シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#239 奥二重 2024年5月

 美しいと感じる心は、同時に醜いとか汚いとかを感じる心と同じなのだろうか。坊主めくりと同じで、カルタに書かれた坊主頭を見て笑い、姫が来ると喜ぶのと同じように、美しさを感じる感受性は醜さを笑う心と同じなのだろうか。

 

 孤独だ。今の孤独は悪い孤独で、自分自身の身の回り、本来集中すべき目の前の出来事に目を向けられていない。悪い集中だ。良い集中であれば周りのノイズを遮断してやりたいことに100%で向き合えるというのに。時間はすぐに過ぎるけれど達成感で疲れているのにリフレッシュする感覚を味わえる。

 最近日焼けした。5月はとても綺麗な季節だ。住んでいる街の周りにはたくさんの菜の花が咲いていて、週末に自転車を漕ぐと綺麗な景色がたくさん見れた。

 日焼け止めは塗らない。でも仕事の時には日焼け止めを塗ってあげたりもする。外でブランコをするのが好きな人がいて、ともすれば勝手に一人で外に出てブランコを漕いでいたりする。追いかけて日焼け止めを塗る。緯度が高いからか北ドイツの日光は鋭く感じることが多い。日本のように7月8月ではなく、むしろ5月6月の方が紫外線が多い気がする。オゾンホールがあるとか空気中に水分が多いとか、何かしらの理由がありそうだ。もう何年も自分に日焼け止めを塗っていない。一応トイレの棚には友達が帰国する時にくれた日焼け止めがあるのだけれど、一度も使っていない。次に日焼け止めが必要になるのはいつなのだろう。帰国した時だろうか。

 子供の頃、よく日焼け止めを塗るように親に言われた。でもクリームの感触が好きじゃなくて自分からは決して塗らなかった。シミになったりとか皮膚癌になったりする確率が上がるとか聞いても、塗りたいとは思わなかった。今、手首や肘の内側にはそばかすみたいなシミがあるけれど、果たしてこれがアトピー性皮膚炎にステロイドを使った結果なのか、日焼けのせいなのかはわからない。

 ただでさえ皮膚が敏感なのに、ストレスが多い子供時代だったと思う。肩が前に出ていると言われ、姿勢が悪いと言われ、アトピーが汚いと言われ、背の低さを言われ、足を組むことを指摘された。どうしてあれほど見た目に言及されないといけなかったのか今振り返ると理解に苦しむ。ヴェネチアでも母親に猫背を指摘されたけれど、果たして久しぶりの再会で本当にそれを伝える必要があったのだろうか。誰も知り合いもいないヨーロッパに来て新しいチャレンジをしているのだから、そりゃ背中も痛くなるよ。バックパックで鈍行と夜行バスに乗り込んで30時間ぐらいかけて来たのに。母と伯母が私と会うの場所にイタリアじゃなくてドイツを選べば、こんな大移動をしなくてもよかったのに。深く考えたりせずに適当に言っているのは知っているけれど、そういう一言一言が誰かを傷つけることを考えたりもしないのだろう。それとも私には何を言ってもいいと思っているのだろうか。

写真:ゴビゴビ砂漠

 年々自分の顔が好きになる。おでこのシワは年々深く濃くなるのだろうけれど。それすらも愛せるようになるのだろう。でも私の顔を見て、家族はまだ何かしらを言うのだろう。髪が長いとか。整っていないとか、そういうことを言うのだろう。「髪洗ってないの?」ってヴェネチアでも母はそんなことを言っていた。無視したけれど。

 日本語でカジュアルに人を褒めるのは、ひとときの恥ずかしさがあるけれど、だからといって相手のコンプレックスを指摘するのをコミュニケーションとして成り立たせるのがいいとは思わない。普通に恥ずかしいことだと思う。私は数年かけてヘアドネーションに足る長さになるまで髪の毛を伸ばしていて、ヴェネチアにいる時は中途半端な長さだったの。悪気がないとは知ってても、良い気はしなかったし、まだ覚えているくらいだからきっと少しは悲しかったのだろう。

唯一残る父との写真らしい

 家族はみんな見た目が綺麗な人ばかりだ。美男美女と言っていいかもしれないくらい、整った顔が多い。父方の血が入っているからか、自分の顔は母方のみんなと少し違うような気がして、ある時期自分の顔が好きでない時期があった。どのパーツが違うとかは上手く言えないのだけれど鼻と目は父方から受け継いでいるように思う。

 

 自分の鼻の高さは母方から来ているのだけど、鼻の形はきっと父方から来ていると思う。目も垂れ目じゃない以外、形と細さは父方から来ているはずだ。「目つきが悪い」と祖母にその都度言われる度に、自分の中に流れる血とか遺伝子について考えることもあった。多かれ少なかれ私の家族は皆、父とその家族が母にした仕打ちを覚えていて、そうした否定的な感情が私に向けられている可能性を考えることもあった。私の顔や性格の中に父親を見出して、そのせいで私が怒られたり憎まれたりするのじゃないかとさえ思っていた。

その昔、スイミングプールだった建物

 実際、引きこもりがちなのは家族で私だけだし、繊細で敏感な性格なのも私だけだ。父親の性格について知れば知るほど、私と似ているように思える時期があった。おそらく父親も私と同じように自閉傾向の高い人だったのだろうと思う。秘密主義でもあっただろう。父方の家族と交流があれば、私の孤独は紛れたのかもしれない。父方から受け継いだ性質のせいで母方の家族から理解されていないのだとしたら、それはもうある程度仕方のないことだ。

 

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「あなた変よ。異常よ」と祖母が言う度に、私は自分が「本当に」自分が異常なのか自問し、祖母が言うように、母子家庭で育てられているからこそ私は異常なのだろうかと考えた。母を悩ませたくなかったから、誰にもその悩みを言えなかった。極端に背が低いのも目つきが悪いのも、7歳にして自殺願望を持っているのも母子家庭のせいなのかと考える時期もあった。でも小学校低学年の頃住んでいた潮江の街には母子家庭も父子家庭もたくさんあって、自分が「変」なのは母子家庭のせいだとは到底思えなかった。両親が離婚しても、みんな父親にも母親にも会えるらしかったけれど、自分は会えなかった。私もいつか父に会えるのだろうと思っていたけれど、彼は脳卒中を2回繰り返した後に、働けなくなり、そしてなぜか一人暮らしを始めた彼はそのまま誰とも会うことを拒否したまま死んだ。死因も何もかもわからず、自殺だったかどうかもわからないままだ。事件にはなっていないから犯罪ではないのだろうけれど。

 死ぬ時に彼は何を見て何を考えていたのだろう。銀行の口座を見た限り一年近く水道もガスも使っていなかった彼は、どうやって生活していたのだろう。

 

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 前にでた顎と受け口がスペイン・ハプスブルク家の象徴だとしたら、父親の家族は切れ長一重で垂れた目が共通しているかもしれない。18歳の時にインターネットでようやく見つけた父親の写真は、一重の垂れ目で全体的にのっぺりとした印象を受けた。それは勤めている病院のホームページで、ポジティブな印象を与えるべき写真なのに髪は整ってるとは言えず、にっこりともしていない「へ」の字口だった。そこで私は初めて父親の顔を知り、ドラマチックな瞬間だったにも関わらずとてもがっかりした。二、三日落ち込んだと思う。顔の造りよりも、その無表情にがっかりした。表情だけでなく印象も特徴も無く、幼さを感じられるほどのつるんとした肌からは生活というものが感じられなかった。カメラを見ている瞳にもまるで光が灯っておらず、個性を感じられかった。

 それこそ、太宰の『人間失格』に出てくる、冒頭の三葉目の写真によく似ているように思えた。火鉢や崩れかけの部屋さえ写っていなかったものの、私が今までに見た肖像写真の中で、最も『人間失格』に近く、かつ異様な写真だったと思う。

「シゲ家の人はみんな鼻が同じだね」と伯父が言った時、すごく嫌な思いをした。私は自分の鼻が好きではなかったからだ。自分の鼻は父親と似ていると思っていたから。私は自分の体にそうしたコンプレックスを持っているけれど、きっと伯父は知らないのだろう。知っても、低い解像度でしか理解してもらえないだろう。

 同じように、いとこBがケーキを上手く作れるのを「料理上手なのはシゲ家の血なんだなあ」と伯父は酔っ払って言うけれど、じゃあ父親の「血」が入っている私は料理が下手なのだろうかとも思った。「父親の血が入っている」ことが何かの理由になるのが怖かった。未だに自分の脳みそや思考回路、特性が異常だと思うけれど、どこがどう異常なのかはわからないし、どうしてそうなったのかもわからない。原因を遺伝的形質に求めることはとても簡単で、鬱も低身長も自閉傾向も父親のせいにするのはとっても簡単なのだ。でもそれは危険なことでもある。人を傷つけることもある。数年経ったけれど伯父はまだ同じことを言うだろうか。

 祖母が死んだ頃だったから、伯父は伯父できっと、祖母のことに言及したかったのだろうけれど、私は悲しかった。私の鼻は父親の鼻とも割と似ているし、いとこBの料理が美味しいのはいとこBが努力しているからだ。見た目に言及する時は褒めるだけの方がいいし、わざわざ遺伝的形質に言及することの残酷さに気づけないのは想像力がなさすぎる。料理が美味しいと思ったのなら、そう言えばいいだけの話だ。

 褒める時は直接褒めた方がいい。ドイツに来て気づいたことの一つだ。紋切り型の表現でしか伝えられないこともきっとあるのだ。婉曲に言って、かえって損することは多い。

 予備校の時、毎日勉強するのに疲れていたのか、右目も奥二重になった。私は嬉しかった。両目ともに奥二重になり大きさが揃ったからというのもあるけれど、二重の方が自分の顔には合っていた。

 今週は体調が悪いのか、久しぶりに右目が一重になった。きっと花粉症なのだと思う。この街はどこをどうやって街の外に出ようとしても結局草原を通ることになるし、牛や馬、羊といった家畜と顔を合わせることになる。空気の中にたくさん草花の匂いを感じる。肥料の匂いも動物の匂いも時々混じる。

 一重になってしばらく経って、奥二重になった時のことを思い出した。奥二重になった時に考えたこと、見た目について考えていること。自分の外見と共に生きて行くこと。

 

 

 

【今日の音楽】

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