シゲブログ ~避役的放浪記~

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#128【書籍紹介】『あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる』瀬尾夏美(2019)晶文社

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 ある村がダムの底に沈むことになった。村人たちは満ちていく水を見ながら過ぎた日々のことを思い、語らい合った。ある村人は都会に出た。またある家族は親類の伝手を頼って、近くの村に移り住んだ。一人のおじいさんがいた。おじいさんは思い出のたくさんあるその土地を離れることができなかった。彼はダム湖のほとりに小屋を建て、そこに住むことにした。

 ある秋の夜だった。おじいさんの耳に笛の音が聴こえた。それは村祭りの音色だった。おじいさんは外に出た。耳を澄ますと音色はダムの方から聴こえてくるのだった。夜風がおじいさんの頬をなで、草むらに虫が鳴いていた。湖から祭りの音色が聴こえるなんてそんなはずはないだろうと思っておじいさんは寝床に戻った。それでも、その夜から毎晩、小屋まで笛の音が聴こえるようになった。やはりダムの底から聴こえるとおじいさんは思った。

 ある夏、何週間も雨が降らなった。ダムに注ぐ川は細くなり、湖の水位は下がり続けた。やがて段々と昔の村が姿を現し始めた。村役場、神社、杉の木、丘の上にあった誰々の家。水はすっかりひいて、ついに陽光の下に村全体が姿を現した。もうかなり年老いていたおじいさんは湖の底に降りて村があった場所を歩いた。おじいさんは一本の笛を見つけた。それは村の祭りで使っていた笛だった。何年も湖の底だった地面から笛を取り上げ、昔を思い出しながらおじいさんは笛を吹いた。つかの間、様々な情景が蘇った。おじいさんが吹き終わると、笛はその時を待っていたかの様にばらばらに崩れ、風が吹いて跡形もなくなってしまった。

 

 こんな話を私は尼崎の小学校で読んだ。昔話とか民話とかそういった類が好きで、図書室にある各地の民話集を片っ端から読んでいた。どこの県の民話だったか「ふえのおと」という話があって、だいたい上のような話だった。

 

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 最近ようやく『あわいゆくころ 陸前高田、震災後を生きる』を読み終わった。

 2年前に買ったけれど、途中で読めなくなってしまっていた本。東日本大震災から10年経つのを前にまた読み始め、ついに読み終えた。もっと早く読めばよかった。積んでいた本を読み終えた時は毎回そんなことを思う。

 著者は瀬尾夏美さん。2011年以降、陸前高田を主とする東北沿岸部で風景と人の言葉を記録し、制作活動を行ってきたアーティストである。2011年から7年にわたって著者が呟いたツイートをまとめた〈歩行録〉と各年を振り返って刊行時に書いた〈あと語り〉。それに絵と写真を加えて19年に晶文社から出された本は、なんていうか、もうめちゃくちゃ良かった。

 冒頭に「みぎわの箱庭」という未来から当時を語る絵物語がある。かさ上げされた上のまちとかさ上げ前の下のまち、それを歌——とおそらく記憶——がつなぐ話だった。昔読んだ「ふえのおと」と何となく似ているように思った。「ふえのおと」の正確な内容はインターネットでも見つけられなかったが、四国のどこかの民話だった気がする。

 巻末にも、渡り鳥の視点でまちを見つめた絵物語「飛来の眼には」がある。7年間の具体的な記録を、2つの抽象的な物語がふんわり包んでいるように思った。

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2020年3月仙台市若林区荒浜

 2011年に東京藝術大学を卒業した著者は、震災後の東北沿岸部を旅する。車で北へ北へと上り、10日間の旅路でいろんな人に出会う。東京と東北を行き来して制作する生活を送った後、2年目から気仙郡住田町という所に移り、隣の陸前高田で働き始める。写真館などで働きながら、かさ上げ工事が行われる様子や、時間と共に変わる人々の思い、街の顔、自分で考えたこと、そういうのを記録していく。並行して、大学院を卒業し、アーティストとして各地で展覧会を行っていく。

〈歩行録〉に出てくる名もないたくさんの人々。もちろん著者はわかるのだろうけど、読者は顔や年齢を想像するしかない。出てくるのは「宮古出身のおばちゃん」とか「証明写真を撮りにきたおじちゃん」である。ほとんど固有名詞が出てこない。固有名詞がなくとも、その人一人ひとりに背景があるのだろうというのは読んでいれば何となくわかる。地名以外にほとんど固有名詞が出ないことは、この本のふしぎな雰囲気を作るのに一役買っている。読者である私の身近にいる誰かの語りにも、高田以外の土地の話にも思える。固有名詞の欠落によって生まれた普遍性。

 最近読んだジュリー・オオツカの『屋根裏の仏さま』という小説を思い出した。写真花嫁としてアメリカに嫁いだ日本人女性の証言や資料を集めて、書いたものだ。「わたしたち」という主語を用いて、写真花嫁として渡った女性に普遍性を持たせようと著者は試みたのだ。読んでいるうちに、語られる内容が自分の知る誰かの話のように思えてくる。日系アメリカ人の著者は、歴史の中に埋もれていった彼女たちを身近に感じられるように書いたのだろう。

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『あわいゆくころ』に登場する人々がまるで身近な人のように感じられるのは、語り言葉のおかげでもある。ツイッターに元々あった文章だから話し言葉と書き言葉が混在していて、かぎかっこで区切られているわけでもない。書き言葉を読みながら著者の思考の中に入ったかと思ったら、いきなり誰かが語り掛けてきたりする。その語り言葉の豊かなこと豊かなこと。まるで目の前で誰かが語っていることのように思えてしまう。

災厄のあと、「何もかも流した」と語る人たちがその場で発揮していく創造性は、本当に尊いものだった。私は、日々目の前に立ち上がるものたちに憧れ、それゆえにすこしだけ距離を取る必要を感じて、〝旅人〟としてこのまちに関わっていこうと決めた。(p18

「おじちゃん」「おばちゃん」なんて書かれることが多い〈歩行録〉だけれど、よくよく読めば繰り返し出てくる人が何人かいる。りんご畑の老夫婦や花畑の周りの人々、散歩仲間のおじちゃん。私が好きなのは、消防団の団長だった写真館の店主である。〝旅人〟として、芸術家あるいは記録者としての姿勢が揺らぐたび彼が登場する、そんな気がする。

 4年目から、復興のための工事が本格的に始まり、町は見た目も中身も様相を変えていく。背景や被災状況の違う人たちをつなぐよりどころだった山際の花畑がなくなって、海辺に住む老夫婦もりんご畑を手放す。2011年以来続いていた生活が、まちが、また復興工事によって奪われる様は、五年目の〈あと語り〉に「期せずして、被災した土地に訪れた二度目の喪失というもの」と表現される。

この年、著者は陸前高田を離れて仙台に拠点を置く。東北の記録・ドキュメンテーションを考えるための一般社団法人NOOKを立ち上げる。各地で巡回展も行う。

 風景がどんどん変わっていき、山を削って建てられた高台には公共施設や公営住宅の区画ができるにつれて、1995年の阪神淡路大震災を経験した神戸を訪ねるシーンや原爆が落とされた広島や長崎の話、東北にも残る戦争の話の継承について考える箇所が出てくる。6年目、7年目と経ていったんこの本は終わる。けれどもかさ上げされた新しいまちでの人々の生活は続く。著者の制作活動もこれから続く。

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2018年1月石巻市

 

 復興という言葉はあるひとつの時点を指すのだろうか。時間は「復興」の以前と以後に分けられるのだろうか。「復興」が完了したら、それはつまり問題が全て解決されたということなのだろうか。『あわいゆくころ』は、流されたまちが土の下に埋もれ、新しいまちができるまでの仮設的な時間だったのかもしれない。それでも、語りや絵、そして文章——と映画も——ができることはたくさんあるのだと、また教えられた。

 

 

瀬尾夏美さんのツイッター

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晶文社のページ:

あわいゆくころ | 晶文社

  

一般社団法人NOOK

一般社団法人NOOK

 

映画『二重のまち/交代地のうたを編む』

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