シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいる者です 文章を書くのを仕事にするのが目標です。夢は世界一周です

#171 ミスドで大学生活を振り返ろう(3)池田・石橋・豊中編

 ミスドがいいのは、おかわり自由のシステムがあること。ブレンドとカフェオレ、それにミルクティーを頼めばいくらでもおかわりできるのだ。何杯飲んでも何時間いても料金は一緒。このおかわり制度があるから何時間でも居座る理由になる。貧乏くさいとは思うけど、本当に一日中居座ったこともある。最近はもうしないけど。全然関係ないけど、ロイヤルミルクティーの「ロイヤル」ってどこから来てるんだろうと疑問に思ってから、かれこれもう10年近く経つ。誰か語源を知っていたら教えてほしい。
 ミスドで大学生活を振り返る第3回目。今回は大学の本キャンパスに近い3つのショップについて書く。
 
 
阪急池田ショップ(ショップNo.0118)

いつも塩素の匂いがする
 私の高校から最も近くにあるミスド。なので親友Jとは学校帰りによくだべった。お互い2年生までは部活で忙しくて、3年生になってからよく喋るようになった。このミスドがなければ、カフェでダラダラなんてしない高校生活だったかもしれない。一人でぶらぶら歩いたり、電車に乗ってどこかに行ったりはしたけれど、誰かと時間をただ潰すなんていう時間はこのミスド以外にはなかった。
 ショップは阪急電車の高架下にある。近くに駄菓子屋があったり、スケボーするのによさそうな駅前広場がある。店内は面白い構造になっていて、半地下の席があり、天井が高く吹き抜けになっている。2階に客席はなく、キッチンがあって、ドーナツが揚がっているらしい。黒色の木と白い壁が基調になっている店内はドイツの田舎にもありそうな雰囲気で、純喫茶にいるような気分にもなれる。

この上にキッチンがあるのだと店員さんが教えてくれた

 大学のメインキャンパスからも2番目に近いミスドでもある。ミスドに行きたい、でも知り合いには絶対に会いたくないという時によく使った。一時期、川西のおじいちゃんの家に住んでいる時があった。その時は箕面市の果てまで片道17キロの山道を自転車で走っていた。時々、大学に行くのが面倒になってここで時間を潰した。今思えば片道2時間をかけて汗だくで走るのは馬鹿みたいだ。ちゃんと定期券を買えばよかったと思うけれど、それなら大学に通わなくてもよかったかもしれないとも思う。大学に通う時間が他の時間になっていたとしても、それなりに楽しめただろうし、大学は自分に向いていなかったとも思う。勉強は楽しかったけれど、いろんな人に迷惑をかけたし、不誠実なこともした。

 一度だけ、大学の友達と待ち合わせするのにこの場所を使ったこともある。サークルが一緒だった友達と一歩に待ち合わせて一緒に猪名川沿いを歩いた。天気のいい日で、裸足で川に入って水切りをした。友達はもう忘れているかもしれない。私は当分覚えているつもり。

 
 
 
阪急石橋ショップ

 石橋と大学生活を語る際に、欠かせないものはたくさんある。インド料理ガンガマハル、洋食屋ピノキオ、公園のベンチ、ご飯を何杯でも食べれる定食屋、先輩のアパートと借りたままの川上弘美の本。それから「再履バス」と学生に呼ばれるキャンパス間移動バス。
 石橋の本キャンパスと箕面の外国語学部のキャンパスを結ぶバスをみんな再履バスと呼ぶ。豊中キャンパスでの単位を取りきれなかった生徒が使うことがその名前の由来なのだろうけど、私が入学した2016年には既に外国語学部のキャンパスが移転することが決まっていたし、そもそも旧キャンパス周辺は車やバイクがなければ生活できないような場所だった。なので、交通の便が良い石橋や蛍池に住み、再履バスで通学する人が増えていたと思う。

再履バスの車内
 大学側としては「キャンパス間移動バスは、あくまでも再履修などで二つのキャンパスで授業を受けないといけない人に向けたバス」らしい。「単なる移動手段として使わないでください」といったお触れを、大学側は掲示板やメールで出したけれど、誰も納得するわけもなく、普通にみんな移動手段として使っていた。大学側がバスの本数を増やさない言い訳なのだと思う。

石橋阪大前駅。大学へと続く踏切から
 で、私はこの再履バスがとても嫌いだった。バスを使わないで済ませるために、自転車で祖父宅から通うという無茶なことをして、結局留年した。ちゃんと大学に通って進級した年は原付で登校した。バス、並ぶのも人が寿司詰めになるのも嫌だった。私はパーソナルスペースが比較的広いので、親しい人でもできれば30㎝は離れていたい。でもバスはラッシュ時でも1時間に3本しかなく、一つのバスに60人も乗り込むものだから、本当にぎゅうぎゅう。自分の尊厳が守れないように感じた。早起きすれば座れるし、パーソナルスペースも確保できるのだけど、目や耳から入ってくる情報量が多すぎて嫌だった。顔見知りと出会うのも避けたかった。2年前に同じ授業に出ていて数回話したことのある人と目が合ったとして、どう振る舞えばいいのかわからなかった。人間関係が嫌になって辞めざるを得なくなったサークルの後輩と出会って、素知らぬ顔をし続けないといけないのも嫌だった。ずっとイヤホンをしてスマホを見たり本を読むふりをしていた。向き合わないといけない現実から目を背けている気がして自己嫌悪感ばかり募った。孤独が好きなはずなのに、友達同志の楽しそうな会話が耳に届くと心がソワソワ揺れた。

新キャンパスのバス乗り場
 キャンパス間移動バスがもっと本数が多くて快適であれば、大学生活はもっと楽しめただろうと思う。他にも、新キャンパスの駐輪場が有料になったり、教務の対応が悪かったり、学部や大学の決定にはモヤモヤすることが多かった。いつか、大学生活を良き時間だったと認識できるようになるのかもしれないけれど、今は出身大学を全く誇りに思わないし、私の大学時代が素晴しかったなんて口が裂けても言えない。
 愚痴が長くなってしまった。再履バスについてはもっと書きたいし、他にも卒論のことや最後の一年に感じた専攻内の違和感もあるのだけど、他の機会か、あるいはフィクションに場を移して書こうと思う。 いずれにせよ私は毎朝、再履バスの列に並ぶ段になってもうすでに嫌になり、大学をサボってミスドに入り浸っていた。あるいは遅刻してるので開き直って、大学にも行かずにずっと本を読んだりロシア語を勉強したりノートを書いたりした。このミスドでノートをめちゃくちゃ書いた気がする。よく大学入学してから100ページあるツバメノートを日記兼雑記帳として使い始めたのだけど、当時のノートにはよくミスドのレシートが挟まっている。時々トレイに敷く薄い紙もある。大抵メモが書かれているのだけど、字が汚すぎて読めないことが多い。

店舗や時期によって、レシートの裏に柄があったりなかったりする
 大学に入って最初に読んだ本、川端康成の『伊豆の踊り子』も、読み終わったのはこのミスド。大学の図書館で借りた本を何冊もこのミスドで読んだ。大学2年目も、休学に気持ちが傾いた後は、授業の予習復習もそこそこにスマホで漫画を読んでいた。押見修造作品にはまって、漫画村で読める範囲のものは全部読んだ。『惡の華』が大好きで今でもネカフェに行くとよく読む。『漂流ネットカフェ』も『ぼくは麻理のなか』も好き。結構グロテスクだけれど、残酷な内面を抑圧して育った自分と押見作品の主人公が似ている気がして、いずれ全部読みたいと思っている。漫画村にアクセスしたことについては、反省はしている。

いつかのネカフェ
 サークルの人とミーティングしたり集まるのはここであることが多くて、いろんな人と話した。待ち合わせをして、ミスドでひとしきり喋って、向かいにあるインド料理屋ガンガマハルか、あるいはピノキオに行くのだった。ガンガマハルでは、常連になりすぎて、いつの頃からか私が行くとサービスでチキンティッカが出されるようになった。ナンのおかわりが無料で、よく一緒に留年した悪友のCとナンをたらふく食べた。老夫婦がやっているピノキオは、サークルの新歓で来て以来大好きなお店なのだけどこの前石橋を歩いたら潰れていた。代わりにダーツバーが入っていた。安くて量が多くて、店も広い。最高のお店だったのに。ダーツバーなんてもう流行らないだろ。

ガンガマハル

5時台はまだ空いているが、6時を過ぎれば学生と地元の人で賑わう

ピノキオの手書きのメニュー

ピノキオの店内。年季の入った入ったクロスが好きだった

唐揚げとメンチカツの定食。定食につくスパゲティがうまいのだ
 たくさんの思い出のあるミスタードーナツ阪急石橋ショップも、2021年の1月に閉店してしまった。2019年ぐらいにリニューアルされて綺麗になったトイレも、手すりのようなもので仕切られた店内も、ガンガマハルとなか卯が見える窓際のカウンターの席も好きだったのに。
 ミスドのあったところには整骨院が入った。こうして、この国からは若者の溜まり場が失われ、老人向けの場所ばかりが増える。石橋については今度また書きたい。本当に好きな場所。あの頃にはもう2度と帰りたくないとしても。

この公園でもいろんな話をした
 
 
豊中駅前ショップ(ショップNo.0599)

 大学生活最後のセメスターは、豊中駅をよく使った。2021年度から大学のキャンパスが移転したこと、そして夏の交通事故で私の原付がスクラップになったこと、この2つがあって豊中経由で大学に通うようになった。
 原付のこともいつか書きたい。原付で名古屋にも、山陰にも、九重連山にも行った。思い出がたくさん。でもバイク屋さんが来てトラックに乗っけるのは一瞬。あの夏の早朝に事故が無ければ、未だに一緒にいられたかもしれないバイク。ぶつかってきた相手からは未だに手紙も電話もない。ひと月半入院したのだから手紙をくれる機会はたくさんあっただろうに。 

豊中駅
 13歳から16歳までの間、豊中駅前の英語塾に通っていた。その時期の私は秀才で通っていたと思う。勉強以外にすることがなくて、遊ぶことを知らなかった。部活と文化祭の練習との両立が難しくて、塾はやめたけど、続けてもよかったなと思う。もったいなかった。同じ学校の子も何人か同じ塾に通っていた。なんとなく信頼関係があって、よくメールとかしたと思うけどもうほとんど覚えていない。でも何人かとはまだ繋がっている。繋がってるから、だからなんだよ、と思わなくもないけど。でも時々思い出したように連絡する。

この2階が英語塾
 卒論を書くのに豊中ミスドを使っていた。11時まで開いているのでとても助かった。論文を読んで、文章を書く。何度も心が折れそうになった。「(私の所属する)〇〇ゼミから出される論文がひどい」というようなことをわざわざ私に言ってのけた先生がいて、その言葉が何度も頭をよぎり、自分の書いている文章がひどく陳腐で価値のないように思えた。実際、精神的に参って、自分の書いているものは無価値なのだと思っていた。ひどい論文なのにOKを出しているとしたら、先生方にも問題はあると思う。それ以前にそういうのは暗黙の了解だと思うのだけれど、なぜ私にだけそういうのを言ってくれたのだろうと今は不思議に思う。私は相談されるのが好きだし、悩んでいる人がいたら一緒にいてあげたいと思うけれど、だからと言って愚痴ばかり言われるのは嫌だ。一方的に愚痴や悪口ばかりぶつけられると、自分がゴミ箱にでもなったような気がする。そんな風に誰かに接することを「信頼の証」だと思っているとしたら悲しすぎる。一方でそこまで許していた自分も悪かったと思う。我々の関係は共依存だったのだと思う。
 とにかく、私はその人の言葉が頭の中でリフレインしたおかげで自分の文章にも構成にも全く自信が持てず、卒業論文はひどい有様になった。自信を喪失し頭を抱えていたのが、この豊中駅ミスド。かなり広い店内で、店舗面積も、座席数も今まで行った中で一番広いかもしれない。新聞を広げている人、パソコンで仕事をしている人、放課後の受験生、中国語を勉強している社会人、いろいろな人がいる。
 ミスドから信号を挟んですぐ、新キャンパスに向かうバス停がある。1限の授業は取らないことにしていた。早起きして豊中ミスドでモーニングをしながら論文を読み、時間が来たらバスに乗って大学に向かうような日々だった。豊中からキャンパスまでの道は細くてアップダウンが多く、コーヒーで荒れた胃や食道が刺激されるのだった。

新しいキャンパス
 年始の授業でショスタコービチのプレゼンをしたこともあって、卒論の作業をしながら、あるいはバスに乗りながら、ショスタコービチの交響曲第7番を聴いていた。交響曲第7番は別名「レニングラード交響曲)」。作曲家ショスタコービチが生まれた町レニングラード(現サンクトペテルブルク)は1941年9月から44年の1月まで戦場となり、900日近くドイツ軍に包囲された。100万人を超える市民が死亡し、死因の大半が餓死だった。ショスタコービチは自らの交響曲レニングラードに捧げると述べ、包囲下のレニングラードではオーケストラが交響曲を演奏し人々を勇気づけたらしい。

授業のスライドから。ショスタコービチはサッカーファンだった
 レニングラードがドイツ軍の攻撃に耐え、ナチスの侵略に打ち勝ったことが、対ナチスプロパガンダに利用されたエピソード。そのプロパガンダは21世紀になっても続いているのだと感じる今日この頃。
 2022年の2月以降も第7番をたくさん聴いている。最初はロシア軍が迫ったキエフを思い、そして今は包囲されたマリウポリを思う。
 豊中駅には、他にも駅ビルの上階の図書館で本を読んだり勉強をしたこと、高校の文化祭の打ち上げの後に駅前のベンチで友達と話したこと、入り浸っていた駄菓子屋の話など、書きたいことはあるのだが、これ以上文章が散らばっても良くないのでここら辺でやめにする。

講義室
 
 
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