引のハーブ園まで行くのも好き。坂を登って洋館がある地区に行くのも楽しい。新開地から湊川公園までの道も好きだ。神戸は一つの街にいろんな側面があって、飽きない。大学時代、何度も行って、どの都度思い出ができた。ゴビゴビ砂漠と一緒に県立美術館から三宮まで歩いたこととか、アッペンと春日野道のくら寿司で食べたこととか、エジプト人の留学生と一緒に神戸モスクに入ったとか、本当に思い出がたくさん。どれも大切な思い出だ。
 三宮本通りのミスドは少しJRや阪急の駅から離れていて、具体的に誰と行ったという思い出はないけれど、私にとって大事な場所だ。駅前はこれから再開発されるらしい。街の風景もこれから少しずつ変わるのだろうけれど、ミスドは残って欲しいなと思う。

ポートタワーの上から

相楽園

布引ハーブ園
 
 
 
新長田ショップ(ショップNo.0251)

 後輩のAと行った。私が「子どもの頃遠足で行った須磨水族館に行ってみよう!」と言い出して、本当に行った。須磨水族館は、リゾート施設を併設させる計画があってその時も工事をしていた。何だか嫌な感じがした。須磨の海水浴場の人気がどれだけあったとしても、夏場以外に人が来るとは思えないし、失敗に終わる計画な気がしている。イルカのプールがなくなっていて、ペンギンが屋上で飼育されていた。小さい時に私が感銘を受けた「アマゾン館」という施設がなくなっていて、ピラルクやピラニア、ヤドクトカゲやヘビがいなくなっていた。ほとんど誰にも言ってないけれど、私が初めて文学賞に出した作品は動物園の爬虫類館が舞台で、モデルはアマゾン館だった。飼育員がヘビを逃すという『ハリーポッターと賢者の石』の序盤と同じ話だった。

 2020年に落ち込んだ時期、動物の動画ばかり見ていた。「The Dodo」というYouTubeチャンネルにある人間と動物の動画ばかり見ていたので、必然的に動物園や水族館に出かけるようになった。いつかどこかでダイビングしたいと思うようになったし、草原の広がる場所で保護いた動物と一緒に過ごす老後もいいなあと思うようになった。

神戸は商店街が多いから歩くのが楽しい
 スマスイ(須磨水族館のこと)からはぶらぶら歩いて、駒ヶ林ブックオフでダラダラ本を見た。それから新長田まで歩いて、ミスドでコーヒーを飲んで解散。Aは留学に行く前で、私は大学院の試験結果を待ちながらやきもきしている時期だった。毎日の愚痴を言って解散した。「コーヒーをおかわりできるの最高ですよね」ってしきりに後輩は言っていた。私は大学を卒業してしまったけれど、今でも時々電話する。

ブックオフでは伊坂幸太郎を買った
 
【今日の音楽】
 
この記事を読んだ人にオススメ
シェアしてください。よろしくお願いします。

#169 ミスドで大学生活を振り返ろう(1)西宮・川西・尼崎編

 ミスドが好きだ。大学時代、家で作業をするということが苦手だった私は、よくミスドに出かけて宿題をしていた。外に行くのが嫌で家で引きこもっていた頃も、大学に行くのが無理でもミスドには行けた。待ち合わせに使ったミスド、コーヒーを飲みながら友達と話したこと、一人でドーナツを食べながら考えたこと。大学時代に行ったミスドのこと、そういうのを文章にすれば、自ずと自分の学生時代が浮き上がる、そんな気がしてこの文章を書いている。

 

 
 
JR西宮ショップ(ショップNo.0861)

 厳密に言えば、この店に関する物語は高校生の時代から始まる。大学生になってもこのお店にはよく来たけれど、大事な事件は全て大学時代以前に起きた。
 
 受験生になって、カフェで勉強することを覚えた私は、友人Mに連れられてよくこのショップで勉強をしていた。ブラックコーヒーを飲めるようになったのはここ。Mとは一緒に勉強した、色々と話したおかげで仲良しになった。受験生の時のノートがまだ残っている。当時私が気になっていたらしいのは、ポーランドの歴史、ドイツの歴史、ユダヤ人の歴史。受験生の私は英語と世界史を一緒に勉強しようとしていた。世界史について書かれた英語の記事を印刷してそこに書かれた英語を逐一調べてノートに貼る。そういう勉強をしていた。
 
 勉強する気になれない日々だった。毎日現実逃避ばかり。本を読んだり映画を観たりしていた。本屋で一日中立ち読みしていた日もあったし、定期券でタダになる範囲で、電車に乗れるだけ乗ったこともあった。知らない街の知らない風景をみて「勉強しないとなあ」と思うのだけど、いざ机に座ると何もしたくなくなるのだった。

閉店時間までいることがざらだった
 毎晩不安で眠れなくて、NHKのドキュメンタリーをよく観ていた。ある時、第二次世界大戦中のワルシャワ蜂起のドキュメンタリーが放送されていた。ポーランドが気になり始めた私は、次にエイドリアン・ブロディが主演の『戦場のピアニスト』を観て、東ヨーロッパに行きたいと思うようになった。中央アジアを旅行しているバックパッカーのブログもよく読んでいた。私はダラダラと18歳の1年間を終えて、浪人ののち外国語学部のロシア語専攻に進むのだけど、JR西宮のミスドに入り浸っていた頃に、中央アジアと東ヨーロッパに興味を持たなかったら、ロシア語を勉強しようとは思わなかったはずだ。
 
 他にも高校の後輩がそこでバイトしていたり、お金儲けのセミナーの勧誘を目撃したり、Mと家族の話をしたり色々書きたいことはあるのだけれど、とりあえずこの辺で。Mとは大学になってからも時々ここで会った。多分これからも。

 ちなみにこのミスドで書いたブログの記事は結構多い。同窓会の記事もそうで、高校の同窓会の後はその感動を忘れないように寝不足のままミスドに行き、文章を書いた。shige-taro.hatenablog.com

 
 
 

アクタ西宮ショップ(ショップNo.1956)

西宮北口
 東京のみんなは知らないだろうけれど、阪急西宮北口駅は結構大きな駅だ。神戸と大阪の中間にあって、神戸と大阪、宝塚方面にも行ける。今津方面に向かえば阪神電車にもつながる。「ニシノミヤキタグチ」という名前のせいでなんだか弱そうに聞こえるかもしれないけれど割とみんなが使う駅。あほみたいな数の中学受験の塾があって、笑っちゃうくらいの数の小学生がうろうろしている。予備校もコンビニより多い。少年時代を謳歌しないまま競争社会に絡め取られる子供たちの現在進行形を観測したい人はぜひ行って欲しい。西宮北口駅の改札階にあるカリヨン広場のベンチに座っていれば元気で賢い小学生たちを目撃できるはずだ。

Mが見つけたガーデンズで落ち着いて勉強できる穴場
 中学生になる頃に、駅の南側に、阪急西宮ガーデンズが出来た。ティーンになってすぐ、梅田や三宮よりも安全で、まだお金の掛からないガーデンズは居心地が良かった。連れ立って遊ぶ同級生もいたし、私も朝から晩までありえない時間をかけてブックファーストのソファで本を読んでいた。ブックファーストの近くからエスカレーターに乗ればTOHOシネマがある。初めて友達と映画を観に行ったのも、大好きな『桐島、部活やめるってよ』もここの映画館。初めてR15指定もここだった。それから屋上も素敵で、べンチや噴水、コンサートのできるスペースがあって天気のいい週末にはいい感じになる。AKBが流行っていた時にはここでSKEのイベントがやっていたし、高校生になるくらいにはきゃりーぱみゅぱみゅも来ていた。友達の誰かが行っていた気がする。

駅の南側にはコンサートホールがある
 大人になってから思うけれど、関西でも、そして日本でもそれなりに大きなショッピングモールが自転車で行ける距離にあったのは、結構すごいことだと思う。高校時代までにその規模を経験したおかげで、得たものと失ったものがたくさんある。友達と遊んだり時間を潰す場所としては便利だったけれど、そんじゃそこらのモールにはワクワクしなくなってしまった。イオンとしまむらとスタバと本屋が一緒になったような場所しかない地方都市に住んでいて、週末に家族とそこにドライブするような青春だったら、今の自分はできていなかっただろう。自転車を漕いで漕いで、クソ広い駐車場で花火とかしたかった。

 ガーデンズについて書きすぎた。西北のミスドがあるのはアクタ西宮の2階。ガーデンズとは反対側にあるビルだ。図書館があったり、1階にある古本屋が好きだったりで、なんだかんだでよく行く。長く通った歯医者も近い。歯医者さんと話した後は、本屋で立ち読みして、いいのがあったら買って、図書館にも行くというのが私のよくある週末だった。ミスドができたのは2019年春。10年前にできてたら入り浸っていただろうなと思うけれど、結局数回しか行ってない。高校時代のチームメイトと久しぶりに会った時と、卒業論文執筆時の数回しか行ってない。


 

 
 
川西能勢口ショップ(ショップNo.0616)

せっかく書かれた市名も草に隠れている
 ここも数回しか行っていない。だから写真もない。1回はワカと待ち合わせして映画を観に行った時。そしてもう1回はおばあちゃんのお葬式の日。おばあちゃんが死んだ次の日は大学のオリエンテーションの日だった。春休みが終わってみんなと顔を合わす。楽しいはずの日なのに、なんだか変な感じだった。「どうしてスーツを着てるの?」って訊かれるのも、答えるのも、いやだった。大学から能勢口のミスドに移動し、家族の車が来るのを待った。おばあちゃんが好きだったオールドファッションを食べて、日記を書いて、色々忘れないでいようと思っていた。

池田市側から猪名川を挟んで川西市を臨む
 能勢口は祖父母の家に行く時によく使った駅だ。阪急の川西能勢口駅も、JR川西池田駅もよく使った。小さい頃、能勢口駅前のビルでやっていたイベントで竹筒の水鉄砲を作ったこともあるし、祖父母の家に泊まる時は能勢口で降りてロータリーでおばあちゃんの車を探すのだった。今は無くなってしまったけど駅から階段を降りるとTSUTAYAがあって、おばあちゃんを待つ時はそこで時間を潰した。大学の友達と映画鑑賞会をするためにここでDVDを借りて蛍池まで自転車を漕いだこともある。『言の葉の庭』『はじまりのうた』『怒り』その他色々。

能勢電猪名川を越える箇所
 関東と比べて関西には「〜〜口」という名前の駅が多いらしい。確かに阪急だけでも「塚口」「西宮北口」「宝塚南口」「川西能勢口」「洛西口」、能勢電鉄にも「妙見口」もある。
 
 施設や山、地域への「入り口」「玄関口」という意味から「〜〜口駅」と名付けられるパターンがあるらしい。妙見口妙見山の登山口があるし、洛西口も京都市中心部から見れば洛西ニュータウンの入り口にあたる。川西能勢口も能勢方面に向かって伸びる鉄道と道路がある。西宮北口も西宮市内から見れば北部に向かう「入り口」だし、宝塚南口駅も同じ。東京だと「新西宮駅」や「新宝塚駅」になる場合が多いのだという。NIKKEI STYLEの記事に書いていた。
 

 

武庫之荘駅前ショップ(ショップNo.0967)

 ここでもワカと待ち合わせしたことがある。進級試験に受かったことがわかった日。大学は春休みで、だから一緒に尼崎を歩いた。二人とも尼崎に住んでいたことがあって、昔の話をしながら歩いた。彼の小学校の校区にあったあり得ないほどボロボロのマンションの話、私の小学校にいた4年生にしてタバコを吸っていた男の子の話、髪の毛を染めている子の割合などなど。武庫之荘から塚口、そして潮江まで歩いた。話は尽きなかった。

阪神尼崎駅
 小学校の途中でワカは川西市に、私は西宮市に引っ越すのだけれど、尼崎の各地にそれぞれの思い出が残っていて、なんだが切なくなった。従兄弟が生まれた病院、塚口駅で取得した初めてのパスポート、小さい頃お世話になった耳鼻科。尼崎駅を通り過ぎた私と、その人生に交差した人たち。

 

 荒れている地元から抜け出すために、2人とも中学受験の塾に通うようになり、同じ中学校で出会った。高校は別だったけれど私の高校の文化祭の度に会ったし、映画に行ったりもした。12歳の時に出会って今はもう25歳。人生の半分以上の付き合いだ。

shige-taro.hatenablog.com

 

 ちなみに塚口という地名は鉄道ができる前からあった。塚口周辺には塚口古墳群と呼ばれる古墳があって、古墳のある方面ということで「塚口」という地名ができたのだという。尼崎の地名は歴史と関係があるものが多くて面白いので、気になる人は調べて見てほしい。

時が止まったような阪急塚口駅
 
【今日の音楽】
西宮出身の友達のバンドです。
友達とかそういうのを抜きにしてめちゃくちゃかっこいいので、ぜひ音楽を聴いて見てください。今年から東京で活動しています。
この記事を読んだ人にオススメ
シェアしてください。よろしくお願いします。

【お知らせ】フリーペーパー「ミカン」を作ります

未達成に終わったみんなのエピソードを集めて、フリーペーパー「ミカン」を発刊したいと思います。文末にあるURLから文章を投稿できます。このブログを読んで興味を持った人、ぜひGoogleフォームから文章を送ってください。
 
◎概要
「ミカン」をテーマにしたフリーペーパーを作ります。
未完、あるいは未刊に終わったままの、中途半端に終わったままの物語をGoogleフォームから募集し、集まった文章でフリーペーパーを作りたいと思います。
従来のフリーペーパーのように何枚も刷るのではなく、執筆者と希望する人にのみ郵送するシステムを取り、卒業文集のようなクローズドなものにしたいと思っています。vol01は、作ること自体を目標にして、家のプリンターで印刷します。vol02以降は変わるかも知れません。
 
◎投稿について
「あなたにとってのミカン」を教えてください。字数は自由です。「ミカン」に関わるテーマであれば、短くても長くてもかまいません。詩も大丈夫です。
絵や写真で「ミカン」を表現したい方は、メールに添付して eivomagie@gmail.com に直接送ってください。その際件名は「ミカンの絵・写真」としてください。(ただし、モノクロで印刷することを考えています。そこのところをご了承ください)
 
一応参考として、こんなのがあればいいかなと思うものを下に列挙します。
 
・変な感じで終わってしまった誰かとの関係。
・中途半端に止めてしまった趣味、お稽古、勉強。
・書きたいけれど、どこにどう書いたらいいのかわからなくて困っているアイディア、思い。
・あれだけ強く追い求めていたはずなのに、いつの間にか忘れてしまったあの頃の夢、希望。
・どこにも書き残せていない旅行の思い出。
・未送信のまま溜まっているツイート。
 
もちろんあくまでも例です。大事なのは、あなたの「ミカン」です。Googleフォームにてお待ちしています。奮って投稿してください。
 
◎コンセプト
生きていると後悔ばかりです。いくつかの選択肢が目の前にあっても、その全てを選ぶのは不可能です。あれもこれもと選んでも、体力と時間とお金は有限です。でも時々、人生を振り返って思います。あの時、違う道を選んでいたらよかったのではないのか。あの時、あの人ともっと話せば何か違っていたのではないか。買ったものの積んだだけで読まずにある本。最後まで話しかけずじまいだったクラスメイト。書きかけのままの手紙。諦めざるを得なかった勉強、留学etc。
 
我々は、過去の決断と選択が積み重なって結果、現在に生きています。過去において「あれがしたかった」「これがしたかった」と願っても、それは妄想や空想の枠から出ることはありません。そして過去に「あれ」や「これ」をしていたら現在の私は違う存在になっているはずです。
それでも、後悔や妄想は後から後から湧いてきます。そうした私たちの「ミカン」をフリーペーパー上の文章にすることで昇華させ、供養し、次に進むことがこのフリーペーパーの目的です。
 
GoogleフォームのURLはこちらです。どんなものでもよいので、ぜひあなたの文章を送ってみてください!
 

#168 人が交差する。この大都会で

 今いるゲストハウスは7泊で9000円しない。わお。東京にそんなところがあるなんて。いや、東京だから安いのかも。今日で3日目だけど色々な人がいる。ゲストハウスの出会いは一期一会で、最初に話し始める時からして、すでに切ない。オンラインの面接で毎日のように違う人と話しているからそんな風に思うのかもしれない。
 
 東京には就活で来ている。第一志望の御社の試験は会場にてオフライン。午前9時30集合なら前泊しようと思って前日はホテルに泊まった。一泊5000円弱、汐留と新橋の間にある12㎡の空間。COVID19が酷かった頃の東京で、感染者を受け入れていたという狭いスペースで、ほとんど眠れずに過ごした。一般常識と作文だけなので、ほとんど予習することもないからすぐに寝ても良さそうなものなのに、寝坊するのが怖くて寝れなかった。おかしな話だ。大事な予定の前日は、寝坊することが怖くて寝れない。負のスパイラルに入ってしまう。

 早稲田大学にいる。友達の大学。一緒に講義を受けようと思ったのだけれど、直前に休講になったらしい。大隈重信銅像銅像の周りに大学生がたくさん。私の大学とはかなり雰囲気が違う。みんな楽しそうに見える。ベンチの数が多い大学はいい大学。ベンチの多い街も。私の大学ではないのに道を聞かれる。ノルウェーからの留学生2人。日本語センターのような場所に行きたいらしい。地図で探す。案内する。北門を出て右手にあるオレンジ色の建物。22号館。私は適当に見つけた自習スペースで友達と待ち合わせる。文章を書く。周りにいる大学生は自分より少し年下なのだろうと思う。同じように就活をしている人もいるのだろうと思う。

 ゲストハウスを出る。歩く。少し雨模様。緑が綺麗。昔は川であっただろう水路を見る。花一つ二つまだ咲いている桜の木。生い茂る薄緑の葉。駅の反対側に出る。オンライン面接のためだけに滞在するネットカフェ。面接の5分前になってzoomを起動して、待機室に入る。緊張。画面の写りを確かめて、カメラの高さを調整したりネクタイを綺麗にしたり。緊張する。でも普段話せないような人と話せるのは貴重な経験だから、と言い聞かせる。画面が切り替わる。怖い。でも頑張らないと。もう決めたことなのだ。

 オンライン面接の後は、いつも変な高揚感がある。話したいことを話せたと思うけれど、伝わったかどうかは別の問題だ。今回もまたロシア語専攻であること、ロシアの留学について訊かれた。「もしロシアに留学できるとしたら行きますか?」「ロシアの大学院でジャーナリスト学部に入りたかったようですが、ロシアと私たちのローカル局の間にギャップのようなものはありませんか?」
「お金が必要なんです。そしてまだ興味のあるような仕事をしていたいです。したくもない仕事をして疲弊したくないです。将来についていつも希望を持っていたいのです」
 お祈りメール3通。今週もまた増えるだろう。シゲ様の今後のご活躍をお祈りします云々。絶対活躍したるねん。なんならもう活躍しとるわ。メールをごみ箱に入れる。
 
 また今日もオンライン面接。思っている以上に和気藹々とした15分になった。ウクライナの問題について訊かれたし、大学に6年もいたことについても質問された。今までの面接ではそこまで訊いてくれなかったから、私自身に興味を持ってもらえている感じがした。嬉しかった。ただ、地方ローカル局の面接にそのような会話が必要だとも思えないから、多分落ちているのだと思う。
 就活しながらよく思い出すのは『千と千尋の神隠し』の序盤。ボイラー室を出た千尋が湯婆婆のところを訪ねるシーン。「ここで働かせてほしいんです」って言うシーン。私がこれからもらえるどんな仕事も、八百万の神々をもてなす油屋の仕事と比べたら遥かに楽だろうけれど、背に腹を変えられなくなっているのは千尋と同じ。

 友達と会う。中学の同級生たち。大学構内から高田馬場まで歩く。緩やかな下り坂。中華料理とラーメン屋と日本語学校がたくさん。色と光もたくさん。夕暮れ時の空の色。高田馬場のロータリーには待ち合わせしている人がたくさんいた。区画に押し込められたスモーカーたちと、区画外で吸う人を区画内に入れるおじいちゃん。「シルバー人材派遣」という文字が背中に見える。

 3人が揃って、残り1人を待つ。中々来ない。もう電車から降りたものの迷っているらしい。見えているものを教えてもらう。タリーズ、ロフト、自遊空間。たくさんの看板。出口の番号。見覚えのある人影が見えて自信はないけど思い切って手を振る。向こうも振り返す。なんだほとんど変わってないじゃん。
 山手線の下をくぐって駅の西側へ。前の方から電話をしながら走ってくる人とぶつかりそうになる。西側と東側で少し雰囲気が違う。ベトナム料理とミャンマー料理の看板が見える。今度友達と行く中央アジア料理はここら辺だったなと思う。
 焼きとん。なんて関西じゃ聞いたことのない料理だ。豚のホルモンが串焼きになって出てくる。友達が慣れた手つきで串から肉を皿に移す。玉ねぎと胡麻油と豚のレバー。美味しい。すごく美味しい。昔のことをいくつか振り返って、何年生の時に誰が同じクラスだったかで盛り上がる。担任が今何してるとか、三者面談がどうだったかとか、友人の近況とか。
 今から来れそうな友人と電話。電話がつながって、また一人増える。ついでに場所を変えることにする。今度はくら寿司。お茶の粉を入れる人、水を持ってくれる人。トイレに行く人。タッチパネルに戸惑う。選べない。みんなはどうなんだろ。いつかと同じようにねぎま軍艦を食べる。醤油を垂らして食べる。美味しい。
 
 くら寿司のみかんジュースが美味しいと言って一人が選ぶ。もう一人もそれがいいと言ってみかんジュースが2杯運ばれてくる。回転寿司のレーンに近い子が結構食べる。私も食べる。コーンの軍艦を取ろうとしてやめにする。親友が回転寿司に行く度にコーンの寿司を食べることを思い出す。彼も東京にいる。西の方。今回の滞在ではまだ会ってない。最近連絡が途切れがちで少し気になっている。
 
 もう一人、別の友達と私は会う予定で、あと30分で席を抜けることにすると言う。その友達もこの席に呼べばいいじゃんって誰かが言って、私は彼に訊いてみる。彼がエレベーターから降りてこっちに来る。不思議な感じ。座る。一人づつ紹介する。みんなのことを改めて口にするとなんだか恥ずかしい感じがする。私の中学の同級生と、また別の友達が同席しているのはなんか変な感じ。でも面白い。

 第一志望の御社の試験は無事に寝坊せず受けれた。一般常識と作文と適性検査。対面で試験をする会社は今時珍しいと思うけれど、私としてはその方がありがたい。筆跡や鉛筆の勢いで伝わるものもあると思っているから。結果は来月の頭に郵送で送られるらしい。落ちた人にも結果が通知されるのかは知らない。
 
 都電荒川線で本を開く。路面電車。東京にもトラムがあるなんて。驚く。前から乗って後ろから降りるスタイル。坂の多い東京をスイスイ進む。時々揺れる。意外と人が多い。本を閉じる。黄色い表紙の本。ベンガル系の両親の元、アメリカで生まれた主人公。彼が生まれる前の両親のエピソード。幼少期のベンガル人コミュニティとパーティー。時々帰るカルカッタ。大人になるにつれて感じるアイデンティティの葛藤、両親とのずれ。彼の人生を通り過ぎる人。人。

 大学構内を案内したノルウェーからの留学生のことを考える。一人はポーランドにルーツがあって、もう一人は中国からの養子だった。彼らも少なからず何かしら抱えているのだろう。生きていたら付随する面倒なことの数々。別に国籍とかルーツとかだけでなく。外見とかわかりやすいことだけでなく。
 新宿駅東口。金曜日の夜。近くでプロ野球の試合でもあったのかというほど人がいる。地元の甲子園駅を思い出す。タイガースの試合の後は黄色い服を着た人で駅が埋め尽くされるのだけれど、今構内を歩く人の服装はバラバラだ。それぞれに乗るべき電車があって、帰る街がある。待っている人がいる人、いない人。明日の予定がある人、ない人。
 駅のホームにバラの花が一輪落ちていた。誰も気にも留めず通り過ぎて行く。電車が来てまた発車する。降りる人乗る人。バラはまだ踏まれていない。人混みが大方消えて、老夫婦だけが歩く。ホームの向こうにあるエレベーターを目指しているようだ。二人はバラの花を見て何か言う。また歩き出す。ようやくエレベーターに辿り着き改札へ向かうボタンを押す。

 
【今日の音楽】
この記事を読んだ人にオススメ
シェアしてください。よろしくお願いします。

#167 恋愛と就活

f:id:shige_taro:20220409234856j:plain

 もしこの会社に入ったらどうなるだろう。就活をしていてよく思う。
 ビルの管理会社。広告代理店。飲食チェーン。別に前から気になっている会社でもない。知り合いが働いているわけでもない。本社もどこか遠い、私の知らない街にある。リクナビマイナビも、条件を入れると、私に合いそうな会社を教えてくれる。何百何千の会社たち。どのボタンを押しても、どのリンクを辿っても、誰かの人生に行き着く。その扉を開かないと会えないような人たち。その存在を感じて、でも自分の時間もお金も体力も有限だから、その扉は開けない。see you. いつかまたどこかで。
 
 小学校に入学した頃、6年生が大きく見えた。あんなに大きくなれるのだろうかと思った。「ほとんど大人じゃん!」って6年生の教室の前を通る度思っていた。自分が6年生になれる日が来るなんて想像もつかなかった。卒業までの6年という時間は永遠と等しかった。逆に、そんなにも時間があるのなら、卒業までに図書室にある本は全部読めると思っていた。学年の全員とも友達になれると思っていた。でもそんなことはなかった。
 1年生の終わりに、アズサちゃんが引っ越すことになった。学童保育に行っていた私は、放課後に遊べる時間が少なくて、だから学校が終わったらすぐに家に帰るようなアズサちゃんとはあまり遊べなかった。引っ越してどこかに行くらしいというのを知って、急に寂しくなった。寂しいのはなぜだろうと思って、私は彼女のことを好きなのだろうと思った。日焼けした顔とか、笑ったらできるエクボとか、音楽会で小太鼓を叩いていた姿とか。学級会みたいなのが開かれて、彼女を送り出した。「好き」と彼女に言ったけど、それは現在の大人が言う「好き」と必ずしもイコールではなかった。もっと話したかったとか、もっと遊びたかったとか、そういうのであって、愛でも恋でもなかった。「好き」と思えば簡単に「好き」と言えた7歳の感覚の方が25歳よりも進んでいたし自由だったと思う。「好き」と言う言葉の意味が今と違って軽かった。いつから「好き」はこんなにも大袈裟になったのだろう。

f:id:shige_taro:20220409234939j:plain

 それ以前にも、保育所の友達サガラリョウタが引っ越したり、保育所を出て違う小学校に通うみんなと別れないといけなくなったり、そういうのの積み重ねで、永遠などないらしいというのを知った。そうじゃないと保育所の卒園式であんなに泣くわけがないと思う。ちなみにサガラリョウタは4歳の時点で力こぶを作れる唯一の園児だった。それを見てみんなですげーと言っていた。今でも小さい子が力こぶを作っているのを見ると、彼を思い出す。現在の彼のことを何も知らないのに。当時の彼の映像が鮮明に蘇る。

f:id:shige_taro:20220409235929j:plain

 小学校低学年の頃、好きな子がたくさんいた。恋とか愛とかじゃなくて、ただ単純な「好き」だった。1番目に好きな人は誰々で、2番目は誰々。そんなことを平気で言ってた。「選べないし、みんな好きに決まってるじゃん」と思ってた。1番目に好きな子は足が早くて、短距離走長距離走もめちゃくちゃ早かった。ただ唯一許せないのが巨人ファンということだった。当時の私は熱狂的な阪神ファンだった。尼崎に育てば阪神ファンになるのが普通だろうと思うけど、その子の一家は家族全員巨人ファンで、同じクラスにいたその子の従妹も巨人ファンだった。当時の巨人は堀内恒夫が監督をしている低迷期で、応援する理由が見つけられない私は、ずっと首を傾げていた。ただ、二岡と高橋由伸はかっこよかったし、タフィー・ローズとすごい選手だなあと思っていた。あと売り出し中の若手だった矢野謙次も男前だと思っていた。ちなみにその子は中学時代にソフトボールで活躍し、スポーツ推薦で高校に入った。大学卒業後はどこかの強豪校でコーチをしているらしい。5年くらい前に会って、それっきりだけど、彼女の名前を検索したら何年か前のインターハイの試合結果や、バッターボックスに立つ写真が出てくる。

f:id:shige_taro:20220409235214j:plain

 変な子だったと、自分の幼少期を振り返って思う。4歳にして、「今という一瞬が今しかない」ことに気づいてトイレで号泣し、7歳で『火の鳥』シリーズに熱中して考え込んでいた。年齢に不釣り合いな考えをしていたと自分でも思う。教科書に出てくる、金子みすゞの詩が好きで、みんなちがってみんないいと信じていた。流行っているSMAPの「世界で一人だけの花」を聴いて「ナンバーワンじゃなくてオンリーワン」と言うメッセージに深々と頷いていた。これもきっと現在の私に関係があるだろうと思う。農民の暮らしを向上させようとした宮沢賢治の伝記も好きだった。そういうのが全部合わさったキメラ的な博愛主義を胸の中に抱えながら育った。
 
 永遠などないとわかっていたし、いつか6年が過ぎて中学校に行くだろうとは思っていた。でも後から振り返ると本当に一瞬だった。短かすぎた。気がつくと私は病院に入院する羽目になり、瞬きする間に退院し、尼崎から引っ越すことになった。中学受験の勉強が始まり、荒れ始めた教室を尻目に塾に通うようになった。全部読めるだろうと思っていた図書室の本は結局読めずじまいだったし、遊んだことのない友達も卒業アルバムを開けばたくさんいる。行ったことのない場所がまだ、校区内のあちこちに残っている。

f:id:shige_taro:20220409235621j:plain

 幼少期に大人びていたからといって、順調に育つわけではない。「雨ニモ負ケズ」を暗唱していたかつての7歳は、18年経っても定職につかずぶらぶらしている。このままだと牛丼を単品のまま食べ、いつまでも定食にできない人生を送らないといけなくなる。なんてくだらないことを言ってる暇はない。就活をしないと。でも焦って自分を失っても意味がないから自分のペースで行かないと。なんだか自分に課すルールが多い。勝手にルールを作って勝手に縛られる。なんてバカなのだ。笑ってしまう。
 
 素敵な人と会った時に、もしこの人とずっと一緒にいられるとしたらどうなるだろう、みたいに妄想することがある。自転車で走る時によく思う。廃車になる前の原付に乗って学校に通っていた頃も、そういうことを考えていた。国道のバイパスを走りながら。信号を待ちながら。一緒に行きたい場所、観たい映画。聴きたい音楽。キャッチボールとかもしたいし、カラオケにも行きたい。カラオケでは中島みゆきのモノマネをして、ボンジョビの「It's My Life」を英語でちゃんと歌って、時々くるりジッタリンジンとラッキーオールドサンを挟みながら、コーヒーを何回かおかわりして、フロントからの電話がプルルルルと鳴って、30分くらい延長して解散。天気がいい日には山登りも行きたいし、散歩もしたい。歩きながら見つけたよくわからない神社にお参りして、コーヒー屋さんに入って、さっきの神社が、何かしらの有名な場所であったことをそこでスマホで調べて知って、2人で驚く。みたいな。まあ全部絵空事なんですけど。
 何が悲しいって、これら全てが私の頭の中でほぼ完結していること。ほんとにそう。気持ち悪いと感じた人がいたら、申し訳ない。でも私は想像の中に、自分の世界を作り上げて生きている、そんな人間です。ロマンチストと言ってくれたら嬉しいけれど、人生の中でロマンチストで居られる時間は限られていて、もうその時期ではない。早く出たい。「俺にはまだ夢がある」なんて言いながらテレビの青い薄明かりの中でビールを飲んでいるような40代にはなりたくない。

f:id:shige_taro:20220409235544j:plain

 恋人を誰か一人に絞るとか、御社を一つに絞るとか、そういうのが私はすごく苦手。どの道を選んでもその向こうには楽しい未来があるように思うから。もちろん悲しい未来も、等しい確率で待ち受けているだろうけれど、それでもどの人生を選んでも楽しいものがあるように思える。そしてどの人生を選んでもきっと後悔する。「もしあの時違う道を進んでたら」なんて40歳を過ぎたら絶対に思う。優柔不断なのだ。別に恋愛と就活に限ったことではない。コーヒーの銘柄を選ぶのも、シーブリーズの匂いを選ぶのも同じように苦手だ。初めてワックスを買った時も、30分以上悩みに悩んだ。安くてカラフルな、ギャッツビーのラインナップから選ぶのはもう確定していたのに。紫にするかピンクにするか、はたまた水色か。決めれなかった。結局グレーを買って、未だに使い切らずに洗面台のどこかにある。マンダム社のムービングラバーシリーズ。
 
 選択肢を手元に残したままでずっと暮らしたい。俺にはまだあれにもなれる。これにもなれる。そう思いながら生きていたい。でもそれは虚しい。とても虚しい。可能性をキープしているだけで、決められない毎日を続けた結果、25歳にして未だに何にもなれていないのではないのか。書き続けたブログだけがネットの中にあるだけで、自分には何もないのではないのか。不安だ。春の陽気の中にいるのに寒い。

f:id:shige_taro:20220409235512j:plain

 この会社に入ったらどんな未来があるだろう。この人と一緒に人生を共にしたらどんなことが起きるだろう。そういうことに思いを巡らし、ひとしきり想像の世界で楽しんだ後、現実にひき戻される。エントリーシートの締切日、物理的な距離、オンラインでの面接とzoomのリンク、帰ってこないチャット、シャツについたシワ。「好き」の中身を確かめる作業。一次審査をくぐり抜けたというメールにある「面接はスーツでお越しください」の文字。
 想像の世界に比べると現実の世界は死ぬほどつまらない。想像の世界で十分に満足してしまった私は御社へのエントリーシートを出さないでもいいかなと思い始める。LINEの通知が来て既読をつける。返信を考えている間に面倒くさくなる。小一時間前はあんなに返信を待ち望んでいたのに、あんなにウキウキしていたのに。自分の熱の冷め方にびっくりする。御社での未来を、その人との未来を、あれこれ想像するうちにすっかり疲れてしまったらしい。想像だけで飽きてしまった自分にがっかりする。
 現実から逃避するための想像だったのが、私が暗い場所にいた間に、想像の世界はすでに現実を追い越してしまった。怖い。私はまだこの世界と関わっていたい。この世界の中で普通に生きたい。
 
 
 
この記事を読んだ人にオススメ
シェアしてください。よろしくお願いします。

#166 郵送

f:id:shige_taro:20220407235530j:plain

◎令和4年 4月××日
 多分就活をしている人は、行きたい会社にも、そんなに行きたくない会社にもESを書いている。受かっても行かないような会社を受けるなんて意味のないことだと数年前までは思っていた。でも、練習していた方が本番でうまく行く。最初の面接が第一志望の御社で、いきなりの面接に面食らって撃沈!となるよりは、経験値をつけてから臨んだ方がいい。人生の経験にもなる。普段話せない人と話せる。だから、ESを書いてもいいかなと思うくらいに気になるならとりあえず出す。とりあえず受けてみる。
 
 中学受験を思い出す。とりあえず受ける。落ちる。受かる。そして行くことになった中学、高校。大学受験は最低限のところしか受けなかった。そもそも1年目は公立しか受けさせてもらえなかったと思う。浪人した時はいくつか私立も受けた。それでも、周りと比べたら、受験してないようなもんだったと思う。
 
 書いていて思う。就活と受験を同等に考えている自分の思考は問題かもしれない。中学受験と同じメンタルでやっていてはいけない気がする。「とりあえず偏差値の高い学校を受験しよう」みたいな意識で就活をやっていては、心を削ってしまう。受験や就活の結果だけで失敗と成功が決まるわけではないし。でもお金の重要性を今嫌というほど感じている。人を助けたい。お金があったら人を助けることができる。ウクライナの人もミャンマーの人も。子ども食堂を使わないといけない人のことも、ハンディキャップを抱える家族のために孤独な人も。全員を助けたい。今までは、人を救えるような文章を書きたいと思っていたけれど、限界があるように思えてきた。大体そんな文章がいつに完成するのか。文章の世界に居続ける限り、自意識からは抜け出せないままなのではないかという不安もある。それよりも自分が生きる手段とお金が必要だ。
 
 就活。まだESや試験の段階ならいい。文章なら書くことはある。試験も問題集を買ってまで練習することはないと思っている。問題は面接。画面の中にある誰かと話す。あるいは対面で。話し過ぎてしまう。質問されて、返す。ただそれだけなのに、容量の得ない話をしてしまう。相手の顔を見て愕然とする。「あれ、元々の質問ってなんだっけ? 私今何話してるんだろ」現実に戻って自分を責める。自分を責めているうちに次の質問。怖い。逃げずにたっぷりイメージトレーニングしないと。来そうな質問を絞って、答える練習が必要だ。
 

f:id:shige_taro:20220407235855j:plain

 

 今日が私にとって行きたい会社のESの提出日。「あなたの短所と長所」「挫折の経験とそこからどう立ち直ったか」「会社に入ってやりたい仕事」「学生時代に力を入れたこと」blur blur blur blur
 別に気を抜いて適当に書いているわけではないのに、薄っぺらい文章しか書けてない気がする。焦る。そのままの自分自身を見て欲しいと思うけれど、アピールをしないといけないという気持ちもある。気持ちが先走って空回りしてないか不安になる。自信が無いのに有るふりをしないといけない。いやいつかは自信をつかまないと。自信が有るふりをしているうちに、芽生えたりするものだろうか。わからない。
 
 履歴書とESと、数枚の紙を封筒に入れて郵便局に行く。直筆で書いたら、書き損じばかりで笑う。途中から笑えない量になって、顔が引き攣る。詳細は書かないけれど10枚近く無駄にした。私の時代にインターネットがあって良かったと思う。ボタン一つで修正ができる時代。
 西暦での生年を記入する欄に、平成と勘違いして「○年」と書いてしまう。「反面」を「半面」と書き間違える。今年度が終わる時点での年齢を書かなければならないのに、現在の年齢を書いてしまう。「しんにょう」が汚い。字の癖で「る」と「な」が同じに見える。気になる。書き損じてもう一部印刷する。またもう一部。もう一部。
 
 封筒も色々ルールがある。「御中」と「様」の違い。朱色で「志望所在中」などと書かなくてはならないこと。書類を封筒に入れる向き。裏に私の情報も書く。ルールが多すぎるけど、完璧な人間なんていないのだと言い聞かせて、リクルートのページを閉じる。郵便局に行く。速達は380円。うまくいきますように。
 午後の桜が綺麗。
 
 
【今日の音楽】

Sunday Bloody Sunday (Remastered 2008) - YouTube

 
この記事を読んだ人にオススメ
シェアしてください。よろしくお願いします。
 
 
 

#165 企業説明会

◎令和4年 3月××日
 企業説明会だけのために東京まで。実は少し楽しみ。留学の予定が無くなりそうなのは悲しいけど、もう背に腹は変えられない。だって就活することにしたから。そう、私は就活をしている。自分が。あのシゲが。ちょっと信じられない。
 NPOインターンとか、フリーターすることとかも考えた。ロシアに留学することが難しいならカザフスタンに留学すればいいのではないかとも思った。でも、色々考えて、やっぱり就活することにした。3、4年前と違って時間がなくなっていた。今からの数年でいくらかお金を稼いだ方が、自分の中にある不安というのは少し軽減されるのではないかと思った。不安が故に何もできない日があったり、やる気が無い日があったり嫌だった。母親が老いていくのを見て、10年後の自分を想像して、ゾッとした。不安が故に無為な時間を過ごしてしまうこと、そういうのを少しずつ無くしたいと思った。だから、そう、私は就活をすることにする。これはもう宣言みたいなものだ。

f:id:shige_taro:20220331012416j:plain

大量消費と大量生産の社会

 火曜日、親と一緒にコストコに行った。コストコでたくさんお金を使った。700g 1800円のコーヒーを私はカートに入れた。申し訳なくなった。そして、勿体無いと思った。自分の時間も、能力も、無駄遣いをしているように思った。ジャケットを着てシャツを着た。そして駅前のカメラ屋で写真を撮ってもらった。でもよくよく調べたら就活用の証明写真に必要なのはネクタイとスーツで、ジャケットではなかった。考えたらわかる話だった。カメラ屋に交渉して撮り直しをしてもらう。家まで帰ってネクタイを結ぶ。家をまた出る。ネクタイを結ぶのが久しぶりすぎて、とても時間がかかった。2017年の暮れ以降、ネクタイを一回もつけたことがない。入学後に所属していたサークルは、良くも悪くも、大人になる手助けをしてくれるような場所だったのに、私はそれを飛び出して「大人」の世界を拒否してしまった。その選択を否定するつもりはないけれど、でも今の私ならもう少し上手くやっただろうなと思う。
 カメラマンの人は嫌な顔一つせずに撮り直してくれた。ES(エントリーシート)に貼るサイズの写真はわからなかったが、適当に選んだ。ブルーライトをカットするメガネだから、首の角度によって、私のメガネは青く光る。プレーンノットが上手くできなくて、ウィンザーノットでタイを結ぶ。写真の中にある私の顔はなんとなく不自然であるように思える。いつもの自撮りとはやはり違う。口角の上がり方が不自然。目が細い。なんだか下膨れの輪郭。セルフィーで撮る私の顔の方がうんと好きだ。
 革靴もセカンドハンドだけど買う。リーガルの高いやつ。定価の1/3程度で帰るとは言え、高い気がする。でもこういうのを一つ一つ揃えた方が自信にもなる。そういう性格なのだから買った方がいい。時計も迷っているけれど、当分はなくてもいいかなと思っている。汗っかきなので汗疹になると嫌だ。

f:id:shige_taro:20220331012500j:plain

鍛冶橋駐車場で高速バスを降りてすぐに見る景色、東京
 ESを書く。1日に書くESはできれば2つ。1つは真剣なやつ。2つ目は練習用で、気楽に書く。火曜日には初めてのESをうんうんと唸りながら書いた。地方のとあるテレビ局。雑誌を扱う出版社。書く作業は楽しかった。特にテレビ番組や雑誌記事の企画を考えるのに時間を使った。限りある文字数でいかにして私を伝えるのか。面白そうなのはどんな企画だろうか。大きい企業ほど向いていないと思っている。人数が多いのはしんどい。部活でもサークルでもそうなのだけど、私は時々、疑心暗鬼に陥ってしまうことがあって、そういう時周りの人を誰も信じられなくなる。誰もが自分の悪口、陰口を言っているように思い込んでしまうのだ。どうしてなのかわからない。今度、心療内科の先生に聞いてみよう。
 今まで就活をしなかった理由は色々あるけれど、最大の理由は「卒業単位も取り切ってないのに就活まですると体が持たなくなる」からだったと思う。あと、普通に就活をやりたくなかった。自分の頑張りや魅力は就活では伝わらないだろうと思っていた。
 16歳からこっち、胸を張って生きることが出来なくなっている。自身無い態度なんて多分就活シーンではダメだろう。面接やESで評価され、切り捨てられ、落第のハンコを押されるのが嫌だった。そういうことが積み重ねられたら、自分は耐えきれない気がした。
 

f:id:shige_taro:20220331012644j:plain

夜の国道2号線
「本当に自分は就活をしなくてはいけないのかもしれない」はっきり感じたのは3月8日。東広島に向かって走る夜明けの国道2号線だった。友達の住む大学のある町に行こうとしていた。「特殊作戦」とロシア政府が呼ぶ忌々しい戦争さえなければ、秋からロシアの大学院にいるはずだった。でも情勢を見るに難しそうだった。悪化することはあっても好転することはなさそうだった。加古川、姫路、たつの、相生、走るにつれて、どんどん落ち込んだ。移動している時というのはどうしてか頭がよく働く。「ああ、本当に自分は就活をしなくてはならないんだ」そう思ったのが上旬の終わり。でもそこからちゃんと動き出すまでに時間がかかってしまった。出版社も新聞社も、大手の会社はエントリーがもう締め切られてしまった。
 
 リクナビマイナビに登録する。行きたい企業を探す。ESを書く。出す。説明会を予約する。IDとパスワードがいろんなページで要求されて頭がおかしくなりそうになる。この会社も気になる。あの会社も気になる。と思ったらこの会社はエントリーが締め切られている。惜しいと思う。とっても良い選択肢であったような気がする。束の間、その会社に入ったらあり得たかも知れない将来を思い浮かべてうっとりする。くそだ。全てが××。あちらからこちらへ、このサイトから次のサイトへ。同時に開かれているタブの数がえげつない量になる。60とか70とかそんなん。イライラする。不安になる。エントリー漏れはないか。ちゃんとESは出せているのか。
 

f:id:shige_taro:20220331012750j:plain

早朝の東京
 不安不安不安。確認確認確認。不安不安不安。確認確認確認。JR尼崎駅前の公営住宅に住んでいた頃を思い出す。鍵っ子の私は、一人で鍵を閉める。12階からエレベーターを使って降りる。地上を歩き出す。パンジーやチューリップが咲く広い花壇がある。信号まで歩く。鍵を閉めたか不安になる。不安で歩けなくなる。引き返す。エレベーターのボタンを連打する。「早く来い。早く降りて来い」と叫ぶ。ゆっくりと降りてきた鉄製の箱に飛び乗り、12を押す。ドアが開いて、降りる。3番目の部屋まで走る。ドアの施錠を確認する。もちろんドアは閉まっている。心配は杞憂に終わって私は学校に遅刻する。
 
 地方新聞が面白そうだと思って見ている。出来たら東の方に就職をしたい。東京か東北、あるは北陸。とはいっても、文章にまつわる仕事ならどこでもいい。ただ関西からは出たい。ちょっと飽きた。同じところをぐるぐる何周もしている人生は嫌だ。大学在学中、大阪や神戸を歩き回ったけれど、いつも同じところにしか行かなかった。
 見た感じ、地方新聞は紙でESを出さないといけないところが多い。エントリーできる会社がもうすでに限られているから、もしかしたら、エントリー時期が遅い会社ほど紙媒体なのかも知れない。今日の説明会は東北の新聞社だったのだけれど、郵送でESを提出しなくてはならないということだった。面倒だ。でもその分本気度が試される。読んでくれる人が確かにいるという安心感もある。昔に比べれば平等だと思う。ネットで情報が集められて、どこにでもESを出すことができる。リクナビマイナビもシステマチックすぎて嫌になるけれど、そのシステムによって救われる人もいるはずだと思う。日常の、そして住む地域の便利さを当然だと思っては、目が曇ってしまう。
 

f:id:shige_taro:20220331013256j:plain

どこかのサービスエリア
 土曜日の夜高速バスに乗りこんで日曜に東京。ネカフェで少し寝てスーツに着替える。結局説明会に着いたのはいつものようにギリギリだった。しかも建物の入り口がわからなくて、部屋に入ったのは開始予定時刻きっかりだった。私と同じように迷子になっている人が数人いて助かった。地方新聞とは言え、有名な会社だから説明会に来る人の数もたくさんいると思っていたのに、5人しか居なくて拍子抜けした。新聞社の歴史、部署、営業、SNSやオンラインでの新聞の発信。震災時の報道について、震災後、地域の住民に対して防災や減災を呼びかけるようになったことについて。社員さんは2人いた。東京出身の人と宮城県出身の人。2人の雰囲気のおかげでリラックスして説明を聞くことができた。企業説明会も就活も、色々なことを今まで食わず嫌いしていたけれど、想像と実際とはやはり違うなと思った。私に必要なのは対話と、世界を知ることだ。不安の種は尽きないけれど。今日は東京に来て説明会を受けてよかったなと思った。

f:id:shige_taro:20220331013343j:plain

説明会近くでは桜が咲いていた
 
 
【今日の音楽】
この記事を読んだ人にオススメ

shige-taro.hatenablog.com

shige-taro.hatenablog.com

 
シェアしてください。よろしくお願いします。