シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#179 定点観察伊坂幸太郎(2)『魔王』

このコーナーは、伊坂幸太郎を2021年から読み始めた私が、伊坂幸太郎の作品を読み進めるごとに備忘録を残していくという企画です。あまり下調べなどはせず、感じたことをそのまま書こうと思います。
第2回は『魔王』です。講談社文庫から出ているものです。

 また講談社から出ている本。文庫で読んでいるが、文庫版の第1刷は2008年の9月。単行本は2005年。初出は、「魔王」は2004年12月で、併録されている「呼吸」が2005年7月。ちなみに『PK』の文庫版も本の最後をめくって第1刷を調べてみると、2014年の11月だった。6年の間に講談社文庫からは他に『モダンタイムス』が出て、巻末の著者紹介も7行から9行へと増えた。

 
 前回の『PK』の冒頭に「まさかのSF」なんて書いたけれど、能力者が出てくる伊坂幸太郎の小説は多いのかもしれない。解説にはそんなことが書いてあった。確かに前読んだ『砂漠』にも超能力を使って念力だけでものを移動させる同級生が出てきた。文化祭のイベントで招待されたスプーン曲げの超能力者と対峙したりしていた。クライマックスでは車も動かしていたと思う。
 
 小説が世に出た2004年の雰囲気をうっすらとしか覚えていない。「郵政民営化」という漢字5文字をどことなくかっこいい言葉にして選挙に臨んだ小泉純一郎「魔王」に登場する新進気鋭の政治家、犬養の言動を読みつつ、記憶の中にある小泉首相のイメージや2000年代の雰囲気はこんな風だったかなあと考えていた。解説を書いている斎藤美奈子も同様で、小泉政権とそれに連なる安倍政権について書いていた。
 
 私はむしろ、維新の会の橋下徹に近いと思った。犬養のように考えていることがわからないという不気味さはないものの、「無駄」とされるものを徹底的に排除して人気を得ようとするやり方は似ていた。関西に住む人間にとって彼の登場は強烈だった。そして醜悪だった。
 現実の世界でムッソリーニがダンテを、『魔王』の中で犬養が賢治を引用するようなことを、維新の会はおそらくまだしていない。けれど明治維新を想起させる「維新」という言葉を政党名にしているのは、それとそう遠くないことのように思う。大衆を動かすには便利なコンテキストが必要なのだ。ワーグナーのオペラを利用したヒトラーのこともすぐ思い浮かぶ。ニュルンベルグでの行進。ワーグナーの歌をそらで歌えたちょび髭の男。ルジニキのスタジアムでオリンピアンと共に演説した2022年のロシアの大統領。
 伊坂幸太郎はいつも、後書きの中で引用した本のリストを書いてくれる。その中にファシズムについての本もあったからきっとそういうのも知って書いているのだろう。
 
 全体主義国家の独裁者はスポーツを利用する。「魔王」にもサッカーが登場する。日本代表が試合をするのは中国とアメリカ。ちょうど現実の政治の世界で日本と問題を抱えている国だ。サッカーの試合を観て熱狂する居酒屋の喧騒を「魔王」の主人公の安藤はどこか危険なものに感じている。小説の終盤に入るところで、アメリカで日本代表のMFが殺され、その後に日本では反米感情が高まる。そしてアメリカ資本のハンバーガー屋が各地で燃やされる。安藤は、現実を直視して、思考を続けることで空気に流されないようにもがき、前に進もうとする。
 
 ファシズムを思わせる描写が繰り返し登場する。同僚の満智子さんと行った藤沢金剛町のライブハウスでも、観客がバンドのヴォーカルの声によって、個性を失い一つになるのを見て、愕然とする。整列したすいかの種や、全国チェーンの居酒屋にも無個性な全体主義を主人公は感じている。
 
 それは読者の私たちが生活の中で感じるであろう違和感でもある。政治に対して我々の反応は様々だ。熱心であればあるほど、「こうしないといけない」と思っていれば思っているほど、周りに幻滅し疲弊してしまう。他方、大衆や情報から距離を取り、自分の正義を見つめ直そうとする人もいる。「魔王」と「呼吸」に描かれる安藤兄弟の社会や政治に対する反応は対照的だ。物事を直視し、考えることを続ける兄は、犬養や未来党に熱狂してゆく周囲を見て危機感を募らせてゆく。「呼吸」で弟の潤也は妻となった詩織と共に仙台に移り住み、希少動物の生息地を調べる調査員をしている。オオタカの栖が開発によって奪われないようにすることが、彼にとっての正義なのだろう。そして「呼吸」では兄の死後に獲得した能力を使って、潤也が「正義」のために何かをしようとしていることが仄めかされて終わる。どんなに社会が流れても、その洪水の中で立ち尽くす一本の木になりたい、という潤也の言葉があって、物語は終わる。「ライ麦畑から子供たちが落ちないように捕まえてあげるような人になりたい(意訳)」といったホールデン少年のことを少しだけ思い出す。別にこれは政治についての話だけではないはずだ。SNS掲示板をどう使うか。バスでお年寄りに座席を譲るかどうか。目の前の人がポイ捨てをしたらどう反応するのか。友人が引きこもりになっていたら? そういった日常に潜む「正義」を伊坂幸太郎はずっと考えていると思う。
 
「魔王」と「呼吸」のストーリーはその後の『モダンタイムス』に続いているらしい。チャップリンの映画からとったタイトルだろうけれど、伊坂幸太郎は多くの作品でチャップリンの映画から引用をしている。上下巻あるらしいけれど、読むのが楽しみだ。
 
〈メモ〉
安藤:主人公。おそらくエンジニア。結構大きな会社に勤めている。
潤也:安藤の弟。2人は現在共に住んでいる。両親は17年前のお盆に、信州へ帰省する際、交通事故に遭って死亡。
詩織:潤也の恋人。無邪気で無知であるように振る舞っているがそれがまるで偽装のように安藤兄に思える時がある。
島:安藤の大学時代の友人。巨乳と女子高生が大好き。
犬養:未来党の政治家。39歳。宮沢賢治の詩を引用する。
佐藤:首相を5年務めている与党政治家。老人であることが示唆される。
満智子さん:安藤の同僚。環境問題に敏感。
課長:「覚悟はできているのか?」と部下によく言う。
平田さん:安藤の会社で古株の先輩。40代前半。離婚歴がある。岩手県惣菜屋を営む実家があり、後を継ぐために退職することが決まる。
千葉:資材管理部の後輩。安藤と最寄駅が同じ。
アンダーソン:アメリカから日本に帰化して、現在は英会話の教師をしている。帰化が認められた半年後、日本人の妻は歩道橋から転がり落ちて亡くなる。「はるばると春に、来た」という言い方が好き。
ドゥーチェのマスター:おそらく能力者。
 
日比谷の喫茶店の老人:80代でストローの刺さったアイスコーヒーに口を尖らせている。「生きているだけ」
田中:日本代表の中盤の要となるミッドフィルダーアメリカでの試合の後、足と心臓を刺されて死亡。
 
 
「呼吸」
詩織:安藤の死んだ2年後に純也と結婚。2人は仙台に移住している。プラスチック製品メーカー、サトブラの派遣社員
大前田課長:人格者。上司に楯突いて転勤させられる。競馬が好き。
赤堀君:居酒屋で改憲について訴える。
蜜代っち:帰国子女で美人。詩織を「詩織っち」と呼ぶ。雑誌編集者の旦那がいる。
犬養首相:「魔王」から5年、首相になっている。
 
 
 
【今日の音楽】
 
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