シゲブログ ~避役的放浪記~

大学でロシア語を学んでいました。関西、箱根を経て、今は北ドイツで働いています。B2レベルのドイツ語に達するのが目標です

#49 おれの春巻き!!

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 大須にじいろ映画祭に参加していた。今日は朝10時から夜8時過ぎまでたくさん映画を観ていた。会場は名古屋の大須演芸場名古屋市営地下鉄鶴舞線(水色のライン)の大須観音駅から歩いて10分ぐらい。いや10分もかからんか、5分くらい。

 大きいスクリーンと大きい音で映画を観るのはかなり久しぶりで、それこそ前回のブログで書いた「あの頃、君を追いかけた」を11月に観て以来だった。随分前に知り合いが「映画館には映画後の余韻に浸れる部屋が欲しい」みたいなことをツイッターで言っていて、その時の私は「○○さんはよっぽど感受性が豊かなんだなあ」なんて他人事みたいに感心したけれど、よくよくわが身のことも考えると決して他人事じゃないのだった。昔からライブ会場や映画館なんかに行くと、私の感性は大爆発を起こして収集がつかなくなる。高校3年生の夏休み、近くの映画館で「善き人のためのソナタ」という少し前のドイツ映画が上演されていて、「世界史の勉強にもなるから」とかなんとか口実を作って観に行ったんだけどまあ素晴らしい映画で、夏の終わりまで引きずってしまった。いっぱいまでひねった蛇口みたいに涙が出て、帰り道でも自転車を全力でこぎながら「わーーーーーーー!!」なんて叫んでいた。映画に受けた衝撃をうまく表現しうる言葉が見つからず、ただただ意味のない言葉を叫ぶしかなかったのだ。

 私の感受性をそんな風に揺さぶった映画はけっこうたくさんあって、例えば「ララランド」を観た後には高校の同級生にいきなり電話をかけ30分ほど抑えきれない感情を受話器の向こうへぶちまけてしまったし、松岡茉優の「勝手にふるえてろ」を観た時は、映画館のある梅田のスカイビルから駅まで歩きながら主人公への共感を抑えきれなくて、梅田のビル群に向かってため息をつくやら叫ぶやら大変だった。書き出すと枚挙に暇がないのだけれど、鑑賞後に感情がメルトダウンした映画には、他にも「Beyond Clueless」「アメリカン・スリープオーバー」「さよならも出来ない」「A Strange Love Affair with Ego」「コーヒーをめぐる冒険」などがある。そうした映画は「自分にとって大事な映画」とほとんどイコールで、本当はもっともっと映画のタイトルをここに連ねたいけれど時間がないのでやめておく。とにかく私は、すばらしい映画を大きなスクリーンで観てしまうと、最低一週間は余韻に浸って何もできなくなる。だから最近はあまり映画館に行かない。行くにしても誰かと行くようにしている。誰かと感想を共有できると、とりあえず落ち着くことがわかったからだ。

 その点、映画祭はいい。みんなで同じ映画を共有し、鑑賞後に感想を交換できたりするからだ。上映後にもトークがあったりして、監督や役者さんから映画製作の裏話が聞けたりする。そうすると心の中のもやもやは多少小さくなる。たくさん映画を観ていると疲れてしまって、余韻に浸るだけの体力や思考力が残っていなかったりするのもいい。疲労感がむしろ心地よい時もあるのだ。今日もだいたい9本ぐらいの映画を観て——短編が多くて長編は3本ぐらい——グロッキーになってしまった。「ありがとうございました。来年も来ます」と映画祭のスタッフの人に言って、演芸場を出るとぐうーーーっとお腹がなって一気に疲労感と空腹感がやってきた。教えてもらった味仙という台湾料理屋に行くことにした。

 

 

 味仙矢場町店。日曜日だからか、演芸場を出た時点で、大須商店街のほとんどの店は営業を終えようとしていたけれど、矢場町の中華(はたして「中華料理」と「台湾料理」というのはどのように違うのでしょうか?)は大繁盛だった。中ではたくさんのテーブルにたくさんの人が座っていて、ひっきりなしに店員さんが動いていた。私は台南でOと二人で入った小籠包の店を思い出した。台湾は今ランタン祭りの季節である。SNSで流れてくる映像を見ながら「台湾にまた行きたいなー」なんて思っている。

 味仙入り口近くには椅子で待っている人もて、一方で勘定を済まして出てくる人もいて、一人だった私は案外すぐにテーブルに座ることができた。「12番のテーブルどうぞー」と言う日本語もそうなのだけど、ぱっと見た感じで海外から来た従業員が多いのがわかった。日本に働きに来た人の過酷な労働環境に関するツイートをこの頃よく見かけるので、この店で働いている人はどうなんだろう、なんてことも考えてしまった。

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 台湾ラーメンという写真からしてスパイシーな料理が人気らしいのだけど、今夜は24時間営業のブックカフェで過ごす予定で、だから匂いのつく料理はなるべく避けないといけなかった。悩んだ末、五目焼きそばと半チャーハンを頼んだ。とにかくお腹が空いていて、食べたいものを頼むと自然と炭水化物が二品になってしまった。今日、映画の合間時間はご飯をゆっくり食べるには十分でなくて、朝からお好み焼きを二つ食べただけだった。大須の商店街ではアルミホイルに包んで売っているお好み焼きが240円で売られていた。二つの店で合間ごとに一つずつ買って食べた。ふわふわだった。

 空腹は最大の調味料なんて言うけれど、本当に今夜の焼きそばと半チャーハンは美味しくて、瞬く間に胃の中におさまってしまった。その間もひっきりなしに客が来ては帰り、ホールで働く人たち——観察しているとベトナム、中国、インドから来た人が多い印象だった。もっとも顔だけでは確かなことはわからないけれど——は忙しくて、厨房から料理を受け取ってこっちのテーブルに届けると、またすぐに向こうのテーブルの客が「生ビールひとつ!」と叫ぶといった感じだった。まだ足りなかった私は春巻きを頼むことにしたのだけど、店内はますます混んできて店員さんに声をかけるのも難しくなった。やっと店員さんを一人捕まえて「春巻き一つお願いします」と言う。注文して一息ついた私はこの二日間の出来事をノートに書き始めた。昨日の交流会でいろんな人から聞いたこと、今日映画を観て感じたこと。諸々のことを忘れないように、とりあえず箇条書きで書き出した。あらかた書き出してもまだ春巻きは来なかったので、今度は明日の予定を立てることにした。大阪にはどうやって帰るか、知多半島に行くとしたらどの町に行くべきで時間がどれだけ必要か、おしゃれな古本屋さんは市内のどこにあるのか。そんなことを調べてけっこう時間が経ったのにまだ春巻きは来ない。どうもオーダーが通っていない感じである。頼んでから20分近く経とうとしていた。このままで帰ろうかとも思ったけれど、私は今どうしても春巻きを食べたい。仕方ない、店員さんに声をかけるか。

 こういう時、自分が店員だったらどう思うか、ということを必ず考えてしまう。「注文が通っていない」というのはお店の人からしたら「謝らなければいけない事案」なわけで、私が店員なら後ろめたさを感じずにはいられないだろう。だから店員さんに声をかけるのはちょっとつらいものがある。でもどうしても春巻きを食べたい。背に腹は代えられない私は、近くを通ったインド-ヨーロッパ系の顔の店員さんに声をかけた。その人が申し訳なさそうな顔をするのが怖くて、努めて明るく振舞ったけど伝わっただろうか。ほどなくもう一人の店員さんが確認に来て、もう一度同じことを言った。「まあ、気にしなくて大丈夫っすよー」みたいなニュアンスを込めたけど、想いが伝わっていたら嬉しいなと思う。嘘みたいにすぐ春巻きは来た。中にキャベツが入っていて、しゃきしゃきした触感だった。きつね色の皮もぱりっとしていた。注文がすんなり通っていたらこんなに美味しくなかったかもしれないな、なんて考えてた。

 

 

 注文が通っていないというだけですぐに腹を立てる人を知っている。そんな人と居合わせてしまうと、私の心までがりがり削られてしまう。特に相手が女性や外国人だというのを見るや否や、とたんに高圧的な態度になる人を見ると冷や水を浴びせられた気になる。私の周りにそんな人がいない分、街で出くわすとショックは大きい。沸々と怒りが湧くけれど、最後はこの国に対するがっかりとか悲しみにつながっていく。どうにかならんかなと思うけど、みんな余裕がないのだと思う。

 この前も十三でつけ麺を食べていると、ある店員さんが、替え玉を出さないといけないところに間違えて煮卵を出してしまっていた。ネームプレートを見るにその女性は中国人で発音を聞いた感じでも日本語ネイティブではないようだった。顔は日本人と言われてもわからないような顔で、高校の陸上部の後輩に少し似ていた。煮卵を出されたのはスーツを着た男の人で、仕事の合間に食事に来たようだった。むすっとして「これ頼んでない」と小さく鋭い声で言った。女性の店員はその声を聞き取れなくて、しばらくの間うろたえていた。湯切りしていた店主が状況を察してささっと出てきた。そこでようやくスーツ男は状況を説明したのだった。 同じ日本人として恥ずかしかった。相手が中国人だからか、女性だからか、コミュニケーションをとることを早々にあきらめて敵意だけをにじませるその顔に、私は張り手を浴びせたくなった。いい歳してふくれっ面してるんじゃねえ!! こっちの飯までまずくなるだろ!!

 やっぱりご飯を食べる時は笑顔を忘れずに余裕を持っておきたい。幸せなことに私は大抵のものを 美味しいと感じることができるようなので「美味しかったです」という言葉を忘れないようにしている。でもそれはそれで迷惑かもしれないなとも思う。会計を終わらせた私が「美味しかったですごちそうさまでした」と言う度に彼らは「ありがとうございます」とか「またお越しください」などと返さないといけないからだ。それでもそういった言葉が暮らしを豊かにさせるのだろうと何となく信じている。

 だから今夜も慌ただしい店内に「美味しかったですー」なんて言い残して味仙を後にした。

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 ※この記事は#56に続きます

shige-taro.hatenablog.com

 


 

 

〈付録~50年前の高野悦子~〉

 20196月末までの間、ブログの終わりに、高野悦子著『ニ十歳の原点』の文章を引用しようと思います。『ニ十歳の原点』は1969年の1月から6月にわたって書かれた日記なのですが、読んでいて思うことが多々あるので、響いた箇所を少しずつ書き写していこうと思います。何しろ丁度50年前の出来事なので。

 

二月十七日(月) 晴

 毎日、立命には行っているものの、ただ見ているだけである。昨日と一昨日はノートを書く気がしなかった。一昨日は疲れすぎてであり、昨日は人と話して言いたいことを言ってサッパリして、それ以上の追求をノートで試みなかったからである。このノートは欲求不満の解消のためにあったのか。(ちっぽけだよ!)

 大体私は正直で人を信頼しすぎている。外にあるときは、何らかの演技を常に行い続けなくてはいけない。従順なおとなしい娘と映るよう、おまえはまだまだ演技が足りないぞ。

 十五日に広小路に行くと、学生二名が私服警官に逮捕されたことに対する抗議デモをやっていた。河原町通や梨ノ木神社には機動隊が待機しているし、それこそ一触即発の気配であった。

 十六日三・〇〇PM立命に行くと、十数人の中核が雨にぬれ意気消沈した様子でデモッており、民主化放送局のデッカイ声が挑発してガナリたてている。カメラでデモやバリケードをうつす。全共闘からフロントが脱退した。これからの動きが注目される。