シゲブログ ~避役的放浪記~

些細な出来事、思い出、映画や音楽、フィクションと詩

#56 知多半島/アイデンティティ

 

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※1 このブログは#49の続きでもあります。興味ある人はこちらもぜひ読んでみてください

※2 最後にお知らせがあります。

shige-taro.hatenablog.com

 

 

 

 

217日(日)深夜

 名古屋にいた。映画祭が終わってから一人でご飯を食べていた。矢場町にある台湾料理屋味仙を出た時はもう遅くて、夜10時を回ったところだった。そこから歩いてブックカフェまで行った。伏見駅近くにあるLump Light Books Hotel1階にある24時間営業のカフェ。本当は銭湯に行きたかったのだけど銭湯はどこも閉まるのが早くて、結局行けなかった。まあ一日ぐらい風呂に入らなくても死にしない。カフェの2階から上はホテルになっていて、私が入った夜11時ごろには宿泊客と思われる人もいた、外国から来たと思われる人もちらほらいれば、大学受験の勉強をしている人もいて感心した。受験期にこんなカフェがあれば自分も勉強しただろうか、なんて考えたりした。その人は2時頃になってどこか暗闇に帰っていった。

 日曜日の夜。この時点ではまだいつ関西に帰るのか決めていなかった。明日の月曜日の夜かあるいは火曜日の午前中。どちらで帰るのか決めあぐねていた。バイトがあるから火曜日の夕方までには家についておきたい。月曜に帰ると、名古屋にいる時間は少なくなるが、家でゆっくり寝られるので余裕を持ってバイトに行ける。火曜に帰るなら寝不足でバイトに行く可能性が高ってしんどいかもしれない。明日名古屋に泊まるとしてもやはり同じカフェで過ごすだろうからだ。月曜日に帰るのがいいだろうと思った。夜を過ごすためだけにカフェにお金を払うのはもったいないし、ちゃんと寝てからバイトに行きたい。ネットを見ると20:30名古屋駅前を出るバスはまだ席が残っているようだった。お昼まで待って値段が安くなっていたらその時に予約をしようと思った。

文章を書いて友達に出す手紙を書き、YouTubeで音楽を少しとオードリーのラジオを聴いていたら朝が来た。外が明るくなって、トイレでさっと着替えてカフェを出た。何冊か本を読もうと思って入ったカフェだけれど、結局読まずじまいだった。 

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カフェ

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コメダ

218日(月)

 朝

 「犬も歩けばコメダにあたる」と言えるのではないかと思うほどコメダ珈琲が多い。コメダ珈琲が関西に進出してきたのは結構最近で、私はそれほどなじみがないのだけど、名古屋に来てその店舗の多さにびっくりした。モーニングが安くて、おいしくてびっくりした。店員さんも印象が良い人が多かった。週のはじまりの新しい朝、通りを歩く人はみなスーツの中で寒そうにしている。珈琲屋の中ではみんなうまそうにコーヒーを飲んだり新聞を読んだりしている。

 名古屋出身の人に聞いて、素敵なお寺と古本やの場所を教えてもらっていた。鶴舞上前津の間と覚王山にあるいくつかの古書店も気になっていて、一通り回ってから名古屋を去りたいと思っていた。でもその瞬間に本当に行きたいと思ったのは半田だった。祖父母が若いころを過ごした知多半島に行ってみたかった。半田は伏見駅から電車で1時間くらいで行ける。半田を観光してお昼を食べ、てまた市内に戻って古本屋を巡って、名古屋駅矢場とん味噌かつを食べてバスに乗って帰ろうと思っていた。半田にはミツカンミュージアムと赤レンガの建物があるということを映画祭の交流会で教えてもらっていて、半田ではそこに行こうと思った。運河と蔵を観て、神社でゆっくりして、昼ご飯を食べようと思っていた。新美南吉記念館にも行きたかったけれど調べると月曜はやっていなかった。

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モーニング

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金山駅

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大府駅で乗り換え

 地下鉄で金山駅まで出て、そこでJRに乗り換える。JR金山駅の構内は平日の午前なのに人がたくさんいて、南に行く人や北に行く人で混雑していた。差している陽光が気持ちよかった。武豊線に乗って南へと行く。電車の最後尾に乗りこみようやくバックパックを下す。冬の空は青がうすくて、靄がかかっているように見えた。その中をやわらかい陽の光が分散していた。

 大府(おおぶ)駅で乗り換えて電車はまた南へと進む。ローカル線で車両は二つしかなかった。車窓から見えるのは冬の田んぼの景色。ずっとむこうまで枯野が広がっていた。その先には川が流れているらしかった。 

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半田駅

  半田駅に着く。10時を過ぎたところ。駅の跨線橋がとても古かった。指示書きを見るに、JRの駅に残っているものの中で最も古い跨線橋ということだった。

 とりあえず東の方へ歩く。蔵と運河を見たかった。振り返ると駅前はがらんとしていておばあさんが地図を見ているだけだった。バス停も郵便ポストも寂しそうに佇んでいた。ミツカンの本社とミツカンミュージアムがあった。100円で入れるので入った。100円で入れるのは一部だけで、もうちょっとお金を払うと全館を回るツアーに参加できるみたいだった。でも時間も金もないからやめた。結論から言うと100円でも十分楽しめた。お酢ができる過程や昔の製法が学べて面白かった。結婚する気も子育てする気もさらさらないけれど、子供ときたら楽しいだろうなと思った。酢をお土産に買おうかと思ったけれど重くなるのがイヤでやめた。 

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ミツカンミュージアム

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ミュージアムの展示

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運河と蔵

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業葉神社

 お昼

 運河沿いを歩く。接近する春をを感じるような陽気の中を、あてもなく歩いたり好きな角度で写真を撮ったりなにか考えたりするのは気持ちがよかった。日本庭園や神社、お寺があって、古い家がたくさんあった。おなかが空いたのでご飯屋さんを探したのだけど月曜日だからか休みのお店が多かった。グーグルマップでいい感じのお店を見つけて、そこにたどり着いては休業日の張り紙を見つけて他の店をまた探す、というのを何度か繰り返しているうちにJR半田駅の周りを一周していた。魚太郎という新鮮な魚とバイキングを食べられるローカルチェーンの店を見つけて、かなり心が惹かれたけど、お店は大行列だった。月曜の昼なのにお年寄りの団体客が多くて、すぐにお昼にありつけるわけではなさそうなのでやめた。歩き回った末にキッチン粕屋というところでハンバーグを食べた。夫婦がやっているお店で、少し不愛想に思ったけれど、味はおいしかった。おいしいおろしハンバーグを食べながら、他の人の食べている日替わりランチを見て、そっちにすればよかったと後悔していた。日替わりAランチの味噌カツはおいしそうに見えた。せっかく愛知に来たのに定食屋の味噌カツを食べないなんて馬鹿なことをしてしまった。食べ終わったハンバーグの皿の横で夜行バスの予約をした。直前だったので少し値段が下がっていてラッキーだった。

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おろしハンバーグ定食

 赤レンガの建物は月曜休館だった。楽しみにしていたのに残念だった。何もなしに引き返すのもしゃくなのでちょっと足を延ばして名鉄の駅まで歩いた。名鉄住吉町駅の近くには住吉大社があって、そこは新美南吉のゆかりの地だそうだった。彼の作品は「ごんぎつね」と「手袋を買いに」しか読んだことがなかったけれど、同じ知多半島出身者ということで祖母が新美南吉のことをよく話していたのでなんとなく気にはなっていた。新美南吉記念館が休館なのはすこし残念だった。

 

 名鉄赤い電車が来て名古屋方面に向かう電車に乗り込んだ。数時間過ごした地方の街はすぐに窓からはみ出して後ろに流れて行った。祖父母の過ごした場所と時間、もっと言えば自分の祖先が歩んできた道のりが遠ざかっていく気がした。知っている親戚がいるわけではなく、見覚えのある景色があるわけではなく、ただただ古い家と高い空があるだけだったけど、列車がスピードを上げた時に感じたのは「淋しい」という気持ちだった。車窓にずっと映る冬枯れの田んぼを見ていると、市内の古本屋をめぐるという午後の計画は今やどうでもいいものに思えた。私は、基本的に自分のアイデンティティは遺伝子よりも育ち方や考え方に由来していると思っている。自分を作るのは自分だと強く思う一方で、「血」とか「家系」とか言葉が目の前にちらつく度にそうしたものにすがりたくなる時がある。ちょうど今日はそういう日のようだった。おしゃれな古本屋で本を探して運が良ければおしゃれなカフェで本をつらつら読むという計画は、お刺身についてくるツマや、甘ったるいバンドが歌う失恋や、フーディーの紐みたいに、本質的ではないもののように思えた。まあ「本質的って何?」ってきかれたら困ってしまうけれど、でもとにかく私の心の中で「古本屋巡り」は急速に輝きを失ったのだ。

 要は「旅をしている感」に浸りたかったのだと思う。寝不足だった。

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車窓

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太田川駅で引き返す

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河和駅のバス乗り場

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日間賀島へ行く船

 夕方

 名鉄の最南端は河和(こうわ)駅という名前だった。祖父母が学生時代使っていたはずの駅だから名前を聞かなかったはずはないのに、まったく覚えのない駅名だった。

段々電車が南へと進むうちに乗客の人もお年寄りが多くなってきて、知り合い同士で喋っている人が多くなってきた。若者が少なかった。ほとんどいなかった。

駅構内にはスーパーとカフェ、バス乗り場しかなかった。ロータリーもなくすぐに幹線道路という駅だった。駅前も郵便局と銀行とちょっと離れたところにある町役場しかなかった。バスに乗って豊浜、あるいは半島最南端の師崎まで行こうかと思ったけれど、時間もお金もないので駅前をうろうろして飽きたら帰ることにした。読む本もあるし、書きたいこともあった。映画祭と交流会、そしてこの知多半島旅行。いろんなものを見て、話して聞いた。情報に触れすぎたためにちょっと疲れてもいた。港へ行くと、ちょうど日間賀島伊良湖岬への便が出るところだった。アナウンスがあって人が乗って、その後で船は白い波と共に向こうに消えていった。テトラポットをたどって海岸線を歩いた。海の水は透き通っていて、西宮の海よりもきれいに思えたけどそれは旅の魔法だったかもしれない。波と春霞の向こうにぼんやりと見える対岸に目を凝らしながら歩くと砂浜があって子どもたちが遊んでいた。学校が終わった近所の小学生が自転車で走り回ったり鬼ごっこをしたりしていた。なんだかほっとした。久しぶりに子供が遊ぶのを見た気がした。私はようやく思いリュックを下して海を臨む会談に腰かけた。散歩中の犬が私のところに来て飼い主に叱られて去っていった。霞がかった空気の中で夕方の太陽の光は柔らかく反射しているように見えた。読みかけの山田詠美のエッセイを読んだ。30年も前に書かれた文章は今読んでも先進的で、私が日々Twitterでみる主張とよく似ているものもあった。その反面、エッセイに出てくる日本社会の悪いところは現代とほとんど変わっていないように思えて少しがっかりした。本を読んだり、疲れたら海を眺めたり子どもの声に耳を傾けたりしているとすぐに1時間半ほど経ち、帰る時間になった。

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三河湾

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読書

 夜

 帰りの電車は一瞬で知多半島を縦断した。本当にすぐだった。何を食べるか迷った挙句、名古屋駅の地下街「エスカ」にある矢場とんに入った。わらじとんかつ定食。味噌を塗ったカツの美味しさはさることながらソースも酸味と甘さが丁度よく美味しかった。カツをおともに食べるご飯は最高で、2回おかわりした。お土産を買って、時間をつぶすために入ったマクドナルドで文章を書いて、時間が来たからビックカメラの前で夜行バスに乗った。 

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わらじとんかつ定食

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名古屋駅

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いっぱいのみかん

223日(日)

「おじいちゃんと連絡が取れない」と母から電話があったのが昨日の夜。バイト中だった。常勤山に断りをいれて私が電話をかけるとじいちゃんは出た。家にいるようだった。母が電話をかけた時間は外を松葉杖で移動していたからすぐに取れなかったのだと言う。声を聴けて安心した。

 夜勤明けの今日の朝、母と二人で祖父の家まで行った。脊椎管狭窄症になった祖父は割によく動いていた。本当は安静にしないといけないのだけど、そういう動かずにはいられないところが若くいられる秘訣なのだろうかと感心したりしていた。母が買い物に行き、料理を作る間、私は庭の木に登って夏蜜柑を獲っていた。200個以上あるオレンジ色の球体は獲っても獲ってもきりがないので援軍が欲しかった。助っ人をTwitterで募ったけれど誰も来なかった。結局、夕方まで一人で黙々と木登りを繰り返した。高いところの実は高ばさみで獲った。終わりごろにようやく助っ人が来た。お返しにいくつか蜜柑を持って帰ってもらった。

 知多に行った話をしたら、おじいちゃんは昔話をしてくれた。おじいちゃんが育ったのは豊浜という場所で、地図で見ると知多半島のほとんど南端の町である、高校は半田高校で、毎朝10キロの道のりを自転車で河和駅まで走り、そこから名鉄で半田まで通ったのだという。半田高校に通っていた話は多分何度も聞いた話なのだけど忘れていた。半田に行った今、ようやく実感が湧いて、これからは忘れないだろうと思った。よくよく聞くとおばあちゃんも半田高校の卒業生だった。今もそうなのかは知らないけど、当時勉強のできる知多半島の子は半田高校に行っていたみたいだ。豊浜の隣町で育ったおばあちゃんはどうやって半田高校に通ったのだろうかと気になった。やはり自転車だったのだろうか。

 半田におじいちゃんの兄弟(姉だったか妹だったか)が住んでいることもきいた。そんなこと今まで聞いたこともなかった。故郷の話は次第におじいちゃんの昔話になった。高校のこと、浪人していた時のこと色々聞いた。野球部を三日でやめて卓球に打ち込んだとか、英語をラジオで勉強したとか、浪人してもどこにも受からなくて泣きながら河和駅で家族に見送られたとか。何度も聞く話もあれば初めて聞く話もあった。ついついご飯を食べたりお茶をのんだりしているとついつい長居をしてしまった。バスに乗って帰った。ブルーがかった照明のせいで薄暗いバスの中は静かで、みんなうつむいているように思えた。私は窓の外を車の光が流れていくのをぼんやりと見つめていた。

 

 

 

〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。

 

四月十五日(火)小雨降る日

「ろくよう」には、もう恥ずかしくていけない。私のすべてをひっかけちゃったもの。見ず知らずの隣りの学生風な男に、「自然をどう思いますか、青い空、広い海」なんて話しかけちゃったんだから。全力投球なんてかっこいいこといってるけど醜い。

 酔っているうち常に私は他者を他者として認めようとした。自己を自己として認めるといっても、肉体的には確かに存在しているが一体何なのかよくわからない。私は地道に追求していかなくてはならないと思っている。

 後ろをふりかえるな。そこの暗闇には汚物が臭気をはなっているだけだ。

「ろくよう」に独りで呑みだしてから私はよく笑った。そして泣いた。泣き笑いのふしぎな感情ですごした。

 あのウェイターのおじさんに Do you know yourself? と、いったら、Yes, perhaps, I know myself. ——といった。私は I don't know myself. と、いって笑った。

 

 

 

 

〈お知らせ〉

 このブログを読んでる方へ

 どういう人が読んでいるのか知りたいのでオフ会を開催したいと思います。 以下の時間、大阪梅田、茶屋町サンマルクに座っているので、気になる方はふらーっと立ち寄ってください。 ブログをそんなに読んでない人でもいらして下さるとうれしいです。ただ会ってみたいという気持ちだけで大歓迎です。

 青いキャップとデニムジャケットで奥のトイレ近くの席に座っているのが私です。

 

時間:5/18(土)10:00〜13:00

場所:サンマルクカフェ大阪梅田茶屋町

合言葉:「レモン・キャンデー」