シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#201 恋とか愛とか

 この道の先に、肘掛け椅子に座った未来が、私を待ち受けているとして、そこには何があるのだろう。恋愛? 結婚? 小説が売れて家族のためにマイホームを購入? 世代を超えて家族のメンバーと調和している?
 
 2023年にいる私は、うまく将来を思い描けない。そんな日々がもう5年以上続いている。暗いニュースばかり。どうして難民を受け入れない? どうして女性への差別は無くならない? 奨学金を返すための人生を送る人々。要領が悪い人には辛い世の中ばかり。傷つきやすい人のみが傷つき、鈍感で要領が良くなければいけないのだろうか。ずっとしんどい。自分より下の世代がSNSで絶望してるのを見る度、どうにかして変えたいと思う。でも何から始めれば良いのだろう。

 例えば10年前なら。2013年、私は何を思い描いていたのだろう。結婚とか恋愛についてどのように考えていたのだろう。16歳の時から21歳の時まで大好きな人がいたのは覚えている。あの時の熱はすごかった。一方的に想っていただけだけど、それでも高校1年の夏からずっと、浪人しても大学に入っても、時々その人のことを考えていた。今となっては、どうしてあんなに好きだったかわからない。それはちょっと悲しいことだ。
 
 ずっと恋愛について書かないといけないと思っていた。でも何から書けばいいかわからなくて、断片的なメモばかりが溜まるだけ。母と父の関係。祖母と祖父の関係。伯母と伯父の関係。私の周りにあるサンプルたち。
 
 人を好きになる気持ちはわかる。今まで何人もの人を好きになってきた。保育所の時にすでに好きな人はいたし、尼崎に住んでいた小学校低学年時、好きな子が何人もいた。みんなの前で好きな女の子の順番を発表していたりした。10代以降の自分を考えると想像もできないだろうけど、8歳以前の私はそういう男の子だったのだ。一緒にドッジボールをするならあの子が好きで、一緒にお話しするならこの子が好き。そんなことを平然と言っていた。恥ずかしいけれど、子供だからこその微笑ましい光景。

 恋愛についてよくわからないことの一つに「誰か一人と付き合わないといけない」という暗黙のルールがある。私は頭では理解できるけど、実際のところよくわかっていない。
 8歳の私は、色んな人にそれぞれの価値を見出していた。人それぞれに長所があって、それを見つけたいと思っていた。金子みすゞ宮沢賢治の影響だと思う。
 この人のここが素敵。この人のここは見習わないと。この人の笑顔が好き。そんなのをいつも見つけようとしていた。キックベースをしている姿が素敵。けんだまの「もしかめ」をする真剣な顔が好き。音楽会で大太鼓を叩く姿がかっこいい。クラス全員が自分の味方のように、絵本の中の登場人物のように感じていた。
 そのマインドが現在も続いているから。家を重視する戸籍制度に根ざした日本の「結婚」をよく思っていないから。理由はたくさんある。誰も彼も愛したいのに、結婚するのは一人とかできないというのが理解できない。どの人にもたくさん素敵な部分があって、選びきれない。今はあの人が大好きだけど、でも来週は違う人かもしれない。同時に何人にも恋していたいし、愛していたい。でも世界は一人にしろって言う。
 それなら私はプラトニックな感情だけでいいや。男でも女でも精神的な関係性を上位におこう。心の繋がりこそを大事にしよう。いつの日かそう思うようになった。心の繋がりだけなら女も男も関係なく、いつまでも一緒にいられる。無理に恋愛しなくても私は大丈夫。そう思うようになった。

 自分に対して意地悪な見方をすれば、自分は誰かを選ぶだけの覚悟がないのかもしれない。半永久的に続くその期間、誰か一人を好きであり続けることができる自信がなかった。一つのことを根気強く続けることが苦手な自分は誰かに対してずっと誠実でい続けられるだろうか。不安だった。
 10代の恋愛はただの「恋愛」でしかなかった。でも大人になるにつれて、恋愛は人生をも決める要素になってしまった。自分の人生を決めるだけの覚悟が私にはずっとなくて、相手の人生をも左右するなんて恐れ多くてできない。夏休みに朝顔の水やりを毎日できないような人間が相手のことを大事にできるのだろうか。きっと無理だ。私はその人を不幸にしてしまう。
 そこまで見えると、もう恋愛はいいやって思う。自分の「人間力」が上がるまで恋愛はしなくてもいいや。無理に偽らなくてもやって行けるくらいになるまで一人で生きていこう。でもそれっていつまでなんだろう?

 箱根のホテルで働いていた時、いろんな男女の関係性を見た。各々の部屋にベッドと温泉があって、ご飯もお部屋で食べるような場所だった。だからお忍びで来る男女がよくいて、それぞれの関係性を目の当たりにしながら接客していた。たとえ恋愛が自分の苦手分野だったとしても、目の前にある関係が素敵であればその恋愛に対して肯定的に見えるようになった。人間って自分が思っていた以上にシンプルで単純なんだとも知った。ここにダラダラと書いているように、自分は物事を複雑に見て、勝手にくよくよ悩んでいるけれど、もっと軽く動いてもいいのだと思った。そこに至ってまた、自分の来た道のことを思った。「こうやって育ってしまったからなあ」とかなんとか思って、少しだけ悲しくなる。

 シーブリーズのCMもポカリのCMも、恋愛リアリティ番組も脱毛の広告も、私たちを焦らせるのに必死だ。でも自分には関係ないかなって思って今日も眠りにつく。時々、キリストになって全員をハグしたいと思う。
 
 
 
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