シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#208 ハノイ、ノイバイ空港

 ハノイのノイバイ空港でトランジットすることが決まった時、つまりトリップドットコムでフライトチケットを取った時、台南のサマースクールで知り合ったベトナムの友達に連絡するか迷った。でもしなかった。10時間弱のトランジットとはいえ、自分は空港から出ないだろうと思ったからだ。ノイバイからハノイ市内への行き方を調べることさえしなかった。
 怖かった。ベトナムには行ったことがない。その土地の文化や言語、空気に触れて、自分がベトナムのことを好きになってしまいそうで怖かった。これ以上好きなことが多くなったらどうしよう。そんなことを考えていた。

私の飛行機はまだ出てこない
 台南で3人のベトナム人と会ってから、少し、ベトナムのことを調べた。ベトナム戦争のこと、文化や歴史についての映画。『地獄の黙示録』も観た。でも途中で興味関心が違う方向に向いてしまって中断した。空港の外にいられるのは長くても4時間とかだろう。その間にベトナムにもっと居たいと思うようになるのが怖かった。これ以上好きなことが増えたら時間はどんどんなくなってしまう。あれもやりたいこれもやりたいと言って何も継続的にできていない私。これからどうなってしまうのだろう。
 
 まだ何にもなれていないまま20代が終わりそうだ。それがとても怖い。
 
 ノイバイ空港について、入国審査の方向に行くのか少し迷ったけれどすぐにやめて、トランジットの方向へ行った。ノイバイ空港のトランジットは少しややこしい。迷ったらスタッフに聞くべきだと思う。
導線がわかりにくいのは空港側も理解しているらしく、右往左往する私に、空港職員が声をかけてくれた。ネクタイと白ワイシャツだけで、一見一般人のように思えて少し身構えたけれど、その人の言うことに従って進むとすぐに正しい道だとわかって安心した。
 パスポートを警察官に見せる。日本と違ってベトナムの警察官はカーキ色の制服を着ている。最初は見慣れなかったけれど、
「ふーん、君はロシアに行ったことがあるんだねー」なんて警察官は言ってくるけれど私はこの道があっているか確信がないからあまり話す気になれない。緊張したまま「そうだよ。めっちゃよかったよ」なんていうしょうもない受け答えしかできない。ロシアのビザには顔写真もあって結構目立つからその警察官が私にその話をしたくなるのもわかるけど、私は、とにかく早く通してくれとしか思えなかった。それって精神的に豊かとは言えない。空港って疲れる。気が休まらない。結局この後もノイバイ空港で9時間過ごしたのだけれど、あまりリラックスはできなかった。
警察官の立場からしたら、会話なしでパスポートを淡々とチェックしていくのは結構疲れるだろうなと思う。箱根のゲストハウスで働いていた時、パスポートをチェックしないといけなかったけれど、あえて何も言わないようにチェックするのは難しかった。不毛な作業だと思うし。オーナーもマネージャーも何も教えてくれなかったから良くわからないままパスポートをチェックしていた。

空港にいると世界が近くなったように錯覚する
 警察官のいる場所を過ぎてエレベーターを上がれば、そこは出国の保安検査場だった。よく使う空港が関空だから、他の空港に来ると関空と比較して考えてしまう。保安検査場は東南アジアの香りがした。でも日本の地方空港と似た雰囲気もあった。列にいるとたくさんの言語が聞こえてきて、外国にいることを実感する。ベトナムにはロシア人が結構来るイメージがある。昔同じ陣営にいたことも関係があるとは思う。でもロシア語は聞こえなかった。フランス語と英語が聞こえた。ドイツに行く私の便は夜だから、ドイツ語が聞こえるのはきっと後なのだろう。
 
 国際線のターミナルは南北に伸びていて、20から30ほどのゲートがあった。時間は裕にあるから南の端にも北の端にも行ってみる。曇り空が広がっていた。至るところにネックピローがあった。買いたいけど買わない。きっと嵩張るから。寝相が悪い私がネックピローをして寝ても起きる頃には足元にあるのだろうと思うから。ハノイで首に巻いてあったネックピローは、フランクフルトに着く頃には3列ほど前に転がっているに違いない。やっぱり買うのはやめる。
 
 ターミナルの北の方にはバーガーキングとフォーの店があった。散々迷ったのだけれど、フライトの4時間ほど前、夜になってから、そこで夕食を食べた。南の方にはフライドチキンの写真がたくさんあるお店があって「ルイジアナ」と英語で書かれていた。きっとアメリカ南部の料理を出しているお店なんだろうと思う。美味しそうだったけどやめた。

 土産物屋にはベトナムの菅笠みたいなのが売られていた。行き交う人を見ても、お土産でそれを持って帰る人が多いみたいだった。他にはブレスレットやランタンが売られていた。
本屋も何箇所かあって、ベトナム戦争の写真集や、各国のガイドブックが売られていた。各言語の簡単なフレーズが書かれている指差し会話帳みたいなものもあって、ロシア語のものが売られていた。とても書いたかったけれどこれ以上持っていく本を増やしても意味がないのでやめた。私は物欲の塊であり、かつ我慢のプロフェッショナルでもある。モスクワ版やペテルブルク版のブルーバックを見て少し苦しくなった。

 SNSに来ているコメントを返す。チャットに返信をする。空港のフリーWi-Fiはあまり良くなくて、だからサンディエゴの友達に電話をしても繋がらなかった。代わりに1時間弱チャットをした。その数時間後にはフォーを食べながら日本の友達と電話したけれど、やはり電話は途切れ途切れだった。フォーはすごく美味しかった。麺とスープが入ったボウルと、別皿にパクチーやもやし、唐辛子やライムが盛られていて、食べている途中で味を変えることができた。そういう味を変える文化がベトナムにもあるのは驚きだった。

 海外の空港いるとたくさん思い出すことがある。初めて行った海外旅行、マレーシアへの修学旅行、関西国際空港で話したドイツ人の家族。トランジットで時間を潰したマレーシアの空港、乗れなかった飛行機のこと。たくさんの思いと、これからの旅行への期待と不安が交錯して、時間があっという間に過ぎていく。
 
 時間が来て、急いで歯磨きを済ませる。水筒に水を入れて、ゲートに行く。ドイツで何が待っているかわからないけれど、ゲートで列に並ぶ頃にはフリーWi-Fiが届かなくなっている。調べたいこともチェックしたいメールもあるけれどもうどうにもならない。パスポートと航空券を見せて、バスに乗りこむ。

 
 
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