シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#60 私たちは何者かにならないといけない

 

 2留している。

 いや、正しく言うと、実際に留年したのは1年。その前は休学だった。

休学しても別に何もしなかった。旅行をちょろちょろして免許を取っただけだった。

 

 今月、私は23歳になる。

「大学生で22歳」と言うのと、「大学生で23歳」と言うのは違う。

 

 23歳で大学生している、ということはどこかで回り道をしているわけである。浪人、留年、休学、留学。初対面だろうがなんだろうが、訊く人はどんどん訊いてくる。1年間の浪人を含めて、私は3年間も回り道をしている。「若い時の2年や3年、別にどうってことないよ」と言ってくれる人もいるけれど私はまだそんな風には思えない。それは、大学で足踏みしていても自分の成長が見えないからである。それから、自分の今あがいていることが将来にどのように役立つかわからないからでもある。

 

 去年も一昨年も受けていた授業を今年も受けている。去年答えられなかった問題を今年も答えられない。がっかりする教師の顔もまた同じである。

 

 ストレートで大学に進学した高校の同級生は、大学院に進学したり、あるいは就職したりしている。昨年末、就活や院試が終わった友達から会わないかと誘われたりしたけれど、自分の現状が恥ずかしくて会えなかった。去年の夏から新生活が始まる今年の春までの期間は、彼らにとって最後の自由時間だったのかもしれない。その時期に会えなかったのは申し訳ないけれど、それでもやっぱり会えなかった。大学にも行かず、後ろ向きのことばかり考えて腐っている自分を彼らの前に出せなかった。今思えばくだらないプライドだった。でもその時はそんなプライドでも守らないと死んでしまいそうだった。

 

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 浪人時代同じ予備校で勉強した友達も今や4年生で、就活を頑張っているみたいだ。SNSで彼らの頑張っている姿が見える。エントリーシートに関する愚痴も、うまくいかなかった面接のことも、泣きそうになっている心も見えてしまう。もちろんツイッターフェイスブックが全てではないし、そうしたSNS上での振る舞いがその人のすべてではない。ただ偉いなあと思うだけだ。仮に自分が今、就職戦線に放り込まれたとして、就職活動をまっとうにできるとは思えない。就活サイトに登録して、インターンを申し込んで、メールをやりとりして、グループディスカッションをして、他人と競って。そこには想像もつかないような困難があるだろう。ただただ感服するばかり。別にこれは皮肉なんかじゃない。はたしてそういうことが私にできるだろうか。

 今日久しぶりに会った友達も、最近就活が終わった話をしていた。もうそんな感じなのかと思った。「すごいなあ」と思い、また少し心が痛くなった。

 

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 こんな風に書いているけれど私の毎日は案外に明るい。なぜなら今はぬるま湯に浸っていられるから。将来に対する見通しもないし、来年進級できているかもわからない。けれど毎日何かしらやることがあって映画だったり勉強だったり本だったりそういうので時間がどんどん過ぎていく。会社勤めや、就職活動をしている周りと比べるとどうしても気が滅入るけれど他人と比較しても仕方ない。自分は自分。そう言い聞かせてここ何年か生きている。

 バイト先の人と自分の学生生活について話す機会があった。その人は2人の子どものお父さんで、よく奥さんの話や子供の習い事の話をする家庭的な人である。留年していて不安であることを伝えるといろいろアドバイスをしてくれた。その中で響いたのは「家庭を作ると自分の時間が無くなってしまう」という言葉だった。結婚してから、子供が生まれてから、今まで何気なく過ごしていた時間こそが「自由」だったのだと、その人は思っているようだった。

 確かに大学生の身分で今は何をしていてもよい。どこに旅行しようが、どんな本を読もうが自由である。映画も見放題である。バイトもできるしお酒もたばこもできる。入学当初、私は映画を作ることを仕事にしたいと思っていて、でも大学で学ぶことにしたのは言語だった。センター試験の点数をもとに半ばなげやりに決めたせいで、私は卒業まで○○語を専攻することになった。

 

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 正直耐えられなかった。映画の仕事をするのに大学の勉強は価値のないように思えた。でも入ってしまったがために卒業しなくてはならなくて、でも興味関心がなかなかわかなかった。

周りの何人かは自分の夢とか将来のプランとかに向かって邁進していて、輝いて見えた。別に大きな夢が無くとも現実に向き合ってやるべきことを着々とこなしている人もいて、尊敬が湧いた。自分はと言えば毎日を自堕落に過ごし、好きなことを好きなだけしている。目標も夢もなく、ただただ日々を過ごしているだけだった。大学生は人生の夏休み、なんて言うけれど私の時間の過ごし方は怠惰そのものだった。

 

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 次第に、決めることがおっくうになってきた。あれをやるこれをやる、ということが面倒くさいものになっていった。自分の進路をどう決断しても自分の夢を叶えられる可能性は低くなるように思えた。自分の周りにはたくさんの選択肢が転がっていて、そのどれかは自分の人生を良いものにするのかも知れない。けれどそういうのを一つ一つ手に取って確かめることは煩わしいものに思えた。私は段々と決めきることができないようになり、決断を先送りにするようになった。大学2年目の夏、私は半年間休学することを決めた。私のコースは通年で単位が出るので、自動的に留年することが決まった。

 

 何かを決定することが嫌で嫌で仕方がなかった。、私はひたすら決断を避けた。本棚のたくさんの本も捨てることができず、大掃除をしても物を捨てられなかった。パックに少しだけ残った牛乳を飲み干すことも嫌になり、服を買いに行っても何も買わずに帰ってくるようになった。

 同時に迷うことが増えた。自分には迷うことを楽しんでいる節があって、結論が出ないようなことを延々考えていたりした。家族のことや映画のこと、友人とのことや最近読んだ小説のこと。考えれば考えるほど沼にはまり、悩むことが楽しくなっていった。

 

 

 ある朝気づいた。自分がどうしようもなく嫌な奴になっていることに。自尊心と自意識だけが肥大して、周囲を見下し、小難しいことを考えている自分が偉いと思っている。迷う自分に酔っている。このままじゃいけない。そう思った。今のままだと駄目だ。変わらないといけない。「何者にもなってやらないぜ!」と今はうそぶいていられる。「何者にもなれる」力と可能性を持ったまま、何も決断せずに「何者にもならない」ままでいるのは確かに楽だ。でもそうこうしているうちに「何者にもならない」のではなく「何者にもなれない」ようになってしまう。そうなったら悲惨である。いざ「何者になろう」と思っても、力も選択肢もなくて、本当に「何者にもならない」まま人生を終えることになってしまう。そんな未来がよぎって、気持ちが暗くなった。

 

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 じゃあどうしよう、と考えて、とりあえず決定をしていこうと思った。毎日何かしらの決定をしよう。できることなら決定にかけるスピードを速くしよう。今すぐに根暗や不安が治るわけではない。でも決断をすることを恐れずにやっていけば勇気や自身も育つだろうかと思う。そう思って最近生きている。この心掛けが実を結んでいるかはわからないけれど、とりあえずのところは順調である。何者になれるか、わからないけれど、まだ何かしらにはなれると思う。