シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#195 沖縄まで。離陸と着陸。


 送られてきたメールには搭乗時刻の30分前にカウンターに来てくださいと書いてあった。なんとか33分前に滑り込んで、航空会社の人はあからさまに嫌な顔をしている。いや、ギリギリに来たという罪悪感が相手の顔をそういうふうに見せているのかも。絶対そうだ。
 ダメだなと思う。時間にだらしないところは、本当にだめ。昔、友達と一緒にロシア旅行したことを思い出す。自分が本当にダメダメだったあの頃。彼に何度も迷惑をかけた。前よりは良くなっているかな。そうだったらいいなあ。
 
 機内持ち込みの荷物は7キロまでで、それなのにバックパックの重さを測ったら9キロもある。コールマンのリュックは預けないといけないことになり、そして余分に3500円払う。旅行のスタートとしてはなんだか幸先が悪い。空はずっと曇っているし。空港のテラスには雪が積もっている。
 飛行場の上を歩いて飛行機まで。風が寒い。滑走路の雪掻きを誰かがしたのだろう。靴が濡れない程度の水溜りが幾つもあった。

 
 飛行機が離陸する時、ここで死んだらどんな気分だろうと思う。
「もしここで死んだらどう? 嬉しいの?」
時々、私は自分の中のもう一人に対して問うてみる。14歳ぐらいからいるそいつも、私と同じでへそ曲がりで、簡単にはうんとは言わない。そういうところを愛らしいと思うこともしばしば。
「どう? 今死ねばラッキーだと思うの? ねえどうなの? 答えてよ」
もう一人の自分をいじめるのは楽しい。でもやりすぎはよくないからほどほどで。

不安なので一応本を持っていく
 どう考えても、人生には意味などない。小さい頃に仏教の本を読んだり手塚治虫の『火の鳥』を読んだりして気づいたこと。だからといって死ぬだけの理由もないよなと思う。だからこそ自殺した人のことが気になる。大義があって死んだ人。言われるまま自殺した人。誰かと一緒になりたかった人。
 外国にいて、自分が日本人だとわかると「ハラキリ」について言ってくる外国人がいて、時々イライラする。でも実際、日本における、自殺に関する文化、精神世界は不思議だ。美学とまで言えるかもしれない。
 自殺に対して美学を感じるなんて、生物的におかしい気がするけれど、でも事実だと思う。自殺に「美学」を感じる人は私だけではないと思う。そして、それは日本史のあちこちに散りばめられている自殺のエピソードによるものだと思う。

 大阪の梅田にはお初天神という神社がある。そこは、江戸時代に無理心中した男女に起源を持つ神社なのだけれど、今でも恋愛成就を願って参拝する人が絶えない。絵馬にある文字はどれもキラキラして眩しい。
 自殺した男女に由来する神社なんて変だ。でも日本文化のコンテクストだと変じゃない。そのこと自体が変だ。不思議だ。
 
 昔から、私は、忘れられるのが怖い。7歳の頃、自分が自殺すれば誰も自分のことを忘れないのではないかと思ったことがあった。すぐ後で、自分自身が怖くなり、自分の精神がおかしいのではないかと疑った。あの頃、誰かに相談していたらよかった。あの頃の私には、信頼できる人がいたのだろうか? 時々タイムマシンで過去に戻って、答え合わせをしたくなる。

 もし、当時の大河ドラマで『新撰組!』を見ていなかったら、あるいは歴史に興味を持っていなかったら、自殺に惹かれることもなかったのかもしれない。
 
 眠りながら死にたいと常々思っているので、だから飛行機に乗り込んだらすぐ寝ることにしている。事故が起こるなら、離陸する瞬間と着陸する瞬間だと思うからだ。起きたらいつの間にか空の中で、コーヒーを配るワゴンが近くにある。飛行機事故が起こる可能性なんて極々僅かだと分かっていても、ついつい安堵してしまう。

旧キャンパスの竹藪
 祖母との最後の旅行。高速道路に乗って石川県まで行った。
 どういう流れだったか忘れたけれど、どこかのサービスエリアで休憩した後に、祖母が運転することになった。長い間運転していなかった祖母の運転はめちゃくちゃで、玉突き事故を起こしそうなほどだった。車内で誰かが叫んでいたけれど、私はここで死んでもいいかなあなんて風に思って、構わず後部座席で寝ていた。いつでも、可能ならば眠りながら死にたい。

 沖縄に行く飛行機。窓の外は海ばかりだ。無数の雲がある。その下にある海は揺れているだろうけれど白い波までは見えない。
 この海の底にも誰かが死んでいる。特攻という自殺で死んだ人たち。沈没した無数の船。
 
 前回沖縄に旅行した時のことを思い出す。「ケータイの電源を切れよ」ってギムラ(友達)に言われて、不貞腐れていたあの頃。せっかく友達と旅行しているのに飛行機の席でセネカの『生の短さについて』を偉そうに読んでいた自分。本当にちっぽけだった。
 みんなと一緒にいるから、戦争の遺跡には行けなかった。それが私は不満で、今度沖縄に来るときは、絶対に一人で来ようと思ったのだった。
 そう思ったことは覚えているけれど、当時友達と何をしたのかは覚えていない。美ら海水族館には確実に行ったけれど、それ以外の記憶がほとんどない。国際通りに行ったかどうかも覚えていない。もしかしたら全然楽しくない旅行だったのかも。
 そういう風にして段々記憶は無くなっていく。段々、みんなの顔も名前も忘れていくのだろうな。名前まで忘れたらどうしよう。

国際通りから少し離れた場所の夜。観光地にも日常がある
 機体が揺れて、ふと我にかえる。さっきから鼓膜が痛い。窓の外を見ると、島が見えた。これが何島なのかわからないれど、ずっと土地が続くのを見るとどうやら沖縄本島のようだ。高度何メートル程度なのだろう。神戸のポートタワーにのぼった時と比べて、人も車も、まだ小さい。あと何分くらいで着陸なのだろう。

ゲストハウスの近くに近くにバスターミナルがあった
 やはり着陸の時も、死について考える。眠ろうかとも思うけれど、外の景色を見ていたい私は起きていることを選択する。前に沖縄に来たあの時も、今と同じ景色を見たのだろうか? 海、砂浜、サンゴ礁、建物。全然見覚えがない。
 
 ガツンと衝撃があって、私はまた生きていることに安堵する。事故など起こらないだろうと思っていても、体は緊張しているし呼吸は浅くなっている。小心者だと思う。飛行機は滑走路をオーバーランすることもなく、ゲートへと向かう。飛行機が停まると共に立ち上がり荷物をまとめる人々。関西人はせっかちだ。いやこの便には沖縄に帰る人も乗ってるか。

 那覇空港を歩いても、全く記憶がなかった。ゆいレールに乗り込む時に、なんだか知っている感覚があるような気がしたけれど、それも一瞬だけだった。ゆいレールが私を那覇市内へと向かううちに、私はその感覚を忘れてしまう。広告も眼科の街も、人々の装いも、全てが目新しい。
 国際通りは寒かった。酒も飲めない男が一人で入れる場所がなかなか見つけられなくて、結局台湾料理屋で魯肉飯を食べた。我ながら、尖っている。素直に沖縄そばとか、定食屋でチャンプルーとか食べればいいのに。自分は本当に可愛くない。ゲストハウスのドミトリーで寝る時も、アフマートヴァの詩集を読んだ。友達と喋らずにセネカを読んでいた18歳の頃と全く変わってない。なんだか情けないなと思いながらも、一人旅なのだから好き勝手に旅行してもいいのだと思っている。明日は、沖縄っぽいことをしようと思って寝た。緊張しているのかあまり寝られなかった。

 
 
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